ヴァンデ戦争・語られざる惨劇
フランス革命から214年たった。毎年7月14日革命記念日には、パリのシャンゼリゼで華やかなパレードが行われ、世界中から観光客が訪れる。だが一方でこの日を祝わないフランス人もいるのである。
革命から4年後の1793年、ロワール川南部のヴァンデ一帯で反革命の狼煙があがり「カソリック王党軍」が結成された。それにブルターニュやノルマンディーの「ふくろう党」と呼ばれる蜂起軍も加わり、各地で激戦を繰り広げるが、年内に共和国軍にほぼ制圧され以後はゲリラ戦が主流になる。いわゆる「ヴァンデ戦争」である。
それでも共和国は94年「地獄部隊」を送りこみ、フランスで語ることがタブー視されているヴァンデ一帯の大虐殺が起きた。無抵抗な住民たちの死体が累々と横たわる。女性や幼子も容赦なく殺された。人家にも畑にも火が放たれ村々は消滅した。この戦争全体の死亡者はヴァンデ側三十万人、共和国側十万人と推定されている。
3月27日、Nantesナントから南西50キロに位置するNoirmoutierノワールムチエ島を訪れた。ここでは、1500~2000人が銃殺されている。Souvenir Vendéen ( ヴァンデの歴史を語り継ぐ会 ) の総会と、引き続いて島内のゆかりの地を訪ね、鎮魂の祈りをささげるためである。城内の博物館は城壁修復のため現在休館中なのだが、特別に見学できた。またすぐ側にある教会と、犠牲者の骨が納められた礼拝堂にも立ち寄った。礼拝堂は一般公開されていないはずなので、あらかじめ観光案内所に問い合わせてほしい。
あるご夫婦が先祖のことを話してくれた。この戦いでご主人は3人、奥さんは23人を虐殺されたという。どれほど時間がたとうと忘れられない悲しみがある。フランス人でありながら、祝日を祝えない。それでもフランス人として暮らしてゆくのだ。内戦ゆえの悲劇である。
関連エントリー
ふくろう党パリ集結
ダヴィッド・ダンジェのボンシャン侯爵像
ナント溺死刑の追悼式典と講演会
参考資料
ブルターニュへの旅―フランス文化の基層を求めて 田辺 保 著
朝日選書 1992
(ブルターニュ関連書籍 その1、3月18日参照のこと。名前をあげたボンシャン侯爵は「カトリック王党軍」の高潔な司令官で死の直前に5000人の捕虜を解放した)
ヴァンデ戦争―フランス革命を問い直す 森山 軍治朗 著
筑摩書房 1996
日本語で書かれた唯一の専門書。いくつか疑問もあるがこまかいことなのでここでは省略する。何しろ公文書の多くが焼かれてしまったので、フランス語の文献でも食い違いが見られるからだ。
GLORIA VICTIS 友人のホームページ。私が知りうる限り「ヴァンデ戦争」に最も詳しい日本人。
私はすでにエッセイとして、ヴァンデ関連の逸話を新聞等の媒体でいくつか発表しているが、これらを加筆して出版することも考えている。実現すればお知らせしたい。
| 固定リンク
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/17948/369307
この記事へのトラックバック一覧です: ヴァンデ戦争・語られざる惨劇:













コメント