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2005年12月の記事

2005.12.31

光輝く村 Villages de Lumières Quessoy

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    ここ数日、雪が舞い29日夜の気温はマイナス6度まで下がった。気温が10度くらいまで上がった30日、人から聞いた光輝く村Quessoyケソワに行ってみることにした。ほかにも日本人女性3人をさそい総勢4人、午後5時すぎにレンヌを出発した。

  Brestブレスト行きの高速道路をLamballeランバルで降りMoncontourモンコントゥールに向かう。Lamballeランバルの街中も綺麗なイルミネーションで飾られていた。モンコントゥールからケソワまで行く道の両側に電飾がキラキラ輝く家々が現れた。3枚目の写真参照。ここまで約1時間だった。
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  いったん町の教会前に車をとめて地元の人にどこを見たらいいのか聞いてみた。すると「今通ってきた道と、Carnonenカルノネンという集落がいい」と教えてくれた。教会の中で地図をもらって車で再出発。道は真っ暗なので曲がり道がよくわからなかったのだが、運良くカルノネンまで到着。どの家も工夫をこらし飾られていて、いかにも手作りというオブジェがほほえましい。広場に車をとめて少し歩く。「ディズニーランドみたい」とか「キャー見て!」などとわいわい言いながら楽しく散策をした。

  そのあと立ち寄ったのが、写真のLa Chapelle Saint Gillesサン・ジル礼拝堂。キリスト誕生を表現した伝統的な美しいCrècheクレッシュがあった。
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     Villages de Lumièresは1989年にはじまった。最初の年参加したのは30軒だけだったが、それから毎年規模が拡大し、今では多数の観光客が訪れる名所になっている。Rennesレンヌなどほかの都市のイルミネーションも統一がとれて美しいと思うが、ここは住民それぞれが自ら演出した温かみが加わり、思わず頬が緩む。

  すっかり満足した私たちは、モンコントゥールのカフェでコーヒーを飲んで帰ることにした。ここは中世の面影の残るところだと知ってはいたが、これまで車がなかったので行ったことがなかった。予想以上に素晴らしかったので再訪したいと思う。

  Villages de Lumières Quessoy  観光案内  1月3日までやっているので、これを見た人はぜひどうぞ。

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2005.12.30

スキー用品のサロモン、リストラ発表

  今年5月にドイツのアディダスからフィンランドのアメアに4億8500万ユーロで売却されたサロモンはその後も業績が伸び悩み、ついに今月20日、オート・サボワ県にある製造拠点で合計378人の人員削減を実施すると発表した。

  これは5人に1人強がリストラされるという厳しい状況である。スキー用品(スキー板、スキー靴、ビンディングなど)の売上は落ち込んでいて、消費者は安いものを買う傾向にあるので、サロモンでは生産拠点の一部をルーマニアに移転し、フランス国内では高級品の製造を行う方針である。

  « Salomon, c’est le ski »サロモンという名称がスキーに等しいとまで形容されていた老舗ブランドでさえ« C’est le début de la mort de Salomon » もはや瀕死の状態である。スキー用品部門では、数ヶ月前にアメリカのクイックシルバーに買収されたロシニョールでも人員削減が行われたばかりである。

  私は自分でするスポーツではスキーが一番好きで、ロシニョールの板とサロモンの靴を使用していた。一年に数回しか滑る機会がなかったのでちっともうまくないのだが、スキーは楽しい。フランスでは一度も冬山に行っていないのでもう足が動かないだろうが、このニュースはなんだか寂しい。

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2005.12.28

テレビ朝日 世界の車窓から ブルターニュ編

  テレビ朝日の「世界の車窓から」でスイス国境からブルターニュ半島へフランス北部を行く(2005年11月14日から2006年1月8日放送)を放送しています。

  ちょうど今日の放送はQuimperカンペールです。CrêperieクレープリーでGaletteガレット(そば粉をクレープ状に焼いたもの)やCrêpeクレープを食べたようですね。もちろんCidreシ-ドル(りんごから造った発泡酒)も一緒に。

  残念ながら私は放送を見ることができませんが、日本のみなさんはブルターニュの風景をご覧ください。cricketさんから情報をいただきました。ありがとうございます。

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シャルトル大聖堂の迷宮

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  フランスのゴシック様式の最高峰のひとつと言われているシャルトル大聖堂。特に総面積2700m²を超えるステンドグラスや聖堂正面の「王の扉口」を飾る美しい預言者や聖人たちの人像柱が有名だが、床に目をやると、そこにはlabyrinthe迷宮が広がっている。

    迷宮といえばすぐにギリシャ神話にでてくるクレタ王ミノスの庭園が思い起こされる。ハリーポッターの新作映画ハリー・ポッターと炎のゴブレットに登場する迷宮(迷路と呼ぶべきか?)もここから発想されたのだろう。

  迷宮は迷路と混同されがちだが修辞学的には異なる意味を持つ。迷宮は歩きながら瞑想すること、迷路は出口を見つけるまでの心理的葛藤や、それを打ち破りつつ歩くという違いがあるという。そして基本的な迷宮の特徴は、入り口から円を描くように伸びている道が中心(到達点)まで続く。中心から外に向かって取り巻く円を回路と呼ぶが、3回路のデザインが一番シンプルなものである。そこから5、7、9、11、13と広がっていく。7回路のものが一般的らしいが、ここシャルトルの迷宮は11回路あり、世界中に現存している迷宮の逸品だ。
  
  この迷宮を歩くことは聖地エルサレムに巡礼するに値すると言われ、多くの巡礼者がここに立ったはずである。残念ながら全容は見えなかったが、 こちらに図入りの説明がある。もっとシャルトルのことを詳しく知りたい方はシャルトル大聖堂―ゴシック美術への誘いをどうぞ。総合的な解説はCathédrale de Chartresから。

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2005.12.26

笑顔に囲まれて

ami     レンヌに来たものの住むところが見つからず途方にくれていた時に助けてくれたのがパトリックだった。自分の結婚式を直後に控えて忙しかったのに、婚約者と共に親身になって手を差し伸べてくれた。彼がいなかったら、どうなっていたかわからない。私の大切な友人である。

  月日のたつのは早いもので、それから産まれたジュールはもうこんなに大きくなった。もう一人、可愛い妹マドロンも忘れてはいけない。「たまには連絡してよ」と言われつつもご無沙汰していた私だが、ずっとためていた銀行のポイントAvantageで交換した3台のスポーツカーのうちの1台を持ってクリスマスイブに家を訪ねた。1957年のCHEVROLET CORVETTE コルベットだ。
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  パトリックもジュールも車が大好きで、私のささやかなプレゼントをとても喜んでくれた。何の気兼ねもなく話せる友達がいるというのはうれしいものだ。イブの夜はミサに行ってから32人の大パーティーに出席。帰宅は翌日の朝3時だった。夕方は違う家に招かれて、夕食までご馳走になってしまった。みんなどうもありがとう。

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2005.12.25

Joyeux Noël

joyeux_noel2


  ここに5年前にやって来たとき、知り合いはだれもいなかった。
  それからたくさんの人に出会った。
  人生のひと時をブルターニュで過ごすことができて本当によかった。
  うるわしのブルターニュからみなさんにJoyeux Noël(フランス語)
  Nedeleg laouen(ブレイス語)
  Merry Christmas(英語)


   ほかの言語でメリー・クリスマスを言ってみよう。


  

  

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2005.12.23

霧にうかびあがる古城

ch_combourg     午後行き先も決めずドライブに出かけた。本当は海が見たかったのだが、霧が立ち込めていたので、Combourgコンブール城まで行って帰ってきた。現在の城は13-15世紀のもので、ここは作家François-René de Chateaubriandフランソワ・ルネ・ドゥ・シャトーブリアンが住んでいたところとして知られている。この角度から眺めると堂々たる城である。
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    城内には彼の使用していた机や資料も残されているが、すでに2度見学したことがあるので、今日は写真を撮って帰ってきた。久々のドライブのお供はRenault、Super5 GTR 1987である。数回でエンジンはかかったものの、はじめにチョークをひいてエンジンをかけたら、すぐにはエンジンがかからず、しかもチョークレバーを押しても元に戻らなくなるというちょっとしたアクシデントがあり、内心ひやっとした。幸いにもその後はちゃんと動いたのでよかった。(もう日本でもフランスでもチョークのある車など発売されていないが、普通はレバーも元に戻る)。

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 やはり自分の車で好きな場所にとめて、休憩したり、写真を撮るというのは贅沢なこと。墨絵のように美しい景色を堪能して、楽しい気分で帰宅した。故障しないにこしたことはないのだが、手間がかかるほど愛着もわいてくるから不思議なものだ。たったこれだけでLa vie est rose人生はばら色。何だか幸せだ。(寒いのでワインを少々飲んだせいかもしれないが)。

  Château de COMBOURG ホームページ

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2005.12.22

クリスマスの思い出

parais     高校生のころ、クリスマスから正月にかけて玩具屋でアルバイトしていた。クリスマスイブは息つく間もないほど忙しかったのだが、帰りにはとても素敵なプレゼントが待っていた。12月24日に仕事をした全員に店長が大きなクリスマスケーキをくれたのだ。それに1月1日にアルバイトすると、お年玉ももらえた。今から考えると粋な計らいだったものだ。仕事を始めてからはクリスマスはいつもとかわらず働いていたからあわただしく過ぎてしまい、考え事をしている暇もなかった。

  さて、フランスでのクリスマス。1年目は風邪をひき込んでずっと寝込んでいた。日本人の友人がわざわざ食べ物を持ってきてくれて有難かった。そして2年目のクリスマスを迎えたのが、この写真の建物、le Palais Briauパレ・ブリオーである。ロワール川を下りAngersアンジェとNantesナントのちょうど中間にある。友達の親類が所有していて夏場は博物館およびホテルになっている。敷地面積は18ヘクタールあり庭も美しい。その年、所有者一家はメキシコに出かけていていなかったのだが、親類の人たち10人くらいとここに数日間宿泊した。
parais

  天井までの高さが5メートル以上あり、暖房しても寒くてみんな厚着していたことを懐かしく思い出す。それまでこんな大きな建物に泊まったことがなかったので、その規模に少々とまどった。François BRIAUが1854年に建てたもので、当時としては画期的な全館暖房がほどこされていたらしいが、今は機能していない。彼は鉄道のエンジニアとして冨を蓄え、イタリア風のビラを建てたのだ。中央入り口を入ると大きな階段がある。その天井に絵を描いたのはJules DaubanとLenepveuで、パリのオペラ座の装飾も手がけた著名な画家である。

  イブの夜はみんなで教会のミサに行き、もどってから夕食を食べた。大きなテーブルに銀食器が所狭しと並び、まるで夢でも見ているかのようだった。毎晩暖炉に火をともし、その前でブリッジをしたり、ビリヤードをしたり、全く日本とは異なる文化を体験したひと時だった。客室は4部屋しかないがどこもゆったりしたつくりで私は薔薇の間に泊めてもらった。

  その翌年だっただろうか。ロンドン行きの飛行機に乗って新聞Le figaroを開いたら、PALAIS BRIAUの記事が片面いっぱいに載っていて思わず「ここ知ってる」と言いたくなった。それから友人と一緒に2度訪ねたことはあるのだが泊まったことはなく、クリスマスが近づくとみんな元気かなと思う。娘さんが日本に留学していたこともあるので、日本のことにも詳しくとても親切なご家族である。

  昨年はちょうど今頃リヨン、ヌベールと旅していたが、今年はレンヌにずっといる予定だ。原稿がおわっていないので、パソコンの前にずっと座っていることになるだろう。せめてワインでも飲みながらがんばろう。

  PALAIS BRIAU ホームページ (フランス語、英語)
  Vieilles Maisons Françaises

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ブルターニュの特選新製品 Gavottes

praline2     Prix Meilleure Nouveauté en Bretagne 2005を受賞したショコラ(チョコレート)のお菓子、Gavottes, Coeur au Chocolatを友人と一緒に食べてみた。外側は軽く焼き上げられ、中にとろけるようなチョコレートがはいっている。

  これはおいしい。スーパーで手軽に買える品で、これならまた買おうと思わせる味である。つくっているLocmariaは創業1893年、世界30ヶ国で販売されているというのもうなずける。パッケージには、5ヶ国語で表記がしてある。見かけたらお試しを!

  Locmariaのホームページ

    オブジェやテキスタルデザインで人気の「ATELIER LZC」がGavottesの箱をデザインしているそうだ。パリレノールblogに写真がのっている。「ATELIER LZC」とはDuperre school を卒業した3人のデザイナーVanessa Lambert, Baebara Zorm, Micheal Calillouxが2001年にフランスで設立した会社で優しい自然のモチーフが多い。

  ATELIER LZCのホームページ

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2005.12.20

ウィキペディア百科事典は信頼できる

     先日虚偽記載問題について書いた、インターネット上の百科辞典Wikipediaウィキペディアの信憑性をめぐり厳しい意見がとびかっていたが、Nature誌の行った調査ではWikipediaとBritannicaが正確な情報源として同レベルにあるという結論になった。

 

  Natureは、今回の調査にあたって、WikipediaとBritannicaの双方からさまざまなトピックを選び出し、各分野の「しかるべき」専門家に意見を求めることにした。依頼を受けた専門家は、それぞれから同じ話題の項目を抜き出し、比較を行った。ただし、専門家には各情報がどちらのサイトから抽出されたかは知らされなかった。その結果、各分野の専門家から合わせて42件の有効回答が集まった。

 最終的に、極めて重要な概念に関する一般的な誤解など、深刻な誤りが見つかったものはわずか8件で、それぞれ4件ずつという結果になった。ただし、事実に関する誤記、脱落、あるいは誤解を招く文章はいくつも発見された。Wikipediaにはこのような問題が162件あったのに対し、 Britannicaのほうは123件だった。

 この数を1項目あたりに換算すると、Britannicaは2.92件、そしてWikipediaは3.86件となる。

 「Natureが実施した専門家主導による調査は、専門意見を聞いてWikipediaとBritannicaの科学分野の内容を比較した初めての調査だが、その結果は注目を集めている例(SeigenthalerやCurryの問題)が例外的なものであることを示唆している」(Nature誌)
「Wikipediaの情報はブリタニカと同じくらい正確」--Nature誌が調査結果を公表 CNET 2005/12/16

  どんな記述にも誤りがあるということさえ忘れなければ、ウィキペディアは役に立つと思う。

     参考資料

  WInternet encyclopaedias go head to head Nature 438, 15 December 2005
  Natureに掲載されたWikipediaのリポート takenotes blog

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2005.12.18

夜回りの警官たち

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  この写真は12月8日、午後12時ころに撮影したもので、united feature pressの世界のクリスマスで発表した。この夜は特にめだった事件もなかったので、警官たちも仲間と冗談など交わしながらのんびりと歩いていた。警官が暇をもてあましているようなら世の中平和だということだ。実際そのわずか2日後に起きた惨事を思い起こしてもらえればいい。

  あれから1週間がたったが、暴徒たちが割ったショーウインドーの多くはまだ板を打ち付けたままである。この夜に商品を盗まれた店もあるし、焦げ跡の残った車も停まっている。しかも旧市街の建物のドアや窓枠のほとんどすべてにスプレーでわけのわからないことを書き残したのである。いったい何本のスプレーが一晩に使われたことだろう。そんなことをして何になるというのか。

  ノエル(クリスマス)を家族と一緒に過ごすために、もうすぐフランスじゅうで大移動がはじまる。商店街は大きな買い物袋をさげた人たちで大混雑している。bougieだがプレゼントの価格など問題ではない。私が今年もらったもので一番うれしかったのは70代の女性からもらった手作りのキャンドルである。プリンの容器に色づけしてあって、海岸の砂がはいっている。ほかの人にとっては何の価値もないかもしれないが、これは私の宝物である。そっと火をともすだけで、つくってくれた彼女の優しさが心に染みる。願わくば、あの暴徒たちにも、頑なな心をいやしてくれる人が見つかりますように・・・

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2005.12.16

ブルターニュの特選新製品 Prix Meilleure Nouveauté en Bretagne 2005

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  毎年新発売になったブルターニュの製品からよりすぐられたものに賞が与えられるのだが、今年の受賞製品の説明会が昨日Club de la Presse de Rennes et de Bretagneで開催された。受賞した製品には右下のマークがついているので、すぐわかる。そしてブルターニュ各地から集まった会社の社長たちがそれぞれの会社の歴史、製品開発までのプロセス、経営戦略などを語った。
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  いかにブルターニュらしさを表現するか。また中国やアジア諸国の安い製品に対抗できる、売れる商品を開発する秘訣はどこにも負けない質のよいものを作ることだというのが、要旨であった。「良い物は必ず消費者の心をつかむ」という力強い言葉が印象に残った。
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    質疑応答のあとは軽食をつまみながらの懇親会。生ガキと白ワインを片手に貴重な話を聞く。もうすでに日本と取引をしている会社もあるが、まだ販売されていない魅力的な商品も多い。帰宅時に、資料のほかにクレープやビールなどの商品をおみやげにもらったので、今後その感想や企業紹介ももりこんでゆきたいと思っている。

  Association "Produit en Bretagne"のホームページ

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2005.12.14

ウィキペディアの虚偽記載問題について

    いろいろ調べ物をするときに便利なのが百科事典Wikipediaウィキペディアである。これは誰でも無記名で記事を投稿できたり、またおかしなところを他の人が訂正できたりする百科事典なのだが、ここに記載された内容が事実と異なるものであっても、法的に名誉毀損の責任を問われることはないだろうというのである。

  ことの起こりは2005年5月にのアメリカの元ジャーナリストで著述家であるJohn Lawrence Seigenthalerジョン・ローレンス・シーゲンソーラー氏の項目にジョン・F・ケネディおよびロバート・ケネディの暗殺事件にかかわっていた可能性があると記載されていたこと、そして経歴にも誤りがあったというもの。9月になってこの事実を知った本人がウィキペディアに対して何度も抗議したのだが、実際に訂正されたのは10月だった。

  この経緯に業を煮やしたシーゲンソーラー氏は11月29日の「USAトゥディ」でウィキペディアを痛烈に非難した。その後同サイトを運営するウィキメディア財団(フロリダ州セントピーターズバーグ)のジミー・ウェールズ会長は12月5日、記事の投稿者にユーザー登録の義務を課す方針を明らかにした。

  この便利な百科事典ウィキペディアは英語版だけで85万件を超す記事を掲載している。日本語にはまだ翻訳されていないものもあるので、私はフランス語や英語などほかの言語でも検索するようにしている。ウィキペディアはそれぞれの分野の専門家やボランティア執筆者が新しい記事を投稿したり、すでに掲載された記事を編集したりできるというオープンソースシステムを採用している。その内容に関しては投稿者の良識にゆだねられている状態である。またユーザー登録の義務を課すとはいうものの、投稿済みの記事を編集する際には、登録なしでも行なえるのである。

  そして1996年に制定された連邦通信品位法(Communications Decency Act :CDA)第230条により、ウィキペディアは、たとえ誤った内容が公に掲載されていたとしても、名誉毀損の法的責任を免れることが出来るというのが専門家の見解である。なぜならウィキペディアはあくまでもサービスプロバイダだからである。

  ウィキペディアはその豊富な情報量で読者をひきつけてきたわけだが、記事数が増えるほど誤りも増えることは想像しうることである。私もこれまでこのブログの中で何度かウィキペディアの記事を引用したことがあるし、ひとつの記事からリンクをたどってほかの項目を参照できるので、最近愛用している。それゆえこの論争は他人事ではない。だがいちいち疑っていたら切りがない。いったいどうしたものだろう。

    参考資料


  フリー百科事典ウィキペディアから
  ジョン・ローレンス・シーゲンソーラー
  ジョン・シーゲンソーラー・ウィキペディア経歴論争

  「USAトゥディ」に掲載されたシーゲンソーラーによる論説
  泣き寝入りしかないのか--Wikipediaの名誉棄損問題が投じた波紋 CNET Japan
   拡大するフリー百科事典『ウィキペディア』の課題 WIRED NEWS

      追加 2005 12 17

フランス語の項目を翻訳して投稿された方が、翻訳であることを言い添えなかったため投稿を採用されず「厳格すぎ!」と感じた体験をこちらに書いている。同時にかなり偏った執筆者の意向がにじみ出た項目もあるそうで、こうなってくると、ますます使い方に注意しなくてはいけない。

ウィキペディア百科事典は信頼できるにNature誌の行った調査ではWikipediaとBritannicaが正確な情報源として同レベルにあるという結論になったことを記載した。

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2005.12.13

常設市場の夜

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  レンヌには毎週土曜日の大きな市場のほかに、いつも開いている常設市場があります。建物の軒下のところにイルミネーションがつけられていますが、とても綺麗です。女性がきらきらしたヘアバンドをつけているように見えませんか?

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2005.12.12

音楽フェスティバルのあり方

  ラブパーティー禁止に抗議するということで許可をえて集まった約500人は、同時に警察の暴力を非難し、以前の集会がそうであったように最終的には住民をも巻き込んだ乱闘騒ぎを起こした。

  日曜日の朝になっていちおう騒ぎはおさまったが、「トランスミュージカルは危険だ」という拭いきれないイメージが定着しつつある。トランスミュージカルはすでに27回目となる音楽フェスティバルで、その開催をまちわびているファンも多い。ここで問題となるのは音楽フェスティバルめあてにレンヌにやって来る、特に若者たちが、過度のアルコール摂取や麻薬吸引によって住民に迷惑をかけることである。

  人々は一晩中やむことのない騒音で眠りを妨げられたり、また落書きやガラスを割られるなどの物的被害にあっているのだ。昨年夏に行われた別のテクニバルというフェスティバルでは18歳の少女が暴行され殺害されたがまだその犯人はつかまっていない。少女の両親は殺された少女の名前をとったSOS Mathildeというアソシエーションをつくった。

  昨日の事件をまとめると、31人が尋問を受け、23人が怪我をした。そのうち2人は重症で病院に運ばれた。またたくさんのゴミ箱が使用不可になり、4台の車がひどいダメージをうけた。ほかには商店のショーウインドーが10枚くらい割れ、野宿する若者たちが暖をとるため2カ所のバス停留所で火を燃やしたなどの被害があった。

  警察や機動隊は市民の安全を守らなければならない。だが先月のフランス全土に広がった暴動では警官の暴行が明るみにでてすぐに処罰された。暴徒化した若者たちを鎮めるには催涙ガス使用が一番効果的と判断されているが、ガスは窓やドアの隙間から一般住宅にも侵入し、近くにすむ住民は息苦しさを訴えていた。

  これまでにもくり返し論議されてきたが、アルコールと麻薬を完全に断つことは不可能だ。数万人が参加する大型フェスティバルを続けるかぎり同様のトラブルは繰り返されるだろう。フェスティバルの中止も含め考え直す必要があるように思う。

  ここにリンクしたTF1のニュース映像Echauffourée à Rennes autour d'une rave interdite (11/12/2005)を見てもらえれば、被害状況、そしてなすすべもない商店主たちの嘆きが伝わってくる。フランス語がわからなくても、映像だけでも見てほしい。レンヌできのう何が起きたのかわかってもらえるはずだ。

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2005.12.11

レンヌ大荒れ、機動隊と真昼の抗争

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  レンヌが大荒れに荒れている。現在午後10時半だが、外ではガラスの割れる音や叫び声が響いている。もういいかげんにしてほしい。愛するレンヌを破壊するものは、すぐにレンヌから出ていってほしい。
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  第27回目となるTrans Musicales de Rennesはやはり大変な騒ぎとなった。数日来感じていた、普通ではないといういやな予感がまたしても現実になってしまった。午後4時に待ち合わせがあって外に出ると、すでに東のほうに白煙が上がっていた。この時にはすでに若者たちとCRS(機動隊)が衝突していたわけだが、それから半日がたった今でもその抗争が続いている。

  上の写真は午後5時ころのVictor Hugoビクトル・ユーゴー通りの様子。この数分前に真っ赤な火が5メートル以上あがるのが見えたのであわててカメラを取り出した。あまりに人が多くて身動きができない。それから数十分して別の通りを歩いていると、友人が「あ。催涙ガスだ。鼻に来た」というのであわてて風上に避難する。まっ昼間の、クリスマス市のたつすぐ横で、自分が催涙ガスを吸い込むとは誰も考えないだろう・・・
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    私は途中で友人と別れ、ある作家のサイン会に行きそこで7時半くらいまで話をしていた。帰り道を機動隊が封鎖していてビクトル・ユーゴー通りは数時間前とまったく同じ状態であった。さすがに夕方になって人は少し減っている。この燃えてしまったゴミ箱の後ろに見えるのが回転木馬とクリスマス市なのだ。

  近くにいた警官3人にいったい何が起きているのか話を聞いた。ラブパーティー禁止に抗議するデモがエスカレートしたようである。3時に市役所前に集結した若者たち(このころハレルヤと連呼していたのが窓越しに聞こえた)はしだいに瓶を投げ始め、ゴミ箱を燃やし、結局最後は催涙ガスの出番となるのである。

  1年前の事件が起きたのは夜中の4時である。それから次々と事件が起きているが、普通に昼間歩いていて巻き込まれるのは御免である。催涙ガスのせいだろうか。喉がちょっとおかしい。この憤り、いったい誰にぶつけたらいいのだろう。

  このニュース映像はFrance2Manifestation à Rennes en faveur d'une rave interdite 20h20m26sで見える。続きにはFrance3の記事を貼り付けておく。

  

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2005.12.10

街にひそむ狂気

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    待ちわびたイルミネーションが街を包み込む。クリスマス市を眺めながらヴァン・ショー(ホット・ワイン)を飲んだり、どこというあてもなくそぞろ歩いたりするのが冬の楽しみである。市役所前広場ではアーチストたちが自慢の作品を販売している。

  昨晩はあまり寒くなかったので夜10時ごろから夜中まで撮影をした。うっとりするほど綺麗なのだが、その気分をこわすような光景もあった。若者たちはビールの小瓶を飲みながら歩いている。もうすでに酔っ払って大声で叫んでいる人たちもいる。何度もお金をせびられたし、カメラの前にふざけて飛び込んでくるものも多い。
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  バリケードやゴミ箱を引き倒して走り出すことなど、何とも思っていない。普段の夜は奇声がしても外まで出て行かないのだが、いつもこうやって騒いでいるのだと改めて思う。

  今日は6時ごろから外で撮影をしたのだが、みんながバスを待っているレピュブリック広場で大喧嘩があった。10人ぐらいが急に固まりになって動き出したかと思うと、私の立っている所からわずか5メートルほどの場所で6-7人が1人の若者を取り囲み、殴る蹴るの暴行に及ぶ。女の子が2人、そのそばで「やめて!」と半狂乱になって叫んでいた。

  いったんその輪が解けそれから数十メートル横でまた殴り合いがはじまった。やがてパトカーが到着し(写真の白い車がパトカー)道の真ん中に止まったのでバスが動けず渋滞になった。人垣ができその場で警官が静止にはいる。写真の両側に見える二人もその友達なのだろう。男性の顔が寂しそうだ。何があったのかはわからないが、ひとりに多勢とはやり方があまりにひどい。
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  一回りして市役所前にもどってきた。上の写真のように美しい市役所。でもその写真の左端ではちいさな小競り合いが始まっていた。右がそれを拡大したもの。たいした理由はないのだろうが、どうも殺伐としている。ちょうど今はトランスミュージカルの開催中で、昨年のこの時期一晩に催涙弾が250発も使用される惨事が起きたことはすでにメルマガに書いたとおりだ。

  フランスではクリスマス前に犯罪がよく起きると言われている。こちらのクリスマスは家族で過ごすのが一般的。家庭のぬくもりを知らないものにとっては人一倍疎外感におそわれるつらい季節なのである。この優しい灯りが人を傷つけるとは、何と悲しいことだろう。

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2005.12.09

15万人突破、ありがとうございます

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    知らない間に訪問者数が15万人を突破していました。たぶん昨日くらいだったのでしょう。これまで訪問いただいた方々に心からお礼を申し上げます。

  11月26日の夜から、NeoCOUNTERというツールを右上につけてみました。ご覧のように現在の訪問者数と過去の国別の訪問者数が一目でわかるものです。これまでの11日間で44カ国3443人が来てくれました。せっかくなので、コピーしてみました。

  以前同じようなツールGEOLOCも試してみましたが、NeoCOUNTERは訪問者数の合計が表示されるので、意外なことがわかりました。アメリカから、あるいはアジア諸国からの訪問者が想像以上に多いということでした。

  モナコやリュクサンブルグといった近いのに行ったことのない国、またスロベニア、エストニアなど私にとっては全く未知の国もあり、いったいどうやってここを知ったのかとたずねてみたいものです。たとえば’Les rois maudits’というようにフランス語で検索して来たケースも案外あるようなのです・・・

  このNeoCOUNTERは2週間無料で、以後は有料となります。今後もそのまま残そうかと迷ったのですが、一日に何度かアクセスできなくなることがありました。したがってここにカウントされていないものもあると思われます。またアクセスできない場合にはページ全体の読み込みにいつもの数倍の時間がかかり、皆さんにご迷惑をかけたと思います。それであと数日で終了するつもりです。せっかくなので、国別の数をコピーして続きに貼り付けておきました。

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2005.12.07

中国人、ブルターニュで飛行機操縦を習う

    飛行機の話題で思い出したことがあった。数ヶ月前Morlaixモルレーに行ったときのことだ。中国人がたくさん町を歩いていた。観光シーズンは終わっているし、どうしてなのかと思ったのだが、その理由を聞いてびっくり。モルレーで小型飛行機の操縦研修のため中国人パイロットが大挙してやってきているというのだ。

  ホテルの人の話では研修期間は3日~2週間。彼らは全くフランス語など話せないらしいが、英語ならOK。入れ替わり立ち代替わりひっきりなしに来るのだという。 しかも予約もきちんと守られない。急に電話さえなくキャンセルされるかと思えば、いきなりやって来たりする。人数も2人だったり10人だったり、てんでバラバラ。

  モルレーの駅までたどり着いて、どこに行ったらいいのかさえわからず迷子になることさえあるとか。「ホテルの電話番号だけ手にしている中国人がいるから迎えに来て」といきなり駅の職員から電話がはいることもあるらしい。また夜中に大騒ぎをしたりして、ほかのお客さんに迷惑がかかることもある。ホテルにとっては夏以外は空き室がうまってうれしい反面、毎日中国語のやりとりを聞くのはうんざりのようだ。調理ができる民宿では中国食材が持ち込まれ、ラーメンの匂いがあたりにただよっているらしい。

  たしかに中国は広い。飛行機なら短時間で移動できる。でもそんなにたくさんのパイロットがわざわざフランスの、しかもブルターニュまで飛行機の操縦を習いにくる必要があるのだろうか?もしそれだけの需要があるのなら、中国国内に学校をつくればいいのではないか?どうにも考えるほど不思議なのだ。今思いついたのだが、フランス国内のほかの飛行機学校もブルターニュ同様に中国人であふれているのだろうか?

  フランス国内のフランス語学校は今や半数くらいが中国人。この数年で急増している。語学を習得後、ほとんどがフランスの大学の経済学部に進学するのだが、中には登録だけしてせっせとアルバイトをする幽霊学生もいて、これもアフリカ系移民とは異なる意味でやっかいな問題になりつつある。恐るべし中国パワー!

  

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中国の温首相、エアバス大量発注へ

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  中国の温家宝首相が現在フランスを公式訪問しているが、最初の訪問地となったトゥールーズでエアバス社を訪問。超大型機A380の製造工場を見学した温首相はA320の中国国内での旅客機生産も視野に入れた産業協力協定に調印した。(エアバスの組み立てはフランス・トゥールーズとドイツ・ハンブルグのみで実施)。エアバス社によると、今年はエアバスの6機に1機は中国向けで、来年は5機に1機が対中輸出用なのだ。

  温家宝首相はその後パリでドビルパン首相と会談し、そこで、なんと150機のA320を発注した。フランスが予測していたのは70機くらいであったから、発注レコードを塗り替えたこの大盤振る舞いには誰もが目をみはった。その価格は9milliards d'euros(90億ユーロ)である。これらが使用されるのは次の航空会社である。Air China, China Eastern, China Southern, Sichuan Airlines, Shenzhen Airlines et Hainan Airlines.

    世界第4位の広大な大地と、世界第1位の13億2千万人の人口を持つ中国。中国の動向が世界経済をも左右すると言っても過言ではないだろう。

    Airbus A320の機体説明
  世界の人口ほか統計
  参考資料liberationの記事は続きで。

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2005.12.06

ショーウインドーの白ウサギたち

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  毎年12月1日からクリスマスのイルミネーションがはじまる。少し寒くても灯りで美しく飾られた夜の街を歩くのはとても楽しいものだ。私は写真を撮ろうと12月がくるのを待っていた。それなのに、まだごく一部しか灯りがともされていない。
bla1 「もしかすると週明けから」と考えて今晩はいそいそと外へ。それなのにまだなのだ。おかしい。どうして? とりあえずショーウインドーを見て歩く。

  今年の金賞(私が勝手に)はメガネやの真っ白なショーウインドーだ。雪の降ったキャベツ畑で、ウサギたちがキャベツを囲んでいる。食べようとしているのかな?センスよくまとまっていて夢がある。

  旧高等法院前で屋根の上の天使をライティングしている人たちがいたので、いつからイルミネーションがはじまるのか聞いた。すると「水曜の夜からだよ」と言った。「毎年もっと早いでしょう」と聞くと「あさってからトランスミュージカル(フェスティバル)がはじまるから。今年ははじまりが遅いんだよ」との答えだった。まだそれまでおあずけなのだ。

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2005.12.04

世界初 顔面移植手術実施される

  脳死したドナーから切り取った顔面の一部を他の人物に移植する手術が、11月27日に世界ではじめて実施され成功した。フランス北部にあるリールの病院で採取された皮膚や皮下組織、顔面の微細な筋肉、血管などがアミアンに運ばれすぐに移植された。(24時間以内に手術しなければいけない)。

  移植を受けたのは、上下の唇や鼻の一部を5月に犬に食いちぎられた38歳の女性で、移植する以外には食べたり、話したりできないだろうという判断からであった。彼女は8月から提供者を待っていた。

  でもドナー探しは容易ではなかった。なぜならこのケースの場合、技術的なことに加えて心情的な問題がからんでくる。日本のように火葬することが一般的ではないフランスで、顔を切り刻まれるというのはドナーの家族にとってとてもつらいことだからだ。

  それに医学的にもむずかしい手術である。執刀した整形外科の医師らは「手術は成功で移植された女性がもとのドナーに似ることはないだろう」と語っている。

  Le point週刊誌ル・ポワンの記事は続きに添付した。

      追加

  さらに詳細なニュースはTF1から。ニュースビデオあり。

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2005.12.03

フランスのクリスマス 1

noel

 Rennes Bretagne
2005 12 02 19:30


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2005.12.02

ルノーの修理工場 感激の無料サービス

  フランスでは日本のようなゆきとどいたサービスを期待するのはむずかしい。分業化が進んでいるので、「ここは自分の担当だけど、それは違う」とたらいまわしにあうこともしばしば。しかも日本のようなマニアルがないので、役所でも人によって言うことが違うという有様。

  フランス語を母国語としない人間にとっては、その詳細な違いなどわかるはずもない。日本ではずっと車を運転してきたが、定期検診にさえ出していれば悪いところは手遅れにならないうちにチェックしてくれるので、運転中にトラブルにまきこまれたことはない。

  こちらで購入したはじめての中古車1987年製のRenault ルノー、Super5 GTR スーぺールサンクのおかげで、車の用語をたくさん覚えることになった。買ったのは10月15日。それからもう3度ルノーの修理工場に行った。一度目はCarhaixカレという町で、二度目と三度目はレンヌ郊外のSt-Gregoireサン・ グレゴワールへ。

  三度目となった昨日はオイル漏れを修理。冷え込んでいないので4-5回でエンジンはかかった。車は目の高さまで持ち上げられ、医者のような白衣を着た男性が故障箇所をチェックし、別の男性に指示を出す。(二度目は11月9日だったから、さすがに彼も覚えていた。専門用語を知らない私のためにボンネットを開けて説明してもらったからだ)。

  日本では車の下部などしげしげと見たことはなかったので、私も一緒にじっと見る。車はオイルがべっとりと付着し、悲惨な状態。でも、「大したことないよ。20ユーロくらいで直るよ」と言われ一安心。ところが私は別の異常を発見してしまった。マフラーの本体に穴があいている!穴自体は小指が入るくらいでそう大きくはないがその周辺も腐食がはじまっている・・・音が特にうるさいわけでもなく、煙がいっぱい出ているわけでもないのに。

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2005.12.01

シラク大統領、73歳の誕生日

  Dans un an, tout sera fini pour lui. Ou presque.「彼にとっては1年後にはすべてが終わるか、ほぼ終わるだろう」と辛辣な言葉を書いたのは日刊紙Libération mardi 29 novembre 2005である。29日、73歳の誕生日を迎えたシラク大統領であるが、今年5月29日に行われた欧州憲法批准の是非をめぐる国民投票で、反対票が過半数を超えフランスでは欧州憲法批准が否決されたころから、その人気が急速に衰えはじめた。

  そして9月には血管に異常が起き入院をよぎなくされた。幸いにもすぐに退院できたのだが、それ以後マスコミを意識的にさけているように感じる。若者達が暴走しフランス全土が大騒ぎしていても、陣頭でしきったのはドビルパン首相やサルコジ内相だった。

  このLibérationの記事を裏付けるような世論調査結果がある。27日のLe Parisienが掲載したもので、国民の多くは「シラク大統領はフランス国内でも国際的舞台でも影響力を失った」と考えている。回答者の72%が「大統領のフランス国内情勢への影響力は弱い」と判断したのである。また国際舞台においても大統領の影響力は弱いとする回答が66%をしめた。

    さらに大統領夫人にも司法捜査の手がせまっている。

二〇〇三年に倒産したユーラレール航空は大統領と近い関係にあった人物が会長を務めていたが、倒産に関しての不正容疑で捜査を受けている。その中で、ベルナデット夫人が一九九八年から二年間、総額四万ユーロ(約五百六十万円)の航空券を無料で受け取った疑惑が浮上。今月中旬には、夫人が県議会議員を務めるコレーズ県の議会建物や空港が家宅捜索を受けた。西日本新聞 11月30日

  大統領はインタビューに笑顔で応じ「誕生日はいつもの年と同じように喜びに満ちている」と語った。そのビデオはFrance2で。彼は来年の誕生日をどうやって迎えるのだろうか。

  

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