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2005年9月の記事

2005.09.30

米国海軍の軍用イルカ、脱走?

 イルカは沿岸の施設で飼育されていたが、ハリケーンで施設が破壊され、海に逃げ出したという。米海軍は軍用イルカの存在を認めているが、今回の“脱走”については確認していない。

 イルカは、軍用艦艇を攻撃するテロリストに毒矢を放つよう訓練されており、ダイバーをテロリストと勘違いして襲撃する懸念があるという。矢に塗られた毒はスパイやテロリストを尋問するため、眠らせるのが目的で致死量ではない。だが、専門家はオブザーバー紙に対し、「イルカに襲われた被害者が何時間も発見されなければどうなるのか」と危険性を指摘する。

 この専門家は、米海洋当局がイルカの脱走を確認したとしている。 読売新聞 2005.09.27

    新聞をチェックしていてこんな記事を見つけた。何だかスパイ映画007の海中乱闘シーンを思い起こしてしまった。テロリストに毒矢を放つよう訓練とあるが、いったいどうやってイルカが矢を放つことができるのだろう。海底に矢が固定されていて、そのスイッチを押すならわかるが、そんな発射台があれば、テロリストにもばれてしまう。

  ではイルカの身体に毒矢の発射装置を固定しているのだろうか。眠らせるだけとはいってもウエットスーツを着用している人間を射抜くには、水の抵抗も考慮すると、相当強力な仕掛けが必要だ。いったいどんなものなのだろう?

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国際競争力ランキング

    World Economic Forum世界経済フォーラムがThe Global Competitiveness Report 2005-2006国際競争力報告書を発表した。

  ランキングトップはフィンランド、次いで米国、スウェーデンで、これら上位3位は過去3年間変化がない。北欧諸国が上位を維持しているのに対し、欧州の他の国はフランス、ドイツ、オーストリア、スペイン、ベルギーがランクを下げている。

  アジア諸国では台湾が5位、シンガポールが6位、日本は12位だが、欧州ではドイツ15位、スペイン29位、フランス30位と低迷している。フランスの経済紙Les Echos は Les pays de la « Vieille Europe » perdent de leur compétitivité「古い欧州」はその競争力を失ったと述べている。


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2005.09.29

報道の自由と「国境なき記者団」

couverture-fr
  今年3月にフランスの子供新聞からというエントリーを書いた。紛争地帯に派遣されているジャーナリストたちがいかに重要な職務を負っているのか、そしていかに危険であるかを子供たちに説明している特集だった。カメラマンの足元に白煙があがっている写真もその実態を示すものだった。

  フランスにはRobert MENARD ロベール・メナール氏らが1985年に設立したReporters sans frontières「国境なき記者団」というジャーナリストのための団体がある。89年からは世界各地で投獄されている記者や殺害された記者に関する年次報告も発行している。

  その「国境なき記者団」が9月22日Guide pratique du blogger et du cyberdissident ブロガーおよびサイバー反体制派のためのガイドブックを発表した。世界では「検閲・発禁」などの報道抑圧が行われている国もある。「国境なき記者団」は具体的に中国、ベトナム、イラン、キューバ、サウジアラビア、ウズベキスタンなどを挙げている。

  そのような国ではブロガーだけが真のジャーナリストであると述べ、匿名でブログを運営する方法や検閲を迂回する技術的手段などを詳しく解説しているのである。フランスの新聞Liberationは「明快で有効、誰もがアクセスでき、しかも無料である」と述べている。

  この解説書は87ページのボリューム。こういったジャンルでははじめての試みではあるが、「国境なき記者団」は危険を冒してまで、情報を提供しているブロガーのために検閲の裏をかく方法を公表したのである。しかもフランス語だけではなく英語、中国語、アラビア語、ペルシャ語でもサイトから無料でダウンロードできる。

  だが報道の自由が確立されていれば、このようなガイドをわざわざ作成する必要はなかったわけである。実際にイランで14年の懲役刑を言い渡されたArash Sigarchi アラシュ・シガルチ氏の体験談も載っている。自由に表現できることのありがたさ、よくかみしめないといけない。発行にあたってはフランス外務省の支援があったことを付けくわえておく。


  


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2005.09.27

活動再開

  何度も試してもなぜかしばらく作動しなかったCocohore! が、ちゃんと作動しているではないですか。うれしいです。使ったことのない方はお試しください。

  そういう私はパリから帰って丸4日、病院へ行っただけで一歩も外へでていません。カタコンブ(地下墓地)でドクロを見すぎたせいでしょうか? 一日20時間くらい寝ていましたが、たぶん明日くらいには外出できるでしょう。声がでなくても急ぎの用事はパソコンですまられるので有難いですね。

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2005.09.26

ヴェルサイユ宮殿の舞台裏

col1
    月曜日の朝、人気のないグラン・トリアノンを歩いていると、椅子の修理をしている人がいました。この人は椅子の金箔を塗りなおしているところでした。この部屋は一般公開していないのですが、ちょっとだけ内部を見せてくれました。

  col

  その近くに職人たちの住まいがあるのですが(実際に暮らしていて洗濯物などが干してありました)、その一角におびただしい数の古い柱が保存されていました。

  修復には膨大な費用と時間がかかりますから、まだしばらくはここに保存されることになるのでしょう。

col3

    そして羊たち。驚いたことにたくさんの羊や馬が放牧されています。横の並木道を歩いていると、数十頭の羊たちがこちらをじっと見ていて数頭が近づいてきました。(羊の数え方は一匹、それとも一頭でしょうか?)

   友人に「羊なんて珍しくないのに写真なんか撮っていると思われそうだけれど、ヴェルサイユの庭の中にこんなにたくさんの羊がいるとは予想外だったから」などと言い訳をしながらパチリ。

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2005.09.25

ヴェルサイユ宮殿の大運河

canal     朝はやく、Grand canal 大運河の中心から宮殿の方向を眺めたところです。ジョギングする人、自転車で散策する人が少しいたくらいでとてもおだやかな朝でした。水の節約のためか、有名なアポロンの泉も噴水がとまっていました。

canal1
  数年前の嵐で、ここヴェルサイユでもたいへんな数の木が根こそぎ倒れてしまって、今は若木がたくさん植えられています。マリー・アントワネットが目にしていたのは、今のような景色だったのかもしれません。右の写真、木々の間に刈り込まれた小さな木が植わっています。

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2005.09.23

はじめて行きました

v     もう何年もフランスに住んでいるのですが、まともに見学したのはこれがはじめてです。ずっと前にごく一部だけ見たことがあるのですがその時は雪景色だったのです。さてここはどこでしょうか? 

  いつも大勢の観光客でにぎわっていますが、月曜日は室内の見学ができないのでほとんど人が歩いていません。それに庭園は16時以降無料です。写真を撮るなら月曜日の9時半ごろ、または19時前が穴場ですよ。ここのすぐ近くに住むフランス人家族がまねいてくれたので、やっと行ったのですがやはり他の観光地とは規模が違いますね。

  その後パリの地下に潜ったり、最後はシャルトルのノートルダム大聖堂を訪ね帰宅したところです。とても寒く、しかもきついスケジュールだったので、喉をやられてしまいました。連絡できなかった方々にはこの場をかりておわびいたします。


  正解はヴェルサイユ宮殿です!

      追加説明 

  平日空いているのはVisites-Conférencesというコース。ほかの受付にそれぞれ1000人くらい並んでいたのに、このコースに参加したのはたった4人だけでした。約1時間にわたり丁寧に解説してくれます。

  日によって見学できる場所は異なるのですが、その日はChambre du Roi 王の部屋でした。以前と比べてオリジナルの家具が増えています。オークションで買戻したり、個人から寄贈されているためです。それに解散後、このチケットで宮殿内を自由に見学できます。すでに前日に見ていたのですが、せっかくなのでもう一度駆け足で一巡りしました。

  Château de Versaillesホームページ (日本語あり)

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2005.09.17

素晴らしいドキュメンタリー

  フランス西部にお住まいの方必見 テレビ番組 52分間のドキュメンタリーです。私は一足先に見ましたが、素晴らしい内容でした。

Les Enclos de la Prospérité
samedi 17 septembre 16h10 France3 Ouest

  今日午後4時10分から「隆盛をほこるレ・ザンクロ」というドキュメンタリーがあります。L'eglise de Saint-Thégonnecサン・テゴネック教会の修復事業やブルターニュの素晴らしい教会が数多くでてきます。ビデオのある方はぜひ録画することをすすめます。

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2005.09.16

コンブルーの1週間 その4

la_tour
  「もうどこでもいいや」と投げやりになって乗車したバスは、Le Tour ル・トゥール行きでした。シャモニーからスイスの方角に約30分行ったところにあります。(そんなことよく知らずに乗車。一応乗る前に終点までどのくらい時間がかかるのかはたずねましたが)。

  途中で氷河が窓ごしに見えました。ようやくバスが終点について、降りたところがテレスキー乗り場。切符売り場には誰もいません。「本当はエギューユ・デュ・ミディまで登りたかったんだけれど、待ち時間が長すぎてやめにした」と言うと、「やっと天気になったからね。でもそのお陰であなたがここに来てくれたんだから、私はうれしいわよ」と答えが返ってきました。おっしゃるとおりです!
la_tour1

  驚いたことに自転車持参で乗る人がいます。ここは自転車でも滑降OKなんですね。途中でテレキャビンに乗換えて少し歩き2204メートルまで登りました。Col de Balme コル・ドゥ・バルムというところです。そこはフランスとスイスの国境で、数メートルスイスに入国しフランスに戻りました。(上の写真で白く見えるのは氷河です)。

  帰路で日本人のご夫婦と会い、数分話したのですが、お二人はおとといジュネーブからやって来て、昨日昼ごろエギューユ・デュ・ミディに登ったのだそうです。待ち時間はなく、見晴らしもよかったとか。昨日の天気予報はくもりだったのですが、「山の天候は変わりやすいから今のうちに」とすすめられたそうで満足されていました。タイミングがよければすんなりと物事ははこぶものですね。la_tour2

  いったんシャモニーに戻り、バスでコンブルーに帰ると、怪我した彼女と、もうひとりの男性が残っていました。午後3時ごろほかの3人はシャモニーに出かけたそうで、そればらば私は3時間待ってエギューユ・デュ・ミディに登っていても帰りに車に乗ることが出来たのです。運が悪かったとしかいいようがありません。

  ちょうど雲の間からモン・ブランが見えました。最後の夜なので、日が沈むまで見ていようとそのまま高原へ。そこで撮ったのがこの写真です。いつかもう一度行けますように。


      注意

  アルプスからブルターニュに帰ってずいぶん時間がたってしまいました。この今日というのは8月24日のことです。いまさら書くのも変ですが、ヨーヨッパの名峰。白い妖精と呼ばれる美しさをもう一度ご覧ください。その1~3までは8月の月別バックナンバーからどうぞ。

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メルマガ廃刊

  私が発行しておりました2つのメルマガですが、発行元の「まぐまぐ」に廃刊の手続きを取りましたのでメルマガのリンクをはずしました。

   「緊急レポート ゆれるフランス」
   「フランス 美術館・博物館ガイド」

  それぞれ発行中止を今週号に書きましたところ、おもいがけずたくさんの激励メールを頂戴しました。「毎週楽しみにしていた」、「中止がとても残念」、「日本のニュースには出てこないフランスがあるとわかった」などなど。これからの孤独な作業のはげみになります。

 これから書こうとしている本はブルターニュの中世、近世が中心となりますが、これを書き終えたらまた現代に戻ってきます。今という時代を浮き彫りにするには、どういう歴史を経てきているかを知らないと誤解が生まれるからです。

  私自身、ブルターニュを見誤っていた点がたくさんありましたし、「フランス国内でもあまり語られてこなかったブルターニュの一面がある」と地元の歴史家が話してくれました。おおまかな構想はまとまっていますが、まだフランス語の資料を読んでいる段階です。ブレイス語の記述がたくさん出てくるので、確認しないといけませんし・・・ あせらずやります。


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2005.09.14

この本を譲ってください

4582760821 死者たちの回廊―よみがえる「死の舞踏」 小池 寿子著 平凡社ライブラリー 1994

  以前から探しているのですが、手に入りません。日本にいれば図書館で見られることはわかっているのですが・・・ この本をお持ちの方は譲ってください。これから書こうとしている本の第一章に関連する文献なのです。

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ひとつの選択

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  手紙を読み返すたび涙が止まらなかった。私にとってA氏の存在がどれほど大きなものだったのか、思い知った。そこにはこう書かれていた。
  

もう私のような「老人」にとっては「最後の幕」は上がってしまっているので、あとは残るscènesをどうdignementに生きるかだけです。

  dignement(堂々と、立派に)という言葉はA氏の生き様にふさわしい。電話してみようと思ったがむしょうに怖かった。なぜならこれまでに家族や親友が癌でこの世を去っているからだ。癌という病気の気まぐれさはよく知っている。急に容態が変わったらと考えると苦しくてたまらない。

  それでも思い切って受話器をにぎった。奥様が電話口にでられたので、「手術したと手紙で知った」と伝えると、「本人にかわります」というではないか。空白の数秒間、緊張したが、電話の声は元気そうだったので安心した。何をしゃべったのか、よく覚えていないが約束の本を書くためにブルターニュ西部へ行ってきたことを話した。A氏は出版業界は売れる本しか出さなくなってしまったと嘆いておられた。

  今ならまだ間に合う。読みたいと待ってくれている原稿を読んでもらえるだろう。まだ取材できていないところも数ヶ所あるのだが、それも今月中に行けるだろう。これまで学んできたこと、体験したこと、ブルターニュへのすべての想いをこめて書き始めよう。山のような資料を読むことに専念するため、残念だがメールマガジンは今週でいったん終了させていただく。

  人生の師との約束、期限を決めないと終わりそうにないので、すでに引き受けていることをできるだけはやく終わらせて一冊目を11月中に書き上げることにする。もう一冊の超大作は来年の夏には完成させたい。

  写真はGoulven沖の砂浜。干満の差が激しく見渡すかぎり白い砂浜が続く。全く見たことのない風景だった。(画面中央に小さく写っているのは歩いている2人の人間)。

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2005.09.12

自らを省みて

  木曜日の午後からブルターニュの西部に行っていました。帰宅したところ、郵便受けに手紙が数通。その中に私の尊敬する人生の大先輩(1930年生まれ)からの手紙がありました。もう1年以上ご無沙汰していて、やっと先月出した手紙に返信してくれたのです。

  読みすすめるうちに、思いがけない言葉を見つけました。今年の春、癌が見つかり胃と周辺部を全摘したのだそうです。この方にはこれまでいろいろな約束をしているのですが、まだ何も果たせておりません。毎日精一杯やっていればもう完成しているはずなのです。

  様々な言い訳をして怠けている自分に恥じ入りました。これからのこと、真剣に考えます。いくつかコメントいただいているのですが、今日は返事できそうにありません。ごめんなさい。

  

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2005.09.08

訪問客数に大きな違いが・・・

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  現在の訪問客数のカウントは101865人になっていますが、ココログのアクセス解析では、122377人。20512人も違うではありませんか! ココログのアクセス解析がはじまったのは、わがブログ開設後、数ヶ月たってからだったはずです。

  そうすると数字ももう少し増えるでしょうが、わからないので、122377人から再スタートします。日記もつけたことのない私が、こうやって続けてこれたのもするどいコメントをいただいた方々のおかげです。もちろん、見ていただくだけでもありがたいのですが、感想をお書きいただくとさらにうれしいです。これからもよろしくお願いいたします。写真は今年見たなかで一番きれいな夕日です。

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2005.09.07

ランス潮汐発電所

    ブルターニュの有名な観光地サン・マロから内陸部に切り込んでいる湾はヨーロッパでも潮の干満の差が最も激しい所として知られています。潮の満ち引きの差は15メートル以上あります。この自然の潮汐をいかして発電所がつくられています。

  「ランス潮汐発電所」 Le barrage marémoteur de la rance(フランス語)には毎年40万人の見学者が訪れているそうです。映像が見られるEDFのページもあります。
 
  「潮汐発電所」のことは海洋エネルギー利用の現状と展望(日本財団図書館)に説明があります。
  
 

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2005.09.05

飛行機事故とフランスのブラックリスト

  飛行機事故は続くというジンクスがある。つい2日前に書いたところだが、また痛ましい事故が起きた。マンダラ航空のジャカルタ行きのボーイング737が空港を離陸直後に墜落し、117人の乗員、乗客のうち、3人が生存しているとFrance3は伝えている。

  相次ぐ飛行機事故をうけて、フランス政府は航空会社のブラックリストを8月29日に公表したばかりだ。飛行禁止リストは次のとおりである。高麗航空(北朝鮮)、セントトーマス航空(米国)、国際航空(リベリア)、モザンビーク航空(モザンビーク)、プーケット航空(タイ)。

  ヨーロッパのほかの国も同様にブラックリストをつくっているのだが、国によって禁止の航空会社が異なっており、基準のあいまいさに疑問の声があがっているとテレビのニュースで解説していた。

        追加情報 2005.09.06

    飛行機の乗客14人が救助されたが、地上での被害もあり死者の数は150人を超えるようである。France2

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英文のハリケーン情報に要注意

  ハリケーン「カトリーナ」の被害は予想以上に甚大ですが、被災地ニューオーリンズでは職務に耐えかねて数百人の警官が職場放棄してしまったり、自殺者さえもでているようです。ニューヨーク・タイムズ

  そんな混乱につけこんだ悪質なメールがあらわれ、被害状況の続きを読もうとクリックすると、ウイルスに感染してしまう事例があるそうなので注意してください。以下のような件名のメールは開かず捨ててしまいましょう。Sophos

Re: g8 Tropical storm flooded New Orleans.
Re: g7 80 percent of our city underwater.
Re: q1 Katrina killed as many as 80 people.

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残暑お見舞い

  私は人一倍寒がりです。ところが、ここ数日汗びっしょりです。さきほど、たまらなくなってショートパンツに履き替えました。もう秋のはずなのに、この暑さ。熱でもあるのかな?昨年は病院なんて行かなかったのに、先週はラボで検査のため採血されて気分が悪かったり、歯医者で血だらけにされるわ、麻酔は打たれるわ、ちっとも集中できませんでした。

  フランスの歯医者は怖いと噂に聞いていたので、絶対行くまいと思っていたのに、歯の一部が欠けたので仕方なく行くとほかの歯も治療しようと勧められ、断りきれなかったのです。手際がいいのか荒っぽいのか、いつも出血の憂き目にあっています。

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2005.09.04

シラク大統領の入院

  シラク大統領が2日夕方、パリのバルドグラース陸軍病院に緊急入院した。まる1日たった土曜日夜のニュースではun «petit accident vasculaire»ちょっとした血管の障害で、数日間の入院で退院できる予定だという。これまで病気しらずの大統領の入院は市民をおどろかせたが、すぐに公務にもどれそうなので、大きな混乱にはなっていない。

  その病状だがun léger trouble de la vision軽い視覚障害があったためと伝えられている。この入院でドイツ訪問、農業関係者との会談、モナコのアルベール2世との昼食会などが中止された。Le Figaro


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残ったコインが役立ちます

  8月から事故のニュースが絶えません。シチリア、アテネ、ベネズエラ、ペルーと相次ぐ飛行機事故、バグダッドのイスラム教シーア派モスク周辺では巡礼者がパニックで1千人近く死亡。

  超大型ハリケーン「カトリーナ」の被害が集中したニューオーリンズの繁華街では略奪や強姦が相次いでいるそうです。昨年12月のスマトラ沖地震と津波による被害総額は約100億ドルだったのに対し、被害額はその倍近くといわれており、救援が遅れているようです。

  これらは連日報道されていますが、アフリカの飢饉はより深刻です。飢えで死んでゆく子供たちを救えないのでしょうか。みなさんの家の片隅に旅行や仕事で海外に行って持ち帰ったコインが眠っていないでしょうか。日本でコインの両替ができないので、そのままになっていませんか? コインのあるかたは「ユニセフ外国コイン募金」に送ってください。

  また左側にクリック募金のサイトがあります。あなたがお金を払わなくても、クリックするだけで、スポンサー企業が寄付をしてくれます。ひとりの力は微々たるものですが、集まればほかの人の役にたちます。ワンクリックにご協力ください。

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2005.09.02

ブルターニュの木造建築

  maison


  ブルターニュ各地には13~16世紀に建てられたColombage木造建築が残っています。左の写真はレンヌに残る最も古いタイプの家、des maison à pans de bois médiévales14世紀~15世紀初頭のものです。右の写真はTréguierトレギエにあるErnest Renan(1823-92 思想家・宗教史家・言語学者)の生まれた家です。

  建築にはふんだんにあるchêne(ナラ)の木が用いられました。壁は粘土の中にクリの木の枝にわらを巻きつけたものを練りこんでいます。

      現在残っている家の色はボルドーがかった赤色(例1例2)、maison3青色、壁に使った土の色に合わせてオークルまたは黄色の3色です。赤色と青色は船舶用塗料の残りを塗ったそうです。ごくたまに緑色が用いられるようですが、その由来はわかりません。

  色を塗りなおす時には役所の許可が必要で、その地域によって、赤色、青色またはオークルしか許されないようです。(これはブルターニュの例でほかの地方のことは調査できていません)。

   「窓枠が青く塗られているのはなぜか」と質問があり人に聞いたのですが、もっと詳しいことがわかればあとで追加します。


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2005.09.01

フィガロジャポンのオリジナルコットンバッグをプレゼント!

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  フランスの情報がいっぱいつまったFigaro Japonフィガロジャポンを定期購読するだけで、イラストレーター、フローレンス・デガのイラスト入りオリジナルコットンバッグ(限定非売品)がもらえます。黒と赤のすっきりしたデザインです。申し込みはこちらから

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コンブルーの1週間 その3

mont1

  水曜日、ようやく晴れてうれしくなって早起きした私はひとりで丘を登り写真撮影。朝食後セシルも含め6人でシャモニーに行く計画です。でも車は5人しか乗れないので、私はバスで一人先に出かけました。といっても、コンブルー・シャモニー間のバスは一日に一往復だけ。10時発で約1時間で到着。

  観光案内所に寄ってから、西ヨーロッパの最高峰モン・ブラン4810mの麓のAigulle du Midiエギューユ・デュ・ミディ行きロープウエイ乗り場へ(行けるのは3842mまで)。5年前、昨年に続き、これが3度目。過去も天気が悪かったり、ロープウェイが修理中だったりして、あきらめたのです。一度目にロープウェイで2317mまでは登ったのですが、雨と霧で何も見えませんでした。「今日は大丈夫」といそいそと近づいてゆくと、すごい人が・・・ 

  切符を買うのに2時間、乗車まで1時間待ちだと言うではありませんか!すでに11時半です。待って登れたとしてもすぐに降りて来なければならないし、下山したら、もうコンブルーに帰るバスがありません。でも来年来れるかどうかはわかりません。これが最後のチャンスかもしれません。あきらめきれず、20分ほど迷い、シャモニーに泊まることも真剣に考えました。その翌朝レンヌに帰ることになっていたので、そうするとひとりコンブルーに残り、列車で帰ることになります。

  快晴のこの日。辛抱強く待っていれば、またとない眺望が見られることはわかっています。じっと考えた末にやめました。もし、今度来れることがあれば、シャモニーに泊まり、朝焼けのころから夕方までたっぷりモン・ブランにいようと。

  がっくりしながら、歩いていったのはMer de Glace大氷河行きの列車乗り場。ああ。そこにも1000人くらいがひしめいています。もう何のあてもなく歩いてゆくとバス停留所の前で観光客が「エギューユ・デュ・ミディ行きはないのかな」とつぶやきながら、時間を見ています。「ロープウェイに乗らないとだめだけど」と心の中で思いながら、「もうどこでもいいや」と投げやりになって、そのバスに乗車しました。

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