パリ・カフェの歴史 その3
このようにはじめは大衆に受け入れられなかったカフェを成功させたのが、フランチェスコ・プロコピオ・ディ・コルテッリだった。彼はパスカルのカフェで1672年の開店当時から働いていた。パスカルが去ってしまった後もこつこつと金をため、フォセ=サン=ジェルマン通りにすでにあった店を1686年に買い取ると大幅に改装して営業を始めた。
特に大理石のテーブル、豪華なタペストリー、シャンデリアや鏡を効果的に用いた美しい内装が人々の目をひいた。サービスするメニューも、コーヒー、紅茶、ココアやちょっと気取ったリキュール類、アイスクリームに加えて砂糖漬の果物や焼き菓子もあった。そして1689年にはコメディ=フランセーズが店の真向かいにやってきた。こけら落しはラシーヌのフェードルだった。当時の高級繁華街ビュシーに近かったことも幸いして、店は大繁盛することとなった。これが現在でも同じ場所で営業を続けているLe Procopeル・プロコープの誕生である。
どんな人たちが足しげく通っていたのか、店内に書かれている名前を列挙してみると次のようになる。ラ・フォンテーヌ、ヴォルテール、ベンジャミン・フランクリン、ダントン、マラー、ロベスピエール、ナポレオン、バルザック、ユーゴー、ガンベッタ、ヴェルレーヌ、アナトール・フランス。ここには男性の名前しかないが、貴婦人たちがひいきにしていたことも付け加えておこう。
店内のプレートには世界最古のカフェであると書かれている。はたしてどういう形態をカフェと呼ぶかは疑問が残るが、1643年をパリのカフェ始まりと解釈することも可能なのである。だが1500年ころにすでにメッカにカフェがあったといわれているし、カイロやダマスカスでは1530年頃と伝えられているので、ル・プロコープが最古というのは無理がある。しかもそのころすでにヨーロッパへの他の都市にカフェは存在していたのだ。
以下その4につづく
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