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2005年2月の記事

2005.02.28

ほたて貝

St-J  マルシェに売っているla coquille Saint-Jacques ほたて貝です。この貝はサン=ジャック(十二使徒のひとり聖ヤコブ)の象徴として用いられています。

  Santiago de Compostela サンチャゴ・デ・コンポステーラ(フランス語ではSaint Jacques de Compostelle)への巡礼者はこのホタテ貝を腰にぶら下げて、徒歩でピレネー山脈を越えて長い巡礼の旅にでます。そのさいホタテ貝を皿代わりに水を飲み、料理を食べたのです。

  またコンポステーラは星の平原を意味するラテン語のcampus stellaeから来ています。夜空に輝く星々が聖ヤコブの遺体の埋められている場所を照らし出したといった伝説が残っています。 

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パリ・カフェの歴史 その3

  このようにはじめは大衆に受け入れられなかったカフェを成功させたのが、フランチェスコ・プロコピオ・ディ・コルテッリだった。彼はパスカルのカフェで1672年の開店当時から働いていた。パスカルが去ってしまった後もこつこつと金をため、フォセ=サン=ジェルマン通りにすでにあった店を1686年に買い取ると大幅に改装して営業を始めた。

  特に大理石のテーブル、豪華なタペストリー、シャンデリアや鏡を効果的に用いた美しい内装が人々の目をひいた。サービスするメニューも、コーヒー、紅茶、ココアやちょっと気取ったリキュール類、アイスクリームに加えて砂糖漬の果物や焼き菓子もあった。そして1689年にはコメディ=フランセーズが店の真向かいにやってきた。こけら落しはラシーヌのフェードルだった。当時の高級繁華街ビュシーに近かったことも幸いして、店は大繁盛することとなった。これが現在でも同じ場所で営業を続けているLe Procopeル・プロコープの誕生である。

  どんな人たちが足しげく通っていたのか、店内に書かれている名前を列挙してみると次のようになる。ラ・フォンテーヌ、ヴォルテール、ベンジャミン・フランクリン、ダントン、マラー、ロベスピエール、ナポレオン、バルザック、ユーゴー、ガンベッタ、ヴェルレーヌ、アナトール・フランス。ここには男性の名前しかないが、貴婦人たちがひいきにしていたことも付け加えておこう。

  店内のプレートには世界最古のカフェであると書かれている。はたしてどういう形態をカフェと呼ぶかは疑問が残るが、1643年をパリのカフェ始まりと解釈することも可能なのである。だが1500年ころにすでにメッカにカフェがあったといわれているし、カイロやダマスカスでは1530年頃と伝えられているので、ル・プロコープが最古というのは無理がある。しかもそのころすでにヨーロッパへの他の都市にカフェは存在していたのだ。

   以下その4につづく

Le Procope ホームページ

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2005.02.26

ブログでスパイウエア配布してしまう?

  とても気になる記事を見つけた。24日付けのCNET JAPANのニュースでブログがやばい--スパイウェアの配布に悪用される脆弱性ありというタイトルである。影響するのは、MicrosoftのInternet Explorer(IE)ユーザーがセキュリティ設定を最高にしていない場合だけらしい。特にGoogleのBloggerサイトに脆弱性があるもようだ。

セキュリティ専門家によると、悪意を持つプログラマーがJavaScriptやActiveXを使って、脆弱なウェブブラウザでサイトにアクセスしてきたユーザーのPCに、ブログから自動的にスパイウェアを送りつけることが可能だという。

  無償で配布されている音楽再生などのJavaScriptにスパイウェアツールがこっそりひそんでいることがあるらしいので、注意しよう!

悪質なコードを配布している犯人のひとつは、iWebtunesというサービスで、このサービスを使えばJavaScriptのコードを数行追加するだけで自分のウェブサイトに音楽を追加できるという。Blogspotを利用しているブロガーはiWebtunesのコードを自分のテンプレートに埋め込むだけで、アクセスしてきたユーザーのPCに知らないうちにスパイウェアを送りつけている可能性がある。

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2005.02.25

パリ・カフェの歴史 その2

cafe_paris  パスカルはロンドンに行ってしまったのだが、別のアルメニア人、マリバンがビュシ通りで、新しいカフェを始めた。この店ではタバコとパイプも扱ったのだがやはり商売としては無理だったようで、やはり店をたたみオランダに引越した。マリバンの経営していた元の店は、マカラ、さらにガントワが引き継いでいる。

  同じく彼の店で働いていたペルシャ出身のグレゴワールは違うやり方があると考えたのか、マザリーヌ通りにカフェを開店。この近くにコメディ=フランセーズがあったので、俳優たちがやってくるようになった。まもなくコメディ=フランセーズが移転することになったので、グレゴワールのカフェもフォセ=サン=ジェルマンへと進出する。1689年のことだった。

  一方で1676年に、太陽王ルイ十四世の指示により、コーヒーやリキュール、さらにワインも扱うギルドができた。ヴェルサイユ宮殿の温室にコーヒーの木を植えたくらいだから、王は好んでコーヒーを飲んだようだ。ギルドの影響もあってフランスのカフェでは、アルコールも扱うようになっていった。

  写真はパリ散策中に見つけたクラシックな外観のカフェ。

  以下その3につづく

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2005.02.24

ケルトについて考える

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  このところ、頭から離れないのがケルトという言葉。ケルトを追いかけて地球の裏側までやってきたのに、古代ブリタニアにケルト系の人たちは来なかったという説がだんだん優勢になってきているというのだ。そのことは耳にはしていたが、フランスではケルトを扱う新しい雑誌もでているし(新雑誌Univers CELTES創刊参照)、レンヌにあるレンヌ第二大学のブレイス語学部ではケルトの歴史という講義もこれまでどおり続いている。歴史学部でもブレイス語の歴史という講義で中世におけるケルト系の各言語の比較をやっていた。ここでも従来のケルトの概念を継承して説明されている。だから、あまり気にしていなかったのである。

  最近東京でケルティックジュエリーやアイルランド、スコットランド製品を扱っているボウディッカという素敵なお店があることを知った。もうすぐブルターニュの製品も入荷するそうだ。このサイトの中のケルティックデザイン史概説というエッセイには英国の美術館やテレビ番組からケルトという言葉が消えたと書かれている。メールでお話させてもらったが、やはりブルターニュと温度差があるようだ。

  もう一度ケルトを見直す時期がきたのかもしれない。これは私がこれまで学んできたこと、考えてきたこと、すべてに深く関わっている問題である。これから専門家の意見を聞き、疑問をひとつずつ検証してみたい。そして、その経過を右サイド(下のトラックバック・ピープル ケルト)にまとめて記していこうと思う。そうでないと、ブルターニュを語ることはできないからだ。

tbp01015-0


    < 追加情報 >

  英国での「ケルト」観」が変化していることをいちはやく紹介してくれているのが下の書籍。ケルトに興味をいだいているなら読んでほしい。

  海のかなたのローマ帝国―古代ローマとブリテン島 (世界歴史選書)

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2005.02.23

パリ・カフェの歴史 その1

cafe  真冬でも太陽さえでたら、外に出て日光浴するのがフランス風。写真はレンヌの日常風景。南仏ニースで雪が積もっているようだが、そんな寒さでも泳いでいる人がテレビにうつっていた。ちょっとやりすぎ! 私なんかテレビを見ただけでも肺炎になりそう・・・ 泳いでる人と比べたらコートを着てお茶を飲むなんて、当たり前にも思えてくるから変な感じだ。

  さて今日はカフェの歴史をふりかえってみたい。パリにコーヒーがはいってきたのは1643年、中近東出身の人物が« cahové » カオべまたは« cahouet »カウェと名づけてコーヒー豆を販売したのだが、うまくいかなかった。翌年にはラ・ロックがコンスタンチノープルからコーヒーを持ち帰っている。まだこのころはコーヒーは薬とみなされていて好んで飲むというものではなかったのだ。60年代になるとアルメニア人たちがコーヒー豆を売ってはいたが、1669年にトルコの大使、ソリマン・アガ・ムスタファ・ラカが来仏したことで、嗜好品として貴族たちが注目するようになった。

  カフェ第一号は1672年。パスカルというアルメニア人がサン・ジェルマンのマルシェの中でオープンした。次いでエコール河岸にも出店。コーヒーの値段は2スー6ドゥニエだった。でもあまりはやらなかったので、彼はすぐにロンドンに行ってしまった。

   以下その2につづく

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フローラル・デザインスクール開校

Bouquet

      英国式フラワーアレンジメントの免許もとれるフローラル・デザインスクール「ル・フレール」が4月に開校します。実は私も数年間習ったことがあって、ブライダルブーケをつくることもできます。

      でも、どんなに基礎がわかっていたとしても、アレンジは色あわせのセンスがよくないとせっかくのデザインも生かせません。インストラクターの兎耳山 紀子(とみやま のりこ)さんはカラーコーディネーターとしても活躍されていました。そして、ロンドンで本場のアレンジをみっちり勉強して日本に帰国、「ル・フレール」を開校することになりました。

  Hogarth_Shape
      彼女のアレンジはいつ見てもとても素敵です。習っていたことがあるのでその完成度の高さがよくわかります。上のラウンド・ブーケ、円形にするだけだから簡単そうに見えますが、いざ自分でやってみるととてもむずかしいのです。同じ素材を用いて、全く異なる幾通りものアレンジを次々と見せてくれる技術力の高さにも感心しています。

      免許は必要ないから、お花を楽しみたいという方は、レギュラーコースを選べば、入会金や年会費も必要ありません。教室は芦屋と梅田の2ヶ所、開校に先立って体験レッスンも行う予定だそうです。くわしい情報は下のホームページからどうぞ。

ル・フレールのホームページ

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2005.02.22

この本をゆずってください

4791756665.09.MZZZZZZZ  アーサー王伝説の起源―スキタイからキャメロットへ C.Scott Littleton Linda A. Malcor 青土社 1998

  この本をお持ちの方、どなたかゆずっていただけませんか。お友達と一緒にずっと探しているのですが、どうしても見つかりません。メールをお送りいただければ、改めてこちらから連絡させていただきます。よろしくお願いします。

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ADSLのレベルアップ

  新しいADSLセットを郵便局で受け取ってパソコンにインストール。これで2メガになりました。予備のパソコンも同時に使えるとはすごい! でもケーブルがいっぱい。つまずかないようにしないとね。

  ところでWi-Fiでも使えるようなのですが、パソコンにインストールできませんでした。パソコンのヒントにはワイヤレス ネットワークに接続するにはという項目があるので、できるはずですよね。ああでもない、こうでもないとやってみたけれどできないので、今日はこれで終わりにします。

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2005.02.21

傾いてますよ!

maison  17世紀の建物ですが、これってはじめからこんなに傾いていたのでしょうか? 後から継ぎ足したと考えるのも無理があるような気がしますが・・・ 改めて見れば見るほどなんだか不思議。

  以前友達の家を訪ねたら床が傾いていて、座ったら身体がまっすぐにならないので、どうもいごこちがよくなかったのですが、みんな「そんなことはどうでもいい」と考えているようで、ちゃんと住んでいる人がいます。うちは木造ではないのですが、それでも18世紀なかばの建物ですからね。まったく収納できるスペースがないのが悩みの種ですが、それでも普通に暮らしています。

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2005.02.19

オマール海老

marche  マルシェの魚売り場はみたことのないような魚がいっぱい並んでいる。オマール海老や蟹、ホタテなどは生で手にはいる。へんな構図なのだが、一番迫力があったので、この写真を選んだ。

  このあいだ見たオマールはからだの部分だけで50センチ、大きなツメも含めると80センチくらいもあった。これは特別おおきくて、たいてい体長30センチくらいだろう。おいしそうなのだが、いつもながめているだけでまだ買ったことはない。

  ここでちょっと耳寄りなお話。日本国内にいてもブルターニュのオマール海老を、生きたままで自宅に届けてくれるのだ。詳しくは活きたままお届けします! 活オマール フランスブルターニュ産 約650gからどうぞ。

   ブルターニュのオマール・ブルーも参照を。

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フランの硬貨はもう交換不可

franc  私のへそくりをみなさんに公開します。でもこのへそくり、じつは昨日で一般的価値はなくなりました。これからは骨董として価値がでるのを待つしかありません。そうです。2002年の2月17日までフランスの通貨として流通していたフランとサンチームです。(1フラン=100サンチーム) その翌日からユーロしか支払いには使用できなくなっていましたが、銀行で交換することは可能でした。紙幣は2012年まで、交換できます。

  それまでフランは紙幣で5種類、硬貨で9種類が流通していました。硬貨の縁には自由・平等・博愛(LIBERTE EGALITE FRATERNITE) と書かれています。写真は20F、 5F、2Fがありません。これじゃコレクションになりませんね。まだ家の中のどこかにあるかもしれませんが・・・

    紙幣           硬貨
   500フラン           20F
   200フラン          10F
   100フラン           5F
    50フラン           2F
    20フラン           1F
                  1/2F
                   20C
                   10C
                   5C

  メトロでくばられている新聞にフランの641年にわたる歴史が書かれています。これによると誕生は1360年12月5日。でもそれからエキュという通貨が主流になったので、姿を消していました。革命時期に少しだけ用いられたことがありましたが、本格的に利用されるようになったのは20世紀にはいってからでした。1914年に国が紙幣の流通をうながしたのです。1958年には1フラン=100旧フランという切り替えもありました。

  もう役目を終えてしまったこの硬貨たち。概算では30億の硬貨が交換されずに残っていると推測されています。6億ユーロ=810億円です。私のように記念に残している人もいるでしょうし、忘れている人もいるでしょう。さすがに紙幣はありませんが。ひさしぶりにながめて懐かしかったです。

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2005.02.16

もうすぐ春です

mimosa     きのうは5ミリくらいの大きさの雹が降りました。真っ白な塊が音をたてながらコロコロところがっていました。でも寒いと思っていても確実に春が近づいています。

  フランスでは春を告げるといわれている花le mimosa ミモザが満開になりました。1ヶ月ほど前にマルシェで見つけてびっくりしたのですが、それは南仏から運ばれてきたものでした。小ぶりの花束が5ユーロもしていました。それがもう路地でも咲いているのです。黄色の色がなんだかパワーをくれそうです。

  

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2005.02.14

Blog1周年 ありがとう

feb  Blogという言葉さえも知らないままはじめ、書き続けてちょうど1年になりました。5万人をこす方が来てくれています。本当にありがとうございました。様々なコメントをいただくのが楽しくて、続けてきました。

  ほんの1年前まで、プロバイダーとの契約は一ヶ月わずか20時間でした。ニュースとメールを見るだけならそれで十分だったからです。その契約もすこしづつ時間が増え、ADSLに変更したことで、情報検索も容易になりました。まだ512Kなのですが、値段は同じで2Megaプラス固定電話無料という契約に更新し、新しいモデムがくるのを待っているところです。

  Blogの魅力は今の状況をすぐに伝えられることでしょう。特に海外で暮らしていると余計そう思います。これからもブルターニュの生情報を書いていきますので、よろしくお付き合いください。

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歌って踊る 2月13日

fetefete1fete2fete3

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2005.02.13

マイフォトの写真を固定する方法

  ココログのシステムでは、マイフォトにもとのページにもどるという設定がありません。それで最後の写真に、もとのページにもどると書き加えたはずが、写真の順序が見るたびに移動してしまって最初から戻るなんて文字がでてきてしまいます。順序を固定する方法はないのでしょうか?

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ブレイス語のラジオ放送を聞くには

2903778396.08.MZZZZZZZ  昨日ブレイス語入門講座に行きました。ブルターニュに来たころ、ブレイス語講座に数回出たことがあるのです。ですからテキストも辞書も持っています。これがきのう使ったテキストNi a gomz Brezhoneg ! (1CD audio)です。辞書はたまに使いますが、ブレイス語講座はそれっきりになっています。やりたい気持ちはあっても続けられていません。なぜかというと、さっぱり読めないからです。

  それでも行かないよりはいいだろうと久しぶりに参加してみました。でも・・・ ほんとうにわからないです。昨晩はこれからはじめたいという人たちのための無料講座。挨拶や名前の聞き方などを数通りやったのですが、せめてこれくらいは暗記したいですね。せっかくなので挨拶してみましょう。

  Salud dit!                    サル ディット          こんにちは
  Mat an traoù ganit?        マダン トレウ ガウニット    元気? 
  Ya, Mat-kear .                ヤ マッケール              ええ。元気ですよ。
 
  どうですか。これだけなら簡単そうでしょ。でも30分もしないうちに、さっぱりわからなくなってしまいます。どんな音なのか、知りたいかたは、ラジオ生放送があります。RealPlayerさえあればAn Tour TanのRADIO KERNE EN DIRECTをクリックするだけです。これは音楽が中心です。たとえばRadio KerneのCulture et musique en pays de Loudeac[écouter]というところでは話言葉が聴けます。

 

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2005.02.12

ある夏の日

un_jour

  天気が悪いのでカメラは家に置いたままです。

今日の一枚は昨年夏に撮ったもの。庭のあじさいがとても見事でした。

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2005.02.11

ブルターニュの文化を知る週間

affiche_finale  今月2日から13日まで、レンヌはSEVENADUR AR VRO ブルターニュの文化週間です。市内数ヶ所でコンサート、ダンス、歌、刺繍の講習会、またガロ語やブレイス語の入門講座などが開催されています。無料で参加できる催しもたくさんあります。

  できればはじめから参加したかったのですが、体調がいまひとつもどっていなかったのでひかえていました。できればこの週末はいくつか顔を出そうと思います。プログラムはここで確認できますので、のぞいてみて下さいね。日曜日の午後、Salle de la Citéではこんなこともありますよ。

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2005.02.09

欧州の高速鉄道をハイビジョン映像で見る

TGV  旅の楽しみのひとつが列車に乗ること。でも普通は運転席には入れません。どうなっているのか見てみたいですよね。そんな願望を叶えてくれるのが、昨年12月、ポニーキャニオンより発売されたEU-Express Trainという DVD-BOXです。ドイツ鉄道(ICE高速鉄道)、SNCF フランス国鉄(TGV)、タリスインターナショナル(THALYS)、ユーロスターリミテッド(Eurostar)という欧州の各鉄道会社の全面協力を得て実現されたハイビジョン映像なのです。

  コクピットの映像もふんだんにありますから時速300kmで欧州を駆け抜ける爽快感を味わってみてください。それから私の趣味のひとつが工場見学(これって、趣味と呼べるのか?)なんですが、このDVD-BOXにはメンテナンス工場の特典映像も収められています。考えただけでもわくわくしますよね。EU-Express Trainのサンプルムービーはここで見られます。写真は発車準備をするTGV。昨年末にNantes駅で朝5時半に撮ったものです。

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ブルターニュの四季

nature4

      ブルターニュの四季の風景を写真で紹介するホームページLa Bretagneをつくりました。今回は自然の風景を主にとりあげてみました。もっと紹介したい写真はたくさんあるのですが、きりがありません。先月約束したように、将来ブルターニュの総合検索ページをつくりますが、現在自分の時間がほとんどとれませんので、こちらはもう少し先になります。

  これはID for WebLiFE*ジオシティーズ特別版というソフトでつくりました。たしかにすでに出来上がっているカートリッジはとてもきれいなのですが、たとえばコピー&ペーストができない、自分でレイアウトできないといった使い勝手の悪さがあります。それに30日間の無料期間がすぎるといっさい更新できないらしいのです。2月中はいくらか更新しようと考えていますのでご覧くださいね。
  

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2005.02.07

オペラ開演前

op1


  オペラ座に灯りがともり、もうすぐ開演の時間です。2月4日、午後8時からPour toi, Baby!というタイトル、George Gershwinのコメディー ミュージカルでした。プログラムはL'OPÉRA DE RENNESでみられます。

op  私はNikon D70のテスト中。どんなふうに撮れるのか夜景モードで撮影してみました。下の写真はパッサージュみたいですが、オペラ座の裏にある機材の搬入口です。

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2005.02.06

今日の買い物

ma  毎週土曜日は市場で買い物をするというのがレンヌの人たちの習慣になっています。今日はじめてマックロを買ってみました。サバです。じつはイワシアレルギーがあるので、やめたほうがいいかしらと迷った末に買いました。

  新鮮そうでしょ。そのまま焼いて食べてもよかったのですが、味噌で漬けてみました。明日食べる予定。頭とアラは味噌汁にして食べました。

ma1
ちょっと贅沢をしてシャコも買いました。こちらはさっと茹でてワサビ醤油で食べました。両方で7ユーロでした。フランスではおひたしにできるような緑の野菜はホウレンソウくらいしかありません。私がいつも買うのがカブです。みんな葉は食べないので、ほとんど葉を切り落として売っているのですが、たまに葉がついている束もあって、これはお買い得。油断すると、サービスで葉を切られてしまうので「葉はそのままにしておいて」とたのみます。カブは三杯酢でつけてもおいしいし、安いのでよく買っています。写真はNikon D70で撮ってみました。

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2005.02.05

光の魔術・アラブ世界研究所

ex  太陽が燦々と降り注ぐ夏の日、まるで万華鏡をのぞいているかのように、美しい文様が床に描きだされる。何と美しいのだろう! 言葉を重ねてもこの美しさをうまく表現できない。光の魔術を我々に体現させてくれるのがパリのセーヌ川ぞいにあるInstitut du monde arabeアラブ世界研究所(1987年完成)である。

  左の写真は南側壁面の一部を外部から撮影したもの。右の写真は夏の日差しがあざやかなイスラム文様を描いている建物内部の様子である。1974年にアラブ諸国との文化交流の推進が決定され、フランス政府とアラブ20カ国が共同出資してアラブ世界研究所の構想が具体化した。設計は国際コンペで選ばれたJean Nouvelジャン・ヌーベルだった。日差しがきつくなればアルミニウム製のパネル(70の図形の集合)が電動で絞り込まれ調整できるようになっている。Arabu
南側壁面はこのパネルが240枚使用されている。イスラムの伝統を尊重しつつ現代に見事に蘇らせた素晴らしい建築である。彼はその後もOpéra de Lyon, la Fondation Cartierなどを手掛けている。

  撮影したのは2001年の夏。ヌベールに行って、パリ経由でブルターニュに帰るところだった。なかなかパリへも行く機会もないので、モンパルナス駅のコインロッカーに荷物を預け数時間だけパリ見物をした。とっても暑い一日だった。たまたまモンパルナス駅で切符を買いに来た友達と出会い、一緒に古代ローマのArènes de Lutèceリュテス闘技場とそこから500メートルしか離れていないアラブ世界研究所を訪ねレンヌに帰ってきたのである。パリにはいろんな顔がある。屋上にあるオープンカフェからはサン・ルイ島やノートルダム大聖堂のあるシテ島が眼下に眺められる。古代、中世から現代までありとあらゆるものを飲み込んでそれでも輝き続ける花の都パリ。次はどんな顔を見せてくれるのか、楽しみにしていよう。
 
  Institut du monde arabeのホームページ。左下のArchitectureというところをクリックすると、写真が見られる。

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2005.02.04

トラックバック受付停止のお知らせ

  2月1日に引き続きまたまた多数のトラックバックスパムが来ました。ココログのシステムではスパムに対応できていませんし、スパムの一括削除もできないので、一時的にトラックバックの受付を止めさせていただきます。

     追加

  これでひと安心と思ったのもつかの間。過去の記事は個別にトラックバックを受けつけるという欄のチェックをはずさないと停止できないのだと判明。200件以上をいちいち設定するなんて・・・ そんな馬鹿な。ココログのシステムが改良されるまで、スパムにやられっぱなしということですね。スタッフの皆さん、一括で対処できるように、よろしくお願いします。

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