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2005.01.18

ジョニー・アリデー 61歳の決断とその波紋 その2

  ところが、このことが大きな波紋を広げているのだ。フランスで養子を迎えることの大変さは12月20日に子供は宝で書いたとおりだが養子縁組を望む夫婦が多いので、ベトナムでは実現するまでには最低3年かかるのだそうだ。それなのに彼らはわずか1年ほどしか待っていない。しかも普通は両親が45歳以下であることが条件となっている。ジョニーはどうやって条件をクリアし、こんなに早く実現することができたのか?

  ジョニー・アリデーは押しも押されぬ大スター。彼のコンサートにはよくシラク大統領の姿がある。また何度目の結婚時か忘れたが結婚の証人になったのはサルコジ外相夫妻だったというふうに非常に交際が広い。今回のジョニーの養子縁組に協力したのは、シラク大統領夫妻だった。しかもそれは大統領が昨年10月にベトナムを公式訪問したさいに、書類をベトナムの法務大臣に直接手渡し、早期実現を取り計らってくれるよう依頼したというのだ。この事実は昨年10月18日付けでL'Express に載っている。

  これを聞いて憤慨しているのが、ずっと養子をもらうために順番待ちをしている人たちである。リヨンで海外から養子をもらった夫婦、また順番を首を長くしてずっと待っている何組もの夫婦にあった。その切なる願いに心を打たれた。それなのにジョニーは鶴の一声で、順番待ちリストを数千人分追い越すことができたのだ。しかも、ジョニーはいくらとは表面にはでてこないが、普通より高額の費用を支払ったのだそうだ。もしかすると、これは彼の優しさや感謝の表れなのかもしれない。だが彼のようなやり方を他の金持ちが真似たら、費用が高くなることは明らかだという。

  これまでほとんどマスコミに姿を現さなかった奥さんラティシアが昨年からテレビに生出演するようになった背景には、母親になるという確固たる自信が芽生えていたからなのだろう。もちろん二人にとっても大きな人生の決断だったことは間違いないし、よかったねといってあげたい。彼がベトナムまで子供を迎えに行ってわが子をしっかりと抱きしめている写真があちこちに氾濫している。しかしそれを見て悲しくて涙にくれた人たちがたくさんいると聞き、やるせない思いがした。

  以前テレビで中国の養子斡旋業者のドキュメンタリーをみたことがある。りっぱな会社であまりにすべてが組織化されていることに違和感があった。中国から養子に行く国で一番多いのがアメリカ、次いでフランスだそうだ。リヨンの友達の説明によると、まるで団体旅行のように、養子を望む人たちが同じホテルに泊まり、会社からの大型バスに乗って子供を見に行き、「私はあの子がいい」と外見だけで選ぶのだそうだ。病気があるかどうか、どんな両親から生まれたのかなどの基本データすら与えられないのだという。もちろんこれは極端な例だろうが、会社によって格差が激しく、どうしても子供が欲しいなら、それでもいいと考える人たちもいるという。子供は宝である。自分の家族を持ちたいという気持ちは痛いほどよくわかる。でも、子供は価格をつけて売買する商品ではないはずだ。

  ところで下の本にシラク大統領が養子をもらっていると次のように書かれているのだが、いろんな人にたずねてみても誰もそんな話は聞いたことがないというのである。

シラクは思想やイデオロギーにあまり神経質ではなく、実務家タイプの政治家であり、親分肌の人情家であると言われる。ドゴール空港で泣いていたヴェトナム難民の娘を養女として迎えてもいる。  フランス現代史

フランス現代史―英雄の時代から保革共存へ 渡辺 啓貴著 中公新書 1998

  フランス政治外交論を専門とされている渡邊啓貴さんが書いていることなので間違いはないはずだが、フランス人が誰も知らないというのもおかしなことだ。こんな美談をマスコミが報道しないはずないと思うのだが、個人のプライバシーは守られているということなのだろうか。どなたかご存知ですか。

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コメント

79年パリ市がヴェトナムのボート・ピープルを初めてを受け入れた時パリ市長だったシラクは、空港でベルナデット夫人と共に当時18歳だった少女Anh Daoに同情し、彼女の結婚まで2年間後見人として自分の家に引き取っています。彼女はヴェトナムに両親がいて「孤児」ではなかったので「養子」は法的に不可能でした。渡辺氏は一部報道、資料が「adopter」という語を用いているのをそのまま受けられたのでしょうが、彼女は「3人目の娘として育ててくれた」と涙を浮かべて回想していますから、実情は「養女として迎えた」に近かったのでしょう。
シラクはこの事実を宣伝せず、メディアも80年代後半まで報じなかった様です。彼女が公の場に現われたのは、前回大統領選前の02年2月、シラクが仏アジア人社会代表を招待した時で、彼女もこの時初めて、ルモンド紙記者のインタビューに応じました。この催しは選挙キャンペーンの一環の意味合いもありましたが、シラクはこの「美談」を誇示することはせず、メディアも大きく報じませんでした。
シラクは長女ローランスが神経性拒食症から何度も自殺未遂を犯して身障者になった経緯もあり、個人のプライヴァシー保護に敏感だったのかも知れません。
と言う訳で、この事実は10数年来知られており、知っているフランス人も結構いますが、メディアがハデに語ることがなかったのは、「政治家の私生活は報じない」という仏メディアの伝統的感覚によるものでしょう。シラクは経済、欧州、外交政策では「風見鶏」「pragmatique」と揶揄されて仕方がない面を多分に持った政治家ですが、上記の理由から、身障者医療だけには誠実に取り組んできたとされており、この「美談」を政治的に利用しようとしないのは、彼のこうした面と関係があるのかも知れません。
ですから貴エントリで引用されている渡辺氏のシラク・ポートレイトは、大筋で誤りはないと思います。

投稿: 助六 | 2005.01.19 11:21

助六さん。はじめまして。

丁寧な説明ありがとうございました。実は02年、テレビでチラッと見て、そのことを人に話したのですが、「そんなことはない。聞き間違いか人違いだ」と幾人もに言われました。私も途中から少しだけ見ただけで、じっくり見てはいなかったし、政治のことはよく知らないので不思議に思っていました。それにどこかで読んだ記憶があっただけで渡邊さんの本だったと確認したのはごく最近のことなんです。

そしてリヨンでも「そんな話聞いたことないけれど、もし事実ならただのパフォーマンスで、形式だけ養子かもしれないけれど一緒に住んでいたはずがないじゃないの」というので、一度調べてみたいと思っていたところでした。大統領の良識に敬意を表したいと思います。

投稿: 市絛 三紗 | 2005.01.19 15:49

私も知人で養子を待っている人がいるので他人事とは思えません。お金を積んだりコネがあったりする(コネの方が大事かも)と順番待ちしなくてよいのは養子に限ったことではないフランスではありますがやはり許せませんね。

投稿: ふらんす | 2005.01.20 17:51

すみません、私のエントリーにリンクとトラックバックさせていただきました、ということを書くつもりでした。よろしくお願いいたします。

投稿: | 2005.01.20 17:52

ふらんすさん。こんにちは。

この件は公式訪問の場だったので記事になったのですが、普通は公にならないでしょうからね。

まだ読んでないのですが、今発売されているElleの表紙もラティシアが赤ちゃんをだいている写真でした。マスコミにも「そっとしてあげて」と言いたいです。

投稿: 市絛 三紗 | 2005.01.20 18:20

フランスは、イタリアほどではないかも知れないけど、日本以上にコネ社会、不透明社会ですね。こういう国に長くいると人間スサンでくるところがある気もし、時々本気で怖くなります。

投稿: 助六 | 2005.01.22 09:24

助六さん。こんにちは。

まだサロンの伝統が生きているのではないでしょうか。旧貴族のつながりは健在ですからね。この本読んでみたいのですが、ちょっと時間がたりません。
Mémoires insolites Michel de Grèce

投稿: 市絛 三紗 | 2005.01.22 12:51

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