タンザニアの映画 DARWIN’S NIGHTMARE その3
タンザニアについてさらに調べてみた。この国はずっと貧困にあえいできたのかというとそうではない。本来穀物は自給自足できていたが、96年、2000年の天候不順で農業生産が落ち込んだ。だが、飢餓を深刻にしたのは天候ではない。
タンザニアの北に位置するケニア、ソマリアでも深刻な雨量不足による農業不作に見舞われたために、タンザニア北部の余剰穀物はほとんどが、不法にケニアに輸出された ジェトロアジア経済研究所
自分たちが食べられるはずの食糧が他の国に輸出され、政府には国内南部にある余剰穀物を民間市場から買い上げる資金もなく、国外からの食糧援助にたよりきりの状態なのだと、上記の資料は説明している。
問題はほかにもある。貿易の自由化がかえって農民たちの生活をおびやかしているとのレポートがあった。
SAP と貿易の自由化により、タンザニア では農業生産が向上し価格が上昇、ついては農民が安定収入を得られる想定されていたが、そのようなことはおこらず、食糧安全保障への全般的な影響は、「非常に否定的なものであった。農民の収入は減少し、同時にSAP 政策により、授業料や医療費用の徴収が再開されることとなった。農民たちは少ない収入の中から出費を余儀なくされ、農業に費やす資金や食糧難の際に必要な貯蓄も減少し、食糧の保障への危惧が増加した。」 貿易の自由化と食糧安全保障
貿易の自由化は、不在地主や多国籍企業という大規模農業者を優遇し、小規模農家を犠牲にすることによって成り立っているといわれる。SAP は国家の役割を弱体化させ、小規模農民が受け取る公的補助を減少すると同時に、企業に対して有利な経済環境を作り出した。多国籍企業は食糧作物より輸出作物、国内の食糧のニーズに合うことよりも利益のでる海外市場への輸出を優先する。 引用は上記と同じ
つまり、穀物もナイルパーチと同様に、より利益のあがる海外市場に売られてしまったのである。フランスだけでも昨年度2267トンのナイルパーチを輸入、900万ユーロ(12億6000万円)がタンザニアに支払われたことになる。全世界から獲得した外貨はいったいどこに消えたのか?
映画館ではあちこちからすすり泣きが聞こえてきた。でも私は泣かなかった。多角経営でどんどんのしあがってゆく企業家と、やせ細った一般国民のあまりの格差に心底怒っていたからだ。みんな同じようにこの地球に生を受けた。みんな精一杯生きようとしている。貧富の差があることはわかっている。だが貧者には生きることも許されないのか。自分に何ができるかわからない。ただひとりでも多くの人にタンザニアの人たちの状況を伝えたいと思いこれを書いた。(写真の女性はもうこの世にいない)。
参考文献
Hungry for Trade: How the Poor Pay for Free Trade (Global Issues Series (Zed Books).)John Madeley著 2001 Zed Books
上記で引用した「貿易の自由化と食糧安全保障」はこの本の翻訳
フランスではこの映画のDVDがすでに発売されている。
Le Cauchemar de Darwin
• Date de parution : 12 octobre 2005
• Éditeur : mk2
フーベルト・ザウパー氏のインタビュー記事 2006年1月1日発売の季刊『前夜』6号
タンザニアの日常生活 実際の暮らしを知ることが出来ます
衛星で枯渇した大陸を記録 JANJAN 2006年9月13日 アフリカ大陸全体に広がる深刻な環境変化やビクトリア湖の水量低下を示す衛星写真について
95年から5年半、アフリカで特派員をした藤原章生氏の映画評論(毎日新聞・記者の目2006年12月14日)
雑誌『TITLE』2007年2月号(文藝春秋)にフーベルト・ザウパー氏と村上龍氏の対談が載っています。村上龍氏は「自分が好きなドキュメンタリー映画5本」の中に「ダーウィンの悪夢」が入ると述べています。
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コメント
昨日、NHKBS7でこの映像を見ました。自分は1973から2年間、取材地ムワンザで暮らしていました。
石油ショックと旱魃でタンザニアの国際収支が赤字転落する時期でした。現地語でサンガーラというナイルパーチの存在は当時は目にしませんでした。
1989年に再訪したときは、国内便にあのでかい魚をそのまま持ち込む乗客がいました。
映像記録時期と思われる頃、陸路でムワンザ入りしたので空港の様子は分かりません。あんな大型機が発着できるように(といっても離陸は滑走路すれすれでしたよね)なったのかとびっくりしました。
空港への道路が一変したのは確認しています。
書き込みを読んで感じたのは、映像は真実でしょうが全部でもありません。
一度、現地を見れば違う感想もあり得たと思います。
投稿: HONDA Kozo | 2006.03.12 21:11
コメントありがとうございます。
どんな国を表現しようとしても、映像や文章はその一部しか伝えることはできません。例えばレンヌでこんなに頻繁に催涙ガスが使用されていても、それを吸い込むことなど普通はないからです。実際に何年か暮らしてみないと、現地の実情はわからないと思います。
ただ、魚の骨が累々と重なっている映像は瞼に焼き付いています。本来なら魚の死骸も土に返るものです。それは新たな生命の栄養源となります。
その暇もなく無理やりに魚の骨を燃やさなければならない現実。あまりに自然の摂理と反した行為に思えます。そうやって加工された魚の切り身がフランスでも日本でも大安売りされていることを知ると何ともいいようのないジレンマに陥りました。
モロッコに行ったことがありますが、その時列車の窓から見た光景も強烈な印象が残りました。それは、一坪もないような木のバラックが建ち並ぶスラム街のようなところにパラボラアンテナが林立していたことです。貧しいのか豊かなのか、日本の常識では理解できないものでした。タンザニアの飢餓も杞憂であったらいいのですが。
投稿: 市絛 三紗 | 2006.03.13 05:32
先日、現地隊員から聞いた報告では全てとは云えませんが燻製にして市販されているようです。
映像から見るとこちらの方がどれ位の比率かは分かりませんが、昔からこの地では燻製の魚をかなり出荷していました。
でも、圧倒的量の廃棄物でしたので循環されているのは一部かな?という気もしないではありません。
自分なりには、廃棄するならそのまま埋めてしまう方が自然かなとも思いますが現状をつかめていないので、これ以上の推測は避けたい思います。
投稿: HONDA Kozo | 2006.03.13 20:24
燻製にするのも手間がかかりそうですね。市販価格は庶民が手軽に買えるものなのでしょうか。もしわかれば教えてください。
投稿: 市絛 三紗 | 2006.03.14 02:10
画面を見ている限りでは燻製作業が入っていたと思います。材料が安いし、購買者は収入の少ない人達なので価格を高く設定できません。
水産物加工隊員だった人(警備員が出ていた国立水産研究所に配属)は、ダガーという小魚の燻製を商品化して好評だったそうです。
実はビクトリア湖のダガーは、タンガニーカ湖産に比べると品種と環境の違いで太刀打ちできません。
そこで彼女は二次加工で、塩味と唐芥子(ピリピリ)を加えて売り始めたほか、小分けしておつまみ感覚で売り出して成功したと云っていました。
投稿: HONDA Kozo | 2006.03.15 05:41
もう一度見直さないと細かいところは思い出せません。まだ小魚は採れるのでしょうか?ナイルパーチと共生できる魚はいるのかな?
投稿: 市絛 三紗 | 2006.03.16 00:07
確かに以前獲れていた高級魚テラピアやナマズ・肺魚は激減しているようでした。
生態系が狂いだして困っているのは否定しませんが、もともとプランクトンが豊富でしたので今のところ肉食魚だけが闊歩しているわけでもないです。在来種が減りつつあったところに導入されたと云われています。
また、映像の取材地はムワンザでしたがこの種のドキュメンタリィはケニア・ウガンダものも何度も見てきました。(でも、この作品は危険な撮影だっただけに迫力が違いました)
投稿: HONDA Kozo | 2006.03.16 05:56
ここには書きませんでしたが、ケニアなどでもナイルパーチを外貨獲得の主要加工品とみなしているようです。
おすすめの映画などありましたらご紹介ください。こちらでは手にはいるかもしれませんので。
投稿: 市絛 三紗 | 2006.03.16 14:39
タンザニア在住のものです。昨年の12月にムワンザへいきました。ムワンザはタンザニア第2の大都市です。人があふれ、山の上まで家が建っています。活気がありました。とても地獄などといえる場所ではないと思います。
ダーウィンの悪夢を見ましたが、事実かもしれない部分もあるけれど、かなり作る側にとって都合のいいところだけを取り上げた映画だと思いました。インタビューに答えるのも同じ人が多いですし。
ストリートチルドレンはたしかにいますが、彼らを救済するための地元のNGOもあります。また、私の知る限りでは、ストリートチルドレンの中にも兄貴分がいて、年下や新入りの面倒を見ているので、あの映画にあったようなご飯を我先に奪い合うようなことが日常的にあるとはとても思えません。ましてあのご飯はだれが提供したのでしょう?
映画にあった魚の骨が集められている場所にも行ってみましたが、一緒に行った地元の人の話では、もともとナイルパーチ工場が骨などをほかす場所だったのを地元の人がまだ使えると入り込み、揚げて再利用し、安い値段で売っているのだということでした。再利用!!自分で稼ぐ算段をする人びとの逞しさを私は感じたのです。また安い値段なので手持ちのない人のカルシウム補給にもなるではないか。と。
さかな市場ではちゃんとナイルパーチも売っていました。地元の人に人気のテラピアも並んでいました。小魚のダガーの需要は多いときいています。ムワンザの人びとが魚の骨と皮ばかりしか食べられないわけではありません。
ムワンザの人びとは日常を生きています。それは、地獄とは違います。
投稿: 金山麻美 | 2006.04.09 03:57
金山さん。こんばんは。
自分で書いたものをもう一度読み返してみました。私が「地獄」のようだと感じたのは、魚を骨を捨てている場所で働いていた女性の姿です。そして、うじがわき、最後に燃やされて真っ黒のヘドロ状になったナイルパーチの映像でした。
魚の腐敗臭がたちこめていて、そこには5分といられないだろうと感じました。そういう意味で「地獄」と表現したのです。ここに行かれたのでしたら、どのような状況なのか教えてください。私の頭から離れないのは、ここの映像なのです。もうここで働いている人はいないのですか。
>揚げて再利用し、安い値段で売っている
捨ててすぐなら、加工すれば食べられるような状態なのでしょうか。
ここに地元の人たちが来て捨ててある骨を油で揚げて売るのですか?それとも身の部分でしょうか?値段はわかりますか。
>ちゃんとナイルパーチも売っていました
ここでは昔の日本のように、魚が主食だと思うのですが、月給あるいは日給がどのくらいで、売っているナイルパーチの価格はいくらくらいなのですか。毎日食べることができるのですか?
地元にお住まいの方の声が聞けて本当にうれしいです。そちらの様子を詳しく教えてくださいますようお願いいたします。
投稿: 市絛 三紗 | 2006.04.09 05:18