Le Barzaz-Breiz バルザス・ブレイス
Le Barzaz-Breizバルザス・ブレイスとはブレイス語でブルターニュの歌という意味である。Théodore Hersart de la Villemarquéテオドール・エルサール・ド・ラ・ヴィルマルケが1839年8月に歌集を出版すると、スコットランドのオシアンの歌がもてはやされたのと同じように、ヨーロッパじゅうで大人気となった。この歌集には口承で伝えられてきた歴史を中心とする54の歌がおさめらてていた。ジョルジュ・サンドは「素晴らしい叙情文学である」と絶賛している。
ところが後にほかの研究者によってバルザス・ブレイスの一部が、口承のものとは異なると指摘された。彼が一部を改変したのではないかという疑惑である。しかも彼はブレイス語を知らないので、フランス語で書いて、ブレイス語に訳した可能性があった。この論争は長引き彼の名誉を傷つけ、その人気も下火になった。
私がバルザス・ブレイスを知ったのは、ある講演会の会場で録音テープを聴いたのが最初だった。かれこれ3年以上前のことだ。伴奏もなしに、年配の女性が歌うブレイス語の歌。歌詞は全くわからなかったが、心にしみるような哀愁に満ちた歌声が忘れられなくて、すぐに店でCDを買った。それがこの写真で、詳しい解説書もついている。私が聴いたものと同じではないが、大好きなCDであることに変わりはない。
オシアンの歌はナポレオンが愛したことでよく知られているが、バルザス・ブレイスについて、日本ではほとんど知られていないのではないだろうか。ブルターニュ音楽のルーツともいえるバルザス・ブレイスは、現代のミュージシャンにも多大な影響を与えているのである。
追加情報
Le Barzaz-Breizバルザス・ブレイス関連書籍についてブルターニュ関連書籍 その7 バルザス・ブレイスにまとめてみた。
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コメント
celtic sound 大好き!現在のところIrlande系のミュージシャンのCDしか持っていませんが、Bretagneの音楽にも大いに関心があります。日本ではなかなか接する機会がないんですよね。
今日、NHKラジオフランス語講座を聴いていたら、Alan STIVELの曲が流れてきました。とても気に入ったので、amazon.frでrechercheしましたが、まったく見つかりませんでした。yahoo.frでなんとかみつけることができました。
http://www.alan-stivell.com/Framesfr.htm
三紗さんはこのミュージシャンをご存じですか?
投稿: えびきゅう | 2004.08.14 15:27
えびきゅうさん。こんにちは。
Stivellが正しい綴りです。フランス人で彼の歌を聴いたことがない人なんていないでしょう。
CDはいつもいっぱいお店に並んでいます。何十枚でているのかわからないほど息の長い歌手です。
直接コンサートに行ったことはないのですが、壇上でマイクで話しているのを見たことはあります。(レンヌ近郊に住んでいます)
投稿: 市絛 三紗 | 2004.08.17 01:35
「バルザス・ブレイス」について教えていただきたいことがあります。この本の日本語訳は出版されていますか?とくにイス伝説について、どう書かれているか知りたいのですが、今のところ探せていません。何かいい手がかりがあれば教えてください。
投稿: 818 | 2006.07.24 11:32
こんにちは
Le Barzaz-Breizバルザス・ブレイスはブルターニュにとって重要な意味を持つ本ですので、新しく書きました。読んだら感想をお聞かせください。
投稿: 市絛 三紗 | 2006.07.24 16:30
「図説 ケルト神話物語」読みました。特にイス伝説からは、ブルターニュの「ケルト対キリスト教」の構造が面白いほどみてとれました。
ここで一つ質問があります。
カンペール(Quimper)は、イス伝説を町の起源伝説として捉えていますが、「図説 ケルト神話物語」にはカンペールは全く登場しません。それどころか、グラドロン王の統治していた「コルヌアイユ」という国の都はカンペルレだとありました。
カンペルレ(Quimperle)は、カンペールより少し東側に位置する町ですよね?カンペールはどうしてこの伝説を町の起源伝説として捉えているのですか?それから、カンペールとカンペルレ、町の名前も似ていますが、何か(歴史的)関係はあるのですか?
投稿: 818 | 2006.09.20 12:57
イスがあったのはDouarnenezドアルヌネ沖と言われています。詳しくはまたエントリーにします。
投稿: 市絛 三紗 | 2006.09.27 06:49
こんにちは。
カンペールとカンペルレに歴史的関係があるというのは、聞いたことがありませんが、語源が同じというのは聞いたことがあります。ブルトン語で『川の分かれているところ』という意味だと、地元のブルトン人が言っていましたよ。
また、『イスの街伝説』は5~6世紀に起こったこととされる場合が多いようですが、それから暫くは、文字の形で残されることはなかったようです。初めて『イスの街伝説』に関する事柄が書き記されたのは、12世紀頃とされています。つまり、その間はあくまでも口承でのみ語り継がれた『伝説』でしかなく、長い年月の間に話の筋が変化している可能性も十分にあります。つまり、現存する『イスの街伝説』が事実に基づくことなのかどうかは、もはや誰も知り得ないのでは?というのが私の意見ですが、如何でしょう。
投稿: 伊藤 絵美子 | 2007.02.01 23:33
こんばんは
カンペール市の歴史の説明があります。
リンクが長いので切りました。
一行にしてご欄ください。
http://www.mairie-quimper.fr/
25462879/0/fiche___pagelibre/
&RH=DECOUVHISTOIRE&RF=DECOUVHISGRA
投稿: 市絛 三紗 | 2007.02.04 07:16