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2004年11月の記事

2004.11.30

ハリー・ポッターをラテン語で読む

0747561966.01.MZZZZZZZ.jpg     ハリー・ポッターのラテン語版、Harry Potter and the Philosopher's Stone (HARRY POTTER)がでているということがTaro Diaryに書かれていた。ハリー・ポッターはハリウス・ポテルと読んだらいいのだろうか。ラテン語に訳したPeter Needhamさんは「クマのパディントン」も翻訳しているそうだ。でもそれを購入したとしても私には猫に小判なのだが・・・

  さらに驚いたことに、ラテン語訳されたハリー・ポッターを、こんどは丁寧に日本語で説明しているBOCというBlogがあることがわかった。みなさんラテン語をまるで母国語のように使いこなしていらっしゃるのにはただただ感心するばかりだ。爪のあかでもいただきたいものだ。


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2004.11.28

虹のかなた Victor Hugoヴィクトル・ユーゴ

arc.jpg  冬のブルターニュの海は人を阻む。嵐のような風がいつも吹いていてまっすぐに歩くことなど無理なのだ。しかも横殴りの大粒の雨が次々におそいかかってくるので顔を上げていることも出来ないほどだ。

  Victor Hugoヴィクトル・ユーゴは1851年,ナポレオン3世のクーデタに反対してフランスから追放され、イギリスで暮らす。1856年にはガーンジー島にHauteville Houseを購入しここで名作レ・ミゼラブルも書かれた。ところがこのガーンジー島はフランス語ではGuerneseyゲルヌゼ島と呼び、ブルターニュ沖にあるのだ。Les Travailleurs de la merはここで書かれた小説だが、その結末はあまりに悲しい。たぶん日本語訳はでていないと思う。島に住む男が恋をするが最後まで相手に気持ちを伝えることなく、静かに海辺にある岩に座ったまま満ちてきた海に消えていくという話である。

  ブルターニュは干満の差が15メートル近くある。満ち潮にのまれて命を落とす人が少なくない。そうでなれけば、このような結末は生まれなかったのだろうが、何ともやるせない。

   Hauteville House
   38 Hauteville, Saint-Pierre Port, Guernesey
   Téléphone (00 44 1481) 721 911

   Horaires : Tous les jours sauf dimanche et jours fériés locaux de 10h à 11h45
   et de 14h à 16h45, du 1er avril au 30 septembre

 
  ヴィクトル・ユーゴーとシャトーブリアン 参照

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2004.11.26

天使のキャンドルスタンド

ange.jpg  きのうからクリスマス市のための設営が広場ではじまっています。毎年すこしずつ店も違うのですが、数年前にあったクリスマスカードや小物の店がなくなって、アジア風の雑貨やアフリカの民芸品を扱う店が増えてきました。写真で見るストラスブールやアルザスのクリスマス市はリースやツリーの飾りなどが売られているのにここはちょっと違います。なんだか季節感があまりなくて変です。

  これは最初のクリスマスに買った天使のキャンドルスタンド、高さ9センチです。(ほんもののろうそくをともしています)。顔がとっても繊細でマントの青がとてもきれいな色なんです。すこしずつ異なる形があって、いくつかお友達にもプレゼントしました。もうひとつほしいのですが、翌年からこの店見かけなくなりました。来月後半にはリヨンに行く予定なのであちらの様子はその都度お知らせしますね。もちろん、レンヌの風景もアップしますのでお楽しみに。

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2004.11.25

カエサルのガリア戦記

4061591274.09.MZZZZZZZ.jpg  Gaius Julius Caesar カエサル(フランス語ではセザール)のガリア戦記はカエサル本人がラテン語でしたためたものでその簡潔で流暢な文体は文学的評価が高い。国原 吉之助さんの翻訳で講談社学術文庫にはいっている。この本の最後にある用語解説はイラストがたくさんあり、とてもわかりやすい。またカエサルのガリア戦記を原語で読みたいかたは「らくらくラテン語」というメールマガジンに解説があるのでどうぞ。

  これはローマ側からみた記録であるが、ガリアにはVercingetorixウェルキンゲトリクス(ウェルサンジェトリクス)がいた。こちらは佐藤賢一さんがカエサルを撃てという歴史小説を書いている。彼の巨大な銅像は最後の砦となったアレシアにあるのだが、まだ行ったことがない。パリ郊外のST GERMAIN EN LAYEにあるMusée des antiquités nationalesにはアレシアの戦いの様子が模型で再現されている。ここはあまり観光客がいないので、時間を気にせずじっくり見学できる。ルーブル美術館が3時間待ちのとき、広大な館内には5人くらいしか人がいなかった!
 
  さらにフランスの歴史をくわしく知りたいなら、山川出版社からでている3巻のフランス史がある。
フランス史〈1〉先史から15世紀
フランス史〈2〉16世紀から19世紀なかば
フランス史〈3〉19世紀なかばから現在

     おまけ

  Musée des antiquités nationalesのサイト内のブティックをのぞいたら、ケルトモチーフの品のほかに、Bracelet "Feuilles de laurier"月桂樹の葉のブレスレットや"Les très Riches Heures du duc de Berry"のCD-ROM(私はシャンティイ城で買った)など日本にはないようなものをたくさん売っている。

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2004.11.24

カメラの誘惑

hiver.JPG  以前、しばらく写真を習っていたことがある。ある雑誌の白黒写真を見て、「こんな写真を撮る人といつか話しをしてみたい」と思っていた。そして数年後、その写真家がワークショップを開くと聞いてすぐに申し込んだ。その時はじめて写真の理論を習い、暗室で白黒フィルムを現像した。

  私は時計のように正確に秒数を数えられるとほめられた。現像するときは数秒の差が大きな色合いの違いになるということが実感でき、とても楽しかったものだ。そのころ私が使っていたのはNikon F3だった。シャッターチャンスを待っている間に手がしびれてくるほど重かったが、手ぶれすることはほとんどなかった。

  今使用しているのはNikon coolpix 800、デジカメだ。使い勝手はいいのだが、やっぱりもうひとつ物足りない。暗いところでも撮れるのがデジカメのいいところなのだが、ほとんどの写真が手ぶれしていて、自分でもあきれてしまう。もっときれいな写真が撮りたい。一眼レフのデジカメがほしい・・・ お買い得なのだが、もう少し我慢しよう。

  週末ナントに行っていた。写真はお城のすぐ前で見つけた店のショーウインドー。白熊の親子が様々に動き、子供たちの歓声が絶えない。レンヌにはここまで凝ったものはない。12月にはいるとクリスマスのイルミネーションが点され、夜になると街の様子も様変わりするのだが少し時期が早すぎた。でももうすぐ師走、気持ちだけとてもあせっている。

  

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2004.11.19

オリンピックと月桂樹

  遠い昔、はじめてナイル河が氾濫したとき、大蛇ピュトンが誕生し、人間たちを恐怖におとしいれた。アポロンがおびただしい矢を浴びせかけ退治したのだが、この名声を忘れられないように競技会を制定し、殺された大蛇の名から「ピュティア競技」と呼ぶことにした。競技会で優勝した若者にはすべて樫の葉の冠が授けられた。まだ月桂樹がなかったからだ。

  この誉れでおもいあがっていたアポロンはクーピドをからかったので、矢を射ぬかれダフネに恋をする。クーピドはもういっぽうのダフネに恋を忘れさせる矢をはなったので、アポロンを嫌い必死で逃げる。恐怖におののきながらひた走るダフネをどこまでも追いかけてアポロンはやっと彼女に近づいた。その時ダフネは最後の力をふりしぼって父親である河神ぺネイオスに助けを求めた。「わたしの美しい姿を別のものに変えてください」と。すると見る間に彼女の身体は樹皮でおおわれた。

  それでもダフネのことをあきらめきれないアポロンは腕に抱きしめ木肌にくちづけるが、木はそれさえもしりぞけるように枝をゆする。アポロンは「妻になれないのなら、これからはわたしの木になってもらう。月桂樹よ、わたしの髪も、竪琴も、矢筒も、つねにおまえで飾られるようになるだろう」と言う。こうしてオリンピックの勝者には月桂樹の冠が与えられるようになったのだ。

        このお話はPublius Ovidius Nasoオウィディウス(フランス語名オヴィッド)の転身物語 にでてくる。彼はエレギアという詩型で創作を行っているが、このMetamorphoses転身物語だけはヘクサメトロスという詩型にしている。全15巻、壮大なローマ神話である。「RESPIRATIOラテン語を楽しむために」というホームページのOVIDIANAに彼の経歴が、ラテン語詩の森に解説がある。

     ラテン語一口メモ

  Laurier   月桂樹をはじめとして木の名前は女性名詞。なぜかというと樹木は果実の母親だから
  Laurifier  月桂樹で飾る 
  Laureola  月桂樹の葉、月桂樹の冠

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2004.11.17

川面に映えるジョスラン城

josselin.jpg   澄み切った青空のもとにChâteau de Josselinジョスラン城がすっくと建っている。11世紀に建設がはじまり、15世紀に完成した。厚い外壁は要塞のようにそびえたち、外敵の侵入をはばむが、それでもとても美しい城だ。川の反対側の小高い丘にのぼってそこから城をながめるのもいい。

  リシュリューの命により、城の5つの塔とドンジョンが破壊されたので、全盛期のおもかげはない。中庭に面したフランボワイヤン様式のファサードはブルターニュのルネッサンス建築によく見られる特徴だ。この城は17、18世紀にはほとんど見捨てられていたのだが、19世紀に改築された。個人所有なので開館日時をあらかじめ確認して出かけてほしい。

  Château de Josselin
  56120 JOSSELIN
  Tel : 02.97.22.36.45
  Fax : 02.97.75.68.16

 01/04 au 31/05 : les week-end, jours fériés et vacances scolaires de 14h à 18h
 01/06 au 13/07 et du 01/09 au 30/09 : tous les jours de 14h à 18h
 14/07 au 31/08 : tous les jours de 10h à 18h
 Tarifs : enfants : 4,50 € adulte : 6,60 €

 Le Pays de JOSSELIN   ジョスランの観光案内

  

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モデムの寿命なのでしょうか?

modem.jpg  数日前使用中に急にインターネットにつながらなくなりました。真っ青になりながらよく調べると、モデムの電源が抜けかけていただけでした。「何だ。よかった」と思ったのもつかの間、それから毎日数回、インターネットにつながらなくなくなります。

  そんなときは、モデムの青いランプが消えています。わたしのモデムはSpeed Touch 530 modem Ethernet/USBという機種(写真)で、今はUSB接続しています。今のところ、使えなくてもしばらくすると緑のランプが3箇所つき使えるようになるのですが、とても不安です。

  これはモデムの寿命がつきる前兆なのか、それとも電話回線がおかしいのか、プロバイダーの問題なのか、どなたかご意見を聞かせてください。

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2004.11.16

Yaouank 2004 いよいよ今週末に

yaouank.jpg   YAOUANK2004(ブレイス語で若者という意味)、近づいてきました。先月みんなで一緒に踊りましょうで紹介しましたが、忘れないようにもう一度。19日にコンサート、20日にレンヌでは今年最大のコンサートとフェスト・ノーズ(ダンスパーティー)があります。

  プログラムはここで確認してください。パンフレットはもっと長いのですが、小さすぎると見えないので写真はメインの部分だけです。夕方5時から翌朝の5時までずっとコンサートが続きますので、たっぷり楽しんでください。音楽にあわせてみんなダンスを踊りますから身軽な服装でどうぞ。

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2004.11.14

日本の食材買いました

udon.jpg  レンヌには一軒だけ大きな中華食材店があり、日本の食材も扱っている。私は年に数えるほどしか行かないのだが、醤油が欲しかったので行くことにした。今回は小豆島のマルキンこいくち醤油があった。これはとってもおいしい醤油なので、手に入れてとてもごきげん。6ユーロするのだが、いつもこの銘柄があるわけではないのでうれしい。

  茶そばは兵庫県のものだが、うどんは中国製、かっぱえびせんは韓国製だ。でも味はかわらない。今日のお昼はうどんを食べることにしよう。茶そばはすぐに食べるのはもったいないので、数日眺めてからに。

   Belasie
  30 rue de la Doneliere
   35000 Rennes
   TEL 02 23 20 23 23

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2004.11.13

ケルティックハープが大人気 

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  ケルト音楽と聞くと、たいていの人がアイルランドの歌姫Enyaエンヤを思いうかべるだろう。彼女の透明感のある音楽はわたしも大好きだ。ここブルターニュでは女の子の間でケルティックハープをひくのが大人気。ハーピストも多く誕生している。今では生産がおいつかないほどのケルティックハープなのだが、人々の記憶から忘れ去られていた時代があった。

  それを現代によみがえらせたのはGeorges Cochevelouジョルジュ・コシュブルーだった。そのハープの音色に魅せられたのが、彼の息子Alan Stivellアラン・スティヴェルで、9才のころにはすでにMaison de Bretagne de Parisでケルティックハープを演奏している。そのころビートルズの音楽に影響を受けエレキギターを手にした彼は、フランス音楽界に新風を吹き込むことになった。la pop celtique あるいは rock bretonと呼ばれた新しいジャンルをつくったのだ。これがまたたく間に若者たちを熱狂の渦に巻き込み、それからブルターニュでも大掛かりなコンサートが企画されるようになった。久々に彼のライブCDを聴きながらこれを書いているのだが、気持ちよくなってきた。 まだ知らない人はぜひ聴いてみて!

 Enya ワーナーミュージック・ジャパンによる公式ページ
  Enya 日本で買えるCD

 Alan Stivell 公式ホームページ
  Alan Stivell 日本で買えるCD
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Alan Stivell : Parcours  コンサートを収録したDVDとCDのセット

Telenn la Harpe Bretonne ハープの本 上の写真

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2004.11.12

菊の花と椰子の木

kiku.jpg  今年の夏、ブルターニュの夏 レンヌにオアシス出現(7月22日参照)で南国を演出するのに使用された椰子の木の巨大な鉢植え、夏の終わりごろいつの間にかどこかに運ばれていったのですが、移動先を発見しました。市役所から徒歩で数分のPalais St-Georges (XVIIe)です。ここにはフランス式の庭園があります。

  はなやかな黄色と薄紫色の菊にひかれて近づいてみると、1メートル以上垂れ下がるように咲く見事な菊の後ろに深紅の薔薇、そしてあの椰子の鉢植えがあるではありませんか。すごい組み合わせです。菊の花はお墓に持参するだけではなく、このように建物の飾りつけにも使用されるのです。でもちょっと菊のボリュームが多すぎませんか?

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2004.11.10

星が降ってくる

opera.jpg  noëlが近づくと
      
 街中きらきら

 星が降ってくる


      
  知り合いのお母さんがなくなったと連絡がありました。この写真はこれまでに撮ったnoëlの風景で一番気に入っているもの。とても優しかった故人に捧げます。

      (レンヌ・オペラ座前 イルミネーションは12月からです)

      

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2004.11.07

トラックバック・ピープル 「ケルト」

  トラックバック・ピープルに新しい話題ケルトをつくりました。IDは01015です。以前から考えていたのですが、ロゴの作り方がわからなかったんです・・・ このロゴはIBM ホームページ・ビルダー8のウエーブアートデザイナーというソフトでつくりました。青い部分はトリスケルというケルトの模様です。

  これから、ケルトに関係する妖精伝説や、音楽、参考文献などをすこしづつ紹介します。アーサー王についてもさらにつっこんだ話題にふれたいと思います。ブルターニュだけでなく、アイルランド、スコットランド、スペインなどの話題も大歓迎です。どんどんトラックバックしてくださいね。

     トラックバック先URL:
    http://member.blogpeople.net/TB_People/tback.jsp?id=01015

       trackback.gif

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2004.11.06

これは何でしょう?

usagi_1.jpg         ある日突然あらわれたものを写したのがこの写真。横断歩道の白い線の上に少し赤い色がついているのが見えますよね。これはいったい何でしょう。はじめはゴミが落ちているのだと思いました。でもよく見るとウサギのようです。ひかれちゃったの? こんな町の真ん中でウサギが走っているのをみかけたことはないのですが・・・

続きを読む "これは何でしょう?"

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2004.11.05

聖人の日と死者の日 その2

  聖人の日と死者の日でのべたように万霊節はキリスト教と融合したのだが、聖人の日と死者の日を区別するべきだと考える聖職者もいた。11世紀にクリュニーのオディロンは11月2日を死者の霊が罪を浄化した後煉獄から天国へ導かれるように祈る日にするよう呼びかけた。アルプスより北ではJour desTrépassésが取り入れられたのだが、これがローマでも行われるようになるのは13世紀のことである。

  フランスで販売されているカレンダーには2日のところにDefunts(死者の日)と書かれているのだが、一般人はほとんど注意をはらってはいない。だがブルターニュには死者の日にまつわる言い伝えが残っていることはブルターニュのアーサー王に書いたとおりである。一方隣国イタリアではそうではないようだ。「在仏熊猫日記」によると11月2日はイタリアでは死者、祖先に思いを馳せて敬う日として定着しているそうだ。

     おまけ

     「菊の花は1789年にPierre-Louis Blanquartが日本から持ち帰った」という記述を現代フランス情報辞典で見つけたがいったいどんな人なのかはわからない。でもインターネットで検索したら同名の人物の家族の系図がでてきた。これによると1788年生まれなので別人だと思う。上記の本には「11月1日と2日で2,500万鉢の菊が売れ、年間の96%を売り上げてしまう」と書かれている。フランス人は菊がはるばる海を越えて日本からやってきたことなど全く意識していないのだが、菊は死者のための花として定着しているわけで、なんだか不思議な気がする。


     参考文献 

   現代フランス情報辞典 草場 安子著 大修館書店 1998 


  

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2004.11.04

米大統領選と京都議定書

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  テレビで米大統領選の開票速報を伝える特別番組が放送されていたので、テレビの電源をいれたまま机にむかっていた。しばらくするとひどく興奮した声で「Kyoto」とか「Japon」という単語が聞こえてきたので振り返った。「アメリカは改めるべきだ」と強い口調が後に続く。これは京都議定書のことだなとピンときた。昨年9月22日のEn ville, sans ma voiture ! (ノーカーデイ)の時に相当資料を読んだので事情はわかっていた。

  京都議定書とは1997年に、国連気候変動枠組み条約第3回締約国会議京都会議で採択されたもので、先進国全体で温室効果ガス6種類の排出量を、2008年から12年までに1990年レベルから平均5.2%減らそうというものだ。9月末にロシアの閣議において京都議定書の批准が決定されプーチン大統領が署名したので、90日後の来年2月に京都議定書は発効される。昨年の猛暑で約15000人が死亡したフランスでは、地球温暖化に強い危機感をいだいている。ところがアメリカは離脱したまま知らん顔しているのだから、討論が白熱するわけだ。

  レンヌでもたびたび環境展が開かれ、太陽熱や風力を利用した発電方法が紹介されているし、ブルターニュには風車がたくさん設置されている。このような展示会のパンフレットには京都議定書の意義がきちんと解説され節電を呼びかける言葉が加えられている。写真のようにノーカーデイもすっかり定着して、意識は高まっているのだ。「シラク大統領が2期目に米仏の友好関係が強まることを望むとする書簡をブッシュ大統領に送った」ことが4日づけの朝日新聞にのっているが、テレビの口調だけ聞いていると、両国の溝は深いようだ。

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2004.11.03

聖人の日と死者の日 その1

  11月1日、ケルトの暦では新年がはじまる日である。SamainまたはSamhuinと呼ばれる祭りが31日の夜行われていた。「異界の霊が生者と自由に交流をもつ」ことができると考えられたからだ。これについて1日のフランスのテレビでJean Markaleがインタビューに答えて、「3日3晩、新年を祝う祭りは続いたんだ」と述べていた。Samainの語源は「夏の終わり」で祭りは収穫を祝うものでもあったのだ。

  現代フランスでは31日の夜みんながおもいおもいの仮装をして、町にくりだす。顔にはペイントをして、真っ黒なマントを着たり、体中にトイレットペーパーを巻きつけてミイラに扮装し他の人をおどかしたりと、とんでもないことになる。あちこちで爆竹に火がつけられるので、うかうかとは歩けない。子供たちはキャンディイをもらおうと近所の家のドアをたたく。でもこの風習もここ5年くらいで急激に広まったようで、それまではフランス国内ではほとんど忘れられていたようだ。しかし翌日1日はToussaint(キリスト教のすべての聖人の日)で祝日なので、家族そろって、年に1度墓参りをする。もってゆくのは菊の花が圧倒的に多い。菊は日本から持ち込まれたと読んだことがあるのだが、いざ記事を探そうとすると見つからない。どなたかご存知なら教えてください。

  異教徒の祭りがいつキリスト教の祭りに変質したのだろうか?Toussaintの起源は、ギリシャ正教会。4世紀にローマの神々をたたえておこなわれていた祭りをキリスト教に取り込んむことにしたのだ。7世紀になるとローマ教皇ボニファティウス4世がローマのパンテオンからローマの神々を追放し、聖母マリアをはじめとするすべてのキリスト教の聖人たちの遺骨を運びこんだ。この時に万霊節(万聖節)をつくったのだが、それは11月ではなく5月だった。それを11月に変更したのは9世紀のグレゴリウス4世だった。

  以下その2に続く 

     参考文献

  図説ドルイド ミランダ・J. グリーン著 東京書籍  2000  
  ドルイドのついての情報が網羅されたすばらしい本だが上記の祭りについて「祭りはケルト人の新年とされてきたが、その関連は近年、疑問視されるようになっている」という記述がある。

 

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