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2005年3月の記事

2005.03.30

地震の恐怖

  先週フランスのテレビ局が高知県のドキュメンタリー番組を放送していた。海洋深層水の特集だった。研究所の内部や、工場で深層水をペットボトルにつめる様子、そして販売方法などが詳しく紹介されていた。深層水そのものの販売だけでなく、それを応用した魚の養殖、ナスやトマトといった野菜の栽培なども多角的にとらえた、20-30分くらいの中身の濃い内容だった。

  その番組の冒頭に映し出されたのが海岸線を覆う高い防波堤と白い波しぶきだった。いったい何が言いたいのかと考えながら見ているとセピア色の写真がでてきた。それは1946年(昭和21年)に起きた南海地震時(マグニチュード8.0)の大きな被害を伝えるものだった。津波の被害を受けた教訓がその城砦のような防波堤を築かせたのだと説明していた。

  高知県でその地震を体験した人はもう年老いている。県内ではそれ以降大地震は起きていない。だが、いつ、どこで自然災害が起きるのか、予測することは非常に困難だ。インドネシアが再び巨大地震に見舞われた。昨日真夜中のニュースでそれを知った。映像が届いていないので昨年末の津波が村を飲み込むところをまた見てしまった。マグニチュード8.7。聞いただけでも背筋が寒くなる。もうみんな寝ていたはずだ。きっと何も持たずに闇の中を避難したのだろうと思うと涙がこぼれた。

   関連情報

France3 Thalassa, le reportage (le 25 mars 2005) Deep Water - Eaux profondes タラサという番組は世界中の海を紹介するもの。先週金曜の高知県に関する放送は「深海」というタイトルだった。
VIDÉO 25日の番組紹介ビデオ。最後のほうにでてくる。
  


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2005.03.29

メールマガジンて何?

  何通かメールをいただきました。「メールマガジンて何のことなのか。申し込みの仕方がわからない」というものです。私が発行する『まぐまぐ!』の説明を見てみましょう。

すごく簡単にいうと、「電子メールで届く、新聞・雑誌のようなもの」ということになります。必要なものは、電子メールのアドレスだけです。 気に入ったものをみつけて、「登録」の部分にあなたのメールアドレスを入力、ボタンを押すだけで、そのメールマガジンの次回発行時からあなたの手元へそれが届くようになります。 解除も、あなたのメールアドレスを入力するだけ。すごくシンプルな仕組みです。

  メールマガジン、省略してメルマガと呼ぶことが多いのですが、有料と無料のものがあります。。私が今回発行するのは無料のメルマガです。登録・解除はご自分のメールアドレスを記入して、登録または解除のボタンを押していただくだけです。登録いただいたアドレスは発行人、つまり私にも知らされません。

  『まぐまぐ!』とは、たくさんあるメルマガ発行スタンドのうちのひとつです。ほかにはこんな発行スタンドもあります。インターネットの本屋さんと『まぐまぐ!』では説明しています。つまり個人の発行人は原稿を書いて、発行スタンドの配信システムから登録してくれた人に届けてもらうのです。

  また「迷惑メールが届いたり、ウイルスが届いたりしないのか?」という質問もありました。『まぐまぐ!』のプライバシー保護についての詳細はここをお読みください。私は個人的にいろいろな発行スタンドのものを30くらい購読していますが、変なメールが来ることはありませんのでご安心を。

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春の気配

statue

  教会の前庭にあるモクレンが満開になっています。フランス語でMagnoliaマニョーリア、日本語ではモクレンゲ(木蘭華)またはシモクレン(紫木蓮)です。教会の白い壁に映えてきれいです。どうもフランスには青や紫の花が日本より多いような気がします。

  フランスでは夏時間と冬時間があって時計を変更しなければなりません。この日曜日から夏時間に変わり、1時間時計を早めました。私はいつも忘れていて、友達が教えてくれないと待ち合わせにも遅れてしまうところでした。

  気温はちょっと下がって、最高気温は13度。天気予報では今週はずっとこれくらいの気温で曇りか雨のようです。でも南仏は20度くらいだそうです。これからどんどん日暮れが遅くなって、夜10時過ぎまで日がしずまなくなります。

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2005.03.27

シラク大統領夫人の単独会見

  現在5年ぶりに日本を訪問中のシラク大統領は相撲観戦をしたり、愛知万博(愛・地球博)の会場を訪れたり(シラク大統領が会場視察 主要国の元首級で初めて共同通信 2005年03月27日)と日本の春を満喫しているようだ。

大統領は、パリ市長時代を含めて5度目の大相撲観戦。前回の2000年名古屋場所からは「フランス共和国大統領(シラク)杯」を優勝力士に贈るほどの相撲好きとして知られる。  読売新聞 2005年03月26日

  ところで、同行しているシラク大統領夫人がはじめて日本のメディアと単独会見に応じている。その記事が「常に仕事!」で3つの顔 シラク大統領夫人会見である。

国家元首夫人として内政外交の中心舞台であるエリゼ宮(仏大統領府)の管理者であり、県議会議員を長年務めるベテラン政治家、そして医療支援団体の総裁という三つの大役をこなす秘訣(ひけつ)について、「シラク方式の応用。仕事、仕事、常に仕事!」と述べ、夫婦そろっての仕事熱心ぶりを強調した 産経新聞  2005年03月22日

  パリ政治学院在学中に出会い、学生結婚。ともに政治家への道を選んだ二人。フランス国内では弱者のために様々な活動を行っている大統領夫人の人気はとても高い。だがフランスでは、シラク大統領の元側近ら47人を被告とした汚職疑惑の裁判が数日前にはじまったばかりで、(シラク政権へ打撃、仏最大の汚職疑惑裁判始まる 読売新聞 2005年03月22日)シラク大統領は大統領権限により、裁判で責任を追及されることはないが、裁判の結果次第では、苦しい立場に追い込まれる可能性もある。

    関連書籍

2259195121.08.MZZZZZZZ

Conversation Bernadette Chirac ,Patrick de Carolis Pion 2001
私はただあるがままに ベルナデット・シラク 著 扶桑社 2005   ( Conversation 2001 の翻訳本。3月30日発売開始 )

シラクのフランス 軍司 泰史 著 岩波書店 2003

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2005.03.26

<緊急レポート ゆれるフランス> 発行日時について

  メールマガジンの発行許可がおりました。新作メールマガジン情報 ニュースというところに記載されています。

1 緊急レポート ゆれるフランス
フランスの若者たちが荒れています。放火、器物破壊、警官隊との乱闘など、穏やかな地方都市に今起きている信じられないような事件の数々。現地からの緊急レポートです。
発行周期週刊 マガジンID0000152081 バックナンバー最新号 発行者Webサイト

  あとはウィークリーまぐまぐ2005/03/28(月)号 [ビジネス]「新作メールマガジン情報」のコーナーにも紹介されます。(事前に読者登録しておかないと届きません。登録はウィークリーまぐまぐのリンクから)。たくさんのメールマガジンがありますから、メールマガジンのタイトルを知ってもらうのも容易ではないとわかりました。03/28(月)号で、告知してもらってから発行になります。ちょうどまぐまぐ自体がこの1週間くらいでシステムの変更をするようです。

  メールマガジン<緊急レポート ゆれるフランス>の発行は4月2日に創刊準備号、4月6日に創刊号を配信、以後毎週水曜日に配信してゆきます。許可がでたので、メールマガジンの見本を公開します。新しいホームページをつくりその中に置いてあります。見本を読んで納得いただけたら購読してくださいね。これから徐々にフランスの基本データなどのページを作ってゆく予定です。

  


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2005.03.23

海と森のブルターニュ

    饗庭孝男さんが朝日サンツアーズの旅なかま3月号に海と森のブルターニュという文章を書かれている。
 

私がとりわけ心惹かれた町は北東部にあるディナンという入江にのぞんだ町で、二階の軒から上が両側から接している程の古い木造の家々が並び、又、石畳の古い道を下ってゆくと、石造の橋がある海辺の家々が立っていた。十九世紀のロマン派の詩人、シャトーブリアンがよく訪れたところである。ブルターニュ地方では古いブルトン語(ケルト系)が用いられている。大学の講義にも国家試験にも使われるから、正しい意味でフランスは二つの言語圏なのだ。私の好きな現代小説にユグナンの『荒れた海辺』がある。兄と妹の愛とこのブルターニュの夏のおわりを描いたもので美しい。 旅なかま3月号

  以前にも饗庭さんの著書はブルターニュ関連書籍 その2フランス・ロマネスク幻想の都市―ヨーロッパ文化の象徴的空間を紹介したことがあるのだが、ほかにも石と光の思想―ヨーロッパで考えたことの中に、ブルターニュに関する文章があり、そこに前述のユグナンについての記述がある。そこにはユグナンとフルニエに同じ魂の血縁性があったとある。フルニエについて論文を書いたことがあるので、この記述には個人的な思いいれがある。

  ほかにもパリ 歴史の風景は擦り切れるほど読んだし、フランス四季暦―春から夏へフランス四季暦―秋から冬へ知の歴史学ヨーロッパ古寺巡礼など、ヨーロッパの文化を洞察した名著がたくさんある。フランス旅行を計画しているなら、饗庭孝男さんと田辺保さんの著書をあらかじめ読むことをお勧めする。

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パルロワ・カフェ

mars  奈良市にLE PARLOIR CAFE パルロワ・カフェがオープンしました。オーナーのサチコさんは、レンヌで暮らしていたことがあります。一緒に料理をつくったり、ワインを飲んだりした友達です。私にコート・ド・ローヌの味を教えてくれたのも彼女です。

  それに彼女のつくるお菓子は本当においしい! 秋篠川沿いには美しい桜並木があるそうですし、世界遺産の薬師寺も見えるようです。ぜひ訪ねてみてください。

  パルロワ・カフェBLOG 住所:奈良市六条町106-6 

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2005.03.21

フランスの子供新聞から

journal  これはLe journal des enfants子供新聞 のLe dossier de la semaine 今週の特集。Grand reporter : un métier à risques 特派員:危険な職業というタイトルがついている。

  この記事はLa 16e semaine de la presse et des médias dans l'école第16回目となるメディア・プレス週間(14~19日まで)に関連したもの。新聞、テレビ、ラジオ、インターネットなどがどのようにニュースを発信しているのかを学校で子供たちに伝えるという週間であった。

  記事では世界中に派遣されている特派員のおかげで世界の情報がわかり、画像を見ることができる。重要な職業なのだがとても危険で、毎年ジャーナリストは傷をおったり、紛争の続いている地域では命を失うこともあると説明している。さらにジャーナリストは標的にされることもあり、イラクでは2003年3月から多くのジャーナリストが殺されたり人質にされたりしていると書かれている。

  このページはLiberté de la presseにリンクが張られている。こちらには現在でも人質となっているフランス人ジャーナリスト、リベラシオン紙のFlorence Aubenasフロランス・オブナさんとイラク人通訳の写真があり、拘束されている日数がしめされている。今月になって彼女のビデオが公開された。

  これは日本でも取り上げられているが「事態は切迫。どうか助けて」=イラクで拉致の仏女性記者が懇願(時事通信社 2005年03月01日)のあまりにやつれた様子がくり返しフランスのテレビで報道され、ますます関心が高まっている。media@francophonieのオブナさんの映ったビデオが発見されるという記事に彼女の発言の不可解さについて説明があるが、残念ながらこれ以後の進展はない。

  この直後、イタリア日刊紙イル・マニフェストの特派員Giuliana Sgrenaジュリアナ・スグレナさんが3月4日に解放された。だが解放直後、米軍の発砲で同行していた情報部員が死亡し、本人も怪我をしたので大変な混乱をまねいた。解放の女性記者「誤射」は意図的な発砲?(浅井久仁臣 私の視点)かもしれないと、フランスのニュースも連日この話題でもちきりだった。浅井さんは、伊記者銃撃事件の真相という記事で、「意図的」と断定するに十分ではないと述べている。実際にどうだったのか真相はわからないが、イタリアはイラクに駐留している同国軍部隊を9月から段階的に削減する方針を打ち出している。

  では実際に人質になっていた人たちがどんな生活をおくっていたのかについてはイラクで人質仏記者が手記 「まるでビンラーディンの惑星」(産経新聞 2004年12月27日)で概略がわかる。イラクの混乱はいつまで続くのか予測もできない。

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2005.03.20

森の散策

fo  土曜の午後、バスでPaimpontパンポンに向かう。片道2.5ユーロ、ちょうど1時間。なだらかな畑の緑がとても美しい。ついこの間まで雪が舞っていたとは信じられないような暑さ。22度まで気温が上昇した。

  修道院を取り巻くように大きな池があってその周囲をのんびり散策。あまりに日差しが強くて身体がじりじりと焼けてくるほど。これまであまり気に留めていなかったのだが、ここにはジュディカエル王の逸話が残っているし、銅像もあった。7世紀のことだが歴史書ごとにその年代が異なるので断定はできない。

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2005.03.19

Nikon D70 完全ガイド

4844319094.09.MZZZZZZZ  日本から荷物が届いた。中身はNikon D70 完全ガイドと、Kenko 67S MCプロテクターだ。Nikon特製のCompact Flash256MBも送ってもらった。完全ガイドは使い方をカラー写真で説明してあってわかりやすい。このカメラ特有の測光モードやホワイトバランスの設定方法などが一目でわかるので慣れるまではこの本を持ち歩いたほうがいいかもしれない。

  この数日コートもいらないほど急に暖かくなったので、もうタンクトップで歩いている人もいる。明日はカメラを持ってちょっとだけ郊外に出かけてみようと思う。もうこちらでも彼岸桜の花が終わって葉が出始めている。いずれはリモコンと三脚も買って星を撮ってみたい。ちょっと町を離れると街灯もぜんぜんないので、星がとてもきれいなのだ。

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2005.03.18

Plogoffプロゴフの記録映画

film  昨晩ブルターニュの記録映画を見た。Plogoff, des pierres contre des fusils (1981年公開)プロゴフ、銃には石をというタイトルの映画だ。ブルターニュの西部 la Pointe du Razラ岬の先端にほど近いPlogoffプロゴフに原子力発電所建設計画がもちあがった。この計画にほとんどの住民が反対し、壮絶な抵抗運動が繰り広げられたのである。

  1980年、CRS(共和国保安機動隊)と毎日にらみ合う住民たち。住民たちは道路を封鎖するためにゴミを道路に撒き散らす。それをブルドーザーで取り除くCRS。次に木を切り倒して道をふさぐ。その木にナタを振りおろすCRS。真夜中に女性も子供も総出で石を積む。一列に並んで石を手渡し、山のように積み上げて廃車に火をつける。まさに捨て身の焦土作戦だ。重装備しているCRSと、木の枝で作ったパチンコを首から下げてゆるぎない抵抗の意思表示をする女性たちの対比がなんともいえない。

  「我々は元兵士だ。これまで戦地でフランスのために戦ってきた。今は故郷を守り抜く」と国歌マルセイエーズを大音響で流して行進する退役兵たち。「静かに暮らしたい」と嘆きながらもデモに参加する84歳のおばあちゃんの姿もあった。それぞれが「自分たちにはここPlogoffがすべてなんだ」と想いを語る。CRSの応酬もしだいに激しくなり、住民たちに向けて催涙弾が雨のように降り注ぐ。真っ白な煙が村全体を包み込み、逃げ惑い涙をぬぐう老人たちの姿が映しだされる。

  日増しに逮捕者も増えたが、ブルターニュじゅうからプロゴフに応援にやってくる人も増えていった。最終的にこの計画は実現せずに終結した。これを撮った監督はこの村から30キロ離れたところに住んでいて、はじめはカメラなしに現地に行ったが、「事実を記録する必要がある」と撮影を開始したそうだ。これは完成後一般の映画館で公開された記録映画である。映画を見終わって監督と話をした。とても穏やかな人なのだが、カメラは持って行かなかったのでちょっと残念だった。ビデオは現在も販売中でもうすぐDVDにもなるそうだ。

     参考

  現在のPlogoff 写真がたくさん紹介されている
    写真は昨晩もらった映画のポスター
  

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2005.03.15

メールマガジン <緊急レポート ゆれるフランス>

  先日から準備をすすめてきたメールマガジンをまぐまぐのニュース、国際情勢分野に申請しました。まだ発行許可が下りていませんが、メールマガジンの登録はできます。これはフランスの現代社会が今抱えている様々な問題にスポットをあてようというもの。

  ずっと読んでいただいている方ならわかるでしょうが、私が興味を持っているのはケルトやブルターニュの中世、近世文学および歴史です。現代の社会問題にかかわるのは大変なことですが、今月はじめに書いたようにごく身近に起こっている出来事を無視できませんでした。すでに取材をはじめています。メールマガジンは無料ですし、いつでも自由に解除できますので、登録をよろしくお願いいたします。

緊急レポート ゆれるフランス > (マガジンID:0000152081)

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2005.03.13

マン島のケルト神話

celte-man     ブルターニュの地図を探していて、以前から気になっていた不思議なモチーフにまた出会った。ナポリ王ジョセフ・ボナパルトの紋章で書いたtriquêtre (trois jambes posée en pairle issante d'une tête de Mercure)で、 メルキュールの頭から3本の足がでているというもの。

  Drapeaux celtesケルトの旗というところにtriquêtreの記述があった。

Le dieu celte de la mer Mananann, dont l'île tire son nom aurait lors de l'invasion de l'île par les vikings dévalé une montagne en se métamorphosant en trois jambes et les aurait fait fuir.

  ここに出てくるMananannマナナンはケルト神話の女神ダヌーの子孫であるダーナ神族の一員。金髪、碧眼で知られる海の神である。ティル・ナ・ノグと呼ばれる常若の国に住んでいて、海の上も駆け抜けることができる馬やどんな鎧でも防げない剣などを持っていた。彼の名前がマン島の由来になっているのだが、このモチーフはヴァイキングに攻められたとき山が3本の足に変身したという壮大な話なのだ。マン島政府のホームページに使われている紋章はとてもきれいだ。

  さらに付け加えると、ダーナ神族は超自然な力をもつ妖精へと変質してゆき、瀕死のアーサー王も常若の国に運ばれ、ここで今でも暮らしているはずだ。またケルト白鳥伝説で紹介したThe children of Lir: Stories from Ireland「リールの子供たち」のリールとは、マナナンの父親である。これは、継母の魔法で白鳥に変身させられた4人の王子と王女たちが900年間放浪する切ないお話。ダーナ神族についてさらに知りたいかたは井村君江さんのケルトの神話―女神と英雄と妖精と講談社学術文庫 をどうぞ。

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2005.03.11

ブルターニュの写真集La Bretagneを更新

abbaye
  ブルターニュの写真集La Bretagneに3冊のアルバム、写真36枚を追加。

    ノエル(クリスマス)のアルバムも新たにつくりました。15冊のアルバムがありますが、これまでの写真も少し入れ替えています。

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大規模なストライキ

  フランスの名物はデモとストライキといっても過言ではないのだが、今日は全国的に大規模なストライキが行われている。TGVも半分しか動いていないし、飛行機も全部は飛んでいない。郵便局や銀行もしまっている有様。フランスの7大労組は、週35時間労働制改正に反対しているのだ。デモに参加している教師たちもいるから、授業のない学校もあったはずだ。

  これはもちろん賛否があるのだが、昨年パリを友人と歩いていて、土曜の夜なのにたくさんのレストランが閉まっていたので「どうして」と聞いた。すると「35時間制で従業員の交代をするのは大変なので、土曜や日曜にレストランを閉めるところが増えている」というのである。観光都市パリでさえもこうなのかと驚いた。

  それから、日本では考えられないことだが、高校生がずっとバカロレア制度改正に抗議してもう数ヶ月にわたって断続的にデモを行っている。デモは公道を使用するためにあらかじめ届出が必要で、警官が同行することになっている。先日はレンヌの幹線道路で高校生たちが道路にすわりこみ、車やバスが2時間くらい動かなくなっていた。

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2005.03.10

パリコレ速報

  2005年秋冬のパリコレクションの様子をオンラインでいち早く教えてくれるのが、読売新聞YOMIURI ON-LINEです。女性誌Elleのトップモデル・サーチではファッションショーで活躍している注目モデル情報がわかります。

  それから特に海外に住んでる人にお知らせしたいのが、雑誌ネットというサイト。最新の雑誌のタイトルが一目でわかるし、ここで立ち読みできるページもあります。私はFigaro Japonの記事をちょっとのぞいちゃいました。Firefoxで見えないのがちょっと不満なのですが、それでもとても有難いです。

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2005.03.09

どの国の訪問者かわかる便利ツール

  遊びに行ったBlogでおもしろいものを見つけました。自分のページをどこの国の人が何人見ているのかをオンラインで報告してくれる便利ツール。さっそくつけて見たけれど、誰もきてないや。でも、これ楽しいですね。GEOLOCです。無料ですから、気にいったら試してみて下さい。

  英国ウェールズのBlogAmmoniteさんのところで教えてもらいました。Franceと出てたのは私ですよ! 

    追加  3月10日

  これは最初の1000アカウントだけ無料だったようです。それを超えたらライブで国別、何人という表示がなくなりました。でもオンライン表示はあるので、もう少し様子を見てみます。

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2005.03.08

レンヌ美術館のジョルジュ・ド・ラ・トゥール

de_la_tour  国立西洋美術館ジョルジュ・ド・ラ・トゥール 光と闇の世界という展示会(2005年3月8日~5月29日)がはじまった。オープニングにはジャン・ピエール・キュザンさんと(元ルーヴル美術館絵画部長)と日本のジョルジュ・ドゥ・ラ・トゥール研究家、田中英道さんの(東北大学教授)講演会が行われたそうだ。

  フランス人画家 Georges De LA TOUR ジョルジュ・ドゥ・ラ・トゥール(1593~1652)は独特の画風で知られている。展示会のタイトルが示すように、淡いろうそくの光に照らし出される生き生きとした人物描写に特徴がある。私がはじめて彼の作品を目にしたのはルーブル美術館のSaint Joseph charpentier 大工聖ヨセフだった。大きなポスターを購入し何年も部屋に貼っていたので、その構図ははっきりと思い起こすことができる。

  フランスでも人気がある画家なのだが、残されている作品が少ないことも一因して20世紀に至るまでその存在すら忘れ去られていた。彼の経歴やその作品については時空を超えてというBlogのラ・トゥールの小部屋に詳しく解説があるので、そちらをご覧いただきたい。

  さてレンヌ美術館にもLe Nouveau-né聖誕図というタイトルの作品がある。Musée des Beaux-Arts de Rennesで美術館のコレクションを見ることができる。左上にある女性の横顔をクリックすると、16~18世紀の作品が見られるが、Le Nouveau-néも解説がある。この作品を見るためにレンヌまで来る人が案外多い。時空を超えてを書かれている桑原さんも来られたそうだ。

    Le Nouveau-néでひざのうえに抱かれている赤ん坊は布でしっかり巻かれている。これは中世からの習慣で、こうするのが身体のためになると信じられていたのである。だから家柄が良いほどぐるぐる巻きにされていたので、反対に発育がさまたげられ足をひきずることもあったようである。

  日本で彼の作品がこれだけたくさん見られるチャンスはもうないかもしれないので、ぜひとも国立西洋美術館に足を運んでほしい。

  参考文献

4422211811.09.MZZZZZZZジョルジュ・ド・ラ・トゥール 再発見された神秘の画家 ジャン=ピエール・キュザン、ディミトリ・サルモン 著 「知の再発見」双書  創元社 2005
Georges De LA Tour Jacques Thuillier, Fabia Claris, Flammarion 2003
ルーヴル美術館の歴史 ジュヌヴィエーヴ ブレスク 著 「知の再発見」双書 創元社 2004
夜の画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥール ピエール・ローザンベール、 ブルーノ・フェルテ 著 二玄社 2005
また「「芸術新潮 」03月号 、「美術の窓」、などの雑誌も特集を組んでいる


  

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2005.03.06

今日だけコメントの受付を止めます!

  今日コメントスパムについて記事を書きましたが、それからも止まりません。全部消していっているので、合計でどれくらい来たのかはわかりませんが、1回目の記事以降でも40くらいになったでしょうか。消しきれないので、今日だけコメントの受付を止めます! 日本時間で21時50分からの集中攻撃で、もう我慢の限界がきました。

    追加

  やっぱり、前のトラックバック禁止と同様にコメントの受付を止めるという設定は全く意味がありませんでした。コメントを受け付けないと設定したのに、自分でテストしたらコメントできたし、スパムだってまたきてます。(コメント受付中止に設定した分、つまり、この記事以降のコメントだけ禁止になりますが、過去の記事は関係ないのです)。ほかに方法はないのでしょうか?
  

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ケルト概念の変遷

  2003年秋に日本で開催された欧州古代史シンポジウムケルト学者会議シンポジウムをふまえて、原聖さんがケルト概念再考問題を書かれている。

  ケルトという概念がどのように構成され、そしてどのような変遷をたどっているのかが、すっきりとまとめられている。これはブルターニュ関連書籍 その6で以前紹介した<民族起源>の精神史 ブルターニュとフランス近代 世界歴史選書 原 聖 著 岩波書店 2003 のいわば続編にあたるものだ。

  歴史学者、言語学者など、それぞれの立場からケルトを考えるじつに興味深い内容だ。これは、総括であるので、議事録を読まないと詳しい論議の内容はわからない。

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コメントスパム

  トラックバックスパムもコメントスパムも、一度被害にあったら向こうはアドレスを記憶させているので、やはり同じブログに送りつけられているようだ。一度に来るのもいやだけれど、30分とか1時間置きに数通ずつというのも、これまたストレスになる。

  消したと思ったら「あれ、また・・・」なんて感じが昨日からずっと。30くらいはきてたはず。ほんとにこうなると、掲示板だけにして、コメントの受付も止めたいと考えてしまう。記事ごとにコメントがつくのが、ブログのおもしろさなんだけど・・・ どうにか対処方法はないのかな?

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2005.03.05

パリ・カフェの歴史 その4

cafe_loire     ヨーロッパでは、コーヒーは1615年ヴェネツィアに登場する。(イタリアの資料は今回見つけられなかった)。ロンドンでは、1652年にコーヒーハウスがつくられたことがはっきりしている。ギリシャ人のローズィという人物が経済の中心地シティに開いたのがそれである。オスマン・トルコのカフェをモデルにしたようである。

  ルーツ探しはこれくらいにして、その後の経過を簡単にまとめてみよう。ル・プロコープの成功によってパリには次々とカフェがオープンした。1723年には380軒まで増えて、社交場としての役割をになうようになってゆくのだ。18世紀後半のカフェには上流階級の人々が集い、ゆったりと会話を交わす姿が見られた。

  革命前のカフェの数は1800軒になり、ル・プロコープに名前が挙げられているようなダントン、マラー、ロベスピエールといった人々が政治について討論を戦わせたこともあった。革命の混乱がおさまるとパリにはカフェが乱立し1807年には4000軒もあるといった有様で、歌謡喫茶、演芸喫茶などが生まれ多様化してゆく。20世紀、知識人や芸術家たちがカフェを拠点として活動していたことはよく知られているし、今日でも憩いの場として親しまれていることはいうまでもない。
 
  
    参考資料

  写真はロワール川のほとりにあった素朴なカフェ。ここではどんな会話が交わされているのだろうか?

パリ歴史事典 白水社 2000  (Dictionnaire de Parisの翻訳本)
今回書いたフランスの歴史はこの本の記述を参考にさせていただいたが、百科事典等で調べたこともある。編者の鹿島茂さんが冒頭に書いているように、「読む辞典」として非常に楽しめる。分厚い本なので私もまだ全部を読んではいないのだが、たまにペラペラページをめくっていると以外な発見があっておもしろい。
   

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2005.03.04

フランボワーズのタルト

tarte       フランスでは食後のデザートがかかせません。もちろん男性もデザートを食べるのを楽しみにしています。

    これはTarte de framboise フランボワーズ(キイチゴ)のタルトです。値段は2ユーロくらいです。ちょっと甘酸っぱいフランボワーズの香りが紅茶とよく合います。

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抗議集会の顛末は・・・

  まさかと耳をうたがうような事実にひどくショックをうけている。きのうのオペラ座前で抗議集会という記事を書いてからもう一度オペラ座前に戻り、何人かに話を聞いた。でも、怪我した人数さえもはっきりしないし、どんな怪我だったのかもあいまいな説明しかなかった。わかったことは、これが、昨年12月の事件(若者たち、深夜の大乱行参照)で怪我人がでたということに対するはじめての抗議集会だったということだけだった。

  小山のように積み上げられた木切れが燃え尽きるころ、若者たちは少し興奮していた。そこには住所不定で建物を不法占拠しているものたちも混じっていたし、昼間からすでに多量のアルコールを飲んでいる人たちもいた。警官隊は広場を遠巻きにして見ているだけで手出しは全くしていないが、彼らと一般の通行人の間に鉄の柵を置いてけん制していた。(これは普段からイベントに使用されているもので、特別に持ってこられたわけではない)。それでも午後3時に始まった集会は5時ころには終わり、それぞれ帰路についたはずだった。

  ところが、新たな事件がそれから市内5ヶ所で起きたのだという。若者たちは、メトロの入り口やゴミ箱に火をつけたり、火のついた木切れを警官に投げつけたりして少なくても5人の集会参加者とひとりの警官が負傷したもようだ。12月の事件は、他の都市からやってきたふとどきものの起こしたことと考えることも不可能ではない。だか通勤、通学客が一番乗り降りする夕方のメトロの入り口に火をつけるという昨日の事件はあまりにも非常識である。

  いったいレンヌで何が起きているのか。この穏やかな地方都市で日増しにエスカレートしてゆく言い知れぬ危機感。とてもここには書ききれない。きのうも顔は撮らないでくれと言われたし、警官隊ともまっこうから衝突するくらいだから取材するのも簡単ではない。だがこれは他人事ではなく、すべての出来事が私の家からわずか徒歩数分の場所で起きていることなのだ。これらの事件を掘り下げ緊急レポート・フランスの苦悩(仮題)というメルマガを発行しようと思う。何か情報を持っている方、また取材に協力いただける方はメールで連絡してください。

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2005.03.03

オペラ座前で抗議集会

contre_p     いったいこれは何をしているところだと思いますか? 警察の暴力によって怪我人がでていることに対する抗議集会です。もう少し詳しい話を聞こうと責任者を探したのですが、今はいないということでした。テレビ局が数社取材にきていましたので、ニュースで情報がわかると思います。

  よくわからないけれど立ち止まってみている2人の男性は「火をたいていて、暖かいじゃないか」などというわけのわからない答え。数人のテレビ局のカメラマンと話をしましたが、「フランスにはいろんな顔があるんだ。たくさんの問題を抱えているし、日本人が考えているように、毎日ボルドーをあけて高級レストランで食事しているわけじゃないんだよ」と言っていました。

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2005.03.02

フランス旅行が楽しくなるブログ

nature6  「うるわしのブルターニュ」は本来ブルターニュのことを書くはずなのですが、その時書きたいことを書いてきた結果、カテゴリーがどんどん増えて、とてもわかりにくくなってきました。1周年が過ぎ、「写真をいっぱい載せたらココログの容量にもかぎりがあるし・・・」と先日からいろいろ考えて、フランス旅行が楽しくなるブログを独立させることにしました。

  でも、ひとりでいくつものBLOGにどんどん記事を書けるわけでもないので、ここに新しく書く旅行の分野の記事を転記し、いずれは、ここをもとに総合旅行案内にまとめてゆくつもりです。はじめは違うことを書こうと努力してみたので、ここに書いていない新しい記事が3つあります。(すでにギブアップしました)。ちょうどココログから容量アップのお知らせがありましたね。容量については、これでちょっと安心。もうちょっと早く発表してくれていたら、ココログ内で別サイトにしたほうが簡単だったのに・・・

  あとは、今月中にもうひとつ、新しい試みにチャレンジします。昨晩もこの構想を練っていたら、興奮したのか、朝4時に目がさめてしまいました。やったことがない分野なので、お知らせするまで、もう少し時間がかかります。写真は夏の海辺の様子。レンヌは雪は降っていないのですが、寒くて何だか冷蔵庫のなかにいるみたい。早く夏がきてほしい!

  

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