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2005年1月の記事

2005.01.31

ブロセリアンド 黄金の木

BRO     ブロセリアンドの森に帰らずの谷と呼ばれる場所がある。女性に不実を働く騎士たち253人をモルガーヌが魔法の力で岩山に閉じ込めていたところである。この帰らずの谷一帯が山火事で1990年に消失した。

  その時のモニュメント黄金の木が現地にあるのだが、写真はレンヌ市内で以前行われたイベントの様子で、金箔を貼り付け黄金の木を再現しようとしているところである。ブロセリアンドの森の中には騎士のなかの騎士ランスロが湖の貴婦人ヴィヴィアーヌに育てられたコンペルの湖もあるし、魔術師メルランの墓もある。


      参考文献

  ブルターニュ関連書籍 その1
  ケルトの森・ブロセリアンド  田辺 保 著  青土社  1998 
  ブルターニュへの旅・フランス文化の基層を求めて 田辺 保 著  朝日選書  1992 

  ブルターニュ関連書籍 その6
  フランス「ケルト」紀行―ブルターニュを歩く 武部 好伸 著  彩流社 2003

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2005.01.29

ついに到着! 

D70  ついにフランスに到着したNikon D70 デジタル一眼レフカメラ レンズキット [AF-S DX ズームニッコールED 18~70mm F3.5~4.5G(IF)セット]です。海外発送はしていないので日本から友達が手荷物で持ってかえってくれました。本体だけなら500グラムほどですが、レンズやバッテリーなどをふくめるとずっしり重いです。ほんとうにありがとう。ずっと大事に使います。

  さっそく組み立てて試してみました。シャッター音がとってもいい! 付属のレンズはニコンデジタル一眼レフカメラ専用の交換レンズで、広角域の画角とデジタル画像に対応した描写性能の確保を目的に開発されているのだそうです。35mm判換算で27~105mmの画角をカバーしてくれるようです。撮像感度を ISO200~1600まで変更できるので暗いところでも撮影できました。バッテリーの充電もとても速くできます。まだちゃんと機能を把握できていませんが。

  午後レンヌ近郊の町を訪ねるのですが、天気が悪いし、まだコンパクトフラッシュカードが届いていないので新しいカメラは置いていきます。手元には48MBのしかないのです。近くの店に見に行ったら高かったのでインターネットで検索し、ドイツの店に注文してあります。カメラをよく見るとボディーもレンズもMade in Thailandと書いてあります。いまどき、何もかも日本製という電化製品はないのかもしれません。今使ってる東芝のパソコンも中国生まれですし・・・ これから天気なら外へ出かけ、写真を撮りたいと思います。

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2005.01.28

記事一覧できるcocohore!を設置

  ココログ開始から約1年になりますが、自分でもいつ何を書いたのかちゃんとは覚えていられません。過去の記事を一度に見られるcocohore!が復活したと聞いたので左のサイドバーに設置しました。何だか説明がいっぱいあって、それを理解するのに30分くらいかかったのですが、何とか成功しました。

  下のマークをクリックすると、自分がこれまで書いた記事一覧が表示され感激しました。cocohore! の作者である笹錦さん、どうもありがとうございます。

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アウシュビッツ強制収容所・解放60周年

  ここ数ヶ月必要にせまられてEdmond Jabès エドモン・ジャべスのLe Seuil Le SableとPaul Celanパウル・ツェラン( フランス語読みではポール・セラン )のChoix de Poèmes という詩集をおもに読んでいた。ジャべスはエジプト生まれ、ツェランは旧ルーマニア生まれでふたりとも後にフランス国籍をとっているユダヤ人である。ふたりの詩には死を暗示する言葉が幾重にも連ねられているので、こちらもしっかりした気持ちで読まないと重圧に押しつぶされそうになる。薔薇の花がユダヤ人を象徴し、アーモンドが聖なる木であることも知った。

  昨晩もこの二人と向き合っていた。ひと休みしようとテレビをつけるとアウシュビッツ強制収容所の映像がうつった。ああ。そうなのだ。強制収容所はちょうど1945年1月27日にソ連軍により解放されたのだ。今日は記念式典が行われ、雪の降りしきるなか、全世界から多数の人々が式典に出席した。その様子は「地上の地獄」忘れるな アウシュビッツ解放60年式典 (共同)で見ることができる。

  だが解放からもう60年が過ぎ「アウシュビッツ」という言葉さえも風化しつつある。つい最近も英国のヘンリー王子がナチスのカギ十字紋章付きシャツを着た写真が大衆紙をにぎわし、不謹慎だと大騒ぎとなったばかりだ。一方で次のような記事もある。

ナチス支配下の在欧ユダヤ人が英国の委任統治下だったパレスチナの銀行に投資した資産が、第2次大戦の始まりとともに接収され、今も未返還のままイスラエルの銀行に残されている。イスラエル国会の調査で約9000人分の口座があることが分かり、国会は本人や遺族に返還するよう政府と銀行に求めている。返還額は最大で約9億5000万シェケル(約218億円)にもなるとされるが、持ち主の3分の2はホロコーストの犠牲となりすでにこの世にない。  朝日新聞  2005年01月20日

  もちろん我々は何が行われたのかを直接知ることはできない。シンドラーのリスト戦場のピアニストのような作品を通して、戦慄を覚えるような事実を推し量るのみである。生き残った者たちも悪夢から逃れるのは簡単ではない。ツェランはフランス語も堪能だったのだが、終生ドイツ語で創作を行った。そして20世紀を代表する詩人として名声を博したが、やがて神経を病み、1970年にパリのセーヌ川にみずから身を投げその人生に終止符を打った。

  もう日付がかわって28日になったが、テレビ(2チャンネル)ではまだ特別番組が続いている。たくさんの生々しい写真が画面にうつしだされている。いくつかの小学校では通常の授業を取りやめ歴史を学ぶ日にしたようだ。日本ではいったいどのように受け止められたのだろうか。

    参考文献

 パウル・ツェラン全詩集〈1〉パウル・ツェラン全詩集
 歓待の書 エドモン・ジャべス


  

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2005.01.26

新素材を採用した富士通のノートパソコン

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  技術の進歩にはいつも驚くばかりだが、富士通、富士通研究所、東レの3社が世界初となる植物系素材の大型プラスチック筐体を共同開発した。

    この新材料は約50%植物系素材を含んでいて石油資源の消費を抑制することができるという画期的なもの。


化石原料使用量や炭酸ガス発生量が少ない植物性プラスチックの採用

エネルギー消費量の増大による枯渇が危惧されている化石資源である石油原料の使用量削減のため、当社は、とうもろこしのデンプンから作られるポリ乳酸を用いた植物由来のプラスチックをボディーの一部に採用しております。また、植物性プラスチックの採用により、製造による炭酸ガスの発生を減らすなど環境への負荷低減に取り組んでいます。  富士通製品情報 エコロジー

  新発売のFMV-BIBLO NB80Kにこの植物性プラスチックが採用されている。見かけは従来の製品と区別がつかないが、比較するとCO2排出量を約15%削減できるという。地球温暖化が進行しつつある昨今、こういった製品にさらに注目が集まるだろう。


  

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2005.01.25

ダ・ヴィンチ・コード映画化決定

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     全世界で1700万部を売り上げ、フランスでも130万部と売り上げトップを独走しているダン・ブラウン原作の大ベストセラー小説 ダ・ヴィンチ・コードの映画化が決定し、ルーブル美術館内部で撮影が行われるもようです。これはとっても楽しみなニュース。


フランス文化省報道官は、今年夏にルーブル美術館で撮影が予定されていることを認めた。ロワレット同美術館館長によると、映画製作チームは先日、原作の冒頭に登場するグランド・ギャラリーと、修復のため一時閉鎖されているレオナルド・ダ・ビンチの名作「モナリザ」の展示室を下見した。同館長はフランス・アンテルラジオに対し、「製作チームとは原則合意している。世界的に有名なこの小説の映画化で、ルーブル美術館ロケへの要望は非常に強い」と述べた。  パリ 21日 ロイター 

2709624931.08.MZZZZZZZ   フランス語版 Da Vinci Codeはこんな表紙です。ちょっとイメージが違いますね。この本を持ってルーブル美術館を訪れる人たちが急増しているそうです。ダ・ヴィンチの生涯は謎に満ちていて興味はつきません。私もダ・ヴィンチゆかりの場所をいくつか訪ねています。

  Le Clos Lucé はフランスにやってきたダ・ヴィンチが暮らし、そして亡くなった場所ですが、ここの美しい庭に彼の設計した機械類が再現されていて、触れることもできます。また庭の木々の下でベンチに座り、音で説明を聞くこともできます。実に素晴らしい展示方法です。ぜひ訪ねてください。ここで日本語のテキストをダウンロードできます。歩いて15分くらいの場所にChâteau d'amboiseアンボワーズ城があり彼の遺体はここの礼拝堂に埋葬されました。晴れた日にはロワール川を一望できる城のテラスにフランスの三色旗とブルターニュの旗が並んで翻っているはずです。

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夕暮れの月

parle    一月はあまり寒くなかったのだが、ここ数日冷え込んできた。写真は日曜の夕方に撮ったもの。よく考えたら今年にはいってまだ写真を撮っていなかった。夕暮れ時、窓から家の明かりがもれ始めるころの街並みはいつもに増して優しく感じる。

  のんびり散歩しようと思ったのに30分ほど歩くと寒くて指先の感覚がなくなったので帰ってきた。きのうの写真もその時のものだ。もうカメラをしまおうとして振り返ると真ん丸の月が見えた。カレンダーを見たら24日が満月だ。地球の反対側にいても月は同じように皓々と光をはなっているのをいつも不思議に思う。

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2005.01.24

観光のベストシーズンはいつなのか

rue_1  ブルターニュの気温は年間を通じてパリとあまりかわりません。しかし海岸線では冬場は強風がふくことがありますし、雨の日も多いです。風が強いと傘がさせないのです。ですからフードのついた防水してあるロングコートが必需品です。これは西に行くほどその傾向が強いです。でも以前ブレストに住んでいた人は、パリよりも冬は暖かいと情報をよせてくれました。

  さらに個人旅行する場合、3月までは美術館・博物館をはじめとする観光名所は閉まっていることが多いのでよく確認してから計画をたてて下さい。それだけではありません。小さな町では観光案内所も閉まっています。ホテルやレストランも例外ではないのです。以前3月はじめに旅行するという企画のお手伝いをしたことがあるのですが、巨石群で有名なカルナックの場合20以上あるホテルのうち4軒しかオープンしていませんでした。ただし巨石が並んでいるところは、冬だけ中に入れます。(夏場は柵の外から写真をとるだけです)。

  そのほかレストランもあらかじめ予約しておいたほうがいいです。レンヌなどは一年中オープンしていますが、やはり満席のことが多いので3人以上ならレストランを予約することをすすめます。利点はオフシーズンはホテルが格安だという点です。割り引き率はホテルによって異なりますが、いいホテルに安く泊まれるのも冬場ならではの楽しみです。また観光地ものんびり見学できます。いいホテルに泊まりタラソテラピーでリラックスし、名物の牡蠣をおなかいっぱい食べるなんてどうでしょうか。

rue   反対に春から夏は10時くらいまで明るいので夜もにぎやかですし、夏は無料で楽しめるようないろいろなイベントが目白押しなのですが、ホテルは希望のところは満室で泊まれないとこが多く、価格も跳ね上がりますし道路も混雑します。たとえばベル・イルに渡るにはカルナックからキブロンまで行く必要がありますが、ここは常に渋滞しているそうです。真夏とはいっても30度を超えるような日は数えるほどしかありません。フランス人は気温が20度以上になると泳ぎはじめますが、私は真似できません。朝夕冷えることもありますのでセーターを持参したほうがよいでしょう。

  季節ごとに良さは異なります。いつ旅をするか決定する前に、何を見たいのか、何をしたいのかをゆっくり考えてみてください。それぞれの目的によって時期は決まるはずですから。

  

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2005.01.23

ブルターニュ幻想館オープン

  ブルターニュのホームページを今月中につくりますと宣言したのですが、四苦八苦しています。その間にも、ブルターニュの様々な情報がほしいというメールをいただくのですが、すべてのご質問にお答えできません。とりあえずブルターニュ幻想館にフランス関連書籍をまとめましたので、先に公開します。

  ひとつの項目には30冊しか登録できないので、すでにほとんどいっぱいになってしまいました。フランス全体のガイドブックは観光という欄にまとめました。たいていの本は自分で所有しているか、もしくは内容を確認しているものですが、何冊かはこれから購入したいと考えているものもあります。

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2005.01.22

ナポリ王ジョセフ・ボナパルトの紋章

Joseph_Naples

  不思議なモチーフの紋章を見つけました。掲示板のおしゃべりでtriquêtreという単語を探したのがきっかけなのですが、私自身はじめて目にするモチーフだったのでここにも載せることにしました。

  この紋章の持ち主であるJoseph Bonaparteジョセフ・ボナパルト(1767.1.7~1844.7.28)はナポレオンの兄です。ナポリ王(1806~1808)とスペイン王(1808~1813)になりましたが、在位していたのはわずかな期間です。

  さてそのモチーフとはtriquêtre (trois jambes posée en pairle issante d'une tête de Mercure) メルキュールの頭から3本の足がでているというもの。古代のメダルにも使用されていたらしいのですが、どこでどのようなかたちで表記されていたのか、今のところこれ以上のことはわかりません。

  ほかの紋章を見ると、同じモチーフでもはだしではなくて拍車のついた靴をはいているものもありますね。ほかに何か情報をお持ちの方はお知らせください。

     追加情報

  マン島のケルト神話 参照

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2005.01.21

TGVの広告です

    フランスのちょっとおもしろいインターネット広告を見つけました。TGVという高速列車の会社です。(日本の新幹線を想像してください)。ここではコメディーふうの動画が3作品見られます。1ヶ月間に1千万人近い人がクリックしたそうですが、最後まで全部見た人は4.4%だそうです。私は全部見てみました。テレビでもこのタイプの番組をたまに見かけます。

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2005.01.20

ホームページをフランス語に翻訳

  先日ホームページを英語に翻訳するサービスについてふれましたが、今度はフランス語にしてみました。 WorldLingoというシステムを使って試してみました。ジョニー・アリデーという名前が ? ? ? ? jour de fourmiと訳されています。jourは「一日」という意味、deは「~の」、 fourmiは「蟻」です。アリデーを「蟻の日」と解釈したわけです。すごいですね。でも全部読めば大体の意味はわかります。

  このWorldLingoはフランス語から日本語に翻訳することもできます。上記のような誤訳はありますが、それでもどんなことが書かれているのか概略はわかりますから。ただし、時間帯によっては動作が極端に遅くなったり、読み込めなかったりするのでそんなときは時間をおいてからもう一度やってみてください。

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2005.01.19

観光できないおすすめコース

di     ブルターニュの観光情報が網羅されているのがBretagne Nouvelle Vagueです。以前見たことがあったのですが、リニューアルされて全く違うページに変わっています。「これを見てくれれば、私が無理にホームページをつくらなくても・・・」と思ったのですが、トップページの中央、一番上にある観光おすすめコースを見てびっくり仰天。

  たとえばRennes 、Dinan、Dol-de-Bretagne、Le Mont Saint-Michel、Cancale、Saint Maloを一日で行くことになっていますが、これを一日で回るなんて無理です。ただドライブするだけなら日程をこなせるでしょうが、観光している時間はありません。いったい誰がこんな日程をおすすめにしたのか!「あなた、モン・サン・ミッシェルの階段を一番上まで登ったことあるの」と聞いてみたいです。もし何も知らない人がこれを見て日程をたてたとしたら、ご飯を食べる時間もなくなってしまいます。こんな情報では役にたちません。写真はDinanディナンに残っている城壁です。

  

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2005.01.18

ジョニー・アリデー 61歳の決断とその波紋 その2

  ところが、このことが大きな波紋を広げているのだ。フランスで養子を迎えることの大変さは12月20日に子供は宝で書いたとおりだが養子縁組を望む夫婦が多いので、ベトナムでは実現するまでには最低3年かかるのだそうだ。それなのに彼らはわずか1年ほどしか待っていない。しかも普通は両親が45歳以下であることが条件となっている。ジョニーはどうやって条件をクリアし、こんなに早く実現することができたのか?

  ジョニー・アリデーは押しも押されぬ大スター。彼のコンサートにはよくシラク大統領の姿がある。また何度目の結婚時か忘れたが結婚の証人になったのはサルコジ外相夫妻だったというふうに非常に交際が広い。今回のジョニーの養子縁組に協力したのは、シラク大統領夫妻だった。しかもそれは大統領が昨年10月にベトナムを公式訪問したさいに、書類をベトナムの法務大臣に直接手渡し、早期実現を取り計らってくれるよう依頼したというのだ。この事実は昨年10月18日付けでL'Express に載っている。

  これを聞いて憤慨しているのが、ずっと養子をもらうために順番待ちをしている人たちである。リヨンで海外から養子をもらった夫婦、また順番を首を長くしてずっと待っている何組もの夫婦にあった。その切なる願いに心を打たれた。それなのにジョニーは鶴の一声で、順番待ちリストを数千人分追い越すことができたのだ。しかも、ジョニーはいくらとは表面にはでてこないが、普通より高額の費用を支払ったのだそうだ。もしかすると、これは彼の優しさや感謝の表れなのかもしれない。だが彼のようなやり方を他の金持ちが真似たら、費用が高くなることは明らかだという。

  これまでほとんどマスコミに姿を現さなかった奥さんラティシアが昨年からテレビに生出演するようになった背景には、母親になるという確固たる自信が芽生えていたからなのだろう。もちろん二人にとっても大きな人生の決断だったことは間違いないし、よかったねといってあげたい。彼がベトナムまで子供を迎えに行ってわが子をしっかりと抱きしめている写真があちこちに氾濫している。しかしそれを見て悲しくて涙にくれた人たちがたくさんいると聞き、やるせない思いがした。

  以前テレビで中国の養子斡旋業者のドキュメンタリーをみたことがある。りっぱな会社であまりにすべてが組織化されていることに違和感があった。中国から養子に行く国で一番多いのがアメリカ、次いでフランスだそうだ。リヨンの友達の説明によると、まるで団体旅行のように、養子を望む人たちが同じホテルに泊まり、会社からの大型バスに乗って子供を見に行き、「私はあの子がいい」と外見だけで選ぶのだそうだ。病気があるかどうか、どんな両親から生まれたのかなどの基本データすら与えられないのだという。もちろんこれは極端な例だろうが、会社によって格差が激しく、どうしても子供が欲しいなら、それでもいいと考える人たちもいるという。子供は宝である。自分の家族を持ちたいという気持ちは痛いほどよくわかる。でも、子供は価格をつけて売買する商品ではないはずだ。

  ところで下の本にシラク大統領が養子をもらっていると次のように書かれているのだが、いろんな人にたずねてみても誰もそんな話は聞いたことがないというのである。

シラクは思想やイデオロギーにあまり神経質ではなく、実務家タイプの政治家であり、親分肌の人情家であると言われる。ドゴール空港で泣いていたヴェトナム難民の娘を養女として迎えてもいる。  フランス現代史

フランス現代史―英雄の時代から保革共存へ 渡辺 啓貴著 中公新書 1998

  フランス政治外交論を専門とされている渡邊啓貴さんが書いていることなので間違いはないはずだが、フランス人が誰も知らないというのもおかしなことだ。こんな美談をマスコミが報道しないはずないと思うのだが、個人のプライバシーは守られているということなのだろうか。どなたかご存知ですか。

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ジョニー・アリデー 61歳の決断とその波紋 その1

B00008LOS0.08.LZZZZZZZ  Johnny Hallyday ジョニー・アリデーという歌手を知っているだろうか。私はフランスにくるまで、彼のことを詳しく知らなかった。もちろん名前もいくつかの曲も知っていたが、過去のロックスターという認識だった。でもデビューから40年を迎えた今でも、毎週のようにテレビにでて歌っているし、コンサートは大反響。映画に出演し賞もとっている。お父さんが役者だったので、演技すること、特にコメディーが好きなのだそうだ。また2002年はパリーダカールラリーに完走して話題になった。鍛えているとはいえ信じられないようなパワーだ。

  昨年は60歳ということもあって特別番組がたくさん放送され、国民の大半が一緒にジョニーの半生を振り返ってながめたはずだ。記念CDや写真集が爆発的に売れたし、テレビでは今日のジョニーという放送があって毎日テレビで日常生活が紹介されていた。写真は昨年発売されたA la vie, a la mort (SACD hybride)というタイトルの2枚組みCD。数十枚の写真もついている。この中の Marieという曲が連日のようにテレビで流され、あまりいい曲なので思わずCDを買ってしまった。リンクはAmazonだが、サイト上ですべての曲を視聴できる。

  なぜこんなに長く人気をたもっていられるのか、友達に意見を聞くと「歌手としても才能はもちろんだけど人柄がいいのよ。誰にも親切でスターだからといってきどったりしないし、一緒に仕事をしたらみんな彼のファンになっちゃうのよ」と話してくれた。私のように、特に興味も持っていないような人間でさえCDを買ってしまうくらいなのだから、子供のころから彼の曲に親しんでいれば、懐かしさも加わって色あせずにいられるのだろう。ほんとのスターだ。

  さて彼が新たな人生の決断をした。61歳で父親になることだ。1996年に結婚した奥さんのLaeticiaラティシアとの間に子供ができず、毎年のように「もう離婚まじか」と報道されていたくらいだった。というのも彼は常に女性たちに取り巻かれ、華やかな恋のうわさには事欠かないからである。この記事を書こうと彼の経歴をネットで読んでいたのだが、あまりたくさんの女性がでてくるので何度結婚したのか、よくわからなかった。ここでやっと確認できたのだが、これが4度目の結婚になる。はじめの奥さんSylvie Vartan シルビー・バルタンとは25年間の結婚期間があったのだが、2度目の奥さんとはわずか2ヶ月しかもたなかったくらいだ。

  彼にはすでに2人の子供がいて3人の孫がいる。その彼が、29歳の奥さんの願いを聞いてもう1度子育てをやろうというのからすごいことだ。彼らの決断は養子をもらうことだった。1年ほど前に決めたようだ。1ヶ月ほど前に雑誌に大々的に取り上げられたのだが、私は広告を見ただけだったので、養子だとは知らず何だか二人に似ていないと思っていた。リヨンの友達のところで、ベトナムから養子をもらったのだと聞いて驚いた。勇気ある決断だと思った。ところが・・・

  その2につづく。
  
Johnny Hallyday 公式ホームページ
Johnny Hallydayの音楽

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2005.01.15

トマス・マロリーのアーサー王物語

4480831975.09.MZZZZZZZ  アーサー王物語 (1) トマス・マロリー 著  井村君江訳 筑摩書房 2004 
  
  ついに待望のキャクストン版Tomas Malory著LE Morte D'Arthur 全21巻が日本語版ではアーサー王物語 5巻として完訳版で発売されました。ビアズリーの挿絵が500点も用いられていますが、日本語版でもそのすべてが収録されています。

  訳者は井村君江さん。アーサー王研究の第一人者です。長年英国で活躍されていましたが、昨年宇都宮市に生涯にわたって収集された妖精、ケルト、英文学関係の12000点におよぶコレクションを寄贈されました。ちょうど2年前になりますが、井村君江さんが妖精展のためブルターニュにおいでになった折に、ブルターニュのアーサー王ゆかりの土地を一緒に巡りました。「ブルターニュの海岸線はコーンウォールにそっくり」とおっしゃっていたのがとても印象に残っています。

  ブルターニュにおける一連のアーサー王伝説はまだ日本ではあまり知られておりません。「世界ふしぎ発見」 英仏横断ミステリー紀行 アーサー王伝説の謎を探れ!で、コーンウォールとブルターニュがクローズアップされていたそうです。どんな放送だったのか見てみたかったです。

  以下の続編が発売されています。
  アーサー王物語 (2)
  アーサー王物語〈3〉

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ブルターニュを一緒に散策しましょう

  ブルターニュにある日系企業で働いている日本人の方と話したことがあるのですが、どこに行っていいのかわからないので日本語のガイドにでているモン・サン・ミッシェルやロワールのお城めぐりをしただけで、ブルターニュはほとんど旅行せずに帰国するのだそうです。ちょっと考えてしまいます。せっかくのチャンスなのですが、仕方がないことなのかもしれません。これまで近くに住んでいる友達と一緒にレンヌの町を散策し、自分の知っていることをおしゃべりしたことはありますが、案外気づかないことも多いようです。

  これまでの4年間、ブルターニュ関係の催しにはできるだけ参加するようにしてきました。歴史関係のいくつかの団体に所属していますし、文学関係ではアーサー王をはじめとする中世文学研究会にも参加しています。現在はブルターニュの中世についての資料を読んでいるところです。文献はだいたいそろっていますが、さて読むとなると、ラテン語や古ブレイス語などが必要となってきますし、ほかのことも並行してやっておりますので、予定どおりにはかどっていないですね。先週は中世ブレイス語の詩について講義を聴講しましたがおもしろかったです。理論はわかりましたが、ブレイス語はほとんどわからないので、内容についてはハテナだらけです。

  ちょっと机の前から離れて郊外へ行きたい気分です。レンヌ市内、また近郊の町を一緒に散策しませんか?私が知っていることを説明しますから、みなさんはどんな情報を必要としているのか、どんなことに興味を持っているのか教えてください。できれば月に一度くらい企画したいと思います。第1回目はレンヌ旧市街を歩きましょう。興味があれば1月22日、土曜日10時、市役所前広場の回転木馬のところに集合してください。前もって連絡いただけるとありがたいのですが、当日来ていただいても結構です。時間は1時間半ほど、参加は無料です。
  

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ホームページをつくります

  ブルターニュという言葉で検索してきてくださった皆様、いつも脱線してしまってすみません。このBLOGでは日本で手にはいるガイドブックに載っているような情報はこれまであまりふれてきませんでした。もしブルターニュを旅行しようとしたら、役立つ情報はあまり書いていないのです。

  でも毎日少なくても数人の方が、ブルターニュ情報を求めて来てくれているのです。残念ながら、まだ日本語で読めるブルターニュの検索サイトはありません。先月リヨンに行きましたが、そんな時にまっさきに知りたいのは、列車の時刻表であったり、地図であったり、おいしいレストランや、いごこちのいいカフェのこと。そして美術館をはじめとする観光情報だったりします。

  待っていても誰もつくってくれないなら、私が作りましょう。私がブルターニュに来てから、はや4年あまりすぎました。四季をつうじて撮りためた写真は数え切れないほどになりました。まだまだ紹介していないとっておきの場所がたくさんあります。どうせなら、もっと美しい写真を見ていただきたいので、新しいカメラも買いました。(まだ届いてませんが)。やっと、少し時間がとれそうですから、今月中にホームページを立ち上げます。最初は情報が少ないまま公開することになると思いますが、徐々に加えていきますので、ご覧ください。

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2005.01.14

古代オリエントを想う

london  先日見た映画アレキサンダーでバビロンの青いイシュタル門がでてきたのだが、この門は現在はVorderasiatisches Museumベルリンのベルガモン博物館にある。その写真はここで。探し当ててとてもうれしい。つくづく、インターネットの便利さを実感。机の前ですぐに見られるなんて、子供の時に使いこなせていたら、もう少し勉強するのが楽しかっただろうと思う。

  今日の写真はThe British Musium大英博物館に行ったときに撮ったお気に入りの翼のある守護神像。この像が置かれていたころの宮殿の様子を想像するのは楽しいものだ。アッシリア時代のものでRoom8に説明がある。

  もうずいぶん前のことだが、古代オリエントにはまっていた時期があった。ギルガメシュ叙事詩やメソポタミヤ文明など。いろいろ読んだが特に小川英雄さんの本がおすすめ。私の尊敬する著名な考古学者である。ギルガメシュ叙事詩は文庫になっているくらいだから、読んでいる人が案外いるのだろう。絵本まであることにおどろいた。いつか遺跡めぐりができたらいいなと思う。

    参考文献

世界の歴史―ビジュアル版 古代のオリエント 小川英雄著 講談社 1984
ギルガメシュ叙事詩 矢島文夫訳 ちくま学芸文庫 1998
ギルガメシュ王のたたかい 大型絵本 ルドミラ・ゼーマン著 岩波書店 1994

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2005.01.12

ホームページを英語に翻訳

  スペイン、ポルトガルなどをはじめ、いろいろな国の方がこのBLOGを読んでくださっているようなのですが、どうやってと疑問に思っていました。そこでちょっと調べてみると、英語で読んでくれているようです。うるわしのブルターニュはBreton of ..elegance..となっています。

  のぞいてみたい方はここをクリックしてください。全くイメージがちがっていますね。Dobbinなんて単語知りませんでした。農耕馬のことね。なるほど。勉強になりました。

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2005.01.10

ショッキングピンクのライカ

  雑誌をペラペラめくっていると、黒とピンクをテーマにしたインテリアのページが目にとまった。そこにはシルバーとショッキングピンクのカメラがうつっていた。何かなと思って説明を読むとライカのカメラだった。Leica M7 à la carteという機種でボディーを好きな色にオーダーできるようだ。

  ライカは数日間人から借りて使ったことがあるだけ。いつかは自分で買いたいな。でもピンクのカメラは恥ずかしくで持てないかも・・・ このピンクのカメラの写真がなくて残念。たぶん1点しかないんだと思うけど。みなさんのご意見は? Leika M7の問い合わせ先はここ

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映画評 アレキサンダー

  映画を見てきた。Oliver Stoneオリバー・ストーンが脚本、監督をし、総製作費200億円をつぎ込んで制作した歴史大作アレキサンダー。Colin Farrellコリン・ファレルが主演している。制作費にはじない海外ロケの壮大な映像は美しかったし、おびただしい人間を動員した戦闘シーンは迫力満点だった。印象に残ったのはバビロンの町の描写。有名な青い門を通って宮殿にはいっていくシーンは素晴らしかった。なんだかバビロンの遺跡を見に行ってみたくなった。
  
  全米の興行成績はもうひとつで、アレキサンダー大王の故郷・ギリシャでは酷評されているらしい。フランスでの評価も2星(4星が最高)とあまりよくない。好みの問題もあるとは思うが、みんな偉大な王のなかの王の再現を期待していたということではないだろうか。日本ではまだ公開されていないので、ここではこれ以上のことは控えようと思う。残念ながら個人的にはもう一度見たいとは思わない。

ALEXANDER 公式ページ (日本語)

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2005.01.09

自然の脅威

  ここ数日ずっと机の前にすわっていた。昨晩も2時間くらいしか寝ていない。あまり意識を集中すると神経が興奮して眠れないのだが身体は疲れがたまるので、そんなときは睡眠薬を飲んで強制的に数時間は寝るようにしている。夜の間中すごい強風がふいていたと思ったら、イングランド、スコットランドをはじめとしてスカンジナビア諸国で大変な被害がでているらしい。

  インド洋大津波による被害も想像を絶するほどの規模となってきた。

1800人以上の行方不明者が出ているスウェーデンの外務省当局者は7日、犯罪防止などの理由から、津波による死者、不明者の氏名を当面公表しない方針であることを明らかにした  産経新聞 
このことが行方不明者の家族の間で波紋をひろげている。

  テレビでは「ツナミ」と言っているのでLe petit Robertを見てみるとTsunamiで辞書に載っていた。日本語がそのまま取り入れられた言葉で1915年から用いられているそうだ。あまりひんぱんに聞きたくはない言葉である。被害にあった国の一刻もはやい復興を祈るのみだ。

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2005.01.08

農耕馬

cheval  日本ではあまり見かけない農耕馬。まだブルターニュにはたくさんいます。この日はちょうど蹄鉄を取り替えようとしているところでした。Beaux-Artsの美術史の先生と話していて、彼女が自宅に馬を飼っていること、そして週末にはその馬と一緒に畑仕事をするということを聞き、驚いたことがあります。羊や牛もたくさんいますよ。

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2005.01.06

いつもの小道

re10     12月にはじまったイルミネーションもそろそろ終わりです。毎日同じ道を通るのはあきてくるのでなるべく違う道をと思うのですが、そんなにバリエーションがあるわけでもなく5パターンくらいをその日の気分で歩きます。

  レンヌの旧市街は1720年の大火で中心部の大部分が焼失してしまったのですが、それでも15-17世紀の木組みの家が数百件残っています。今では見慣れた風景になってしまいましたが、たまに立ち止まって眺めることもあります。この道は10メートルくらいしかない短い通りですが、一番の近道なのでここを行くことが多いです。子供服やおもちゃを売っている店がたくさんあります。

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2005.01.04

聖女ベルナデッタ

nevers1  雪の残る道を踏みしめて12月28日の午後、Couvent Saint Gildardサン・ジルダール修道院に向かった。ここに眠っているBernadette Soubirous聖女ベルナデッタ(1844-1879)に再び会うために。

  Marie-Bernarde Soubirouxベルナデッタは貧しい粉引き職人の娘だったが1858年18回聖母マリアの姿を見た。スペインの国境にほど近いピレネー山脈のふもとにあるLourdesルルドの町はその真贋をめぐって大騒ぎとなる。ベルナデッタは本当に聖母マリアの姿を見たのだろうか。彼女の言葉を疑うものも多かったのだが、聖母の指示でベルナデッタが掘った穴から清らかな泉が湧き、その水で病気が治癒する奇跡が次々起きて、全国各地から病人がルルドを目指して巡礼するようになった。

  教皇庁は査問委員会を開いてベルナデッタの調査を開始。ベルナデッタは修道女となりNeversヌベールに赴くが、病気のために35歳の若さで息を引き取る。その後掘り返された遺体が、埋葬の時の姿を保っているという奇跡が起きて、1933年12月28日、ローマ法王ピオ11世によって列聖された。

  以前Neversヌベールに来た時、ここで彼女が最後の日々をすごしたとは知らずに、連れられてその場を訪れた。その時、忘れがたい体験をした。いつか再び訪ねたいと思っていた。彼女は以前と変わらずそこにいた。静寂が小さな礼拝堂に満ちていた。

  聖ベルナデッタ・ヌヴェール 公式ホームページ (日本語)

     関連書籍

   ルルドの奇跡
   ベルナデッタ
   聖処女 アカデミー賞(1943年度)5部門受賞 DVD
      Song of Bernadette 1945 ヘンリー・キング監督
   Bernadette Soubirous 洋書
 

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2005.01.03

デジタル一眼レフカメラ

    ついにNikon D70レンズキット AF-S DX ズームニッコールED 18-70mm F3.5-4.5G(IF)を注文してしまった。日本に一時帰国している友達が持ってかえってくれる。つかいこなせるだろうか。ドキドキ。

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2005.01.02

ブルターニュ関連書籍 その6

4882028263.09.MZZZZZZZ  今すぐブルターニュのことを知りたいという人のために、よりすぐりの本を紹介します。

   フランス「ケルト」紀行―ブルターニュを歩く 武部 好伸 著  彩流社 2003

  著者がブルターニュを旅して書いた「ケルト」紀行シリーズの第5弾。どれくらいの期間で旅したのか、よくこれだけ短期間で旅したというのが正直な感想。私が行ったことのない場所も数ヶ所ある。たとえばウイスキー蒸留所。それもそのはず、彼がこの蒸留所を訪れたはじめての日本人だったのだから。もしブルターニュを旅行したいなら一度は目をとおしてほしい本。これまでの日本語でかかれているブルターニュの本に紹介されていなかった場所が多数含まれている。

  しかしながら、歴史の記述には勘違いしたと思われる箇所がいくつか見受けられる。ここでは重要な2点だけ説明したい。レンヌの旧高等法院は火災にあったが、市民が焼き討ちしたわけではない。漁民たちが政府の政策に抗議して行ったデモが過激になり、投げた火炎びん状のものがたまたま屋根の上に落下したのが火災の原因ではないかと推測されているが、はっきりと断定はされていない。またナントがブルターニュから切り離され、ロワール地方に編入されたのはヴィシー政権下の1941年である。


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  <民族起源>の精神史 ブルターニュとフランス近代 世界歴史選書 原 聖 著 岩波書店 2003

  「この地の人びとが誇る独特な言語・民俗文化はいにしえのケルト民族に由来するとされる。このような起源認識はいかにして形成されたのか。ヨーロッパ各地の民族起源論・言語系統論,近代フランスの「ガリア」意識,民俗学の誕生などの多様な視点から,民族意識と地域文化の意味をとらえなおす」というのがこの本の趣旨。

  原さんはレンヌ第二大学で研究されたことがあり、巻末についている参考文献にはブルターニュ関係の主だったものが網羅されている。残念ながらお会いしたことはないのだが、友人からいろいろなエピソードは聞いたことがある。本の内容はブルターニュのことを知らない人にもわかるように、過去から現代にいたるブルターニュの位置づけ、そして民族意識の変化などが丁寧に紹介されていて読みごたえがある。

  この2冊をあわせて読めば、ブルターニュが立体的にわかってもらえると思う。このようにブルターニュに関する新刊がでて、少しでも興味をもってくれる人が増えることはとてもうれしいことだ。


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2005.01.01

あけましておめでとう

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旅をふりかえって

lyon_3  Lyonの町は建物ひとつずつ色が異なっていて、淡い黄色やオレンジ色などが南国にきたという印象を受けた。旧市街を中心にカテドラルやおもな教会を5つほどめぐった。特におどろいたのが、Basilique Notre Dame de Fourvièreだ。これまでいろいろな建物を見たが、内部の絢爛豪華さはここ数年あじわったことがないほど圧倒的だった。あえて言えば、パリのサクレクールにちょっとだけ似ている。でも比べ物にならない重厚さを持っている。(写真2枚ともここ)

  この丘のすぐ横に大規模なローマ遺跡があり、Musée de la civilisation Gallo Romaineガロ・ロマン博物館があるのがなんだか不思議。博物館では以前ふれたケルトの暦を見た。Musée des Beaux Artsにはブルターニュ公妃のメダルもあったし、私の好きなシャバンヌの絵もあった。旧市街にはブルターニュの紋章も刻まれていたし、迷路のように入り組んだ中庭をのぞくのは楽しかった。Musée des Tissus et Musée des Arts Décoratifs 織物博物館はほんとうに駆け足で見学。装飾美術館は見られなかったので、パンフレットだけ購入。そうそう、サンテグジュぺリの銅像も立っていた。lyon_1

  Neversのことはいずれふれるとして、Moulinsの町のカテドラルでお宝を見た。16世紀初頭に描かれたLe triptyque du Maître de Moulinsである。リンクできるページを探したのだが、残念ながらいいサイトがなかった。表示した絵とは赤の色が全く異なっていて、本物はもっと深紅に近い深い色だ。戦争や革命の度にひそかに隠され、ほとんど修正されずに現在にいたる素晴らしい作品。またどこかで解説を探してみたい。ここにはAnne de Bourbonが描かれているが、彼女もブルターニュに深くかかわる人物である。

  もっともっと書きたいことはあるのだが、時間が足りない。こちらはまだ31日、これから華やかな年越しのイベントが残っている。みなさん。よいお年を!

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