マドリッドの悲劇
惨劇が再び起きた。私がマドリッドで起きたテロのことを知ったのは11日、木曜日夜だった。レンヌでは、この日昼すぎから気温が急激にさがって、雪が舞っていた。家路を急ぐメトロ(地下鉄)の構内に張り紙があったのだ。「午後6時から市役所前広場でマドリッドのattentatアタンタ(テロ)犠牲者を追悼する」という内容であった。いったい何が起きたのか・・・帰ってテレビをつけると、「エスパーニャ」と叫ぶ声が聞こえてきた。爆破された列車。けが人の語る生々しい事故の様子。ニュースの中でsolidalitéソリダリテという言葉が幾度となく繰りかえされる。「連帯感」という意味である。
それからずっとテレビを見ていた。マドリッド市内をうめつくした200万人の追討集会には、各国の代表が参加した。フランスからは、ラファラン首相とパリ市長がかけつけた。レンヌ、トゥルーズ、パリなどフランス国内だけでなく、ヨーロッパじゅうが、喪に服している。2日がすぎ、葬儀が行われているが、まだ身元確認が出来ない遺体が数十体あるという。「娘がまだ帰ってこない」とうなだれる老夫婦。「もう殺人はたくさん」と悲痛な叫びがいつまでも耳に残る。
土曜日の午後、一見するとレンヌの街は普段どおりである。目抜き通りは買い物客で賑わっている。だが市役所と旧高等法院には弔意を示す半旗がかかげられていた。写真は市役所である。拡大してご覧いただきたい。少し見づらいが、電灯の支柱には、黒いリボンの張り紙が、時計台の下に半旗が見える。特別の措置である。ここで昨日、スペイン人学生の呼びかけで、数百人が手をつなぎ平和を祈ったそうである。
テロ行為は、バスク地方の分離独立を求める非合法組織「バスク祖国と自由」の犯行と考えられたが、アルカイダが関与したという疑いが濃厚になってきている。フランスはスペインの陸続きの隣国であり、このテロは決して他人事ではない。この2日でいっきに緊張が高まっている。あらゆる公共交通機関へのテロが想定されうるからだ。いたるところ警官だらけである。昨年クリスマスには、パリやロンドン発のアメリカ行きの飛行機がテロを警戒してキャンセルになったが、列車もバスもおちおち乗れなくなってしまう。
飛行機の手荷物検査はますます厳しくなるだろう。また日常でも、美術館、コンサート会場などに入る時は必ずバックの中身まで調べられる。それからサッカー観戦にペットボトル入りの水を持っていたら、受付でキャップを捨てられ、困ったことがある。飲んでみせても、返してくれないのだから、どうしようもない。(アルコールを持ち込んで会場内で火をつける不届きものがいるため)。テレビではオリンピックを控えたギリシャで、テロに対しどのような訓練を行っているかが、紹介されていた。
人類の歴史は戦いの歴史といっても過言ではない。突然、家族を失った人たちの悲しみは察するに余りある。だが、報復は新たな犠牲者と深い憎しみを生むだけだ。さきほどモロッコ人の友人から電話があった。イスラム教徒であっても友は友である。私は誰も殺したくないし、家族や友人を殺されたくない。もういちど、平和について考えよう。共に手をたずさえて生きることを、本気で考えようではないか。
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