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2004年9月の記事

2004.09.28

ブドウ畑で運動会だなんて・・・

notre_dame.jpg  スポーツの秋。日本でも各地で運動会が行われていることでしょう。でもブドウ畑(しかもボージョレ)で運動会をやるなんてうらやましいお話が在仏熊猫日記に載っています。ボージョレのブドウ畑というタイトルだけでも、ああ飲みたい!

  ブルターニュではブドウはほとんど栽培されていないので、ブドウ畑で運動会はできないのです。うらやましいので、私が最近飲んだワインを1本紹介しましょう。Notre dame des neiges Costières de Nîmes Domaine d'Asport は1850年にできた同名の修道院で販売されているものです。修道院の敷地内でブドウを栽培しているわけではなく、ブドウを購入し1880年からワインの製造を手がけているのだそうです。このおいしさをどう言い表せばいいのかわからないのですが、はじめて飲む味でした。説明には次のように書かれています。Jolis rubis avec arôme de fruits rouge, avec des tanins souples et fondus.

  これはいただいたものなのですが、知り合いの息子さんが、ここの修道士なのだそうです。彼は高校生のころから自分の将来を決めていたのだと言います。宗教離れが進んでいるとはいえ、やはりフランスはカソリックの国なのだと感じます。修道院での生活についていろいろ質問しつつミサで用いられるというワインに酔った夜でした。

  

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2004.09.23

やみつきの味 魚のスープ

poisson.jpg  魚介類がおいしいとはいえ、やはり生で食べるのは勇気がいる。ブルターニュでぜひ味わっていただきたいのが魚のスープである。このままでひと口味見をしたら、左の皿にのっているカリカリのクルトンとチーズをたっぷりとスープの上にのせ、もうひと口。チーズがスープの上で溶け出し、えもいわれぬハーモニーをかもし出すのだ。

  スープ自体の味も、スープにのせるクルトンも、レストランごとに微妙な違いがあるのだが、どこで食べてもそうあたりはずれがない一品である。特に冬場、これだけで冷え切った身体が芯から温まり幸せな気分になる。喉が痛くて固形物が食べられなかった時に、このスープにパンをひたして流し込んだこともあった。それでも全部は食べられなくて事情を説明すると、レストランの奥さんが「これはとても喉にいいのよ」とペースト状になった卵色のソースをつけてくれた。そのときはふらふらだったので、それが何だったのか覚えていないのだが、優しさが心に染みた。

  それぞれの景色に思い出があるように、料理を食べると、そのレストランの調度品やテーブルクロスの色彩などが、まるで時を止めたかのように浮かび上がってくる。まるでプルーストが書いたマドレーヌのように。

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2004.09.22

レンヌでの住宅探しは大変です!

  フランスでは秋に新学期をむかえる。小学校はたいてい9月はじめからだ(学校によっては8月中旬から)。したがって8月になると文房具売り場は、かばんやノートなどを買い求める親子づれでひときわ賑やかになる。大学生が大学にもどってくるのは10月5日前後である。ほとんどの大学が国立なのだが、授業開始の日時も一律ではなく、9月中旬にはじまる大学もある。

  レンヌの人口は約21万人。日本でいえば小都市だろうが、フランス国内では10番目に人口の多い大都市なのだ。特筆すべきはその年齢別比率である。2つの総合大学とその他高等教育機関で学ぶ学生が約6万人。幼稚園児から高校生までが4万6千人。じつに人口の半数以上が学生という驚くべき数字である。

  これだけの若者たちが、いっせいに住宅探しをするのだから、慢性の住宅不足におちいっている。これという物件は友達どおしのネットワークで次の借り手が決まってゆくので、その残りの少ない物件をみんなが血眼で取り合うことになるからだ。そんな事情も知らない私がレンヌに着いたのは、数年前の9月半ばだった。ちょっと家賃を上乗せすれば物件はあるはずと考えていたのだが、そんなに甘いものではなかった。不動産屋も全く貸す物件がないのである。もし物件があったとすれば、親と一緒に来ているフランス人学生に貸そうと考えるのが普通だから、外国人というだけで不利なのはあたりまえなのだ。

  念のため1週間ホテルを予約していたのだが、期間内に何も見つけられなかった。おまけに冷たい雨にぬれて風邪をひいてしまった。知り合いはもちろんいないし毎日うちひしがれてホテルに帰るしかなかった。ホテルの人も心配してあちこち知り合いに聞いてくれたりしたのだが、それでも見つからず、しかも滞在しているホテルもすでに予約がはいっていて、もう其処にはいられない。

  「いったいどうしたらいいのだろう」と頭をかかえるだけだった。たまたま親切なフランス人と出会い、住宅探しを手助けしてもらうことが出来、ホテルのオーナーの好意で予約がはいっていたお客さんは別のホテルへ移ってもらうことができた。

  そんなホテル暮らしも約1ヶ月が過ぎ、偶然今住んでいるところが見つかった。250年以上建った古い建物だが、内部は改装されているので、そんなに古びた感じはしない。バスタブもエレベーターもなく、文句をいえばきりがないが、それでも愛着があってずっと同じところに住んでいる。レンヌで暮すことを考えている人はこのような住宅事情を知ったうえで、覚悟してから来たほうがいいだろう。「住宅探しにそんなに苦労しなかった」という人もいるだろうが、その人はほんとうに運のいい人なのだと思う。

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2004.09.18

日常化するストライキ

  日本のプロ野球がついにストライキを決行する。球団側は賠償も考慮しているという。フランスでは、ストライキは日常茶飯事。おおげさに言えば、いつもどこかでストライキがおきている。9月14日から16日の午後まで、パリのエッフェル塔が閉鎖された。テロ対策ではなく、従業員の待遇改善を求めたもので、観光客3万数千人が足止め状態。わずか1日半で、30万ユーロ(約4千万円)の損失が出た。

  でも、こんなことで驚いてはいけない。昨年夏には臨時雇いの俳優や技術者が、失業保険制度改革に反対して各地で夏のフェスティバルが中止に追い込まれ、フランス中を大混乱に巻き込んだ。レンヌの音楽祭ももちろんなくなったのだが、フランス全体での経済的損失ははかりしれないほどだった。1ヶ所だけ例をあげると20日間の「アヴィ二オン演劇祭」中止で4千万ユーロ(約54億円)が宙に消えた。

  鉄道、飛行機などの交通機関のストライキも多すぎる。レンヌでは2001年にバスが1ヶ月間とまったままだった。こうなると通勤、通学もままならない。高齢者には外出するなといっているようなものだ。公務員も当然の権利として、ストライキを行うし、昨年はレンヌ第二大学が大学生たちによって1ヶ月封鎖された。各入口を机と椅子でブロックし出入りできないようにしたのである。これらの大学生たちは障害物を撤去されないよう大学に泊り込んでいた。

  さらにすごいのが、医療関係者のストライキである。2002年には、一般医、専門医、さらに救急医療にたずさわる医師や看護婦、助産婦、薬局まで機能しなくなったのだ。救急車が数十台、レンヌの幹線道路を封鎖しているところに出くわした時は、普段ストライキになれさせられている私でも、さすがに目をうたがった。こんな時に急病にでもなったら、命さえもうたがわしくなってくる。

  プロ野球のストライキは日本では強烈なインパクトを与えたようだが、フランス人にはどうしてそんなにおおげさに騒ぐのかわからないはずである。考え方が違うといってしまえばそれまでだが、自分の主張をはっきり前にださないと、互いに理解できないのではないだろうか。  

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2004.09.14

ユーモラスな人物像

vannes.jpg   暗黒の時代と呼ばれる中世。いったい庶民たちはどのような暮らしをしていたのであろうか。中世の建物は華やかな色彩で飾られていた。写真はVannesヴァンヌの街角に残っている木組みの建物である。柱の下から身をのりだすように彫られているこのユーモラスな人物像は、よくヴァンヌの観光パンフレットにのっている。

  だがこの建物だけが特殊なわけではなく、ブルターニュ各地の教会内部には、極彩色の不思議な彫刻がたくさん残っている。怪物のようにおどろおどろしいものもあれば、怒ったり、笑ったり、人情味豊かな顔がのぞいたりしている。時には不謹慎ではないかと思われるようなアカンベーしている像まである。これらはそれぞれの村に実際住んでいた人々をモデルにしているといわれているが、なんともおおらかである。 

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2004.09.12

フランスの住宅リフォーム

maison1.jpg  写真の整理をしていた。「ああ。こんなことがあった」と懐かしい写真に見入って捨てることができない。この写真は3年くらい前にフランス人の友人夫婦がアパートを購入した直後の様子である。幾枚も重なった壁紙をはがしているところである。約100平方メートル、約150年くらい前の建物だ。事務所として使用されていたので、キッチンもバスもない。とりあえず、壁を壊し、セメントをねって、基礎づくりから始めたのはいいが、不動産屋との契約がうまくいかず、その前に住んでいたところはもう次の借り手が決まっていたので、ここに引っ越してから、夫婦で1年以上改装をしつつ暮らすはめになった。

  写真の植木は本物ではない。「こんな見栄えの悪いものは捨ててしまおう」と考えたのはいいが、それが一苦労だった。土のかわりにコンクリートで固められていたので、重くて動かせないのだ。3人がかりでせまい階段を運んで下りるだけでも腰が抜けそうだった。私も壁紙をはがしたり、床のワックスがけなどを手伝った。

  それにしても、毎晩、仕事から帰ってからもうひと仕事。急いでキッチンを作らないと食事もできないのだから。そんなことをするのは、ごく一部の人だけだろうと思ったが、そうでもないことが、だんだんわかってきた。それから4家族が同様にリフォームしているのをこの目で見たからだ。「どうして」と聞くと「業者にたのむと時間がかかるし、費用も倍以上かかるから」という。でも、大工工事から、水まわり、ペンキ塗りにいたるまでなんでもこなしてしまうのだから、見事としか言いようがない。約2年たって、ほぼ改装が終わったころにご主人の転勤が決まり、このアパートも売りに出された。購入金額の2.4倍で売れたそうだ。今はどんな人が住んでいるのかまったく知らないが、きっとさらに手が加えられていることだろう。

  

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2004.09.06

レンヌの街角で

femme.jpg  民族衣装を着た女性がバス停で友達と何やら話しこんでいる。このような衣装は今では特別な時しか着ないようになったが、20世紀はじめころまでは、このかっこうで農作業も行っていたという。もちろん手のこんだ刺繍をほどこした豪華なドレスやレースのショール、帽子は大切な財産であった。

  その地方ごとに模様や帽子の形状が違うので、地元の人なら衣装を見ただけで、出身地をいいあてることができた。最近は各地でちょっとしたお祭りでも、様々な民族衣装を着た若者の姿が見られるようになってきている。

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2004.09.05

モルビアン湾を往来する船

morbihan.jpg  ブルターニュはフランスの西部に大きく突き出した半島である。北部はManche英仏海峡、南部はOcéan Atlantique大西洋に面している。海岸線の風景も、海の色も、ブルターニュ内でも場所によってまったく異なっている。Golfe du Morbihanモルビアン湾は、半島の下の付け根に近い穏やかな湾で、小島が点在する風景はまるで日本の瀬戸内海のようにも思える。パリに住んでいる知り合いの子供たちは「夏休みにヨットスクールで2週間過ごすんだ」とブルターニュに来ることを楽しみにしていた。きっと、楽しい夏の思い出ができたことだろう。

Vannesヴァンヌ近郊からモルビアン湾をめぐる船に乗ってどこかの島へ上陸してみてはどうだろう。 Ile aux Moines “la perle du Golfe” モルビアン湾の真珠と呼ばれるモワン島へは手軽に渡れるし、半日あれば、島をひとめぐりすることもできる。海水浴を楽しんだり、島で自転車をレンタルしてもよいだろう。

  参考資料

Navix(船会社のHP)
Le Golfe du Morbihan 観光案内

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2004.09.02

シラク仏大統領の日本離れ進行中か?

  仏大統領日本離れ?演説で触れず「親日家」イメージ変化は産経新聞の8月30日付け記事だった。記事では、大統領が毎年八月に行う演説で、昨年まで主要パートナーとして挙げていた日本の国名がなかったこと。さらに日仏で誘致している国際熱核融合実験炉(ITER)の仏候補地名を挙げて誘致実現を訴えたことで、「親日家大統領」のイメージに変化がみられたと分析している。

  加えてシラク大統領がまず米国に言及し、米国を「恒久的な同盟、友好国」と定義したことは注目にあたいする。だが後で「多極的世界の誕生という現実」に触れ、世界が決して米国主導で動いているわけではないことを指摘することも忘れていない。記事は「日本としてはフランスはぜひとも味方につけておきたい常任理事国の先輩だけに、大統領の「日本離れ」は気になるところだ」と締めくくられている。

  これを書いたのは、産経新聞パリ支局長の山口昌子さんである。ずっとフランスの動きを報道の第一線で見続けてこられただけに、重みのある言葉だと思う。この記事に対してBLOG天木直人・マスメディアの裏を読むには、さらにつっこんだ見解が書かれている。8月30日のシラク大統領が日本と距離を置き始めたのか?で、天木直人さんは、「シラク大統領は明らかに小泉首相を嫌っている。いや馬鹿にしているのだ」と述べている。レバノン経済への協力要請をことわったことと、米国追従一辺倒の態度をとった小泉首相に失望しているという要旨である。

  日本にいると、欧州、中東、アフリカはそれぞれ全く異なる概念でとらえているのが普通であろうが、実際に暮らしてみると、地中海をはさんで隣国であり、欧州各国が中東やアフリカ情勢にとてもこころを配り、配慮していることがわかる。このことをよく頭にたたきこんでおかないと、マドリッドのテロ、そして今回のジャーナリスト拉致の衝撃がよくわからないはずである。小泉首相が真剣な話し合いの場でもし寿司と相撲の事ばかり話したとすれば、シラク大統領でなくても、お話にならないと思って当然だろう。世界情勢は刻々と変わっている。ちょっとでも目を離しているともうついていけなくなるので大変だ。

    参考書籍

  手元にある山口昌子さんの本を2さつ紹介する。大国フランスの不思議 角川書店 2001 は1994~2000年までの記事をまとめた本で、フランスの様々な顔を垣間見ることができる。シャネルの真実 人文書院 2002 は20世紀という時代を生きたシャネルを直接知っている人たちを丹念に取材して書かれており、シャネルの仕事への情熱がひしひしと伝わってくる。フランスを知りたい方はぜひどうぞ。

 

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