« 2004年3月 | トップページ | 2004年5月 »

2004年4月の記事

2004.04.29

タイトルが消えてゆく・・・

  たぶんきのうの夜、ココログの仕様が変更になったんだと思いますが、これまでちゃんと表示されていた、タイトルの上と左の余白がなくなっちゃったし、下も1センチくらい消えています。

  よく考えたら、タイトルの文字だけが左上に移動して、枠が減ったようです。
  どうしたらいいんですか?誰か教えてください。
 
  

| | コメント (4) | トラックバック (0)

フランス人は自転車が好き

cyclisme.JPG
  フランス人の好きなスポーツはサッカー、ついで自転車レースだそうです。毎年初夏に行われるツール・ド・フランスが有名ですが、ほかにも各地で様々な大会が行われています。きのう昼すぎ、レンヌの市役所に自転車がいっぱい並んでいました。選手たちが出発すると、予備の自転車を積んだ車が、数十台続きます。

  通りかかったのが出発の直前で、すぐにみんないなくなってしまったので、何のレースなのかよくわかりません。テレビ局も取材にきていましたので、インターネットで調べたのですが、うまく検索できませんでした。「4日間行われる」とそばにいた人が話していたを耳にしただけです。国外から参加しているチームもあったようです。


  追加情報 5月1日
  新聞を見て行われていたのはle Ruban Granitier Bretonというレースだったとわかりました。詳細が知りたい方は、下記を見てください。Club Velo 101またはVelo Club

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.04.26

ブルターニュ特産 シードル

DSCN0042.JPG

  ここ数日、まともなものを食べていなかった。ダイエットをしているわけではなく、口内炎で暖かいものや固形物を食べられなかったのだ。まだ熱いものはひかえているが、痛みはほとんどなくなった。食べたいのに食べられないというのは、つらいものだ。

  そこで、今晩はCidreシードルで乾杯することにした。林檎からつくった発泡酒で、スーパーにはいろんな種類が並んでいる。今日のはBrut、辛口だ。アルコール度4.5パーセント。口当たりもよく、ビールより割安である。価格1.5~3ユーロくらい。機会があればお試しあれ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004.04.25

ベリー公のいとも優雅なる時祷書をめぐる一考察・追加情報

4000082256.09.MZZZZZZZ.jpg

  先日紹介した写真のベリー公のいとも美しき時祷書フランソワ・ベスフルグ (著), エバーハルト・ケーニヒ (著), 富永 良子(訳)だが、ご覧いただいた松本さんから、ベリー公のいとも優雅なる時祷書とは異なる写本ではないかとご連絡があった。ご指摘のように、この本はニューヨーク・メトロポリタン美術館所蔵のLes Belles Heures du Duc de Berryの翻訳本であった。

  ところが、ここで、またまた日本語訳が異なる本が存在するのである。スイスのFaksimile Verlag Luzern社がこれをファクシミリ版で再現したのが、ベリー公の美わしき時祷書という名前で、雄松堂書店から発売されていると松本さんが調べてくれた。この写本はランブール三兄弟が最後まで完成させた唯一のもので、完成度はベリー公のいとも優雅なる時祷書におとらない素晴らしいものである。ちなみにファクシミリ版のお値段は1575000円である。

  「いとも」という言葉があったので、私もすっかりだまされてしまった。この写本が、現在ニューヨーク・メトロポリタン美術館にあるとは知らなかった。どうしてアメリカにあるのか、その経緯を調べたらおもしろいと思うのだが、そこまで手がまわらない。


フランスの豪華写本 はじめて一般公開 ベリー公のいとも優雅なる時祷書の公開決定!
ベリー公のいとも優雅なる時祷書をめぐる一考察
   ルーブル美術館・PARIS1400
  The Tres Riches Heures of Jean, Duke of Berry 英語版

| | コメント (2) | トラックバック (0)

モルレーに行こう!

statue.jpg

  ここまで足を運べば、ブルターニュらしさがわかってくる。古くから、交通の要所として、また漁業や亜麻栽培で栄えていた町である。タイトルバックの写真もMorlaixモルレー沖の海の写真に変更した。

  町じたいはこじんまりしていているので、2日あれば見学できるだろう。L'église Saint Mathieuサン・マテュー教会には、フランス全土に17体しか残っていない、彩色彫像がある。マリアの体内にさらに像が彫られている珍しいもので、素材は菩提樹だ。

  15世紀の建物も残っていて、そのうち2ヶ所は内部を見学できる。La maison de la reine Anne アンヌの家と呼ばれている建物もある。アンヌとは、ブルターニュ公妃、アンヌ・ドゥ・ブルターニュのこと。彼女が1505年にブルターニュ各地を巡ったとき、立ち寄ったのではないかと推測されるような、贅をつくした家である。

  さらに近郊の町には、ブルターニュ独自のLe calvaireカルヴェールと呼ばれるキリスト磔刑像や、人々に死を予告するL'Ankouアンクー像などがある教会が点在している。宿をモルレーにとって、車で移動するのが確実だ。町の中心地にTy PierreというB&Bがある。日本の大学でフランス語を教えていたPierre-Yves Jacquetさんが経営していて、たのめば、日本食も用意してくれる。もちろん日本語も話せるから安心である。私も数日間お世話になったことがあるが、とても快適だった。

   追加情報 5月13日

  Ty Pierreから連絡があり、ホームページに日本語表記も追加されたということで、リンクを張替えました。「日本からのお客様大歓迎」だそうです。
 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

パソコンが直った!

 きのう、突然パソコンが動かなくなった。Windowsのアップデートをしたら、ダメージを受けたと表示が出て、そのまま、再起動もできなくなった。おかげで今日一日、冷や冷やしながら、パソコンの前にいた。壊れたのはTemporary Internet Files・・・らしく、セルフモードで起動したものの、インターネットもメールもできない。CHKDSKユーティリティを実行し、エラーを修復しても、電源を切るように指示がでるだけ。

 最悪の場合はシステムを入れ替えないといけないと覚悟しつつ、夜7時。再度電源を入れなおしたら、重大なエラーは修復されたという表示が出て、インターネットにも接続できるようになった。どうなったのか、さっぱりわからないけれど、とにかくよかった。

 おかげさまで、うるわしのブルターニュ開始から2ヶ月がすぎ、自分でも過去の記事がどこにあるのかわからなくなったので、検索できるようにした。いかんともしがたいを拝見して設置することができた。丁寧な指示のおかげである。Google 検索窓を設置する その 7を使用させていただいたが、 size="15"だと、検索の文字が下の行にずれ込むので size="12"に変更した。

 こうして、書きこみができるだけでとてもうれしい。見てくださってありがとう!

 

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2004.04.22

セシルの誕生日

cecile.JPG  かけがえのない出会いがある。まだ数度しか会ったことがないが、会えてよかったと心から思える人がいる。セシルという女性である。彼女は月に一度、外国人ばかり10-20人を自宅に招き、一緒に昼食を食べる。困ったことはないか、病気をしていないか、ひとりひとりをまるで、家族のようにあつかってくれる。彼女のおおらかな心に国境はない。食べ物のほとんどは、それぞれが分担して持ち寄るし、後片付けもみんなでするから、考えるほどの負担にはならない。それでも、祖国を離れて暮らす留学生たちにとって、セシルのように、あたたかく受け入れてもらえる場所は多くない。

  昨年のクリスマスイブもセシルの家で17人の仲間たちと過ごした。7時半からセシルとリビア人(イスラム教徒)でミサに行き10時ごろから晩餐を食べた。生牡蠣、七面鳥、ブッシュ・ドゥ・ノエルなどなどのごちそうだった。食後、驚いたことに、ひとりひとりにプレゼントが渡された。私がもらったのは、木のフライ返しだった。さらに彼女の住んでるマンションの住人たちを無作為に20軒選び、ジャムをそっと玄関に置いてくる役目をおおせつかった。まさかプレゼントが用意されてるとは思わなかったので、私はクリスマスカードしか持っていなかった。ほかの人たちは、ちゃんとセシルにプレゼントを渡していて、ちょっと恥ずかしかった。これが、キリストの誕生の喜びをともに分かち合うカトリックの真髄なのだろう。彼女の優しさが心に沁みた。

  彼女のことが、教会が発行している雑誌に載った。その記事を読んではじめて彼女がこういった活動をもう30年以上続けていることを知った。きっかけは、30-50歳のころ、病気がちで、外にあまり出かけられなかったからだという。離れて暮らしている子供たちも一人暮らしの彼女を気遣うので、誰かを家に呼ぼうと考えたのだそうだ。

  4月17日、セシルの70歳の誕生日だった。いつもは外国人ばかりだが、この日ばかりは特別に、遠くに住む子供や孫たち、それからフランス人の友達もたくさん集まった。参加者は「春の花を飾りにつけてくること」と招待状に書かれていたのだが、私はすっかり忘れていたので、外に出てタンポポとマーガレットを摘み小さなブーケにした。総勢100人くらいだっただろうか。はじめて会う人もたくさんいたが、和やかな楽しい午後だった。いつまでも元気でいてほしい。

  セシルからみなさんに伝言がある。彼女はフランスの刑務所に服役中の人に手紙を書くというボランティアをしている。フランス国内に住む日本人の方で、日本語で手紙を書いてくれるボランティアを探している。住所も名前も受刑者には知らせないが、数年間つづけることが条件である。
連絡先 : le courrier de Bovet

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004.04.16

ベリー公のいとも優雅なる時祷書をめぐる一考察

  外国語を翻訳するというのは、大変な仕事である。Les Très Riches Heures du Duc de Berryという写本のタイトルを日本語にどう訳せばよいのだろう。このタイトルがどのように日本語訳されているか、調べて書かれているおもしろい記事がある。ラブリー写字室の「ベリー公問題にもの申~す!」である。これによると、日本語訳にたくさんのバリエーションがあることがわかる。
   
   「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」 90件
   「ベリー侯のいとも豪華なる時祷書」  1件
   「ベリー公のいとも豪華な時祷書」    9件
   「ベリー侯のいとも豪華な時祷書」    3件
   「ベリー侯の豪華時祷書」         6件

  まず、爵位が異なっている。広辞苑第4版によると、「爵」というのは「明治憲法下で、勅旨によって授与された栄典の一。華族・朝鮮貴族の世襲的階級で、公・侯・伯・子・男の五等」と記されている。Le petit Robert辞書をみると、フランスではprince, duc, marquis, comte, vicomte, baron(1817年8月25日付けの条例)である。le princeは大公と訳されることが多いようだ。le Ducはle Duché公国の君主を指す。従ってle Duc de Berryはベリー公が正しいだろう。

  次いでRicheという言葉だが、ロワイヤル仏和中辞典には「金持ちの、裕福な、高価な、豪華な、・・・に富んだ、・・・の豊富な、豊かな」という意味が並んでいる。ようするに素晴らしい内容だといいたいわけだ。あとは、日本語のニュアンスの問題だ。私は饗庭孝男さんの訳語を使用させていただきベリー公のいとも優雅なる時祷書と書いた。この語が、一番この写本のあでやかさを表していると感じたからだ。だが、これだけ日本語訳が異なっていると、実際に文献を検索する際、重要な情報を見落とす可能性もあるのでやっかいだ。ためしにAmazonで「ベリー公」と検索してみるとベリー公のいとも美しき時祷書というタイトルになっていた。まだまだ違う日本語訳があるのかもしれない。

  前述のラブリー写字室内にあるヨーロッパ彩色写本図鑑には97冊の写本が紹介されている。またベネットさんが創作した日本語による彩飾写本「書猟の季節」は奇想天外なストーリーで挿絵も美しい。

  追加情報あり。さらに日本語訳が異なる本が存在する。
  

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2004.04.14

フランスの豪華写本 はじめて一般公開

riche3.jpg

  うれしいニュースが飛び込んできた。現存するフランスの写本の中でも、最も美しいといわれているLes Très Riches Heures du Duc de Berry ベリー公のいとも優雅なる時祷書が現在はじめて一般公開されているのだ。きのうテレビのニュースでその様子が放映されていて、どきどきしてしまった。場所はChantillyシャンティイ(パリの北40キロ)にある La Bibliothèque du Musée Condéコンデ美術館の図書館内だ。期間は8月2日まで。RERのDに乗車すればパリから40分で行けるらしい。これは、大変なことだ。

  これをつくらせたのは、フランス国王シャルル5世の弟、ベリー公だった。挿絵を描いたのはランブール三兄弟である。彼らは当時の宮廷画家であったフランドルの画家ジャン・マルエルの親族であり、はじめはブルゴーニュ公フィリップ豪胆公に仕えたが、1411年にベリー公の宮廷に招かれた。ここで装飾写本を手がけるが、残念なことに制作半ばの1416年に相次いで病死した。ベリー公も同じ年に亡くなったので、この時祷書は未完のまま残された。完成したのは1480年代である。

  時祷書は、礼拝のために用いるものである。聖母への祈祷、詩篇、連祷などが書かれていて、巻頭にはたいてい四季暦が載っている。月別に描かれた挿絵は、当時の貴族や庶民の生活を垣間見ることができ、そういう意味でも貴重である。もちろんこのような装飾写本は大変な財産であったから、所有していたのは有力な王侯貴族だけであった。とりわけ ベリー公のいとも優雅なる時祷書の挿絵は素晴らしい。写真は4月のページだ。拡大してゆっくりどうぞ。なお、こちらChristus Rexで他の挿絵を見ることができる。ブルターニュ関連書籍 その2で紹介したフランス・ロマネスク 饗庭孝男著 にも数ページが紹介されている。この本はフランス国内のロマネスク教会について書かれたものだが、いろいろな写本がカラーで載っているので参考にするといいだろう。

Les Tres Riches Heures Du Duc De Berry
Illuminations of Heaven and Earth: The Glories of the Tres Riches Heures Du Duc De Berry 英語版
The Tres Riches Heures of Jean, Duke of Berry 英語版

  この名称についてのエントリー
  ベリー公のいとも優雅なる時祷書をめぐる一考察

  シャンティイー城・コンデ美術館 訪問

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2004.04.13

ペロス・ギレックの海

mer6.jpg  晴れていても、海辺では強い風がふく。ブルターニュの海岸線はじつに変化に富んでいる。ほんの数キロ行っただけでもまったく印象が異なるのだ。写真はPerros-Guirecペロス・ギレックである。クリックすれば大きくなる。タイトルバックに使用したのも、同じ場所だ。赤みがかった花崗岩の巨石がごろごろしている。すぐそばには観光客でにぎわう浜辺もある。この地域一帯もアーサー王伝説がたくさん残っていて、興味はつきない。

  フランスでいわゆる「グリーン・ツーリズム」が注目されるようになったのは70年代からだ。大自然の中でハイキングしたり、乗馬したりして、ゆったりと過ごすことである。今ではすっかり定着し、海岸線の遊歩道を歩く人たちでいっぱいだ。でも日本のように頑丈なガードレールや柵などはほとんどない。岩場によじ登ろうが、断崖絶壁の上に立とうが自分の好きにできる。そのかわり自分のことは、自分で責任をもたなければならない。

   ぺロス・ギレック のホームページ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004.04.11

ブルターニュ 歴史サイト1

フランス語がわからなくても、目で見て楽しめる歴史サイトをピックアップします。

Les Lances de Bretagne ブルターニュ槍兵隊

1995年に歴史愛好家が集まって活動を開始しています。中世の生活や戦争を再現してみせるのが目的です。Nos prestationsでは、時代ごとにわかりやすく分類されています。どんどんクリックしてゆくと、たくさんの写真が見られて楽しいです。La troupeは職業ごとに服装が紹介されています。

博物館に行くといろいろな衣装が飾ってありますが、実際に身につけると全くちがって見えます。それにしても道具類がとてもよく出来ています。Chroniquesは各地のイベント参加の様子です。もしかすると、フランス旅行中に彼らに会えるかもしれませんよ。

   追加  

リンクを張り替えておきました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004.04.10

掲示板設置します

みなさん、とても上手にココログ使っていらっしゃいます。Tokyo Forumさんのおかげで、掲示板ができました。お好きなことを書き込んでください。

| | コメント (139) | トラックバック (0)

2004.04.08

BLOGで儲ける方法

  突然会社から海外転勤を命じられ、しかも、聞いたこともない地名だったらどうしますか。ブルターニュはここ数十年ですっかり変わりました。農業、漁業などへの依存から脱却しようと、教育に力を注ぎ先端技術企業をたくさん誘致したのです。ですから、レンヌには日系企業も多く、駐在員家族もたくさん暮らしています。あなたが、来月レンヌ行きの辞令を受け取って、フランス語もしゃべれないとしたら・・・ まず、本屋に行って書籍を探すでしょう。でも、ブルターニュの情報は数ページしか載っていません。

  困ったあなたはインターネットで「レンヌ」とか、「ブルターニュ」と検索するでしょう。私のBLOGにもそういった方がたくさんやってきます。ブルターニュはどんなところか。レンヌって何があるのか。日本の旅行会社もまだほとんどブルターニュのツアーを組んでいませんし、それほどたくさんの情報を持っていません。もしかすると、すごいお宝なのかもしれません。これは儲かる??

  同じフランスでもパリ駐在なら、そんなに生活に不便はありません。日本人もたくさん暮らしていますし、お金さえだせば、商品でもサービスでも手にいれられます。しかしほかの地方での暮らしは決して簡単とは言えません。まずは言葉の壁。そして、その土地独自の風習や考え方の違いにぶつかるのです。さらにレンヌでは日本語の書籍も売っていないし、よい食材も手に入りません。ですから駐在員の奥様方は日本からたくさんの食材を郵送してもらうそうです。それから、ガイドブックも日本語で出版されていないので、ブルターニュに3年間暮らしても、他の地方を旅行して、ブルターニュ内のことはほとんど知らずに帰るのだそうです。あまりにもったいない話です。こんなにも魅力あふれた素晴らしいところなのに・・・

  何でこんな事を書いているかというと4月7日木村剛さんが、< 「週刊!木村剛」にトラックバックして、アフィリエイトでおカネ儲けしよう![ゴーログ] >という記事を書かれたからです。アフィリエイトという言葉は聞いたことがありましたが、BLOGでも広告を入れられるとは知りませんでした。私が日本を離れている数年間で、すっかり事情が変わったのですね。何しろBLOGという言葉を知ったのもこのページを立ち上げる4日前なのですから・・・

  海外で暮らす人間にとって、もはやパソコンは手放せない道具になりました。電話のように時間差もないし、費用もかからないからです。でもまだまだ有益な使い方が眠っているに違いありません。私は、儲かっても、儲からなくても、うるわしのブルターニュを書き続けたいと思っています。


| | コメント (4) | トラックバック (0)

ブルターニュ関連書籍 その3

今すぐブルターニュのことを知りたいという人のために、よりすぐりの本を紹介します。

十二の恋の物語―マリー・ド・フランスのレー 月村辰雄 訳
 岩波文庫  1988 

フランス文学にはじめて登場する女性作家マリー・ド・フランス。これは12世紀の作品です。内容はブルターニュで伝承されていたものをフランス語の韻文に書き改めたもの。「ギジュマール」や「ランヴァル」はケルト妖精伝説であると考えられています。いずれの詩も恋愛が主題となっています。

トリスタン・イズー物語 べディエ編 佐藤輝夫 訳
 岩波文庫  1988 

同じく12世紀の作品。媚薬によって恋におちてしまったトリスタンとイズー。イズーは伯父マルク王の妃なのです。かなわぬ恋はいったいどんな結末を迎えるのでしょう。いろいろな流布本によってストーリーは異なっていますが、ずっと愛されてきた物語です。

ケルト神話と中世騎士物語―「他界」への旅と冒険 田中仁彦 著
 中公新書  1995 

死者の海に沈んでしまった幻のイスの国伝説やアーサー王伝説と他界への旅。ケルト社会とキリスト教の関係もわかりやすく説明されています。これまでにも、ブルターニュの伝説を日本語に翻訳した本は出版されているのですが、今では絶版となっていますので、貴重です。

  注意
この本では「ケルト人」という名称を、強大な力を持っていた騎馬民族であると説明しています。同様の説明が他の専門書にもみうけられます。ややこしいのですが「ケルト」というのは本来人種や民族を指すのではなく、インド・ヨーロッパ語族に属するケルトの言葉を話す人々の総称なのです。ですから「ケルト」を自分たちの祖先のうちのひとつに数える国はヨーロッパ22カ国にまたがっています。

ブルターニュの日本語のガイドブックは、私は見たことがありません。情報があればお知らせください。次回は井村君江さんの著書の紹介です。たくさん魅力ある作品がありすぎて、選択するのに迷っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.04.07

ココログはすごい!!

chien.jpg  初心者でもできるココログはすごい!!実はオーソドックスなホームページをつくろうと数日前から、パソコンに向かっているものの、さっぱりわからない。ラテン語よりむずかしいかも(お手上げという意味)。何でもいいから今週中につくってしまおうと思っている。

  同じココログのblogでも、ほかの人のはレイアウトが洗練されていてとてもきれいだ。Dfactさんが、写真の横に文字を書く方法を教えてくれたので、試してみた。わかってしまえば簡単なのだが、覚えることが多すぎる。バナーも自分でつくってみた。あまりいい出来とはいえないが、はじめてなので、仕方がない。今日はトラックバックも使ってみよう。

  写真は先日と同じタボール公園の風景。フランスの犬はしつけがいいので、ほとんど引綱をつけていない。男性が小型犬といるところに、大型犬が近づいていった。2匹は男性の足元をくるくる回りながら、じゃれあっている。大型犬の飼い主は左の女性。しばらく離れたところで様子を見ていたが、犬が帰ってこないので、近づいて男性と会話を始めた。まるで映画のなかの出来事のようだった。映画なら、これがきっかけで恋が芽生えたりするんだろうな。私はといえば、立ち止まってじろじろと二人と二匹を観察して、あげくに写真まで撮っているあやしいやつだ。猫に引綱というのも稀な光景だったので、これも写真に記録した。たまにしかカメラを持って歩かないので、花の写真もたくさん撮った。また選んでアルバムでお見せしようと思う。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004.04.05

ケルト白鳥伝説

une_fille.jpg

  日曜日の朝、すぐ近くのタボール公園に出かけた。猫の鳴き声がするので振り返った。家族づれが黒ねこに首輪をつけて散歩している・・・真っ白なはとがいっぱいいて、気になるのか、猫が鳴いているのだ。

  よく見ると後ろの池に一羽の白鳥がいる。先週Noirmoutierノワールムチエ島の塩田にも白鳥が数羽いたのだが、Rennesレンヌでははじめて見た。手を伸ばせば届く距離にいる。羽毛は雪のように純白だ。男の子が手を差し出すと逃げるどころか近づいてきた。「見てよ。逃げないよ」とうれしそうにつぶやく少年。「パンをもらっているからよ」とお母さんが言う。そう言われてよくあたりを見渡せば、パンくずが地面に散らばっている。私もパンを拾い、池に投げいれてみた。白鳥は長い首を伸ばしてパンを食べている。

  アイルランドにはたくさんの白鳥伝説があるChildren of Lir: Stories from Ireland「リールの子供たち」は継母の魔法で白鳥に変身させられた4人の王子と王女たちが900年間放浪するお話だ。人間の心を持ち続ける白鳥たち。冷たい北の海で弟たちを自分の翼でかばおうとする王女フィラーラ。やっと魔法がとけ、弟たちと一緒に葬ってくれるようにたのんで死んでしまうという結末である。

  私が夢想にふけっている間に、何人もが立ちどまり、そして去って行った。幼い少女が白鳥に話しかけると、言葉がわかるとでも言いたげに、白鳥も少女を見つめている。まるで微笑んでいるかのように・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.04.03

タイトルが違うのに・・・

インターネットの古本屋で、注文していた本が届いた。開けてびっくり。

同じ本が2冊とおまけの本が1冊。正確にいうと同じではない。1941年の初版本と1943年の14版だ。どうしても読みたかったから探しあてたのはうれしいのだが、2冊もいらない。タイトルがぜんぜん違うでしょ!!43年版は誰も読んだ形跡がない。上部だけつながっているからだ。ペーパーナイフで1ページずつ開けながら読むのも楽しそうだ。でも、やっぱり2冊も必要ない・・・

Livre ancien
ANNE DE BRETAGNE, GABORY Emile/ 21 Euros
L'UNION DE LA BRETAGNE A LA FRANCE - ANNE DE BRETAGNE, DUCHESSE ET REINE, GABORY EMILE/ 13.11 Euros
Cadeau
Votre Cadeau Chapitre, pour l'achat de deux livres Anciens, Bonne lecture !

またまたやってしまった。というのは、別のインターネットの本屋で昨年新刊本を予約注文した。誤って二度注文し、全く同じ本が2冊一度に手元に届いたのだ。さっき、 ブルターニュ関連書籍 その2 へのコメントでも書いたが、本屋で手に取って、内容を確認してから買うのが私には向いているようだ・・・


| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2004年3月 | トップページ | 2004年5月 »