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2005年5月の記事

2005.05.31

ブルターニュは欧州憲法批准にOUI

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    フランスのほとんどの地図がNONを示す真っ赤に塗りつぶされているのに、ブルターニュ地方とペイ・ドゥ・ラ・ロワール地方の一部が青くなっている。Grand Ouestと呼ばれるフランス西部である。ここは欧州憲法批准にOUIの結果となった。

  だが青くなっているペイ・ドゥ・ラ・ロワール地方のla VendéeヴァンデはPhilippe de Villiersフィリップ・ドゥ・ヴィリエの本拠地なのだ。彼はMouvement pour la France (MPF)の党首で、 Jean-Marie Le Penジャン・マリー=ル・ペンle Front National(FN)の党首とともに欧州憲法批准にはもともと大反対の立場を貫いている。両者は「昨日の結果に大変満足している」とコメントしている。

  ブルターニュ地方でもOUIに投票したのは都市部が主で、農村はEUの農業政策に反対票を投じた。全体ではOUIが50,90 %でかろうじて過半数を超えただけだ。この結果についてはもう少しフランス人と話し合ってみようと思う。ちょうどこの週末にヴァンデを訪ねることになっているので、そこでも地元の人たちに意見を聞いてみたい。

     参考

  Villiers savoure son triomphe勝利をかみしめるフィリップ・ドゥ・ヴィリエ氏 Le Figaro
  Front National ホームページ

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フランスの各新聞・第一面 (5月30日)

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    左上はLibérationなのだが、裏表紙には大きなOUIが踊っている。80% ont dit OUI ( 80%がOUIと言う)と書かれている。

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2005.05.30

欧州憲法批准否決

nuit     29日行われた欧州憲法批准の是非をめぐる国民投票で、反対票が過半数を超えフランスでは欧州憲法批准は否決された。場所によっては午後10時まで投票が行われていたのに、結果がでるのがいやに早かった。

  現在午後11時半だが、市役所前では大音響で音楽が演奏されていて、テレビの音さえもさっぱり聞き取れない。その音楽ではチェ・ゲバラの名前が連呼されている。(写真は今の様子)。

  すでにイタリアやスペインなど9か国が批准手続きを完了しており、主要国フランスの否決は、欧州連合諸国に波紋を広げることが予想される。

 

  

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2005.05.29

絵本に夢中

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    子供たちは絵本に夢中になっている。私がカメラを向けるとそのシャッター音でチラッとこちらに視線を向けたが、すぐに自分の世界にもどってしまった。

  この手作りの家はとてもいごこちがよさそうで、出来れば私も仲間にいれてもらってここでのんびりと時間を過ごしたいものだ。

  タボール公園の温室横にある展示スペースで、いつも写真や絵画が展示されている場所である。今回は子供たちが作ったオブジェがところ狭しと並んでいる。

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2005.05.28

欧州連合の行く先は・・・

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  いよいよ欧州連合(フランス語ではUE)憲法条約批准を問う国民投票が行われる。頻繁に実施されている世論調査では「批准NON」が55%である。土曜恒例のレンヌ朝市ではTシャツにOUIまたはNONと書いた人たちが大声で意見を戦わせていた。

  シラク大統領は26日、「この国民投票は歴史的な責任があるので、欧州建設とフランスの内政を混同することがないように」と発言した。政界では、もし否決された場合に条約を見直す「プランB」の内容が論議されているが、すぐそのあとにオランダの国民投票(6月1日)がひかえていて、両国の結果しだいでは、欧州の枠組みさえも意味を失ってしまうことになりかねない。

  私個人の意見は批准に賛成である。UEの規模が急激に拡大しすぎたことで、失業問題など大変な摩擦がおきているのは確かだが、今の段階で構想が宙に浮けばどのような混乱が起きるのか想像できない。今年予定されているデンマーク、ポーランドの国民投票も先の2国の結果に影響を受けるはずである。

  数日まえにフランス人の友人と話したが、「まだ決めかねている」と言っていた。構想自体は素晴らしいが、理想と現実の間に隔たりがあるからだ。とにかく、すべては明日の投票結果にかかっている。

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2005.05.27

何でも予約制

  フランスでは何をするにも予約がいる。眼鏡を買い換えるためには眼科の受診が必要なのでさっきから電話をしていた。ところが、予約がとれない。はじめにかけたところは、8月までいっぱいだという。次のところは7月半ばになるらしい。

  そんな先の予定なんて、わからない! かたっぱしから電話してやっと6月10日に予約できた。うちの3軒隣のアパートである。一般医でもみんなかかりつけの医者に行くのだが、急な発熱などでも翌週まで予約でいっぱいなどというのはよくある話で、風邪なんか1週間もすれば治っているはずだ・・・

  私が紹介してもらった一般医は予約なしで大丈夫。日本のように、待合室で待っていれば見てくれる。これは非常にありがたい。実は眼科に行くのにも一般医の紹介がいるのかと勘違いして2日前にこちらに行った。直接予約すればいいとわかったのだが、「このところ寝不足だったりして足がむくんでいる」と告げると、「マグネシウムの顆粒を2週間飲んでみなさい」と言われた。

  寝ているときに足がつることがたまにあるのだが、これもマグネシウム不足が原因である可能性があるらしい。そういえば、フランスにひじきや海藻は売っていないし、確かに摂取量が足りないと思う。イライラや物忘れが激しい人はマグネシウムが不足していないか考えてみては・・・ こんな注意もあるので、医者に相談してみよう。

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夏の色

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  ここ2日ほど、気温が上昇し25度くらいあったでしょうか。カメラを持って散策し花を撮ってみました。 
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2005.05.26

夏の夜のフランス音楽祭

 毎年6月21日、フランスじゅうが音楽につつまれます。fête de la musiqueの日なのです。あらゆるジャンルの音楽がいっせいに演奏されます。ですからこの日は眠れないと覚悟したほうがいいのでしょう。昨年はちょうどパリにいましたが、にわかミュージシャンがあちこちで演奏していました。

  今年から日本で「2005年日・EU市民交流年」の公認イベント夏の夜のフランス音楽祭が開催されます。第一回目は、6月17日(金)フランス人インテリアデザイナー、アルベール・アビュト氏が手がけたクラッシックホール・HAKUJU HALL(代々木公園にて、コンサートがあります。

 第1部: 二胡とギターのデュオ (シュウミン&渡部正行)
 第2部: 若林顕 ピアノリサイタル

   フランスのイベント情報はこちらから

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2005.05.25

黄色いキリスト

christ_jaune      この作品はゴーギャンが1989年に描いた「黄色いキリスト」である。パリからポン・タヴェンにやってきたゴーギャンはここで、ブルターニュに住む人々を描いている。キリストは、ゴーギャンが彼の感性で黄色に塗ったのだと思っていた。風景がこんなに黄色いはずはないから、キリスト像が黄色いはずはないと思い込んでいたのである。

  だが、ポン・タヴェンに行ってみると、La chapelle de Trémalo トレマロ礼拝堂の中に本当に黄色いキリスト像があった。そして礼拝堂の梁にはおもしろい顔をした人間の顔がいっぱい刻まれていた。普段の顔をした人たちとキリスト像の対比がとても印象に残った。

ポン・タヴェンの町のHP
 Musee de Pont-Aven  ポン・タヴェン美術館
  Place de l'Hotel de Ville 29930 Pont-Aven
  tel. 02-98-06-14-43

 ゴーギャンの経歴・絵の特徴 静岡県立美術館の解説

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2005.05.23

ハリー・ポッターとスターウォーズ エピソード3

  スターウォーズ エピソード3を見終わってから考えているのだが、詳しく内容にふれられないので書くのをとまどっていた。それははハリー・ポッターと不死鳥の騎士団 にも共通することなので、ハリー・ポッターを例に挙げてのべてみたい。

  この2つの作品には共通点がある。それは悪の力の強大さである。不死鳥の騎士団ではハリーの親友、ロンの兄パーシーが悪の力に屈し、家族との絆を絶ってしまう。父親が瀕死の重傷をおっても、母親を泣かしてもその決心にゆるぎはない。ハリーとチョーは前年のセドリックの死から立ち直れないのだが、悪の頂点にあるヴォルデモールはどんどん仲間をふやして勢いを増してきた。そして魔法使いたちを次々殺したり、刑務所にいれてゆく。そしてハリーの魔法学校でさえも締め付けが厳しくなりまったく自由がなくなる。なにしろ校長さえも解任され逃走するほどなのだ。

  ハリーは名付け親シリウスの危機を知り、友人たちと一緒に救出に出かける。最終的にはヴォルデモールが死んで平和が訪れるがハリーはシリウスの死にうちのめされているというストーリーだ。(まだ15歳の彼らが勝者になって、大人の魔法使いがあっけなく死んでゆく)。ここで考えてほしいのは命についてである。友人や名付け親の死は耐えられないが、悪人ならためらいなく殺してもいいのか? ハリー・ポッターを書いたローリングさんの意図はわからないが、たぶん善悪の対比を際立たせようとしただけなのだろう。だが、殺すことがあまりに自然なので、誰もあらためてその意味を考えたりしないだろう。

  フランスではアニメ「北斗の拳」があまりに暴力シーンが多すぎると抗議が殺到し、90年代はじめにはすべての日本アニメが放送禁止になっていたのだ。それに比べると今のテレビゲームや映画の殺人シーンのリアリティーには大人でさえも目をそむけることがある。世界では毎日死者が数十人と報じられている。でもそれに麻痺してしまって今では誰もニュースに驚かない、これでいいのだろうか?

  ルーカス監督はスターウォーズについて「最初の三部作はベトナム戦争の最中に構想されたが、新三部作はイラク戦争の影を感じてもらえると思う」とインタビューに答えている。このスターウォーズのシリーズでも善悪いりみだれ、死が新たな死を生み出し戦いは続いてゆく。テロ行為は許されないから、容疑者や独裁者はどんな扱いをしてもよいのか?

  数日前、イギリスの大衆紙「サン」はフセイン・イラク元大統領が拘置所内で下着姿になっている写真を公開した。誰だって自分の下着姿を公にしたくはないだろう。特にアラブ諸国では他人に素肌を見せない習慣なので、その波紋は大きくて当たり前だ。これまでにも書いてきたが、人間の尊厳をないがしろにする行為は反感を招くだけである。またコーランを侮辱したという報道で世界のあちこちから非難があがっているが、もし本当だとしたら火に油をそそいだようなものだ。

  ル・モンド・ディプロマティークにCIAによる拷問の海外委託という記事がある。アメリカは自分の手をよごさなければ、何をしてもいいと思っているのだろうか? 2人のフランス人ジャーナリストは捕虜になったままだし斎藤さんの生死さえもわからない。イラクでは23日午前、国家安全保障担当省「治安作戦最高司令室」室長が銃撃され死亡、イラク駐留米軍は「テロリスト」285人を拘束した、と発表した。読売新聞 これが普通であるはずがない。本当に平和な世の中だと言えるのだろうか?

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ゾウがやって来た店

  先月20日に白馬がやってきたというエントリーに韓国で象があばれたことを書いたが、商魂たくましいソウルのこの店、「ゾウ定食」まで作って、宣伝しているらしい。おみごと。

食堂内のニンジンを食い散らかし、テーブルや窓ガラスを破壊。食堂は営業できない状態となったが、ゾウの管理会社から賠償金が支払われ、看板を新装し店内も改装した。看板には3頭のゾウの絵が描かれ、メニューには7000ウオン(約750円)の「ゾウ定食」も登場。店内にはゾウの置物も置いた。 毎日新聞 

  

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2005.05.22

スターウォーズ エピソード3

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 18日に劇場公開されたStar Wars EpisodeIII を見てきました。日本での公開は7月9日ですから詳しい内容はひかえますが、今回は戦闘シーンより、人間の心に重点がおかれていたように思います。愛と憎しみ、信頼と裏切り、最後はグッときますよ。映画が終わったとき、拍手が起こりました。こんなことは今までなかったように思います。

  私はいつも画面が真っ白になるまで見ているのですが、普通はその頃にはもう誰もいません。でも今日は30人くらいが残っていました。はじめは筋がわからなかったのですが、最後には「これが次のエピソードのXXにつながるんだ」と納得。

  迫力あるシーンはぜひ大きなスクリーンで堪能してください。もう少しで宇宙酔いするかと思ったくらいです。日曜の朝は割引料金なので5.2ユーロ、まだ興奮しています。下にリンクをはっておきますが、映画館で見てからじっくり見るほうがいいかもしれません。

Star Wars Official Site  公式ホームページ
Star Wars Japan  日本の公式ホームページ
先に本を読みたいならシスの復讐か写真集スター・ウォーズ・インサイダー『エピソード3』特集号

エピソード3の主人公 アナキン・スカイウォーカーとかかせない脇役ヨーダ&メイス・ウィンドゥのフィギュア

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2005.05.20

ブルターニュのフェスティバル情報

dance Gouelioù Breizh(Fédération des Comités de Fêtes Traditionnelles de Bretagne)というHPには、ブルターニュの伝統的なフェスティバルのスケジュールが網羅されています。

このcarteの地名をクリックすれば、それぞれのフェスティバルで、どのような催しが、いつ、どこであるのか、一目でわかるようになっています。特に7月、8月は毎日のようにどこかで催しがあります。出かける前にチェックしてみましょう。

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アンティチョ-ク

anti  ホワイトアスパラガスとArtichautアンティチョークはフランスの春野菜の代表でしょう。日本ではほんのちょっぴりお皿にのっているだけですが、ここではお腹いっぱい食べられます。
  来たばっかりのころそう思って買ったのですが、いざとなると、お腹いっぱいになるほど食べられません。毎日食べたいと思うほどおいしいものではないですね・・・ 数回チャレンジしてみましたが、それから見るだけで買っていません。料理のしかたはこちらこちらでどうぞ。

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2005.05.17

祝日返上はNON!

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  5月16日はPentecôte「聖霊降臨祭」でカレンダーも祝日になっている。原始キリスト教会の成立と、伝道の始まりにつながる聖霊の降臨はキリスト教徒にとっては非常に重要な出来事だったのだ。それなのに今年からは働くように決められてしまった。その趣旨は祝日も国民みんなが働いて、その余剰金を高齢者や障害者の福祉に役立てようというものである。

  フランスは週35時間労働で、仕事なんかしていないように思われがちだが、祝祭日の日数は年間13日だけ。そのうちの2日は日曜日なので実質は11日しかない。(日本はたしか20日くらいあったはずだ)。フランスは政教分離を実施しているが、それでも祝祭日の8日はキリスト教に関するものなのである。毎週教会に行くような熱心な信者は減っているとはいえ、日曜日は安息日だからという理由で今でも9割以上の商店が閉まっているようなお国がらなのだ。一方的な決定に反発が起きるのは当たり前ともいえる。

  労働組合は早々と公共交通機関のストライキを表明。全国的にダイヤはめちゃめちゃになっている。広場ではおなじみのデモがあったし、商店街も8割くらいが休みだった。ほとんど休まないパン屋でさえも半分以上が閉まっていた。図書館に本を返しにいったら「ストライキのため休み」と張り紙があったが、メディアテックは開いていた。やはり決定に無理があったのだろう。福祉のためなら、たとえば1日10分だけ余分に働くなどというのはどうだろう? 本当に効果があがるかどうかは疑問があるが・・・

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2005.05.15

ハッピー・アペリティフ

  Apéritifアペリティフというのは食事の前に出されるアルコールのこと。フランス人の家に食事に招かれたら最低1時間は食前酒を飲みおつまみや軽食をつまみながらおしゃべりが続きます。慣れないうちはこれが大変。3時間以上続いたこともあり、それだけで疲れてぐったり。お腹はすいているし、弾丸のように会話(教科書にはでてこない口語)が飛び交って、さっぱりわからないからです。

  実は食事というより、このアペリティフとおしゃべりがメインなのです。ここでだされるお酒は甘めのものが多いのですが、男性ははじめから、ウイスキーを飲んでいたりします。たいていの家では5種類以上揃えていて客の好みを聞きます。

  昨年からフランス農務省の発案で、毎年6月の第一木曜日が「アペリティフの日」に決定。今年は6月2日に、22カ国32都市で同時にイべントが開催されます。日本でのキャッチフレーズがハッピー・アペリティフ。東京、横浜、京都、神戸、福岡などでとっておきのフランス料理が食べられるそうです。詳しい日程はリンクで確認してください。フランスの味が楽しめるチャンスです。愛・地球博のフランス館(長久手会場 グローバル・コモン3)では来場するだけでアペリティフがサービスされます。

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2005.05.14

リビアの結婚事情

 インド人から聞いた話では、インドの結婚式はとてもにぎやかで、招待客は1000人をこすことも多いという。専用の結婚式場もあるというのだが、これは生涯の「晴れの日」なんだなあと思った。

  そこでアフリカの結婚事情をリビア人歯科医に聞いてみた。最先端の医療技術を学ぶためフランスに留学しているのだが、もうすぐ帰国する予定だ。結婚式は「リビアでも友達の友達までやってくるから1000人くらいになる」というのだ。何しろ大家族が多い。彼は11人兄弟で一緒に暮らしている家族は35人。それぞれの親戚や友達を招いただけでも、大変な人数になるわけだ。

  イスラム教徒は豚を食べないので、メインのご馳走は羊かラクダ。(国の東部と西部で、好みが異なるらしい。どちらが羊だったか忘れてしまった)。アルコールも飲まないので、食べて、歌って、踊るというのが一般的。

  これだけの招待客を呼ぶのだから、費用も大変な額になる。最近は国際結婚も盛んで、エジプト、チュニジア、アルジェリアの順番に多いそうだが、国際結婚の場合は少人数の結婚式になるので安上がりなのだとか。でもモロッコ人との結婚はほとんどないという。なぜならアラビア語でも国ごとに違いがあって、「モロッコのアラビア語は全くわからない」らしいのだ。彼もフランスでモロッコ人と話そうとしたらしいが、話がかみあわず結局フランス語になってしまったそうだ。
 
  外務省のHPによると正式名は大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国で現在紛争はないが、南部国境地帯への一般外国人の入域は認められていないそうだ。歯科医の説明では国の真ん中がリビア砂漠なので、東部と西部、そして南部に大きく分けられ、それぞれの生活習慣も異なっているという。

  愛・地球博のリビア館は長久手会場 グローバル・コモン3にあってフランス館やイタリア館もあるゾーンだ。ここで「アフリカ情報通信」が配布されている。その中に新たに書いたDARWIN’S NIGHTMAREの映画評が掲載された。行ったら手にとって見て欲しい。

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2005.05.12

フランス語版・アーサー王の死 追加情報

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  La Mort Le Roi Artuの日本語訳がすでに出版されていると知り合いの翻訳家の方から情報をいただいた。ありがとうございます。
  
  奇蹟と愛と フランス中世文学集4 白水社 1996  

  フランス中世文学のアンソロジーになっていて、3人が翻訳をしているが、「アーサー王の死」を翻訳されているのは天沢 退二郎さんだそうだ。使用されているもとの本はLa Mort le roi Artu,edite par Jean Frappier 3e edition,Droz,1964 である。私が手にしているのはこの文庫本だ。天沢さんは中世から現代まで多くのフランス文学を翻訳されていて私も何冊か持っている。これはおすすめである。ほかの作品についても是非読んでみたい。

  調べてみたら、聖杯の探索―作者不詳・中世フランス語散文物語というタイトルで、人文書院からもでているが、こちらは今手にはいらないようだ。

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2005.05.11

アンナ信仰

Ste-anne     アンナ(フランス語でアンヌ)は聖母マリアの母親で、その信仰はまずオリエントで広がり、フランスでは中世にマリア信仰が広がるのと同時期に定着していった。たとえばルーブル美術館にはレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた聖アンナがある。

  ブルターニュでは独特の伝説が語り継がれている。それは彼女がブルターニュに生まれ最後は再びこの地にもどったというもの。ブルトン人はそう信じている。SAINTE ANNE D'AURAYサン・タンヌ・ドーレイでは17世紀に聖アンナが出現する奇跡がおき、教会が建てられた。巡礼者が次々ここを訪れるようになり、聖堂には数知れない感謝をこめたエクス・ヴォート(奉納板)が捧げられている。

  一年に一度各教区でパルドン祭と呼ばれる宗教儀式が行われるのだが、サン・タンヌ・ドーレイでは毎年7月である。写真は数年前に参加したパルドン祭の様子である。数万人の巡礼者が一緒に歌うシーンは感動的である。上のリンクSANCTUAIRE SAINTE-ANNE D'AURAYをクリックすると歌が聞こえてくるので目を閉じてじっくり聞いてほしい。

    追加情報

  SANCTUAIRE SAINTE-ANNE D'AURAY 公式ページ
  la basilique de Sainte Anne d'Auray で歌われている聖歌の男性コーラスのCDがブレイス語CD大賞を受賞した。その様子はブレイス語大賞 Les Prizioù 2005から。そこから歌が聴ける生ビデオのリンクあり。

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2005.05.10

現代のドルイドたち

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  5月12日、とても興味深い催しがあります。Le mouvement druidique:fantasmes et réalités ドルイドの組織・ファンタスムと現実というタイトル。先日アーサー王伝説のことを書きましたが、ケルトのかかせないキーワードとなっているドルイド。ケルトの賢者「ドルイド」図説ドルイドをながめつつ、どきどきしています。

  まだ現代でもその秘儀を守ろうとしている人たちがブルターニュにいることはテレビのドキュメンタリーで見て知っていました。私はもう2ヶ月も前から楽しみにしているのですが、もしかすると行きたい人がいるかもしれないので、お知らせします。5月12日午後8時から。Maison du champ de marsで。メトロのCharles de Gaulleをあがってすぐです。

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2005.05.09

第二次大戦勝利記念日

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  5月8日は第二次大戦勝利記念日の祝日。レンヌでは毎年市役所前広場で記念セレモニーが行われる。1945年5月7日、ベルリン陥落、そしてナチが無条件降伏した翌日なのである。レンヌも空襲でたくさんの建物が崩壊し死傷者がでているし、古い教会のステンドグラスなども残っていないという。そう考えれば、この美しい市役所が残っているのは奇跡のようだ。

  高らかに国歌マルセイエーズが響きわたり、退役兵たちがずらっと並ぶ前で現役の兵士たちが行進する。ナチが降伏して、日本に原爆が投下され戦争が終わったという経緯が語られるのだが、ここで敵国として日本の名前を聞くのは少し複雑ではある。

  2年ほど前には広場に実戦で使用された本物の戦車が展示され、兵器もずらっと並んでいた。そこではじめて戦車に触れたし、戦場で使われた武器をまじかに見た。子供たちは兵士にねだって戦車の操縦席に乗せてもらい笑顔で写真撮影していた。

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  パネルに武器の使用方法やその効力などの説明があったが、それらが使用された後の状況を考えると身体が震えた。終戦からすでに60年がたち、その記憶も日本では薄らいでいるが、フランスではつい数年前まで10ヶ月の兵役が義務づけられていたので、若い世代でも武器の扱い方は知っているのだ。いざとなればみんな自己防衛できるだけの知識は持ち合わせている。

  いつから女性が兵士として戦場にでていたのかはわからないが、女性たちが兵士となるため兵学校に入学して男性とともに厳しい訓練をうけている現状がある。今日の1時間半くらいの式典の最中でも立ちくらみを起こした2人が隊列から離れるのを見たがいずれも男性であった。隣にいた女性が「以前は看護婦として戦地に行く女性はいたけれど、銃は手にしたりしなかったのに時代がかわったのね」と話してくれた。

  


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2005.05.07

フランス語版・アーサー王の死

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  「アーサー王の死」と聞けばたいていの人がTomas Malony トマス・マロリーの名前を思い出すだろう。キャクストン版LE Morte D'Arthur 全21巻が日本語版ではアーサー王物語 5巻として完訳版で発売されたことはすでにここに書いている

  ところが、フランスでLa Mort du Roi Arthur「アーサー王の死」と一般にいわれているのはLa Mort Le Roi Artuなのである。当然作者はトマス・マロリーではない。本の中にはGautier Mapの名前があるのだが、それは一部だけで、全体の作者はわからないままである。書かれた時代もまったく異なっていてフランス語版は13世紀前半、マロリー版は15世紀半ばなのだ。

  今週このLa Mort Le Roi Artuを読んでいた。この古フランス語版はフランスではなくスイスで出版されていて、本屋でユーロと交換比率がわからないとさんざん待たされて買ったといういわく付きのもの。古フランス語なのですらすら読めず、現代フランス語訳と読み比べていたのだが、数種類ある現代語訳も、間違いがあったりニュアンスが違っていたりする。これは聖杯探求やランスロの物語が中心となっていて、アーサー王の力がしだいに弱まってゆく過程がえがかれている。残念ながらまだ日本語訳はないはずだ。

  すでにフランスでは12世紀後半にChétien de Troyesクレティアン・ドゥ・トロワが一連のアーサー王物語を書いていて、こちらは子供向けの解説書もたくさんでている。アーサー物語にはメルランのような魔法もあやつる預言者や妖精がでてきて、ケルトの伝承がちりばめられているのだが、そこに、聖杯探求というキリスト教の真髄が加わり、独特の世界観が生まれたのだ。

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  The World of King Arthurのフランス語訳を2年くらい前に買ってもっているのだが、まだ全部は読んでいない。今週これも参考にしたのだが、アーサー王伝説の成り立ちから現代までの変遷が非常によくまとまっているし、カラー図版がたくさんはいっていて、しかも日本で手にはいるのであわせて紹介しておく。

  追加情報 (5月12日)

  知り合いの翻訳家の方から情報をいただいた。La Mort Le Roi Artuの日本語訳について 

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チューリップ・キャンディクラブ

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    白が基調で淡いピンクがアクセントになっている清楚なチューリップ。名前はCANDY CLUBと書いてある。でもこの写真は花を寄せ集めたわけではない。一株のチューリップなのだ。

  上から写真をとったらこんなふうになった。いったい全体がどうなっているのかは続きでどうぞ。
  

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2005.05.04

ホワイトアスパラの季節

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  土曜恒例の朝市にホワイトアスパラが並びはじめた。特にここのホワイトアスパラは色、艶ともに素晴らしい。写真を撮っていると、女性が話しかけてきた。「おいしそうでしょ。一束いかが」というので「まだちょっと値段が高いから2週間後に買いに来る」と答えた。

  「今5ユーロだけど、下がっても50サンチームよ。今晩いかが」というので「え。そうなの。もうちょっと考えてみるから」というと商売じょうずなこの女性、私のすぐ横にやってきてさらにこう言う。「あなた、写真撮ったわね。どうして撮ったの。アスパラ買うんじゃないの」。

  なるほどうまいなと思いながら「私の大好きなフランスの思い出にするために撮ったの」と言うと、「買ったらうちのカードもついてるから、いい思い出になるわよ」と微笑みながら言うのだが、それ以上無理にすすめたりはしなかった。こうやってみんな言葉のかけひきを楽しんでいる。

  ロワール川のほとりの町Saumurソミュールから来て販売している。古城があり馬の調教で有名なところだ。

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2005.05.02

普通じゃないことだらけ! その2

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  広場にはBINIC ビニックという町の仮設テントができていて、漁業の様子を紹介する古い写真が飾ってあったので、そのおじさんがいろいろ説明してくれた。この人は観光案内をしているわけではないのだが、ビニックにも何度も遊びに行ったことがあるそうだ。ビニックで以前行われたケルトフェスティバルに来ていたアイルランド人と親しくなったようで、そこにあった写真を指さしながらひとりひとりの名前を呼んでいた。

  そうやってふたりで話していると赤い車が目の前を通りすぎ5メートル行ったところで止まったので、私はおじさんの肩をたたき「あの車、見て」と言いながらその偶然に興奮していた。「すごいのがやってきたねえ。アハハハ」と噂していたら、車から降りてきた二人の男性がこちらにやってきた。

  どういう車なのかたずねると「酒のコマーシャル」ということだった。はじめて聞く名前なので忘れてしまったのだが、食前酒に飲む酒で、ペルピニオンの近くで作られていると言っていた。そのコマーシャルのため、全国を旅しているそうだ。「違反してもこの車なら警官も見逃してくれるだろう」とおじさんが運転手に聞くとただ笑っていただけだった。でもこの日はその商品を積んでいなくて残念。どうせなら、味見をしてみたかったのに。「もうすぐもっとすごい車がやってくるよ」と教えてくれたので、いったん家に帰ることにした。

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2005.05.01

普通じゃないことだらけ! その1

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  今日は早起きしたので、午前中マルシェで買い物。天気がよかったのでカメラ持参で行って、これだけで数ヶ月BLOGのネタになりそうなくらいあれこれ撮影した。はじめてほたて貝を買ってみた。大きな貝が6つで3ユーロだった。

  その買い物からの帰り道、道路を横断しようとしていると、遠くのほうに真っ赤な車が見えた。でも形が普通じゃない! あわててカメラを構えてシャッターを押した。歩いている人たちもこの車を見てニコニコしている。車の運転手が私に向かって手をふって、通り過ぎていった。

  いったい何だったのだろうと考えながら市役所までもどってくると、土曜恒例の結婚式が行われている。でもこれがまた普通じゃない! というのは10メートルくらいありそうなリムジンが横付けされているのだ。レンヌでははじめて見た。そばにいたこれも普通じゃない帽子をかぶった男性がトルコ人カップルの結婚式だと教えてくれた。「私はトルコよりもチベットが好きなんだ」。え。えぇ・・・

  それよりも私はそのおじさんの帽子が気になったので、「それはどういう帽子ですか」と聞いてみた。すると「我らが隣人アイルランドのだよ」という答え。もちろん、このおじさんの写真撮影にも成功。人垣を潜り抜けてトルコ人カップルの側にもしのびよってこちらも撮影。

  するとそこへ、さっき見たあの赤い車がやってきた。この話はまだまだ終わらないので、続きはまた明日・・・


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