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2004年5月の記事

2004.05.31

薔薇の花

rose.JPG  旅先のレストランに薔薇の花が飾られていました。でもそれは普通の大きさではないのです。こんなにりっぱな薔薇を見たことがありません。だって直径20センチくらいあったんです。それがこの写真です。横向きになっている薔薇が小ぶりなのではありません。

  ほかの客も口々に薔薇のことを褒めています。レストランの周りには、色ちがいの薔薇が植えられていて、みんな喜んで写真を撮っていました。

  薔薇は古くからとても愛されてきました。 Rose Gardenというサイトに歴史が詳しくのっています。このサイトはまさに薔薇づくし。中でも1000枚以上の薔薇の写真を掲載した薔薇図鑑は圧巻です。

  写真家の川村 香緒里さんのGalleria di Francescaにはうっとりするような美しい写真が並んでいます。川村さんの写真入りのグリーティングカードをお友達に送ることもできます。hotchpotchは自宅で薔薇を育てているbon fauteuilさんのBLOGです。庭にこんなきれいな薔薇が咲いているなんてうらやましいです。

  中東では薔薇油はめまい、心悸亢進、食欲喪失への薬効があると言い伝えられていて、「失神してしまった人の気付け薬として薔薇水をふりかける」という場面がよく物語りの中にでてきます。薬効など知らなくても薔薇の香りをかぐと、魔法のように気持ちが安らぎます。レンヌのタボール公園の一画にはバラ園もあり、春から秋まで、様々な品種の薔薇が楽しむことができます。

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2004.05.29

モン・サン・ミッシェル写本のゆくえ

avranches.JPG  Mont-Saint-Michel モン・サン・ミッシェルの写本について問い合わせがありましたので、詳しい情報をお伝えします。Mont-Saint-Michel モン・サン・ミッシェルの図書館はヨーロッパでも有数の豊富な写本を所持していました。中世には少なくとも800冊くらいの写本があったと推測されていますが、1639年のカタログには280冊しか載っていません。火災で焼失したものもありますが湿気のせいで写本が傷んでしまったのも一因のようです。

  フランス革命後、実に多くの文化遺産が無残に破壊されてしまったのですが、大修道院の図書を管理していたDufourデュフゥーの努力によって、これらの写本はモン・サン・ミッシェルからAvranchesアブランシュに運ばれたのです。

  現在203冊(うち200冊が8世紀から15世紀のもの)が1791年からAvranches市役所の3階にある図書館に保存されています。中にはいると、その建物が市役所であることが信じられないほど素晴らしい図書館になっています。ガラスの陳列ケースに並べられている写本をじっくり観察できるようにと虫眼鏡を無料で貸してくれました。

  ほかにも14000冊の16世紀から19世紀までの印刷本が並んでいます。残念ながら手にとってみることはできませんが、それぞれの本がどのような経過でそこに集められたのか考えるだけでもくらくらしそうです。写真は私の持っている簡単なパンフレットです。Les Manuscrits du Mont-Saint-Michel J.L.Leservoisier Editions Ouest-France 1996

Avranches Hôtel de Ville ( 2ème étage )
Place Littré, B.P. 238  50302  AVRANCHES Cedex
Tel : 02 33 89 29 50

  資料には6月1日から9月30日までオープン。7月、8月は休みなしと書かれています。でも行く前に必ず電話で確認してください。じつは、ずっと行きたかった博物館を月曜に訪ねたのに休館だったんです。パンフレットには火曜休館となっています。観光案内所で聞くと「数ヶ月前から、月曜と火曜が休みになったのよ」と言われ、怒りのもっていきようもなく、悔しい思いをしてすごすご帰ってきました。(行くのに片道4時間くらいかかる場所)ほかにも国立の美術館で「今日半日ストライキだからもう帰って」と言われた経験もあります。それから休みがなくても、昼休みが数時間あることもあるので要注意!!

   訂正 

  開館日ですが、市内の別の場所にある図書館の開館日を誤って貼り付けていましたので、訂正します。水曜日の朝は予約すれば一年中見学できるようです。たしか、入場料を払ったはずですが、HPには記載されていないようです。

   おまけ

  それから5月21日に書いたBNF(フランス国立図書館)の中のÉcrituresという部分に、写本もふくめたくさんの書籍が紹介されていますので、フランス語は気にせずにクリックして楽しんでくださいね。

  ニュースです。ついに新しい美術館ができました。Musée des manuscrits du Mont-Saint-Michel モン・サン・ミッシェル写本美術館です。車ならモン・サン・ミッシェルから1時間くらいです。

 

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2004.05.28

ブルターニュ特選ホテル1 モン・サン・ミッシェル

hotel.jpg もう一度泊まってみたいホテルを厳選してご紹介します。

Le Relais Saint Michelル・ルレ・サン・ミッシェル ★★★★ 
世界遺産モン・サン・ミッシェルが見えるホテル

  いわずと知れたフランスでも有数の観光地Mont-Sanit-Michelモン・サン・ミッシェル。日本人観光客もたくさん来ています。ここは地理的にはNormandieノルマンディーなのですが、パリからレンヌ経由で行くのが便利なので、Bretagneブルターニュ観光案内に入れました。

  このホテルには2003年11月に、ある歴史探訪の団体旅行で2泊しました。室内はとても広く調度品も洗練されています。各部屋にはテラスがあって、モン・サン・ミッシェルが見えました。写真と反対の壁際には長期滞在でもくつろげるように、チェストと大きな鏡が備えられています。もちろんテレビもありました。ここはモン・サン・ミッシェル近辺で一番豪華なホテルなのですが、約1.5キロ離れていますのでモン・サン・ミッシェルを満喫されたい場合は、城壁内部にあるホテルを選ばれたほうがよいでしょう。レンタカーを借りて旅行されるには最適ですし、食事もおいしかったです。

  ここは1888年創業のオムレツで有名なLa Mère Poulardラ・メール・プラールと同じ系列のホテルです。オムレツはフワフワで、みなさんが思ってらっしゃるものとはちょっと違います。やみつきになるほどおいしいとは思えませんので、そのつもりで召し上がってください。

  それから、モン・サン・ミッシェルにはガイド付きでないと入れない場所がたくさんあります。私はBeaux-Artsの建築の先生と一緒に6時間かけて、内部をすみずみまで見学したことがあります。塔の上部はガウディの教会のような印象をうけました。修道士たちが書き写した貴重な写本はAvranchesアブランシュの市役所に保管されていて、夏場は公開されています。今後これらを展示できる博物館を建築する予定だそうです。


  参考

L'abbaye du Mont-Sanit-Michelモン・サン・ミッシェル大修道院
Mont-Sanit-Michel観光案内Normandie観光案内
一般にフランスのホテルの料金は、季節によって随分格差がありますので、よくご確認ください。
フランス 巡礼の旅 田辺 保 著 朝日選書  2000 ( ブルターニュ関連書籍 その2 2004年3月21日 参照 )

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2004.05.25

HAPPY GINZA TIMEのお知らせ

rabindra.bmp   今日から銀座三越7階、イベントスペースでHAPPY GINZA TIMEという展示会2004年 5月25日(火) ~ 5月31日(月)が開催されている。スコットランド生まれのRabindra Danksラビンドラ・ダンクスさんの作品展である。自筆の招待状がフランスまで届いたのだが、残念ながら地球の反対側にいるので見に行くことはできない。

  ラビンドラ・ダンクスさんはギターリストとして、ビートルズと一緒にヨーロッパツアーに参加していた。その後ディオンヌ・ワーウィック、トム・ジョーンズ、ジョニー・アリデーなど、彼がコンサートやレコーディングで共演した歌手は数しれないほどだ。昔からの知り合いなので、いろいろ秘話も聞いたことがあるが、もう長いこと会っていない。

  見ていただいたらわかると思うが、動物たちをユーモアたっぷりに描いた作品はとても人気がある。展示会の期間中はご本人も連日午後会場にいるはずなので、東京近辺の方は足を運んでほしい。

  東京まで行けないとおっしゃるかたは愛のメッセージがぎっしり詰まった絵本をどうぞ。ラビンドラ・ダンクス愛の絵本グッドハートグッドライフハーツ・キャン・ドゥ!ダウンタウンマーマレード

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2004.05.23

切手になったジョルジュ・ペレック

perec1.jpg
  最近はメールで連絡をするようにしているので、めったに手紙を書くことがない。でもごくたまにきれいな切手が貼られた手紙が届くと、ちょっと得をした気分になる。猫の切手ばかりのBlog、YAKONEKO ROOMを見て、私も猫の切手をもっていると思ったら、もう紹介されていた。5月12日に載っていたコレットの切手である。

  それでも切手帳をめくったら、2枚の黒猫切手を見つけた。菱田春草の「黒き猫」と小説家Georges Perecジョルジュ・ペレック(1936 ー 1982)である。ペレックはRaymond Queneauレイモン・クノーやFrançois Le Lionnaisフランソワ・ル・リオネらとともにOulipo(Ouvroir de littérature potentielle)潜在文学工房と呼ばれる実験的文学運動にかかわっていた人物である。

  彼の小説は日本語でも読むことができる。たとえばWあるいは子供の頃の思い出はユダヤ人ゆえに苦しむ自伝的要素と虚構の交錯した物語である。十三歳の少年が想起する、オリンピックの理想「より強く、より高く、より速く」に支配されたW島の描写に特徴がある。ほかにはさまざまな空間考える・分類する人生 使用法風の薔薇エリス島物語などがある。


 参考

ASSOCIATION GEORGES PERECジョルジュ・ペレック協会。ジョルジュ・ペレックの日本語研究サイトもあるのでどうぞ。

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2004.05.21

写本に描かれた5月の木

  たまたまBNF(フランス国立図書館)のサイトの中をさまよっていると、Les dossiers iconographiques図像集のページを見つけた。これが実におもしろい。Architecture建築、Contes de fées妖精物語などを楽しみ、次はÉcritures文字の項を見た。印刷術の始まりから、様々な本の実例までゆっくり時間をかけて眺めた。

  次いでReprésentations symboliques象徴的図像のL'arbre木というところを見た。するとこの間から気にかかっていたL'arbre de mai5月の木が描かれているではないか。しかもそれは、Heures d'Anne de Bretagneアンヌ・ドゥ・ブルターニュの時祷書なのだから、偶然とは思えないほどうれしいめぐりあわせだ。何度も書いているが彼女はブルターニュ公妃である。緑の服を着た双子の男性が五月の木の枝を愛しい人に贈ろうと道を急いでいる場面である。

  しかしながら、ここでも疑問が解決しない。いったい何の木なのだろう。手にしている木をよく見ても、花も咲いていないのでよくわからない。後ろにある木は愛のリンゴで飾られたL'arbre de mai5月の木と説明されているだけである。図書館の百科事典も見たのだが、詳しいことは不明である。それにしても、今の感覚からすればこんな木をもらうより、バラの花束をもらったほうがうれしいのではないか。きらいな人間にはトゲのある枝を贈ったらしい。調べれば調べるほど不思議な風習である。

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2004.05.20

アンケートに協力してください

  この1週間の訪問者数6455人。アクセス数13151回と私にとっては信じられないような数字になりました。3ヶ月間こつこつと積み上げてきた訪問者数6000人を上回る人が来てくれたことになります。とてもうれしい反面、ブルターニュと関係のない話題で注目されたことに少しとまどいもあります。

  ほとんどの方がはじめてなのですが、読んでどう感じていただいたのか、こちらではよくわかりません。そこで皆さんにアンケートに協力していただきたいのです。うるわしのブルターニュを読んでまた来てもよいと思われたら、右下にある緑色のblog rankingをクリックして下さい。

  数日前に設置したのですが、使い方を説明していなかったので何だかわかりませんよね。現在クリック6回で総合ランキング1255位です。そのうち3回は私が試しにクリックしました。同IPからのアクセスは1日1回まで有効です。ランキングで上位をとるのが目的ではありませんので、ご協力お願いします。

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2004.05.19

ブルターニュ専門の本屋 L'encre de Bretagne

boutique1.jpg  日没は午後9時30分。こんなに明るいと、時間の感覚がくるってしまいます。急に気温が上がって、もう夜なのに室内はまだ25度あります。昨年の猛暑は別にして、こんな時期に半そででいるなんて、めったにないことです。明日は最高気温が30度くらいになると天気予報がでていました。
 
  写真はブルターニュとケルト関係の本屋L'encre de Bretagne です。昨年出来た新しい店です。みやげ物を扱う店はほかにもあるのですが、書籍だけというのはレンヌではここだけでしょう。なぜなのかわかりませんが、5月にはいって、どこの店も客足が遠のいているそうです。反対に日没が遅くなったので、カフェのテラスでおしゃべりする人たちは増えています。夕食は9時とか10時。日本とは生活のリズムがちょっと違います。


L'encre de Bretagne
28, rue Saint-Melaine 35000 Rennes 
Tél : 02 99 63 98 35
Le lundi (14h à 19h30), du mardi au vendredi (10h30 - 19h30) et le Samedi (14h à 19h30).

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2004.05.17

ダンス・ブルトン

danse.JPG  音楽が聞こえてきたら、思わず足がリズムをとりはじめてしまう。ダンスは地域ごとに衣装もステップも細かな違いがあるのだが、とにかく楽しい。

  このように輪になって踊るのは、比較的ステップが簡単なので、観客もいつの間にか輪の中にはいっている。毎週のようにどこかで、Fest-Nozフェスト=ノース(ブレイス語)とよばれるダンスパーティーが開かれていて、おとなも子供も一緒になって何時間も踊り続けるのだ。

  数千人が一度に踊っているのを見た時、その迫力に圧倒された。まるで大地が波打っているかのようだった。歴史の波に翻弄されつつ生きながらえてきた、ケルトの底知れないエネルギーを肌で感じた瞬間だった。私自身、ケルトを追いかけて、ブルターニュにやってきたのだが、私が探そうとしていたのはケルトのいわば残像だった。

  紀元前に栄えていたケルト文化が、これほど鮮やかな映像として飛び込んでくるとは想像もしていなかった。若者たちが「Bretonブルトン人であることを誇りに思う。ずっとブルターニュから離れない」と言うのを聞くたびに、言いようのない感慨で胸がいっぱいになる。うるわしのブルターニュというタイトルは、そんな想いをこめて名づけたものだ。

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2004.05.16

世界のblog大集合

arbre.JPG  いろんな国に住んでいる日本人がいます。自分で探すのは大変ですが、世界一周旅行プロジェクトという企画で世界18カ国の合計74blogをまとめてくれた人がいます。興味のある方はウルグアイ四方山話をご覧ください。

  さっそくいくつかのblogを巡ってみましたが、やはりその国独特の風景や食べ物などの見たことのない写真に目をうばわれます。私も「もっとブルターニュ自慢をしなくては・・・」と考えています。

  今日の写真は「春の訪れ」です。冬の間葉を落としていた木々が芽吹きはじめています。何の木なのかわかりませんが、新芽が風にゆれていい感じだったので撮ってみました。街の中にある公園なのですが、とても大きな木がたくさんあります。下のほうに小さく見えるのが人間ですから、木の高さがわかるでしょう。

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2004.05.15

欧州連合の歌

hymne.jpg  毎年5月9日は欧州連合(フランス語ではUnion européen)の日である。1950年5月9日、当時のフランス外相のロベール・シューマンが、パリでシューマン宣言)を表明し、これが欧州連合に発展してゆくのである。

  欧州連合は2004年5月1日にチェコ、エストニア、キプロス、ラトヴィア、リトアニア、ハンガリー、マルタ、ポーランド、スロヴェニア、スロヴァキア(自国語での国名のアルファベット順)の10カ国が加わり、25カ国体制がスタートした。この加盟については賛否が分かれているが、欧州連合の新たな歩みを印象づける画期的な出来事だ。

  5月9日、市役所前広場のほうからベートーベンの第九交響曲の最終楽章「歓喜の歌」の合唱が聞こえてきた。いったい何だろうと外に出てみると、欧州連合の旗を手にした人たちがたくさん歩いている。広場までたどりつくとすでに合唱は終わっていたのだが楽譜が配られていて、それが欧州連合の歌(視聴できる)だと知った。1985年に承認され、行事があるごとに演奏されているそうである。

  この時もらったのは次の楽譜である。l'hymne européenいい歌詞なので紹介しようと思ってインターネットで検索してみると、歌詞がいろいろありとまどってしまった。 Hymne à la joieHymne à la joieOde à la joie

  フランス語訳でさえこれだけのバリエーションがあるのだから、25カ国となるといろいろな異なる歌詞に翻訳されていることだろう。国ごとに多様性があってもよいと思うが、歌詞を統一してラテン語で歌おうという案もあり、今年2月にすでに録音もされているそうだ。

  歌だけでなく欧州連合の統一言語をラテン語やエスペラント語にしようという案は繰り返し論議されたが、現実に用いられてはいない。ラテン語はフランスでは中学や高校で教えられているが(必須ではない)、使いこなせるのはごく一部の学者に限られている。一般には死語となってしまって、「バチカンや最近の映画パッションの中でしかラテン語を聞くことがない」と5月4日付けのLCI は述べている。

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2004.05.13

ADSLに変更しました

  半年前までは1ヶ月20時間契約だったのですが、HPをつくろうと考えはじめてから接続時間がふえ、時間変更を繰り返してきました。ついに、今月5日にADSL512申し込みをして、届いたモデムとケーブルをきのうPCにつなぎました。

  ついでに、 Windows Media Player 9をダウンロードしたら、固まって動かなくなってしまいました。エラー修正をして、やっとご機嫌が直ったようですが、接続速度はすごく速くなったようには感じられません。ローカルエリア接続でバケット送信9,354 受信9,484となっていますが、これで普通なのでしょうか。

  この数日、アクセス数が急激に増加し驚いています。これまで1日100人くらいだったのに、昨日は700人、今日は2400人。ほとんどの方は「イラク人虐待」というキーワードで検索してこられたようです。
  
  この問題について5月9日にフランスのシラク大統領は、「どんな方法であれ、他人を辱めれば、常に攻撃的な反応を招く」と批判し、「他人を尊重することが世界の平和と発展の鍵だ」と述べています。(共同通信)やっとイギリス・アメリカでも問題視されるようになったようですが、いちど失った信頼を回復するのは容易なことではないでしょう。


  

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2004.05.12

5月の花

  Fleur de Mai 5月の花と呼ばれる花を見つけました。学名Maianthemumと言います。ユリ科で10-20センチのくらいの高さで、実が赤く涼しい森の中に育つそうです。

  写真をリンクしましたが、何の花なのかわかりません。日本にあるのかどうかもわかりませんが、植物に詳しいかた名前を教えてください。お願いします。

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2004.05.11

ココログの楽しみ方

  友達に「最近楽しそうね」と言われます。変わったことといえば、ココログをはじめたことでしょうか。これまでにも書いたものが活字になるという楽しみがあったのですが、活字になるのは、原稿を書いてから数日、あるいは数ヶ月という時差があります。活字になったころには、もう頭の中では違うことを考えているのです。

  ココログの楽しさは、その時見たことをすぐ書けること、そして書いたことに反応が返ってくることです。「読んでいたら、ブルターニュへ行きたくなった」と言っていただいたことが、何よりの喜びです。「間違ってる」というご意見も大歓迎です。

  思いがけず「週刊ココログ・ガイド」に紹介いただきました。ブルターニュの歴史や文化の独自性については、短文で紹介するのはむずかしいので、新しくホームページをつくろうとしておりますが、これは公開までもう少し時間がかかりそうです。

  ブルターニュという地名をもっと多くの人に知ってもらえるよう、さらに工夫したいと思いますので、よろしくお願いします。

  

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2004.05.09

ブルターニュ関連書籍 その4

今すぐブルターニュのことを知りたいという人のために、よりすぐりの本を紹介します。

ケルトの木の知恵―神秘、魔法、癒し ジェーン・ギフォード 文・写真、井村君江 監訳、倉嶋雅人 訳

この本はThe Celtic Wisdom of Trees Mystereis, Magic and Medicine(Jane Gifford 著)の翻訳です。四季おりおりの風景が美しい写真で紹介されていて、見ているだけで、旅をしたような気分にひたれます。文字をもたなかったはずのケルトにひそかに伝えられたオガム文字と、一年を13ヶ月に区切ったケルトの木の暦。さらに20本の代表的な木にまつわる世界各地の伝説、風習、薬効などがとてもわかりやすく書かれています。

5月1日にスズランをプレゼントする風習がどのようにはじまったのかこの数日いろいろ調べてみました。 在仏熊猫日記に「森の緑豊かな木を取って娘達の家の前に植える」と書かれていたからです。ずっと起源をたどっていくと、やはりケルトまで遡らねばねばならないでしょう。ところが中世の風習となると、書かれていることはまちまちで、一貫性がなくなってくるのです。1560年にシャルルⅨ世がカトリーヌ・ドゥ・メディシスにスズランを贈ったのがはじまりだとか、舞踏会で男性が女性にスズランを贈り愛の告白をしたといったたぐいの話です。でも木を植えるという話は見つけられませんでした。

ケルトの木の知恵  神秘、魔法、癒しに話を戻しましょう。この本によると、4月15日から5月12日まではヤナギの木の月です。ヤナギは魔法や神秘の木でそばにいると霊力や直感が高まると信じられていました。その葉は恋を招くともいわれてきたのです。4月30日から5月1日の夜にかけて、夏の到来を祝うベルティネ祭が行われ、メイ・ポール(5月の柱)としてシラカバやトネリコが用いられたとも書かれています。

ほかにも5月1日に妖精の丘に生えるサンザシの下にすわると、さらわれて二度と帰ってこられなくなるとか、メイ・キングがオークとサンザシの葉でできたリースで飾られた街の中を踊り歩き、メイ・クイーンの心をいとめようとしたともいわれています。またカトリックでは5月は聖処女マリアの月とされていたので、5月にはマリアの像をサンザシの花で飾った「5月の祭壇」が家に設けられたそうです。

ブルターニュのお話もいくつかもりこまれているので、探してくださいね。スズランについても時代によって、また地方によって様々な言い伝えがあるのでしょう。木を植えるというのは、メイ・ポールが変容したものではないでしょうか。もっと詳しい情報がわかれば、お知らせします。


  注意

ほかのケルトの暦も存在しています。たとえば「コリニーの暦」(Musée de la civilisation Gallo-Romaine)は連続する62の太陰月と、その間に2つの閏月が刻まれたものです。

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2004.05.08

ドイツ館・戦争俘虜がもたらした堅い交流の絆

doitu.jpg  徳島県鳴門市はドイツのリューネブルクと姉妹都市で、活発な国際交流が行われている。ベートーベンの「交響曲第九番」が日本ではじめて演奏された地でもある。

  物語は第一次世界大戦下の1917年にさかのぼる。この年、ドイツの租借地であった青島から約4,700人のドイツ兵が俘虜として日本各地の収容所に送られたのである。このうち約1,000人が1917年からほぼ3年間を、板東俘虜収容所で過ごすことになったのだ。この収容所では、戦争という非常時にあっても俘虜たちの人権を尊重し、可能なかぎりの自由を認めていた。

  俘虜たちは所内に80軒余りの商店、レストラン、印刷所、図書館、音楽堂などの施設を設け、健康保険組合や郵便局まで持っていた。また、スポーツ、音楽、演劇など文化活動も許されており、100回以上の演奏が行われた。その活動は所内だけにはとどまらず、一般市民とも交流の機会が与えられた。

  今でも鳴門市内には、ドイツパンを販売している店があったり、俘虜がつくったドイツ橋も残っている。ドイツ館は1972年に感謝をこめて元俘虜たちから寄贈された資料を展示する施設として建設されたのである。現在のドイツ館は1993年に新築移転されたものである。もう当時の俘虜たちは亡くなってしまったが、その志は子供や孫たちに受け継がれているのだ。

  ドイツ館のすぐ近所に四国八十八ヶ所めぐりの第1番札所がある。見知らぬお遍路さんに接待する伝統がここには根付いている。それが直接俘虜たちへの対応に結びついたわけではないが、言葉の壁を越えた心の交流があったことは確かである。


  鳴門市ドイツ館
  〒779-0225 徳島県鳴門市大麻町桧字東山田55番地の2
  TEL(088)689-0099   FAX(088)689-0909
  


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ブルターニュの城 その1 Château deFougères フジェール城

Fougeres


  ブルターニュを守るためLe Château Fort要塞として築かれたChâteau deFougères フジェール城内を散策していると、甲冑に身を固め戦っている騎士たちの幻が見えそうな気がする。建築が開始されたのは1020年だが、1166年にはイギリス王ヘンリーⅡ世によって火を放たれ被害を受けた。
Fougeres5

  その後も15世紀まで繰り返し戦いの舞台となり、その度に改築が行われ、現在の規模になった。城の入口付近は12世紀のものである。城内の写真で柱だけ残っているところが、かつて城主の部屋があった場所である。厚い城壁と敵を見張るために使用されていた塔が、この城で繰り広げられた幾多の戦いの証人である。

  堀に守られ野犬が近づくことが出来ないので、今では城の外壁にたくさんのウサギが住みついていて、観光客の視線をくぎ付けにしている。

 
    観光情報

  Château :Place Pierre Symon 35300 Fougères
  Tél.: 02.99.94.88.67   Fax : 02.99.94.88.08
  Le château est ouvert tous les jours :休日なし(1月は休み)
    - En saison de 9 h à 19 h
    - Hors saison de 9 h 30 à 12 h et de 14 h à 18 h
    
  フジェール観光案内所


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2004.05.07

米兵によるイラク人虐待写真

  5月6日付けワシントン・ポストのイラク駐留米兵らによるアブグレイブ刑務所でのイラク人虐待の様子をとらえた写真をインターネットで見た。1面に掲載されているのは、女性上等兵(21歳)が、床に横たわる裸の男性の首に付いたひもを持っている写真である。

  ほかにも数枚の写真がインターネットで公開されている。裸で鉄格子に手錠でつながれたり、黒い袋を頭からすっぽりかぶせられたイラク人拘束者たちと、その横で、あるいは背後で笑顔を見せる米兵たち。

  夕刊フジ特電には、さらに生々しい記述が書かれている。虐待があったとされる時期は昨年10月から12月である。「米軍が極秘裏に実態を調査し、事実を報告書にまとめていたが、公表されなかった」と書かれている。これを米CBSテレビが放映したことで明るみにでたのである。

  これが事実であるなら(言い逃れもできないだろうが)人間ほど残酷な生き物はいないと思わざるをえない。ロイターには国際赤十字委員会(ICRC)は「同刑務所の実態を認識しており、入手した情報を基に再三にわたって米当局に是正を求めた」と説明がある。それでもこういった行為が継続されていたと仮定するなら、背筋が寒くなる。

  こんなことを見たくはなかったし、書きたくもない。だが知らないふりをして、素通りするわけにはいかない。フランスでも夜8時からの全国ニュースでこれらの写真が放映されたので、たくさんの人が見たことと思う。女性兵士は「間違った時に間違った場所にいた」と話したと書かれているが(毎日新聞)それだけですまされる問題ではない。

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2004.05.06

フランス人学生のファッション

etudiant.JPG  金原ひとみの「蛇にピアス」とまではいかないが、フランス人学生たちは、ピアスや刺青にまったく抵抗がない。ごく普通の女子学生たちも鼻とかおへそとかにピアスをしている。写真の彼は文学部3年生。瞼、鼻、それから、片耳はピアスや、プラスチックの棒でうめつくされている。

  服装もみんな個性的だ。私が被写体にしようと思うくらいだから、彼のファッションはほかの学生たちのなかでも目をひく。いつも破れたズボンを穿いているのに、今日はまともすぎてつまらないくらいだ。

  文学部の学生たちは将来フランス語の教師になることが多いので、彼に将来はどうするのか聞いてみた。すると「英語が好きなのでイギリスに行こうと思っているが、その後のことはまだ深く考えていない」という答えが返ってきた。

  彼はアコーデオンも得意で、道端で演奏しているのを聞いたこともある。いったいどんな道に進むのか、数年後にまた会って話を聞いてみたいものだ。

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2004.05.05

ロランの歌

roland.jpg  久しぶりに人間の声に魅せられた。4月29日夜、レンヌ第二大学にあるホールで、一般公開されたLa Chanson de Roland ロランの歌の一人芝居である。Raphaël Boulayラファエル・ブレイが語りをJérôme Crunelleジェローム・クリュネルがla vielleヴィエールを演奏した。

  ロランの歌は11世紀に書かれた武勲詩と呼ばれるジャンルの傑作である。スペインに攻め入ったシャルルマーニュは、敵と和平を結ぼうとした。しかし臣下ガヌロンは、命の危険がある使者に推挙されたことでシャルルマーニュの甥ロランを逆恨みして、敵側のマルシル王に寝返ったのだ。偽りの和平が成立し、シャルルマーニュの軍隊はロランとその親友オリヴィエを後衛にして退却の途につく。

  だが、このときを狙っていた大軍が背後から襲いかかる。オリヴィエは危機を告げる角笛をすぐに吹き鳴らして、シャルルマーニュに知らせるよう進言するが、ロランはそれを拒んで壮絶な戦いのすえ命を落とす。死ぬ直前に吹いた角笛の音で急を知ったシャルルマーニュは、引き返して長い戦いの後マルシル王を倒しロランの仇をとる。裏切り者ガヌロンは決闘裁判で有罪となり処刑された。

  今回はほとんどが語りで、ごく一部にメロディーがついていた。言葉も書かれた当時のものなので、どちらかといえばイタリア語に近い感じであまりわからなかったが、強弱のつけ方、間合いの取り方など絶妙だった。名将ロランを失ったシャルルマーニュの嘆きと怒りの表現は素晴らしかった。あとで調べてみると中世音楽のCDも発売されているし試聴もできるのでどうぞ。

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2004.05.04

切花を長持ちさせる方法

hana  誰かに招かれたら切花やお菓子、ワインなどを持っていくのが、一般的です。花をいただいたら少しでも長く楽しみたいですよね。ここでは花を長持ちさせる小技を公開します。これは案外知られていないのですが、簡単なんですよ。

  まず、根元を水の中でななめに切り、火で切り口をあぶります。ガスがない場合はマッチ棒を3本くらい合わせて使用しましょう。そして、すぐ水に入れしばらくそのまま置いておきます。真っ黒になるまでやると逆効果です。熱いから水がほしいという程度にしてくださいね。これだけで、しおれていても30分くらいすれば、もとに戻ります。

  そして水は毎日取り替え、水の中に少し砂糖をいれてください。花屋で保存剤をくれる場合もありますが、砂糖で代用できます。これだけで、花の寿命が倍になりますよ。

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2004.05.02

幸運のスズラン

muguet.jpg  5月1日にle muguetミュゲ(スズラン)の花束を贈られたら幸運になると、フランスでは言われている。だから今日ばかりは、あちこちに花売りが立ち、町中がスズランの花をもった人でいっぱいだ。それに、普段は何かを販売するには許可が必要なのだが、それも免除されるので、自宅の庭で育てて販売する人も多いらしい。

  私はこの優しそうなおじさんから買うことにした。自分にプレゼントするためだ。5ユーロと2ユーロの花束があったが、小さな束を指差した。すると2束で3ユーロにするからとさらにすすめる。「ささやかな幸せで満足だから、2ユーロのでいいの」と言うと、「もうすぐ帰るから1.5ユーロでいいよ」と値引きしてくれた。

  写真を撮っていいかどうか聞いて撮影し、その場でデジカメの写真を見せた。すると「幸運を」といいながら、もう一束のスズランをプレゼントしてくれた。私もうれしくなって「この写真を日本のみんなに見せるから」と言って帰路についた。別名「森の麝香」とも呼ばれるスズランの香りをかぐと、やっぱりフランスはいい国だと思う。

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2004.05.01

回転木馬、放火で焼失

accident.jpg  いつものように市役所前広場を横切ろうとした。ところが、いつもの回転木馬が、そこにない。市民たちが立ち止まり、じっと見つめる先には、もう二度と子供たちを乗せることのできない木馬が黒こげのまま立っていた。

  ひとりの女性がつぶやくように言う。「この木馬はね。1979年からここにあるの。わたしの子供たちも孫たちも大好きだったのよ。オーナーもよく知ってるわ。レンヌの子供たちはみんな彼と友達よ」。お話を聞くとオーナーの家族は全員回転木馬で生計をたてているのだという。「彼の子供たちもお父さんの仕事を誇りに思っているから、この仕事をついでいるのよ」と教えてくれた。

  あわてて新聞Ouest-Franceを買った。オーナーはベルナールさん。83歳だそうだ。インタビューが載っていた。「はじめてこの木馬が動きはじめたのは、クリスマスだった。今じゃちょっと古くさいなんて言う人もいるが、このタイプはきのうまでフランスで3つしか残っていなかったんだよ。もう2つだけだ。AngersアンジェにあるMaison Henri Devosで作られたものだった。子供たちにどう説明したらいいんだろう・・・」

  出火したのは、29日朝4時すぎだそうだ。木製なのですぐに燃えてしまったらしい。自転車レースの写真を撮った場所から10メートルしか離れていない場所なのだ。おまけに私は昨日も広場を通ったのだが、全く気づかなかったので、本当に驚いた。子供たちは、涙を浮かべていつまでもそこから立ちさろうとしない。

  Rennesレンヌは約21万人の人口の半分が学生で、若さゆえの暴走もある。朝4時、5時はちょうど泥酔した学生たちが大声で叫びながら、帰宅する時間なのだ。おまけに数年前から、無職の若者たちがたくさんの大型犬をつれて、市役所前広場の周りにたむろしていて、夜ひとりで歩くのは物騒だと市民たちがいいはじめていた。商店街のショーウインドーは毎日のように割られたり、スペレーで落書きされたりしている。一日に何回もお金をせがまれると、いいかげんにしてと言いたくもなる。

  私の住まいは市役所の近くにあって、今はもう夜12時すぎだが、まだまだ外で騒いでいる。警察もすぐ側にあるのだが、そんなことはおかまいなしだ。特に今はMythosというフェスティバルが開催中で、まだ音楽が聞こえている。日本でこんな時間に音楽をガンガン鳴らすなど、考えられないことである。夜中の3時に車のクラクションを数十回も鳴らされて、目が覚めることもある。

  放火犯はつかまっていない。この騒ぎをどう思っているのだろう。酔っ払っていたのか、それとも遊び半分だったのか。いずれにしても、許せない。

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