静謐
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
車は前に長距離を走ったときハンドルから異常音がしていたので修理にだして、修理費を320ユーロを支払った。Axe de direction方向軸の調整とDouille Aiguilles(軸受けの針??)を交換。これはハンドルの下部なので、たぶんステアリングと車軸をつなぐ歯車の部分なんだと思うけど・・・ ほかにはキャブレターの掃除もしてくれたようだ。ハンドル操作がとても軽くなって快適。古い車だから重いのではなく、壊れていたからあんなにハンドルが重かったんだな・・・ あとは追加として点火プラブとコードを交換しないダメとも言われた。いくらか聞くと150ユーロくらいだという。
この朝、エンジンがかからなかったのでやはりこの点火プラブとコードを交換する必要があるのだろう。とにかく、できるかぎり急いで目的地のPont-L'Abbéポン・ラベへ。ジョスランをこえ、ロリアンをすぎもうすぐキャンペールだ。そこでガソリンを入れ、遅れていることを電話した。「天気が悪いからゆっくり気をつけて」と言ってくれたのでそのまま先を急ぐ。
最後町にはいってから一方通行でとまどって時間をロスしたが、10時40分にその人の家に着いた。その時は大粒のヒョウ(直径6-8ミリ)が地面じゅうを飛び跳ねていた。こんなに大粒のヒョウがあたり一面を覆い尽くす光景などこれまでに見たことはなかったが、写真を撮っている余裕はなかった。
| 固定リンク
| コメント (9)
| トラックバック (0)
昨日からの雪でフランスは大混乱。ブルターニュではRennesレンヌのあるl'Ille-et-Vilaineイル・エ・ビレンヌ県が時ならぬ雪景色に。France3のニュース(写真入り)。レンヌの気温はマイナス2度(26日の朝10時)。今は雪はやんでいるが屋根には雪が積もっている。レンヌでの積雪は数年に一度。それも1月のこと。11月に雪景色を見たことはなかった。
世界遺産Le Mont St-Michel モン・サン・ミッシェルも真っ白だ。その珍しい景色はビデオでどうぞ。レンヌーサン・マロ間の道路も大混乱。事故でけが人も出ている。France2をクリックするとニュースのページになるので、右にあるVideosをクリック。すると自動的にニュースがはじまる。
この寒波でGrenobleグルノーブルのSDF(路上で生活している住所不定者)が二人死亡した。38歳の男性は最近住むところがなくなり、車の中で死亡しているのが見つかった。57歳の男性は長らく路上生活をしていた。このところの冷え込みで心配した憲兵が保護しようとしたのだが、その申し出を断りそのまま亡くなったそうである。
追加 2005 11 28
残念ながらモン・サン・ミッシェルの映像はなくなったが、La France sous la neigeでエッフェル塔の雪景色が見られる。
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
とても大切な約束があった。200キロ以上離れた場所で朝の10時に待ち合わせだった。まだ暗い朝6時45分に家を出て駐車場へ。外はみぞれだった。ところが思いがけないトラブル続出。
まずは車のエンジンがかからない。20回以上試してついにエンジンが始動。少し音が変だったけれど時間がないので無理やり出発。だが地下駐車場を出るためにカードを入れようと止まったら、その場で動かなくなってしまった。一度エンジンがかかったのだから大丈夫と思ったのに甘かった。
その場でひとりで立ち往生すること30分。時間はすでに7時45分。昼間は出口に係員がいるのだが朝早いので無人のまま。保険にはいっているので電話すれば修理工場までは無料で連れて行ってくれるはずだが、修理工場が開くのはたいてい朝9時から。約束の時間に間に合うはずもない。
もう覚悟をきめて、修理するしかないと思ったときに、何とエンジンがかかった!エンジン音は正常のようだ。 「とりあえず途中まで行って、そのままどこかの修理工場に行ってもいい」と駐車場を出た。数キロ走ると、みぞれがぼたん雪にかわった。雪で全く前が見えない。
110キロの高速道路を、他の車も50-60キロくらいで走っている。さらに10キロくらい進むとすでに一面の雪景色ではないか。レンヌはみぞれだったのに、家の屋根にもう数センチは雪が積もっている。そのうち道路も真っ白になってきた。チェーンも持っていないし、危険だ・・・ (持っていても自分ではつけられないけれど)。
雪がやんで明るくなってきたので、ブツブツとひとり事をつぶやきながら、片手で写真まで撮ってしまった。(畑が雪で白くなっている)。間に合わないことはわかっていても、普通は会えない人と苦労してやっとランデブーを取り、今日の日を指折り数えて迎えたのにと思うと、つい120キロくらいまでアクセルを踏み込んでしまう。動かなくなったら、その時は保険会社に電話しよう!
| 固定リンク
| コメント (4)
| トラックバック (0)
長編歴史映画 Les rois maudits 「呪われし王たち」がテレビ局France2で現在放映中だ。というのは、エピソードが5話(各90分)にわかれていてすでに第4話まで放映されたからだ。
時代は14世紀。フィリップ4世が統治していたころのフランスが舞台で、イギリスとフランスはこれから百年戦争に突入してゆくところである。陰謀や裏切りが渦巻く中世。建国間もないエルサレム王国の治安維持を目的として第一回十字軍のあとで結成されたテンプル騎士団は広大な所領をヨーロッパ各地に所有し、金融業を営んで巨万の富を築く。国王フィリップ4世は、騎士団の撲滅をはかり異端の疑いありと告発する。
残忍な宗教裁判と厳しい拷問の末、テンプル騎士団は解散を余儀なくされる。多数のメンバーが火刑になった。ジャック・ド・モレーはめらめらと燃える火に身を焼かれながら、王や迫害者たちへの呪いの言葉を残す。騎士団の所領は聖ヨハネ騎士団に移管されたが、財産の一部は王の要求により王権に移譲された。そしてジャック・ド・モレーの予言どおりに呪われた人物はひとり、またひとりと命を落としてゆく・・・
Maurice Druonモーリス・ドリュオン原作でJosée Dayanジョゼ・ダヤン監督の作品。なにしろ超大作。歴史も込み入っているし、登場人物が多いのでこれは誰だったかとよく考えないとわからない。
その核となっているのがこの写真のふたり。Robert d'Artois ロベール・ダルトワを演ずるPhilippe Torretonフィリップ・トレトンはいつも真っ赤な洋服を着ていて他のテレビ番組では「赤いフェラーリね」なんてからかわれていた。ほかにこんな服装をした登場人物はいないので、すぐに区別できる。でも髪型がいつも乱れていて、櫛をかしてあげたいなあ。
その叔母の伯爵夫人役はJeanne Moreauジャンヌ・モロー。波乱万丈の人生を雄々しくというかしぶとく生き抜いてゆく伯爵夫人を堂々と演じている。いったい何歳なのだろうと思って調べてみると、もう77歳。おそれいりました。
映画の装飾が中世というより、いかにも現代風。サイトには、このデザインを手がけたYann Mercierのインタビューも載っている。「ある日監督から電話がかかってきて、あなたにお願いしたいおもしろいプロジェクトがある」と言われ「これまでの中世のイメージを覆すデザイン」を依頼されたいきさつが書かれている。これは好みの問題だろうがやはり異質な感じがする。
来週の最終回はどうなるのかドキドキしながら待っているところだ。私は楽しみにしていたのに、先週月曜日の第3話を録画し忘れた。ちょうどナントに行った日だったので思い出したのは向こうについてからだった。第3話も見たいなあ・・・
Les rois maudits 関連リンク
Les rois maudits 公式ホームページ フランス語
映画の内容、キャスティング、歴史解説など充実した中身。ここで復習できるのでありがたい。ホームページからDVDにダウンロード可(有料)
Les Rois maudits 3枚組みDVD(上記写真)
Maurice Druonの原作本
Les Rois maudits, Tome 1 : Le roi de fer ; La reine étranglée ; Les poisons de la couronne
Les Rois maudits, Tome 2 : La loi des mâles ; La louve de France
Les Rois maudits, Tome 3 : Le lis et le lion ; Quand un roi perd la France
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
急に寒くなってきて、もうマフラーと帽子が手ばなせなくなりました。もちろんロングコートも。
金曜日の夜、「Vin chaud(赤ワインを加熱しフルーツや香辛料を入れたもの)を飲みましょう」と友人に誘われて、家にお邪魔。すでに数人があつまっていました。そして帰宅する時の気温はマイナス2度でした。寒くて当たり前!
週末、とても天気がよかったので森を散策。なんだか白い部分があったので近づいてみると、地面が凍っているではありませんか。秋を飛び越えて真冬です。ちょっと早すぎます。
| 固定リンク
| コメント (6)
| トラックバック (0)
フランスの各都市で暴動がはじまり約3週間。«retour à une situation normale partout en France» 「フランス全土で平常にもどった」と発表があった。水曜の夜から木曜日の朝にかけて98台の車が燃えたがこれは普段の平均値であると判断された。加えて建物への被害がなかったことが根拠となっている。それでも1万人の警官や憲兵が見回りをし、この夜33人が尋問された。
レンヌではこんな事件などなかったかのように、夜でもいつものように若者たちが広場で朝まで歌って叫んで大騒ぎしているが、リヨンでは先週末には青少年の夜間外出禁止令が発令されたり、バスやメトロなどの公共交通機関が夜間ストップして大変だったとリヨン在住のひでさんが自転車通勤に書いている。
これまでのすべての被害総額は概算で2億ユーロ(280億円)。そのうちの1割が9071台の車の保険賠償金である。5千万ユーロは欧州連合から都市郊外の復興支援費として支給されるみこみだが、残りの費用を捻出するのは大変だ。
追加
車の保証金を単純計算してみよう。20000000ユーロを9000台で割ると2222ユーロ。約30万円にしかならない。フランスの車、特に中古車の価格は高いので10年以上前の車で100000キロ以上の走行距離でも状態がよければ2000ユーロはくだらない。ジーゼル車なら200000キロ以上でも同じ価格帯なのだ。車両保険でも一般的なものでは多くの払い戻しは期待できない。被害にあった人たちは頭をかかえていることと思う。これでまた中古車の価格が上昇しなければよいが。
参考にした2つの記事を続きに添付しておく。
| 固定リンク
| コメント (3)
| トラックバック (0)
たまたま交差点を曲がろうとして、不思議なオブジェを見つけた。場所はLorientロリアンから北に20キロくらい行ったところである。民家の庭いっぱいに丁寧に飾り付けられた作品が並んでいる。友達2人は何度もそこを通っていたのに気づかなかったらしい。あまりにたくさんのオブジェがあったので車を降りてしげしげと眺めてみた。
ちゃんと説明も書かれていて、テーマもそれぞれ話題性のあるものだ。1枚目はこの家の近く、Plouayで自転車の国際大会が行われたときの様子をあらわした愉快なもの。頭はかぼちゃだ。でも後ろの方には魔女が立っているし、怪物もいる。右の写真は木を刈り込んでつくったエッフェル塔と動物たち。とてもよくできている。
こちらはちょっと不気味で夜だったらしりごみしそうなもの。木には木靴がいっぱいぶら下がっているのがわかるだろうか。ちょうどToussaint(キリスト教のすべての聖人の日)の前だったので、普通の街角にも奇怪なものが売られていた。詳しいことは聖人の日と死者の日を参照のこと。
最後は2003年に行われた「ラブパーティー」で40人が怪我をしたことが書かれている。「ラブ・パーティー」とはテクノ音楽を聞きながら朝まで過ごすもので草原や農場などで行われるのだが、近年多くのトラブルが起きていて禁止する自治体も多い。詳しくはメールマガジンのバックナンバーから。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
すでに暴動は下火になっているものの、まだすっかりおさまったわけではなく、夜間外出禁止令などを発令できる非常事態法の適用が3カ月延長された。テレビでは数週間どんな暴動もおきていなかった地域でも放火事件があったことを伝えている。自分の父親や近所にすむ顔見知りの車を燃やした少年もいる。これまでの信頼関係がずたずたになってしまったのだ。これで暴動はしずまったとしても、その傷跡はフランスじゅうにしっかりと刻み込まれてしまった。
月曜日、火曜日とナントに行ってきた。レンヌのSNCFの駅にはびっくりするほどたくさんの職員がいて、ひとりひとりの切符をチェックしていた。こんなことは今まで経験がない。ナントでは町の中心部で放火があったそうで、住民のショックは大きかったようだ。夜その横を車で通ったのだが、高級ブティックが立ち並ぶすぐそばの広場で車に火がつけられたのだそうだ。普通なら夜もにぎやかな通りもあまり人が歩いていない。人々は夜外出しなくなったのだ。
住民たちはパトカーのサイレンが聞こえると敏感に反応してしまうし、警官や消防士たちは疲労困憊している。毎日続くサイレンの音にしらずしらず気分がいらだつ。その矛先はやはり移民たちに向いてしまう。できるならばかかわりたくないと心の底では考えていたのだろうが、それを誰もが公然と口にするようになった。
夕べは14-15世紀にわたる英仏百年戦争の歴史を読んでいた。これで終わりと思ってもまた戦闘が再開される。だが最終的にイギリスは自分の国に引き上げた。数世代前からフランスに住んでいる移民の子供たちにとってはフランスが祖国なのだ。どこにも帰る場所はない。
| 固定リンク
| コメント (6)
| トラックバック (0)
毎年恒例のYaounk 2005の季節がやってきました。ブルターニュ音楽の祭典です。17日木曜日にもありますが19日土曜日がメインです。夕方から翌朝まで、ノンストップで演奏があります。観客は朝まで踊り続けます。その熱気は体験してみないと実感できません。プログラムはリンクページで確認して下さい。
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
約1週間くらい前から、パソコンの音声が聞こえなくなりました。たぶんいらないソフトを消していて、音声に関するものも一部捨ててしまったのでしょうね。
Avance AC97 Audioというのが標準なので、いったんこのぶんのサウンドデバイスを削除して、はじめについていたアプリケーションCDから、Avance AC97 Audioをインストールしたのですが、それでも無音のままです。これは、もうすべてリカバリーするしかないのでしょうか?
音がないと、ちょっと寂しいですね。DVDも見られないし・・・ いざという時のために、データを保存していたら作業に何日もかかりました。
追加
みなさんに助言いただき、音がでるようになりました。わかってみれば、本当に初歩的なこと。ノートパソコンの側面についている音声のボリュームダイヤルがいつのまにか動いていただけの単純ミスでした。ボリュームダイヤルを触ったことさえなかったので、まさかと思いましたがこわれていなくて本当によかったです。ありがとうございました。
| 固定リンク
| コメント (12)
| トラックバック (0)
移民問題は今にはじまったことではない。たとえば清水弟さんが1992年に書いたフランスの憂鬱にジスカールデスタン氏が「移住というよりinvasion侵入に変わりつつある」と述べ国内が騒然としたことが書かれている。
また90年にリヨン郊外でスーパーや商店が放火されたことや、91年にナルボンヌでHarkiアルキ(アルジェリア独立戦争でフランスに強力し、移住を許されたアルジェリア人)が仕事と家と差別反対を訴え、火炎瓶を投げ機動隊が催涙ガスで応戦したことなども示されている。これらの記述は今の状況と類似しているが、今では当時よりさらに多くの移民が暮らしているため、状況はさらに複雑化し、事件が広範囲にひろがったと考えられる。
極右政党le Front National(FN)Jean-Marie Le Penジャン・マリー= ル・ペン氏は80年代から「フランスはまずフランス人の手に! このまま移民流入が続けば20年後にはイスラム共和国になる。外国人労働者は帰国せよ」と発言していた。
「対岸の火事」ではないフランス暴動にミュリエル・ジョリヴェ氏の著書移民と現代フランス―フランスは「住めば都」かが紹介されている。暴動が起こった背景はこの本を参考にされるといいだろう。
今年5月末におこなわれた欧州憲法批准の是非をめぐる国民投票で、反対票が過半数を超えフランスでは欧州憲法批准は否決されたが、その要因のひとつにフランス国内の経済や失業問題がある。これは常に移民問題と深く関わるものである。これといった解決方法はないため、活火山のようにいつどこで噴火してもおかしくはない。こういう意味でも非常事態なのである。グローバル化で、このようなことはどの国にも近い将来起こりうることだ。日本も例外ではないと思ったほうがいい。
| 固定リンク
| コメント (8)
| トラックバック (1)
この写真の人物はKofi Yamgnaneコフィ・ヤムニャンヌさんという。アフリカのトーゴで1945年10月11日に生まれた。父親は細々と農業を営んでいたが、成績がよかったので、フランス、ブルターニュ地方のブレスト大学に留学することができた。ここでエンジニアになりやがて結婚、30歳の時にフランスに帰化した。
そして1987年にフィニステール県にある村のMaire村長になった。(フランスには市町村長の区別はなく、すべてMaireという名称で呼ぶ)。フランスではじめての黒人村長の誕生だった。91年から2度にわたってSecrétaire d’Etat aux Affaires sociales et à l’Intégration社会問題と同化政策担当相を務めた。現在はvice Président du Conseil Général du Finistèreフィニステール県議会副議長である。
彼は今回の事件に関して、「移民の子供たちがどれほど警官に対してストレスを感じていることか。内相は移民者たちの子供が希望をもてないでいることを全くわかっていない」と述べた。(Libération du lundi 07 novembre 2005)
サルコジ内相は数日来の暴動に参加して有罪判決を受けた外国人を「滞在許可を得ている者も含めて、フランスから追放するよう知事に命じた」と表明している。非常事態宣言をするほど混乱しているフランス国内だが、正規に滞在している者に対してのこの措置の是非ははたしてどうなのか。すでに緑の党や共産党などは反対するかまえである。
もちろん犯罪を犯したものはさばかなくてはならない。だが移民とひとくちには言えないほど、フランスにはたくさんの異邦人が暮らしている。ほとんどの人は一生懸命がんばっている。祖国の家族に仕送りしながら勉強を続けている留学生たちを私は何人も知っているからだ。
8人の警察官が逮捕した少年に暴力をふるった事実もテレビ局France2の放映La Courneuve: 8 policiers suspendus pour "coups"で明るみにでた。サルコジ内相の強攻策がさらなる反発のきっかけとならないことを祈りたい。
Kofi Yamgnaneさんのホームページ
Kofi Yamgnaneさんの著書
Nous grandirons ensemble
Droits, devoirs et crocodile
| 固定リンク
| コメント (4)
| トラックバック (0)
混乱がまだ収まらないため、フランス政府は11月9日、フランス本土の96県のうち25県にla loi du 3 avril 1955非常事態法を適用した。これで県知事は住民の夜間外出を禁止することができるようになった。普通の暮らしが営まれているフランスでこの法が適用されるとは異常である。なにしろ1961年のクーデター未遂事件以後はじめてのことなのだから。
フランス政府は8日、緊急閣議を開き、広範囲に拡大した移民の若者らによる暴動を受けて12日間の非常事態を宣言した。同時に、非常事態法に基づき県知事に夜間外出禁止の発令権限を与える政令を出した。同法はフランスがアルジェリア独立戦争という国難に直面した1955年に公布され、仏領アルジェリアを対象に適用された。今回の仏政府の動きは、移民暴動の深刻さを物語っている。
シラク仏大統領は8日、この異例の措置について「平穏を速やかに取り戻すには、必要な決定だ」と閣議で語った。非常事態宣言の趣旨は、暴動発生地域を管轄する県知事に、夜間外出禁止の発令権限を与えることにある。
非常事態法が仏本土に適用されるのは、アルジェリア独立にからむクーデター未遂のあった1961年以来。
9日午前0時から適用され、県知事は地域を特定して最長12日間、時間帯を定め夜間外出を禁止できる。この期間、警察は令状によらずに捜査、捜索ができる。読売新聞 2005年11月9日
非常事態法が適用された地域
-Alpes-Maritimes: Nice, Saint-Laurent-du-Var.
-Bouches-du-Rhône: Marseille.
-Côte-d'Or: Dijon, Chenôve, Longvic.
-Eure: Evreux, Gisors.
-Haute-Garonne: Toulouse, Colomiers, Blagnac.
-Loiret: Orléans.
-Meurthe-et-Moselle: Nancy, Vandoeuvre-lès-Nancy.
-Moselle: Metz, Woippy.
-Nord: l'ensemble des communes de la communauté urbaine de Lille-Métropole.
-Oise: Méru, Creil, Nogent-sur-Oise.
-Puy-de-Dôme: Clermont-Ferrand.
-Bas-Rhin: Strasbourg, Bischheim.
関連記事(フランス語)
Les vingt-cinq départements où s'applique l'état d'urgence AFP 09 novembre 2005
Chirac met la France en état d'urgence LIBERATION 08 novembre 2005
ブルターニュもふくめたフランス西部には、非常事態法は適用されていない。それでも何も起こっていないわけではない。レンヌではこれまでに60台近い車が被害にあっているし、小さな町でも事件が起き、次々と逮捕者がでている。続きに関連記事を貼り付けておく。
| 固定リンク
| コメント (4)
| トラックバック (1)
10月27日、警官に追われた17歳と15歳のアフリカ系移民の少年2人が変電所に逃げ込み感電死したことに端を発して、パリ東北部セーヌ・サンドニ県で若者たちが暴徒化したのがはじまりだったが器物損壊や機動隊との衝突は、全国にひろがり、さらにはドイツやベルギーでも車両の放火が相次いでいる。
この表は放火された車の台数である。レンヌは20台となっているが、駅の南側だけの数字で、数字はさらに増えて倍以上になる見込みである。レンヌ第二大学のある地域でもゴミ箱や車が放火されたからだ。メールマガジンに書いてきたように、これまでにも数千人規模の乱闘騒ぎが何度も起きているので、それと比較すればレンヌ中心部では目だった動きはなく、いつもよりも静かな週末だった。
だが全国的にみるとその被害は警察署や公的機関だけでなく、学校やスーパー、スポーツクラブなどにもおよび、見境がなくなってきている。政府はレンヌの例でわかるように、若者たちに水をあびせかけ、催涙弾を投げ、力で抑える方策をとってきた。これらのいわゆる「サルコジスム」については解決にはならないという声も強かった。
「フランスは揺れている」とメールマガジンに書いてきたことが、ついにおそれていた形で表面化してきた。私がメールマガジンを発行しはじめた時は「若者たちの不満はどの国にでもあるし、取り立てて言うような大したことではない」という意見が多かった。だが毎年確実に若者たちの振る舞いが横暴になっていることは明白だった。何かが狂っている。みんなもう一度考えてみてほしい。
追加情報
この亡くなった2人の少年たちの日常生活と、この日何が起こったのかが12月にル・モンドに載ったようですが、この記事Le dernier jour de Bouna Traoré et Zyed Bennaは読んでいません。これを日本語訳してくれているのが「ね式(世界の読み方)ブログ」ブウナ・トラオレとジェッド・ベナの最後の日です。郊外にすむ少年たちの暮らしがよくわかります。
金曜日、どこというあてもなくルノーの修理工場を探してドライブ。バッテリーを交換したばかりなのにエンジンがかからず、泣きそうになった。それからなるべく曲がらないで行けるところへ行っただけ。(ハンドルをきるとひどい音がするので)。たまたま見つけたのがSt-Gregoireサン・グレゴワールのルノー。月曜日でないと検査できないと言われたのだが、このままでは乗りたくないので車を預けてバスで帰ってきた。バス停の名前がBellevue。美しい眺望という名前だ!
このバス路線にはBelasie(レンヌで一番大きな中華食材店)がある。そこでちょっと途中下車してこの店にたちよった。ここで、ニラとラビオリの皮を購入。大好きな水餃子をつくろうと思った。
でも豚のミンチ肉など売ってないし、白菜も手にはいらなかった。しかし、どうしても餃子が食べたかったので、自分で豚肉をこまかく刻み、ニラと白ねぎだけでつくることに。私は中華が大好き。日本では周富徳さんの料理本を片手に、よく中華料理を作ったものだった。
フランスでは一度も餃子をつくろうと考えなかったのだが、食欲のおもむくままに、豚肉を刻む。約1時間格闘し、いよいよ餃子もどきを試食。やはりラビオリの皮が失敗だった。色も黄色かったのだが、スパゲティそのままの味だった。ちょっとがっかりしたが、自分で皮をつくる手間をおしんだのだから仕方がない。残りのニラはタマゴ焼きにでもしよう。見栄えがもうひとつだったので写真はありません。
できれば11月中に原稿を書き上げたいと考えていましたが、計画どおりには進んでいません。日本語の参考文献がなかなか手にはいらなかっただけでなく、フランス語の読みたい文献もレンヌのどこの図書館にもなかったりして、まだ十分とはいえません。フランスにお住まいのかたでParis à travers les âgesをお持ちの方、貸していただけたらうれしいのですが。
今回の小旅行で思いがけない発見があった一方で、いろんなところに問い合わせをしているのにまだ返事をもらえかったり、さらにブルターニュ西部へ行く約束ができてしまったりと、バタバタしています。今日も興味深い催しにさそわれたのですが、出かけてばかりでは原稿がさっぱりはかどらないので断りました。(車は修理にだしたままですし)。
ほかの本に書いてあることの裏づけを取りながら作業を進めていますが、「この記述ちょっとおかしい」と思うことがあって、調べ物で手いっぱいです。
まだ資料が見つからないものとして、アッシジの聖フランシスコが創設したフランシスコ修道会が「フランスで、特に14~16世紀にどう発展したのか」ということです。このことで何か情報がありましたら、ご一報ください。それからこれからブログの更新がおくれがちになるかもしれませんが、ご容赦ください。
| 固定リンク
| コメント (6)
| トラックバック (0)
Le 16ème Festival du livre en Bretagne 第16回目、ブルターニュ本のフェスティバルがCarhaixカレで10月29、30日に開催された。今年のテーマはle monde celtique ケルトだった。
巨大なテントでは出版社が販売を行っているスタンドが立ち並び、熱気むんむん。終日多くの人でにぎわっていた。どこもかしこもブルターニュがテーマ。一緒に行った友達は半分くらいの人と知り合いだそうで、いろいろな人に紹介された。
別の部屋では20人ほどの作家ごとにテーブルがしつらえられ、購入した人にサインをしていた。ここで私は偶然にもずっと会いたいと思っていたM.Edmond Rébilléと話すことができた。彼の本は何冊も持っているが、どれも大好きな本ばかり。どんな人なのかなと想像だけがふくらんでいたのだが、少しイメージがちがっていた。
おまけに彼は本に自分の住所と電話を書き込んで渡してくれた。うれしくなった私は「写真を撮らせてください」とたのんで、一枚パチリ。この出会いは私にとってかけがえのない宝物だ。
Edmond Rébilléの著書
Splendeurs et legendes de la bretagne secrete
Pierres légendaires
Brocéliande, sur les traces du Roi Arthur
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
つい最近知り合ったフランス人女性(ブレイス語の先生)に誘われ、彼女の住むLannionラニオンに行ってきました。しかも彼女の家だけではなく、知り合いの家2軒でも泊めてもらい、計4泊して、普通のガイドには載っていないような秘境をめぐってきました。
どうも先週からエンジンがかかりにくかったのですが、31日朝、ついに動かなくなりました。家もまばらなブルターニュの内陸部にある家の庭でした。彼女の知り合いが昼に仕事から帰ってくるのを待って、近所の家を何軒もまわってブースターケーブルを借り、なんとか始動させることができました。どうもお世話になりました。
そこでそのままCarhaixカレという町のRenaultルノーに直行。やはりバッテリーは交換しないとダメだといわれました。予定の行程だとレンヌまで帰るのに300キロ以上あるし、調子がよくないことはわかっていたのでバッテリーを購入、取り付けてもいらいました。手数料もふくめ84ユーロを支払いました。
やれやれ、ひと安心。午後はブルターニュで最も標高の高い地域(300メートル)をドライブしました。見学する場所はたくさんあります。ところがこの夜、新たなトラブル発生。ハンドルを左右にきるたびに、キーキーと尋常ではない音がするようになりました。これまでもハンドルを思い切りきると少しだけ音がしていたのですが、11月1日になるとカーブを曲がる度に、悲鳴のような音に変わってきました。でも祝日なので修理工場はどこも休み。どうしようもないのです。
そこで予定を途中で切り上げ、彼女をラニオン郊外まで送り、そこからひとりで帰ってきました。残りの距離は180キロ。帰ってきて、ほっと一息。レンヌでもう一度検査してもらわないと、このままでは乗れません。
これまで18年間で87500キロ。月平均にすると400キロしか走っていない車です。購入してから半月ですでに1250キロ走行しているので、きっとびっくりしたんでしょうね。簡単な修理でもどってくると信じたいですが・・・
| 固定リンク
| コメント (4)
| トラックバック (0)