聖人の日と死者の日 その1
11月1日、ケルトの暦では新年がはじまる日である。SamainまたはSamhuinと呼ばれる祭りが31日の夜行われていた。「異界の霊が生者と自由に交流をもつ」ことができると考えられたからだ。これについて1日のフランスのテレビでJean Markaleがインタビューに答えて、「3日3晩、新年を祝う祭りは続いたんだ」と述べていた。Samainの語源は「夏の終わり」で祭りは収穫を祝うものでもあったのだ。
現代フランスでは31日の夜みんながおもいおもいの仮装をして、町にくりだす。顔にはペイントをして、真っ黒なマントを着たり、体中にトイレットペーパーを巻きつけてミイラに扮装し他の人をおどかしたりと、とんでもないことになる。あちこちで爆竹に火がつけられるので、うかうかとは歩けない。子供たちはキャンディイをもらおうと近所の家のドアをたたく。でもこの風習もここ5年くらいで急激に広まったようで、それまではフランス国内ではほとんど忘れられていたようだ。しかし翌日1日はToussaint(キリスト教のすべての聖人の日)で祝日なので、家族そろって、年に1度墓参りをする。もってゆくのは菊の花が圧倒的に多い。菊は日本から持ち込まれたと読んだことがあるのだが、いざ記事を探そうとすると見つからない。どなたかご存知なら教えてください。
異教徒の祭りがいつキリスト教の祭りに変質したのだろうか?Toussaintの起源は、ギリシャ正教会。4世紀にローマの神々をたたえておこなわれていた祭りをキリスト教に取り込んむことにしたのだ。7世紀になるとローマ教皇ボニファティウス4世がローマのパンテオンからローマの神々を追放し、聖母マリアをはじめとするすべてのキリスト教の聖人たちの遺骨を運びこんだ。この時に万霊節(万聖節)をつくったのだが、それは11月ではなく5月だった。それを11月に変更したのは9世紀のグレゴリウス4世だった。
以下その2に続く
参考文献
図説ドルイド ミランダ・J. グリーン著 東京書籍 2000
ドルイドのついての情報が網羅されたすばらしい本だが上記の祭りについて「祭りはケルト人の新年とされてきたが、その関連は近年、疑問視されるようになっている」という記述がある。
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コメント
三紗さん、こんばんは。
トラックバック有難うございました。
「万霊節」って言う言葉の響きが、僕にはとても綺麗に感じます。
投稿: ひで | 2004.11.04 09:00
ひでさん。こんにちは。
長くなってしまって、死者の日まで書けませんでした。ひでさんの記事についてはその2にのせますね。
投稿: 市絛 三紗 | 2004.11.04 14:47