« 2004年6月 | トップページ | 2004年8月 »

2004年7月の記事

2004.07.30

本の町 Bécherel ベシュレル

becherel.jpg
  もし鹿島茂さんが、ここに足を踏み入れたら、きっと困ってしまうだろう。もしかすると住み着いてしまうかもしれない。コレクターの血がさわぐはずだ。いや、もう来たかもしれない。この町のことは日本経済新聞の夕刊に5月に紹介されているので、きっとチェックしているはずだ。

  本の町Bécherel ベシュレルはレンヌから30分くらいの場所にある。昨年から噂は聞いていたが車がないと行けないのでこれまで躊躇していた。でも必要にせまられたので、やっと友人にたのんで連れていってもらった。10分もあれば一回りできるくらい、ほんとうに小さな町なのだが、15軒の書店がある。ほかには、クレープ屋が1軒、カフェが1軒というふうなのだが、フランスの新聞、雑誌などには毎月のように取り上げられているという。観光案内所の人が「日本の新聞にも載ったんだ」というから「ほら、これでしょ」と切り抜きを見せると、「新聞をもってやってきたはじめての日本人だ」ととてもうれしそうだった。

  16年前に300人だった人口も今は700人に増え、書籍愛好家のあいだではすっかり有名になっているのだ。書店だけでなく作家や装訂師なども移り住むようになっている。このためレンヌからサン・マロに行く道ぞいにもちゃんと大きな看板がでていた。同じように過疎に悩む小村から視察にくることも多いという。残念ながら探していた本はなかったのだが、町はとても気に入った。数時間では見きれないほど充実した内容だったので、時間を見つけて訪れたいと思う。ここでは、時間を忘れてつい長居してしまい、思わぬものまで買ってしまいそうで、怖いのだが・・・

8月14日にイベントがあるので、興味のある人はどうぞ。
   9ème édition de la NUIT DU LIVRE 14 août 2004
  Office de Tourisme : 02 99 66 75 23
 
  参考文献  

  子供より古書が大事と思いたい 鹿島 茂 青土社 1996

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004.07.29

ブルターニュの装飾写本

livre1.jpglivre2.jpg
  たのんでおいた装飾写本が届いた。ダンボールの中からあらわれたのは、黒檀のようなつやつやした美しい皮表紙。時祷書なのでキリストを抱く聖母マリアが刻まれている。背表紙にはブルターニュの紋章とフランス王家の紋章もはいっている。こんな豪華な本だとは思わなかった。わくわくしながら、ページをめくる。

  「まさか。そんなばかな」と手がとまる。次のページもめくってみるが、やはり同じ。カラーじゃない・・・ 冷静に考えれば、そうかもしれない。ベリー公のいとも優雅なる時祷書をめぐる一考察・追加情報で書いたように精密なカラー印刷本は非常に高価である。いくら古本屋で購入したとはいえ、数十ユーロでは安すぎる。

  もとの本は国立図書館におさめられている有名なものであるし、本自体はほんとうに立派なのだ。とてもうれしい。でも、期待が大きすぎただけに、ちょっと残念・・・ 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004.07.27

ムツゴロウ動物王国 7月28日に一般公開

425500272X.09.MZZZZZZZ.jpg  東京ムツゴロウ動物王国が、7月28日、東京あきる野市にオープンします。王国の歴史は1971年、北海道厚岸郡浜中町にある無人島嶮暮帰島(ケンボッキトウ)にムツゴロウさんこと、作家畑正憲さん一家が移住し、クマ、イヌ、ネコ、ウマたちと一緒に生活するようになったのが始まりです。その1年後には対岸の丘陵地帯に動物王国が開国しました。1979年には知床半島の付け根、標津郡中標津町にムツ牧場もできました。この2カ所がムツゴロウ動物王国と呼ばれていました。王国の広さは150万坪以上あります。

  王国は長いこと鎖国状態にありましたが、テレビ番組がたくさん放送されましたので、動物王国のことはご存知ですよね。私はムツゴロウ動物王国に2度入国したことがあります。今回の移転にあたって人間に感染すれば重い肝障害を起こす寄生虫エキノコックスが持ち込まれるのではないかという風評が流れ、4月に予定していた開園が遅れたのですが、北海道大学院獣医研究科寄生虫学教室(OIE国際獣疫事務局エキノコックス・リファレンスラボ)で実施された検査で、すべての動物が陰性であるという結果がでていました。ですが人々の不安を取り除くため、再度、便の検査と駆虫薬の投与を実施し、東京に移動してからも動物を3週間隔離するという厳しい措置がとられました。

  新しい王国ではやっと鎖国がとかれ、一般公開されることになりました。動物の不思議な生態を私たちに示してくれた、畑正憲さん。東京ムツゴロウ動物王国、開国おめでとうございます。

   参考資料

  ムツゴロウとゆかいな動物たち・畑正憲画集真説動物王国物語自然界の建築家たち (1)自然界の建築家たち (2)ムツゴロウの動物交際術ムツゴロウのどこ吹く風


 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

映画評 ハリー・ポッターとスパイダーマン2

  スパイダーマン2。先週見ましたが、これはとてもおもしろかったです。私は1よりもよかったと思います。人生っていつもうまくいくとはかぎりません。しかも、主人公はみんなのヒーロー・スパイダーマン。正義の味方はちょっぴりせつないのです。それでも困っている人を見殺しにはできません。ところが、ある日のこと、いつものようにくもの糸がでてこなくなりました。もうスパイダーマンでいることはできません。そのほうが、いいのかもしれませんが・・・ ひとりで行くよりも、家族や恋人と行くほうがいいかもしれません。絆が深まるかも?

  もうハリー・ポッターとアズカバンの囚人は見ましたか。どんな感想を持ったでしょうか。6月14日に書きましたが、もう一度よく考えても、私には理解できない脚本でした。シリウス・ブラックがパリーに対して抱いている深い愛情が原作どおりに描かれていませんし、ハリーの心の微妙な揺れなどすっかり省略されてしまっています。映画だけ見たのでは、この作品のよさはわかりません。ハリー・ポッターについて評価を下す前に、原作を読んでみてください。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004.07.26

ブルターニュ 中世の祭り Dinan ディナン

dinan.jpg  夏のブルターニュを旅するのに便利なのが、Pass Bretagneパス・ブルターニュという切符である。ブルターニュ内なら、まる一日どこで列車を乗りおりしても10ユーロ均一料金なのである。(土曜日だけ利用可。TERのバスも含むがTGVは省く)。7月24日、この切符を買ってDinanディナンに行くことにした。レンヌ・ディナン間の通常料金は片道17,1ユーロなので、3分の1の料金ですんだ。

  目的はFête des remparts城壁祭りを見ることだ。期間は7月24,25の2日間で、1983年にはじまり今回が16回目であった。電車を降りると町じゅうが美しい花や旗などで飾りたてられていて、祭り気分が高まってくる。各商店の店員たちもそれぞれ中世の衣装をまとっていて、歩いているだけでも楽しい。広場で売られているみやげ物もそれらしいものばかりで、その場で買った衣装を身につけて歩き出すアメリカ人観光客もたくさんいる。

  なぜかといえば、城壁の数ヶ所で行われている特別の会場にはいるには10ユーロいるのだが、中世の服を着ている人は無料になるので、いい記念になると服をおみやげにする人も多いのである。もちろん無料の催しもいろいろあるが、なりきったほうが楽しそうである。中世の暮らしや仕事などなどが再現され、あちこちの鍋からおいしそうな匂いがただよってくる。縄を編んでかごにしている人に「これがあなたの仕事なんですか」と聞いてみた。すると「ちがうわよ。私たち夫婦はフランス南部に住んでいて、ほかの仕事をしているんだけど、こういう祭りがあると、あちこちに招かれるの。外国にだって行くのよ」と言う。何かの技術を習得すれば、そういうことも可能なのだと、すっかり納得してしまった。

  昔から城が築かれるのは小高く見通しのきく場所であった。ここDinanディナンも標高75メートルあり、あたりを見下ろすことができるのである。見事な城壁のすぐ外側でLe Tournoiと呼ばれるトーナメントを見ることにした。ブルターニュ公が主催した華麗な馬上戦の再現だ。馬を疾走させながら槍を操る技術は素晴らしかったのだが、10ユーロ支払うにはもう少し演出に工夫があってもよかったと思う。ここで前回2002年の写真を見ることが出来る。それから中世の衣装をまとって人々が町を歩くのを楽しみにしていたのだが、行列だけを比較すれば、VannesヴァンヌのFêtes historiques de Vannesヴァンヌ歴史祭りの方が見ごたえがある。

  それでも、中世の木組みの家々を眺めながら町を散策するのは心地よかったし、久々に暑い日だったので、アイスクリームを食べて夏の一日を満喫した。どんな天気になるかわからなかったので、上着と傘をもっていたのだが、とてもいい天気ですっかり日焼けして帰ってきた。古地図を持って、また行きたい町である。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004.07.25

ブルターニュ 中世探訪

st_aubin2.jpg

 金曜日の午後、バスに乗ってSt Aubin du Cormierサン・トーバン・デュ・コルミエへ出かけた。
L'Histoir de la Bretagneブルターニュの歴史という展示会を見るためだった。カラー写真をふんだんに用いた手作りのパネルが会場いっぱいに並び、本やビデオなどの販売も行われていた。

   戦いの記念碑のある場所を尋ねると、「数キロあるから車で連れていってあげよう」と言ってくれた。記念碑は道路沿いにあったのだが、古いものがさらに奥にあるという。腰の高さくらいまで伸びた雑草をかき分けながら500メートルほど歩くと、自然の岩盤の上に十字架が立ち、パネルがはめこまれてあった。ぜったいひとりでは探せない場所だったので、本当にありがたかった。そのあと、城の廃墟にも立ち寄った。城壁や塔が半分くずれた状態で残っていた。廃墟とはいっても、その規模は想像以上に大きくて驚いた。展示会場にもどり、貴重な話をたくさん聞くことができた。再会を約束して午後7時に会場を後にした。

  土曜日は列車でDinanディナンに行った。Fête des remparts城壁祭りと呼ばれる中世の祭りである。ディナンに行くのは4回目だったのだが、いずれも時間が2-3時間だけだったので、同じところしか見ていなかった。今回朝から夕方まで、町中くまなく歩き回り、やっと全貌のあらましがわかったのだが、これまた、城壁の規模の大きさと保存状態のよいことに感心した。再訪して、ゆっくり歩いてみたいと思う。祭りについては、日をあらためて書きたいと思う。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2004.07.22

ブルターニュの夏 レンヌにオアシス出現

ete.gif

  夏です。でも夏らしくありません。7月上旬の最高気温16-18度。最低気温なんて6-10度でした。雨もふっていたし、海水浴客もさすがにあまり泳いでいませんでした。ブルターニュでは気温が20度をこえると、みんな泳いでいますが、南国育ちの私は、そんな無謀なことはできません。

  今週汗をかく日もあったのですが、今日はちょうどいいくらい。たぶん20-23度くらいではないでしょうか。1週間くらい前から、市役所前広場に椰子の木の巨大な鉢植えと椅子が設置されています。おしゃべりしたり、本を読んだり、案外活用されています。

  日本は気象庁はじまって以来の暑さらしいですが、こちらは、もう少し暑くなってほしいです。夏なので、アイスクリームを食べたり、冷たいビールか白ワインを飲みたいのですが、どうもそんな気分じゃないですね。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

Yahoo対策 Bretagne ブルターニュ普及作戦

  大変なことに気がついた。Yahoo! JAPANが5月31日に検索エンジンをGoogleから独自技術に移行してから、うるわしのブルターニュの訪問者が減ったのだ。何を寝とぼけたことを言っていると思われそうだが、以前に比べ訪問者が減っているのはどうしてなのか、ずっと考えていた。それで、いろいろデータを比較してみると、6月にはいってYahooから検索してくる人が極端に減少したことがわかった。それまでは、Yahooから検索してくる人が全体の8割以上いたのに、今では2割程度まで減少している。それが、訪問者全体の数を減少させているのだ。

  具体的に言うと、Googleでブルターニュと入力すれば、うるわしのブルターニュは4番目にでてくる。ところがYahooには名前がでてこない。ずっと見ていくと380番目だった。これでは、誰もきてくれないはずだ。今度はBretagneと入力してみた。Googleは4番目だったが、Yahooでは245番目(市絛三紗の名称)である。うるわしのブルターニュでは500番にはいっていなかった。

  このBLOGの目的は、ブルターニュとはどんなところなのか知ってもらうことである。そこで、これからしばらくタイトルの頭にブルターニュという言葉を用いて、Yahooで検索順位が上がるかどうか実験を行うことにする。結果は、来月具体的に数字をあげて検証してみたい。

| | コメント (11) | トラックバック (0)

2004.07.21

ブルターニュ特選ホテル2  ドゥアルヌネ

hotel.gif
もう一度泊まってみたいホテルを厳選してご紹介します。

Le Clos de Vallombreuse ル・クロ・ドゥ・ヴァロムブルーズ ★★★

  ここはイスの町があったといわれている場所です。グラドロン王がここを治めていたときの繁栄ぶりはいまも語り継がれています。Parisパリという名前の由来は「イスのように美しいという意味である」とまことしやかに伝えられるほどだったのです。でもイスの町は海の底に沈んでしまいました。若者に姿を変えた悪魔にそそのかされ、王女ダユが水閘の鍵を悪魔に渡してしまったのです。こうしてイスは伝説になりました。

  このホテルには昨年3月に友人夫婦と泊まりました。1902年に建てられたもので、部屋によって内装が異なりますが、木目の美しい家具が備えられていて、従業員も親切です。窓からトリスタン島が見える部屋もあります。内容的には4つ星ホテルにひけをとりません。価格はシーズンオフだったので夕食、朝食付きでシングル69ユーロ。ツイン101ユーロ。食事は、小皿、前菜とメイン、デザート付き。前菜は子えびのサラダか、羊の舌を選択。メインは魚のいためたものか牛肉のローストビーフ。デザートはコーヒー味のアイスクリームかミルフィーユでした。味はあっさりしていて、ヌーベルキュイジーヌ風で、とてもおいしかったです。ふつうにたのむと15ユーロのコースです。これで足りなければ追加しようと相談していたのですが、量も十分で満足できるものでした。
  
  ホテルに到着した時、廊下にある家具の上に見たことのないようなオレンジ色の猫が丸くなっていて、きれいな置物と思ってさわったら、本物の猫だったのでびっくりしました。食事を終えてそこを通った時にはもういませんでした。鍵を開け室内に入って心底驚いたのですが、私のベットの上で、さっきのオレンジ色の猫が寝ているのです。いったいどうやって入ったのでしょう。そっと撫でてみると、うれしそうにニャーと鳴いて大きく伸びをしました。魔法を使えるはずはないし、食事前は室内にはいませんでした。鍵は確かにかかっていたし、他には入り口はありません・・・気持ちを落ち着けようとバスルームに行くと、猫は後からついて来て、外へ出たいと催促するので、入り口を開けると、あっという間に闇に消えてしまいました。

  翌朝、朝食を食べた部屋の木の装飾は見事でした。3種類のパンがでてきましたが、クロワッサンはおかわりしたいほどおいしかったです。昨夜の猫の話をしていたら、いつの間にか現れて、そのまま私の部屋までついてきました・・・

Le Clos de Vallombreuse
7, rue d'Estienne d'Orves
29100 Douarnenez
Tél. : 02 98 92 63 64 Fax : 02 98 92 84 98

  ( 価格は昨年のものですし、季節によっても違います。予約する時に確認してください )

   参考

  ブルターニュへの旅 田辺 保 著 朝日選書 1992  ブルターニュ関連書籍 その1 2004年3月18日参照  
  Douarnenez観光案内所

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.07.20

妖精からの贈り物

verre.gifルビーとダイヤモンド 
妖精からの贈り物


| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004.07.19

ディキンソン事件・注目の判決結果

  それは6月7日のことだった。レンヌの旧高等法院前に巨大なパラボラアンテナをつけたテレビ中継車が10台くらい並んでいた。80人もの警官(50人の共和国保安機動隊員をふくむ)が建物を取り囲んで、異常なまでの警戒体制をとっている。こんなことははじめてだった。ノルマンディー上陸作戦60周年記念式典(6月6日、7日参照)の翌日だったので、式典に参加していた要人のうちの誰かが立ち寄ったのかと思った。

  建物を遠巻きにするように、見物人がたくさんいたので、何があったのか犬を連れている女性に聞いてみた。「誰か来ているんですか。もしかしてブッシュ大統領ですか」という私の問いに「違うのよ。例の裁判がはじまったのよ」と答えてくれた。1996年7月、フランスでも有数の観光地モン・サン・ミッシェルのすぐ近くの町、Pleine-Fougèresプレーン・フジェールにあるユース・ホステルの一室で、当時13歳の英国人少女Caroline Dickinsonキャロリン・ディキンソンさんが性的暴行を受け殺害された事件である。その事件の裁判が、ここレンヌの重罪院で行われているのだ。

  犯行のあった夜、4人の友達、メリッサ、カミーラ、アン、ジェニーも同室に寝ていたのだが、犯行にまったく気づかず、朝死体で発見されたという不可解な事件だった。彼女たちの証言によると低いうなり声、あらい息遣いが聞こえるなどのかすかな異変はあったらしいのだが、そのまま心配もせず寝てしまったらしい。なぜなら彼女らのうちのひとり、ジェニーはよく寝言をいう癖があったからだ。

  はじめは浮浪者がうたがわれたりしたのだが、DNA検査で容疑が晴れ、17日後に釈放された。その後数千人が取り調べたをうけたのだが、決定的証拠がなく捜査は難航した。ついにプレーン・フジェールにすむ15~60歳までのすべての男性268人と近隣の町の200人がDNA鑑定をうけることになった。捜査当局はこれでかたがつくと考えたのだろうが、結果がでて捜査は皮肉にも振り出しにもどった。捜査範囲も半径100キロから200キロへと広げられた。しかし解決の糸口も見出せないまま時間だけが過ぎていった。もう迷宮入りかと思われたこの事件は、5年後にひとりの男性が米国フロリダ州で逮捕されたことで急展開をむかえた。

  わいせつ罪の疑いで逮捕されたArce Montesアルセ・モンテス被告(54)はフランスに送還され、DNA鑑定でディキンソン事件の暴行犯であると断定されたのである。この裁判にこれだけの注目があつまっているのは、被害者は英国人、被告はスペイン人、逮捕されたのは米国だからである。だがそれだけではない。彼はオランダ、英国、ドイツで同様の暴行事件をおこしていたのである。どのような判決がでても話題になるわけである。

  この裁判を傍聴できると聞いたので、手荷物チェックをうけ建物の中にはいった。中庭に150人が収容できるテントが設営され、巨大なスクリーンに裁判の様子が生で映しだされている。ちょうど女医が質問に答えているところだった。カメラは時折被告の顔をとらえるのだが、フランス語がほとんど話せないらしく、退屈そうにすわっている。テントの中には一般の傍聴人のほかに、裁判の様子をスケッチする人やメモを取る記者などがいた。1時間ほどたったところで休廷になりみんな外にでてしまった。それまで私の側にいた人が、警護をしている警官にその日の日程を尋ねている。「裁判は夜中まで続くと思うよ。それにしても被告は反省なんかしていない顔だね。こんな仕事は気が重いよ」と彼は個人的な意見を述べていた。

  確かに被告の次のような供述は被害者キャロリン・ディキンソンさんの家族にとっては耐え難いものであっただろう。アルセ・モンテス被告は「ウイスキーと一緒に抗鬱剤を服用したので、どうやってあそこの町まで行ったのかも覚えていない。スーパーマンになったような気分だった」と強姦容疑を認めたが殺害は否認していた。「彼女を殺そうとはしていない。誰かを殺す能力はない。ただ性的な欲求に従っただけだ。殺人犯ではない。詳しくは覚えていない」と弁護士が繰り返すだけだ。ディキンソン事件当時、彼は事件現場からそう離れていないVitréヴィトレの町でひとりの女性と一緒にくらしており、子供も生まれていた。その女性にとっても受け入れがたい事実であっただろう。

  テレビ局がそれぞれのニュース番組で、裁判の様子を伝えていたが、「この事件でDNA鑑定が証拠としての重要性を確立した」というコメントがあった。指紋の捺印でもプライバシーの問題が取りざたされているのに、町中の男性がDNA鑑定に応じたのだから。「狭い町で隣人を疑いつつ一生過ごすよりは、汚名をはらすほうがよかったのよ。だってやましい人はいなかったのだから」と別の女性がしみじみとした口調で話してくれた。結局9300人が取り調べをうけ、3800人にDNA鑑定が実施された。その費用だけでも1億5千万円近くになる。まさに前代未聞の事件だった。

  この裁判の判決は、6月14日、言い渡された。終身刑の求刑に対し、禁固30年(22年間釈放不可)であった。


    あとがき

  自分で裁判を傍聴したこともあり、ずっと書こうと思っていたが、パソコンの故障でのびのびになっていた。フランスではずっと注目をあつめてきたが、日本にはくわしく伝わっていない事件だと思う。12~15歳までの多くの少女が被害にあっていることを考えると、もっと早く対処できなかったのかと腹立たしい。

| | コメント (2)

2004.07.17

ダヴィッド・ダンジェのボンシャン侯爵像

 すでにほかで発表したエッセイダヴィッド・ダンジェのボンシャン侯爵像をプロフィールのところにのせました。徳島の彫刻文化を進める会の会報誌「光」28号に掲載されたものです。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

音楽になった五月の木

mai.jpg  もう7月なのですが、また五月の木の話題です。パリのMusée de Clunyで写真のL'Arbre de MaiというCDを見つけて購入しました。用いられている絵はドイツで15世紀に描かれたさくらんぼ摘みです。

 これはune Historia plantarumの一部を再現したもので、Guillaume Dufayギィヨーム・デュファイの作品です。彼は1400年ごろ生まれました。1426年にイタリアのボローニャに行き、1428年から1433年までローマで教皇庁の礼拝堂歌手をしていました。1439年にブルゴーニュ公Philippe le Bonに仕えるためフランスにきます。それからフランドル楽派の中心となって活躍したようです。

  私は音楽のことは全く知らず、タイトルにひかれてCDを買っただけなのですが、彼は音楽の世界を中世からルネッサンスへと旋回させた巨人と呼ばれているそうです。この言葉はDr.町田のホームページデュファイ―中世を終わらせた巨人から引用させていただきました。音楽についての解説がくわしく書かれていて、視聴することもできます。またフランドル楽派の音楽家たちのなかのGuillaume Dufayというところで彼の経歴がわかります。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2004.07.16

マイクロトレンドからの回答

  アカウントがメーラーから消えていったいどうなっているの?と首をひねるばかりなのですが、ウイルスバスター2004について問い合わせをしてあったら、14日にマイクロトレンドから回答がきました。「現在弊社にて同様の現象が確認できませんでした」という返事です。

  ついで「メールアカウントが消える現象について、弊社製品の影響であるかご確認いただき、現象の起因の特定をさせていただきたく存じます」と続きます。要するにウイルスバスター2004の設定をいったん解除して、いつアカウントが消えるかためしてから結果を連絡するようとの指示なのです。

  今後のデータをとるお手伝いをしたいのはやまやまですが、現在とても大切なメールのやり取りをしているので、実験をして、これ以上あちこちにメールが分散してしまっては非常に困ります。この間書いたように、フランスのメールとブラウザの何らかのトラブルだと思われますが、重要なメールは日本のメールアドレスを使用していて、こちらのトラブルは今のところありません。このまま使おうと思いますが、アカウントとメールが消えるという事例が2度続けて起きたことを、みなさんにお伝えしておきます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.07.15

プレゼントのお知らせ

  2月14日にはじめたうるわしのブルターニュ、おかげさまで5ヶ月をむかえました。日記なんていつも三日坊主でおわってしまうのに、こうやって続けてこられたのも、読んでくださった方々のおかげです。あと数日で訪問者数20000になるはずです。そこで20000番の方と20014番目の方に、私が選んだブルターニュの絵葉書セットをプレゼントしたいと思います。楽しみにお待ちください。

    アンケート結果ご報告

  アンケートのお願いをして結果を報告しておりませんでしたのであわせて報告します。このページにもう一度来てもよいと考えてBlog Rankingをクリックしてくださったのは、毎日15~30名の方です。Blog Rankingの順位も海外ニュース部門で2位から15位くらいの間をいったりきたりしています。アンケートの役目はおわったのですが、Blog Rankingのページから来てくれる人も日に何人かいるので、そのまま置いておきます。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004.07.14

スワロフスキーのクリスタルペンダント

cristal.jpg    午後古本屋めぐりをした。昨日のつづきである。ここにはあるだろうとあてにしていたところにも欲しい本がなかったし、以前古本も扱っていた本屋は、新刊しか扱わなくなっていた。そこで、以前から店の前を通ったことはあってもまだはいったことのない店によってみた。妖精やケルトっぽい品揃えの店である。

  店内に一歩足を踏み入れると、騎士が持っていたような剣や、アーサー王伝説、指輪物語関係の珍しいグッズがいっぱい並んでいた。ドラゴンをかたどったみたこともないような商品がところせましと飾られていて、家族づれで盛況だった。

  今日は本を探していたのだが、つい衝動買いをしてしまった。写真のクリスタルペンダントである。色違いのペンダントが10種類くらいあって、とっても迷った。それぞれの色によって効能も異なるのだが、最終的には薄緑色を選んだ。

  緑色の説明は次のとおりである。"Le vert est la couleur de l'espérance, de la longévité et de l'immortalité. Il correspond à la renaissance de la nature, à la croissance, à la jeunesse. Le vert s'identifie aussi à la régénération spirituelle avec l'espérance de l'immortalité".緑色は希望、長寿、不死の色・・・(略) ようするに若さの象徴なのである。

    これはSwarovskiスワロフスキーの商品。1895年にボヘミア生まれのダニエル・スワロフスキーによってオーストリアのチロルに創立されたスワロフスキーの製品ジャンルは、ジュエリーから精密光学機器用レンズまでと幅広く、ベルサイユ宮殿や劇場のシャンデリアなども手がけてきた歴史がある。

  つい話し込んでしまったのだが、この店の商品はスペインやドイツなど、ヨーロッパじゅうでつくられたものだそうで、海外発送もしてくれるそうである。ホームページで商品を見られるので、Dragonというところを注目してほしい。今だけの割引商品もある。

 ARMORIA
 15, rue de Robien  35000  RENNES
 Tel : 02.99.27.51.68

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2004.07.12

いったいどうなってるの?

  今朝もトラブル発生! またメールが消えました。なんだかずっと愚痴ばっかりですみません。7月8日と同じ状況でアカウントがなくなり、メールも別の場所にいってしまいました。「もう勘弁ならねえ~~」とわけのわからないべらんめえ口調になっちゃって、とりあえずNetscape7.1をインストールしました。一時的にメーラーを変更し様子を見ることにします。

  ウイルスバスター2004を使っているのですが、トレンドマイクロ サポートセンターに問い合わせのメールも出しました。6月はじめから、PCトラブルで、予定外の時間をさかれています。修理から帰ってきてからも、まだこんなことになるなんて・・・ いったいどうなってるの?

    追加

  現在フランスのプロバイダーで接続していて、ひとつのメーラーにアカウントを2つ使用しています。このフランスのメールアドレスにウイルスがきていて、それがなぜかウイルスバスター2004で感知されず、取り消された可能性があります。こちらのプロバイダーサイドのアンチウイルス機能が働いていなかったようで、有効にしました。 はっきりとはわかりませんが、このアカウントが問題だったのでしょうか?

  その後、このアカウントのメールだけが時々痙攣するようにブルブル震えて、とても普通の状態ではないので、アカウントを削除しました?!でもこの状況はNetscape7.1だけです。もうわけがわかりません。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2004.07.11

ハリー・ポッターと賢者の石のニコラ・フラメル

harry.jpg  「ハリー・ポッター」というキーワードできてくれる人がたくさんいるので、こっそりあまり知られていない情報をお教えします。以前パリへ行ったとき、ヴァンヌから来た中世の歴史が好きなフランス人の友人とマレ地区を散策しました。彼女がガイドブック片手に道案内してくれたので、私は説明を聞きながらついていったのです。

  パリで一番古い建物という少々黒ずんだ建物の前に立って、説明を読んでもらいました。「ここには錬金術師ニコラ・フラメルが住んでいました」という言葉に驚いてよく見ると、壁に確かにそう書かれています。もうおわかりですね。ハリー・ポッターと賢者の石でハリー・ポッターが探すあの本のことです。

  錬金術師ニコラ・フラメルは実在の人物で生まれたのは1330から 40年の間、なくなったのは1418年です。彼は賢者の石で、大金持ちになったのだそうです。ほんとうに鉛を金にかえることができたのでしょうか。まさか家が残っているとは思いませんでした。彼の家はレストランになっていますから、パリに行ったら、たずねてみてはいかがでしょう。

AUBERGE NICOLAS FLAMEL
51, rue de Montmorency
75003  PARIS
Tél. : 01 42 71 77 78.
Ouvert tous les jours (sauf samedi midi et dimanche) de 12 h à 14 h 30 et de 20 h à 23 h 30.

   関連エントリー

 錬金術の霊薬 墓に刻んであった謎にみちた彫刻

 参考資料

 錬金術師そのものに興味のある方こちらをお読みください。ニコラ・フラメル  錬金術師伝説象形寓意図の書  賢者の術概要・望みの望み

| | コメント (2) | トラックバック (0)

フェスティバルライブ ( レンヌ夜12時 )

nuit1.jpg 
nuit2.jpg 
nuit3.jpg 
1) アイリッシュパブの前で、2人がアイルランド音楽を演奏。女性がダンスも踊っていた。

2) 回転木馬のようにくるくる回ってる。演奏はハードロック。


3) 旧高等法院まえに潜水艦出現。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

ドル・ドゥ・ブルターニュ

dol.jpg

  Dol de Bretagneドル・ドゥ・ブルターニュにあるLa cathédrale Saint Samsonカテドラル、サン・サムソンです。青いステンドグラス、どうでしょうか。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004.07.09

詩人Athanase

  パリで詩人Athanase Vantchev de Thracyと知り合った。夕食に招かれた時に紹介されたのだ。彼はブルガリア生まれだが、今はフランス人。ホームページにいろいろな写真があるが、写真より実物のほうがずっと素敵だ。

  その家の奥さんがまだ子供のころ、彼と同じアパートの別の階に住んでいて、毎晩のように絵本を読んでもらったのだそうだ。「僕のほうは同じ本を読まされるのに退屈して、時々自分でアレンジして聞かせたんだが、彼女はそんな話じゃないって本気で怒るんだよ。」と昔の思い出話にみんなで笑った。

  はずかしながら、私はフランスの現代詩人についてほとんど知識がないので正直にそのことを話した。いまはパリに住んでいるが、ブルガリアに文学館を建築する計画があるそうだ。俳句に興味をもっていて、フランス語の俳句をつくっているそうである。フランスでは俳句がひそかなブームなのだ。

   参考資料

  俳句の歴史、ほかの国での状況を知りたい方は、むしめがねに詳しい情報がある。史上初の世界俳句選集「国境なき俳句」なんてすごい本も出版されている。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2004.07.08

メールアカウントが消えてしまった・・・

  パソコンが日本からもどってきて1週間。Mozilla 1.7をインストールしてブラウザ、メーラーとして使っていた。以前のアドレスやメールもOutlookからインストールして、やっと慣れてきたところだった。今朝メールチェックしようとしたら、この1週間のメールがみごとに消えているのだ。アドレスは保存されているのにアカウント自体がなくなって、メールが全部消えている。いったいどこへいってしまったのか?

  こんなことってあるの?どこかに保存されてないのか探したけれど見つからない・・・ ひとりだけ新しく知り合った人が2日前に住所を知らせてくれたのに、消えてしまった。Mozilla 1.7を使っている方、こんなトラブルありましたか?

 その後の経過

  もじら組というページが日本での Mozilla 関連の情報発信源となっているのだが、ここで、過去のデータの検索のやり方をおそわった。ほんとうにありがたいことだ。みなさん、どうもありがとうございます。消えてしまったと思ったメールのデータは以下に保存されていて、住所を手帳に書き写すことができた。
C:\Documents and Settings\<ログイン名>\Application Data\Mozilla\Profiles\default<ランダムな文字列>Mail

| | コメント (2) | トラックバック (0)

新雑誌Univers CELTES創刊

celtes.jpgforets.jpg

6月1日に新しい雑誌univers CELTESが創刊になった。書籍、CDなどの紹介、コンサート情報、ブルターニュ観光情報などに加えLa naissance d'Arthurアーサー誕生という特集が10ページあり、ブロセリアンドの森にあるComperコンペル城も載っている。価格は5,5ユーロである。 

  もう一冊、Brocéliandeブロセリアンドの特集を組んでいるのが現在発売中のForêtsという雑誌、NO.8である。こちらは25ページの特集である。こちらは伝説中心に紹介している。タイトルどおり世界の森の情報誌で森の美しい写真がたっぷり楽しめる。価格は5ユーロだ。


| | コメント (0) | トラックバック (1)

2004.07.07

いいかげんに眠らせて!

  今、夜の12時30分である。でも我が家はコンサートホールなみの大音響に包まれている。毎年恒例のフェスティバルTombées de la Nuit(7月6日~11日)真っ只中なのである。(昨年はストライキで中止) さっきまでパイプオルガン風の音楽が聞こえていたが、今は何やら現代音楽みたい。雷がとどろき、嵐といった音楽?? 80-100ホーンくらいだろうか。人間のうなり声がそれに重なっている。

  いったい何時までやるのだろう!! ブラボーなんて叫びも聞こえているが、もうこれは騒音以外の何ものでもない。野外テントでやっているのだろうが、これはいったい何を表現しようとしているのだろう?明日パンフレットをもらって確認してみようと思うが1週間も続けてこれを聞かされてはたまらない! 夜中ですよ! もう終わりにして!

   追加情報

  これまでは街中で大道芸が行われたりして、とても楽しいお祭りだったのだが、今年は趣向を変えて音楽中心になったようだ。興味のある方はプログラムをどうぞ。昨晩のそうぞうしい音楽は Traverse de façadeという出し物で幸いにも一晩だけだった。以前のほうがよかったと感じているのは私だけだろうか?今日はとっても寒くてみんなコートのえりを立てるくらいだし、ときおり激しい雨がふっているので、たぶん夜は静かだと思うけれど・・・

  

  

| | コメント (2) | トラックバック (0)

あ~~ん。近づかないで。

chat_5.jpgchat.jpg

はじめておじゃました家に可愛い猫がいました。抱こうとすると逃げちゃうのに、「写真を撮るからこっちむいて」というとどんどんこちらに近寄ってきて、うまくとれませんでした。アパートの窓から身を乗り出して、じっと外を眺めてる様子がとても可愛かったです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004.07.03

ふくろう党パリ集結

chouan.jpg 6月27日、私もこの集団にまじって、パリのコンシェルジュリーから市役所まで歩きました。今回パリにいったのはこれに参加するためでした。観光客があつまってきて、「何やってるの」なんて写真を撮りながら遠巻きに見ています。でもこれはただのコスプレ集団ではないのです。

  革命後、反共和国政府の蜂起がおこったことはヴァンデ戦争・語られざる惨劇(3月29日参照)でも書きましたが、もう一度書きます。革命から4年後の1793年、ロワール川南部のヴァンデ一帯で反革命の狼煙があがり「カソリック王党軍」が結成されました。それにブルターニュやノルマンディーの「ふくろう党」と呼ばれる蜂起軍も加わり、各地で激戦を繰り広げたのですが、年内に共和国軍にほぼ制圧され以後はゲリラ戦が主流になります。いわゆる「ヴァンデ戦争」です。
 
  今年はCadoudalカドゥダルがパリの現在の市役所前広場で処刑されてちょうど200年にあたり、その追悼式典が行われたのです。フランス人でも知っている人は多くないでしょうし、知っていても式典に参加する人は100人たらずでした。もうひとり日本人の友人も教会のミサには参加していたのですが、その後市役所まで歩いたのは私だけでした。最後に処刑された場所で再度祈りをささげ、献花して解散となりました。こんなパリの一場面があることも、まぎれもない事実です。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2004.07.02

パリ 写真展

pont.jpg  Tierry des ouchesティエリー・デズッシュ。この名前、覚えていますか?牛がいっぱい!(5月30日参照)と同じ写真家です。現在パリの2ヶ所で写真展が開催されています。パリのPlace Vendômeヴァンドーム広場(6月17日~9月3日)でレンヌと同じ牛の写真展、セーヌ川のPont des ArtsでPorts sur la ville(6月26日~7月14日)までです。写真は後者です。

  でも28日の正午にこの橋をとおったら、写真が2枚しか展示されていませんでした。わくはあるんだけど、はめ込みできないのです。午後5時には4人がかりで写真を枠にはめようとしているのですが、手際が悪く、見ていていらいらしました。

  そのままヴァンドーム広場まで行くとティエリー・デズッシュ本人がいたので、写真を見せ、「せっかく見にいったのに、写真が飾られていなかった」と伝えました。すると「あれは自分たちが、展示方法を決めたんじゃないから、残念だね」との答え。スタッフのひとりが「どんな状態か見てくる」とPont des Artsへ行きました。

  その後どうなったのか、私はその日のうちにレンヌに帰ったので知らないのですが、橋のたもとに4枚の大きな予告パネルまで出しているのに、開催3日たって、あのありさまとは・・・ またまた日本では考えられないことです。どうしてこの枠に写真を入れられないんでしょうね・・・

  ヴァンドーム広場には、牛たちがのびのび放牧されていましたよ。ちょっと異質な感じでした。本人も「旅行は苦じゃないから日本に行ってもいいな」と話していました。

  

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004.07.01

シャンティイー城・コンデ美術館 その3

chateau.jpg
  それからChateau de Chantillyシャンティイー城の中の図書館で彩色写本11冊を見た。なかでもLa Justification du duc de Bourgogneが気に入った。

  城内にあるコンデ美術館は絵画850点、素描2500点、版画2500点、歴史的写真1500点、彫刻250点を所有しており、フランス国内ではルーブル美術館につぐ充実した作品がそろっているが、そのコレクションを外部に貸与しないのでここまで行かないと実物は見られないのである。

  図書館横のドアに、立ち入り禁止と張り紙があり、コンデ公の勝利を描いた戦いの絵が飾られた有名なギャラリーへも行けなかった。そこでレストランでご飯を食べようと思っているときに、「城内をガイド付で案内する」といわれ、30人ほどがガイドの後からついて行った。猿の絵が部屋中に描かれた不思議な大猿の間やギャラリーは見えたのだが、オマール公と公妃の居室は見学できなかった。

  でも時間はすでに3時。お腹がすいたので、レストランに行ったのだが、レセプションのため貸切だそうで、お茶の一杯も飲めなかった。まだ絵画ギャラリーを半分しか見ていなかったので、そのまま帰るわけにも行かない。とにかく駆け足でひととおりまわったら、4時前になった。さすがにつかれたので、売店でおめあての例のCD-ROMLes très riches heures du Duc de Berryと中世の写本の本Les très riches heures du duc de Berry et l'enluminure au début du XVe siècleそれからあと数冊の本を買って外へ出た。

  ふと門の内側に目をやると、ジュースの自動販売機が目立たないところにこっそり置いてあった!フランスではとても珍しいのだが、このときはとにかくうれしかった。フランス式庭園を眺めながら、ジュースを飲んで少しだけ庭を歩いた。本来ならゆっくり庭の散策もしたかったのだが、連日5-7時間くらい歩いていたので疲れもたまってきていて、無理もできないのでこの日は帰ることにした。城の前から4時20分の最終バスに乗りたかったのに、バスがこないので、やっぱり30分くらいかけて駅まで歩いた。駅前のパン屋でチョコロールとあげパン、ジュースを買って、列車のなかで食べた。観光も体力がないととてもきつい!

| | コメント (6) | トラックバック (0)

パソコン日本から到着

  修理にだしていたパソコンが帰ってきた。すでに25日には配達されたようだが、いなかったので仕方がない。配送はTNTという会社で、配達依頼はナントの電話になっていた。そこにきのう電話すると、いくらかけてもつながらない。東芝からの冊子に記載されているフランス代表番号にかけると電話がかわったというアナウンス。その新しい電話にかけて、ナントの違う番号を2つ聞き、電話すると「あなた家を引っ越したの。どうして連絡がつかないの」というので「パリにいて、留守だっただけ。昨晩帰ってきたから配達して」と頼んで、きのう午後に配達されるはずだった・・・

  でも結局誰もこなかった。今朝もう一度ナントに電話すると電話をまわされ、つながらない。もうひとつ別の番号にかけて、「きのうずっと待っていたのに誰もこなかった」というとだいぶまたされ「運転手のエラーだから、今日の午前中に行くから」という。結局とどいたのは、午後4時だった。

  これが日本の会社なら「まことに申し訳ありません。私どもの手違いでして・・・」などと、一言あやまらないと、客は納得しないだろうが、ここはフランス。すべて「担当じゃないから知らない」と一言ですまされてしまう。あちこちかけた電話代金はもちろん私が支払うのだ。幸いにもとどいたパソコンはハードディスクが交換され、工場出荷状態になって戻ってきた。夕方から、いろんな設定をして、やっと使えるようになった。

  「ブラウザ、メーラ、HTML エディタをひとつにしたクロスプラットフォームソフトウェア。ポップアップ広告や迷惑メールもブロックできます。」という言葉でMozilla 1.7を使うことにした。この間から同じ会社のFirefoxとThunderbirdを使っていたのだが、Mozilla 1.7のほうが、扱いやすいような気がする。まずWindowsのアップデートをしている間に早くもスパイウエアが10以上入っていて驚いた。またまたアダルトサイト被害対策の部屋(6月4日参照)のお世話になった。これでたぶん大丈夫だと思う。思えば大変な1ヶ月だった。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

« 2004年6月 | トップページ | 2004年8月 »