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2006年2月の記事

2006.02.24

レンヌで学生が大学閉鎖 その3 2003年の大学封鎖

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  レンヌで大学が完全に封鎖されてしまったのは、これがはじめてではない。2003年11月に政府が推し進めようとしている「大学近代化」案の全面撤回を求めて学生たちが決起、全国で最もはやく行動したのがレンヌ第二大学だった。11月のはじめ、突然学生たちが教室内の机と椅子を運び出し、ひとつの建物に運び始めた。それでも、床に座って授業を行ったクラスもあった。

  だが翌日になると、午前8時からはじまる授業を皮切りにすべての建物を入り口が封鎖された。教師が教室に入ろうとするのを机でブロックして押し返す。そんな光景が大学の至るところで見られた。写真はちょうどその時の様子だ。入り口の外部、内部とも机と椅子が積み上げられているのがわかるだろう。
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  その前の年までは、大学が完全に封鎖されたことはなかった。一部の学生や教師たちがデモに参加することはあったが、授業を受けたいものはデモに参加しないという選択肢もあったのである。だからこの事態は全く異常だった。封鎖を決行しようとする学生たちは教室内に泊り込み外部からの侵入を阻んだのである。

  それでもこんな騒ぎは数日で終わると予想されたし、レンヌ第一大学では授業は続けられていた。一般の授業を受けたい学生たちも授業がいつ再開されるのかわからないので、毎日大学に足を運んで様子を伺っていた。ところが予想に反して封鎖は1ヶ月も続いたのである。

  レンヌの様子がマスコミで報道されると、徐々に他の大学でも大学を占拠する手段が用いられたからである。11月後半には全国88大学のうち18大学が1~2週間にわたってストを続けていた。いったんはじめた以上ひくにひけない状態になったと言ってもいいだろう。

   その4に続く

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2006.02.22

白波のたつ冬の海

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    冬の海は波が高い。この写真は日曜日、友達と行ったブルターニュ南西部、Phare d'Eckmühlエクミュール灯台横の海。トリスタンと白い手のイズーが暮らした城で書いたようにトリスタンがイズーの船を待っていたと伝えられる場所だ。

  雨が一日中降っていたのでカメラを濡らさないよう傘をさしていたのだが、強風で骨が1本折れてしまった。これで何本目の傘だろう・・・どれほどの風だったのか、友達が写真を撮っている私の姿をカメラにおさめメールで送ってきたのでお見せしよう。
  

続きを読む "白波のたつ冬の海"

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2006.02.21

レンヌで学生が大学閉鎖 その2 2月16日の出来事

  これまで何度書いたかわからないが、レンヌは決して物騒な都市ではない。だが、若者たちの行動は時として目に余る。16日、木曜日、フランス西部ではナント、ブレスト、ラニオン、ロリアン、ディナン、カン、アンジェ、トゥールでCPEに反対するデモがあった。そして午後8時半ごろレンヌ市役所前に集合した1000人くらいの学生たちは県庁方面に移動。10時には県庁付近で警官隊と衝突し、建物の中から催涙弾が学生たちに向けて発射された。

  それから学生たちは旧市街に近い場所に陣取り、ゴミ箱を引き倒しバリケードがわりにして抵抗した。ちょうど昨年12月10日に真昼の抗争があったビクトル・ユーゴー通りで再び催涙弾が使用された。学生たち約300人は市役所前広場まで引き返し、さらにサン・タンヌ広場まで北上。午前1時ごろになって騒ぎは収まった。以前作った地図を見て欲しい。歩いて数分の狭い地域内でどうして数ヶ月ごとに催涙弾を使用するような状況になるのか?

  もしかすると催涙弾とはどんなものなのかわからないかもしれないので説明すると「催涙剤を充填した弾丸。破裂すると催涙剤が気化して発散、一時的に視力障害を起こさせる」と大辞林にある。これを吸い込むと喉が痛く、咳がでて涙が流れる。12月10日に警官と話したのだが、2004年12月の戦場のようなと表現されたその夜と比べると「レンヌはずいぶん静かになった。催涙弾は効果的」という意見だった。

  18日土曜日にまたデモ行進した学生たちは、少なくとも月曜日まで大学封鎖を続けると決定した。レンヌ第二大学は2月8日から機能していない。いくつかの高校も封鎖されている状態なのだが、幸いにも高校は今休暇中なので、表面上の動きはない。

  Nouvelle manifestation contre le CPE à Rennes (AFP) 参照

  その3に続く

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2006.02.20

ブルターニュの特選新製品 Prix Meilleure Nouveauté en Bretagne 2006

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    ブルターニュの企業がまとまって国内外に物産を紹介しているのが、Produit en Bretagneである。毎年新発売になったブルターニュの製品からよりすぐられたものに賞が与えられている。2月17日総会が開催され、Prix Meilleure Nouveauté en Bretagne 2006、今年の特選新製品が発表された。Confitures_1
  上の写真が各分野の受賞者たちだ。おのおのの発表は左の写真のようにして行われた。家族だけとわずかな従業員が小さな工場でつくっているような製品も選ばれていて、喜びを隠せない様子だった。授賞式のあと試食会があったが、候補にあがったものもどれもおいしかった。

昨年の受賞製品はこちら

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2006.02.16

レンヌで学生が大学封鎖 その1 レンヌから全国に広がる封鎖

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  この1ヶ月ほど、レンヌは騒がしい。やたらデモがあり市内中心部の道路が通行不能になる。レンヌ近郊の工場閉鎖に反対するものなどもあったが、今主に問題となっているのは、新しい雇用システムl'égalité des chances「機会平等法」の中に含まれるle contrat première embauche(略してCPE)に不満を抱いているからだ。写真は先週火曜日、午前11時30分に市役所前に集結した高校生たち。学校は休みではないはずなので通行人に聞くと「昼休みにやっている」という話だった。

  CPEについてはL'ECUME DES JOURSに詳しいエントリーがある。ここにくり返し書くと長文になるので、Contrat premiere embaucheをご欄いただきたい。CPEに納得できない経営者や就職を目前に控えている大学生が抗議デモを行っていたが、すでに先週法制化されてしまった。

  ところが、レンヌでの混乱はその後もおさまっていない。レンヌ第二大学では先週はじめから大学生が大学の建物の入り口を封鎖し、すべての授業ができなくなっているのに加えて、レンヌ第一大学も封鎖された。それだけではない。火曜日には大学生、労働組合、高校生などがSNCF国鉄のレンヌ駅を占拠し、TGV(高速列車)をはじめとしてローカル電車もとめてしまったのだ。100本の運行が遅れたのだからただ事ではない。

  私はこの日レンヌ郊外へ出かけていて、この騒ぎを知らなかった。その後も忙しかったので詳しい状況を把握していなかった。このビデオをここから見て欲しい。ここまでやると、暴挙というべきであろう。学生たちは権利や自由の意味を誤っていると思う。

  下に関連の新聞記事をいくつかリンクしておく。
  La gare envahie, 100 trains retardés
  Rennes 1 divisée sur le blocage des cours
  Rennes : 7 000 manifestants contre le CPE

  もう少し詳しく述べるつもりだが、明日から週末いつくか会議があってブルターニュ西部へ出かけるので、続きはたぶん来週になると思う。

  その2につづく

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2006.02.15

風刺画に対するフランスの論調

  フランスの新聞が実際にどのようにこの風刺画を報道したのか、日本語に翻訳して解説してくれている3つのブログを紹介したい。まとめて読めば現在フランスの抱える様々な苦悩が浮き彫りになってくる。

  1) fenestraeムハンマドの風刺画(1)である。読み応えのある長い記事だが、ここで注目してほしいのがLa position de «Libération»『リベラシオン』の立場 という部分だ。

  デンマークの新聞、ユランズ・ポステン紙が掲載したムハンマドの風刺画を「陳腐なレベルのものでしかなく、編集部ではだれ一人としてこれを自分たちの新聞の紙面に載せたいと思うものはいなかった」けれど「表現の自由を守る闘いは分裂させてはいけない」ので「普通のときだったら絶対に掲載を受け入れないであろう絵の保証人に嫌々ながらならなければならない」から掲載にふみきったと記述している。

  2) L'ECUME DES JOURS「Caricatures : geopolitique de l'indignation」 par Olivier Royオリヴィエ・ロワによるLe Mondeの記事「諷刺画:憤慨の地政学」には「全ての西洋の国において、現在、表現の自由は制限されている。それは、法律と一定の社会的同意という二つによって制限されているのである」。

  また「どんな偉大な新聞も、起訴されることよりも悪趣味であることを恐れて、盲人や小人、同性愛者またはジプシーの諷刺画を掲載しないであろう。しかしイスラムに対する悪趣味は通用するのだ」と延べ、「ヨーロッパのこの大きな顕示が様々な政体と運動から成る同盟との緊張をもたらす。そしてこれら政体や運動はヨーロッパのムスリムを人質にとっているのだ」と続けてゆく。

  3) ね式(世界の読み方)ブログCARICATUERIE -- カナール・アンシェネ記事紹介である。Le Canard enchainéは「それらカリカチュアの大部分はさして面白くもないし、ましてオリジナルなものでもない」が「“愛”と“寛容”の宗教権威が平静を呼びかけ、この凄惨な憎悪のカリカチュア爆発と、暴力と不寛容に終止符を打つまで、もちろんわれわれはこういった主題を嘲笑し続ける」と声だかに宣言しているのである。

 

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2006.02.14

パンドラの箱は開かれた

  フランスの新聞le Mondeル・モンドは2003年01月18日に「フランス政府はパンドラの箱を開けようとしている」と報じた。このあらゆる災いが閉じ込められた「パンドラの箱」とは国内に居住するイスラム教徒との摩擦を意味していた。それからこの言葉どおり、衝突は次第に頻繁になり、そして激しさを増している。

    フランス国内にどれだけイスラム教徒が暮らしているのかははっきりとはわからないが、300-500万人と推定されている。その大多数が穏健派でフランス社会に順応して共存してきた。近年になって敬虔な信者がイスラム教の戒律を遵守しようとしてトラブルが起きることが増えてきた。その一例が女生徒が公立学校でスカーフをかぶり続けることだった。1989年に女生徒が退学処分となってスカーフ着用の是非をめぐり当時大論争が起きたそうだ。

  なぜならフランスでは1882年に定められた法律があるからだ。「公立学校は宗教、思想、政治に中立であること」に違反したから当然退学にすべきというのが学校側の言い分だった。最終的に国務院は「スカーフ着用は可とするが、科学の実験や水泳などの授業では教師は着用を禁止できる」という判断を示した。

  それからもこの問題は国内のあちこちで繰り返され、教師が授業をボイコットするなど日本では考えられないような事態も起こった。そして2004年2月10日、その年の秋から施行される「公立学校における宗教的シンボル禁止法案」が圧倒的多数で可決した。

  この法案が実施される9月を前にしてイラクで外国人記者の拉致、拘束が相次ぎ、カタールの衛星テレビ、アルジャジーラは「スカーフ着用を禁止した法律を48時間以内に撤廃するよう仏政府に要求したビデオ声明」を放送した。だが政府は撤廃には応じず、人質になっていたフランス人記者2人は12月になって解放された。

   欧州憲法批准が05年5月に否決された時にも、その原因のひとつとして「欧州はキリスト教徒の集団であるからトルコの加盟に賛成できない」と答えた人が多くいた。同時に「フランス国内に内在する特にイスラム系の外国人がフランス人の職を奪っているからこれ以上の欧州拡大は望まない」という意見も聞かれた。

  11月にパリ郊外からフランス全土に広がった暴動でもイスラム系の移民問題が改めて浮き彫りにされたが(11月の記事参照)、これらは日本にあまり報道されなかっただけで、フランス各地で小さな小競り合いはずっと続いてきたのである。

  いったん開かれたパンドラの箱は、もう閉じることができないのか。互いに憎みあい殺しあうしか道はないのか。いや、ギリシャ神話のエピソードでは閉じることができた箱の底には最後にひとつだけ残っていたものがあった。それは未来を予知する災いだった。まだ起こらない未来を憂うよりも希望を語るほうがいい。今日は愛を語り合う日、バレンタインデーなのだから。

      参考

    欧州の他の国はフランスと状況が異なる。その詳細はイスラムのスカーフに対するヨーロッパ諸国の姿勢 (ル・モンド・ディプロマティーク)で。

  2003年3月19日に始まったイラク戦争は、4月半ばにバグダッドが陥落、5月1日にブッシュ大統領が「戦闘終結宣言を行ったが2004年になってもテロは収まらず、外国人が多数人質にされ殺害された。フランスの子供新聞からを参照。

移民問題の複雑化で90年代のことを書いたがこれも関連がある。

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2006.02.13

書類をパソコンに取り込めるスキャンスナップ

  うちへ遊びに来る友人は、積み上げてある資料を見て「これいったいどうするの」と言う。ほかの人にはただの紙くず。でも現地にしかない資料は思い切って捨てることも出来ず、私も「どこにあったか」と探すのに時間がかかる始末。そんな大量の文書を一気にPDFファイルとしてパソコンに取り込める便利なスキャナーScanSnapがあるとはうわさに聞いていた。

  そのScanSnapの新バージョンScanSnap FI-S500が2月10日に発売された。
 

S500は、A4両面原稿を毎分18枚、36ページ(ノーマル カラー 150dpi/モノクロ 300dpi相当)の高速読み取りが可能。従来機に比べ、すべての読み取りモードにおいて20%の読み取り速度向上を実現しました。
さらにS500は、「CCDセンサー」を2つ搭載しているので、カラー/モノクロの両面原稿を同速で読み取ることができます。また、原稿を一度に50枚まで連続読み取りが可能。読み取りが終了しても、継ぎ足しにより継続して読み取りを行えるので、大量の原稿をスピーディーに電子化することができます。Fujitsu

  新機能としてA4判以外の文書サイズでも自動的に検出し、それぞれの大きさで読み取る機能が加わった。これで、新聞の切り抜きのような定形サイズ以外のものでもそのまま読み取れる。また名刺読み取りソフト「名刺ファイリングOCR」上でQRコードの認識ができるようになった。例えばScanSnapで読み取った名刺をQRコードで画面上に表示し、携帯電話のアドレス帳に登録できる仕組みである。

    日々紙にうずもれている私としては是非欲しい。そうでもしないと、そのうち寝る場所もなくなる可能性大なのだ。それにこれらの資料を国際宅急便で日本に送るとすると紙は重いから船便でも15万円以上かかるはずだ。スキャナーを買ったほうがずっとお得になるわけだ。真剣に考えてみよう。
 

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2006.02.12

コルノグとアルタンのコンサート

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    2月11日午後9時半からブルターニュのKORNOGコルノグとアイルランドのALTANアルタンという夢のようなすごい組み合わせのコンサートがあった。これはレンヌで2月6日から16日まで開催されているEscal en Irlandeのメインコンサートだった。プログラムはこちらから。

  どちらも80年代からずっと活躍を続けている息の長いグループで世界中に根強いファンがいる。一晩にこの2組の演奏が聞けるというのだから、なんとも贅沢。しかも会場はこじんまりしたホールなので約500人の観客はビール片手に足を踏み鳴らしながらステージ上のミュージシャンに遠慮なく声をかける。この受け答えはライブならではの醍醐味だ。

  コルノグJamie McMenemyの迫力あるブズーキ演奏や、アルタンMairéad Ní Mhaonaighの澄んだ歌声がステージからわずか数メートルしか離れていない至近距離で聴けるとは本当に幸せだ。300枚ほど写真をとったが、お見せできるようなものはないに等しい。アルタンの写真を1枚だけのせておく。

  力のこもった演奏が終わって時計を見るとすでに午前1時をすぎていた。4時間もの間立ったまま、しかも叫んで踊ってずっと興奮の連続で、さすがに終了後はぐったりした。私はカンペールからコンサートのためにレンヌまでやって来たフランス人の友人二人と一緒だったのだが、音楽通のこの二人、知り合いに会う度に挨拶をして気がつけば2時半。私は帰宅後ベッドに直行したが、友人たちはそのままカンペールまで2時間以上の道のりを車で帰っていった。帰宅は朝の5時くらいだろうがそこまでしても「来た価値はあった」と言っていた。

Kornog 公式ホームページ
Kornogの最新アルバムKorong 視聴できるのでどうぞ。

Altan公式ホームページ
Altanの最新アルバムLocal Ground 視聴できるのでどうぞ。

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2006.02.09

世界一 大きなウサギ

  写真を見てびっくり。体長1メートルですよ!信じられますか?世の中にはこんなに大きなウサギ(BBC)がいるんですね。写真の下のEnlarge Imageをクリックすれば全身が見えます。

    ベルリンに住むハンス・ヴァンガーさんという人に飼われているウサギ、ハーマン君。特に耳が長いですね。おじさんの顔からはみ出していますね。耳の長さは21センチ、これは普通のウサギの体調と同じくらいだそうです。後ろ足も大きいです。

  「German Giant」というもともと大きくなる種類だそうですが、それにしても体重7.7キロというのは通常より3キロは重いそうです。何を食べているのかというと「レタス」なんですって。

       < 訂正 >

   これを書いてBBC News Roundのほかのページを見ていたら、さらに大きいウサギがいたというニュースがありました。ルディ君は8.7キロだそうです。飼い主は食べようとしていました・・・(フランスではスーパーでウサギの肉も普通に売っています。私もたまに食べます)。

  えぇ。もっと大きいウサギがいるんですか。ロベール君は9.2キロ!探せばもっと大きなウサギがいるかもしれません。

     < 追加情報 >

  フランスの巨大ウサギ・パピヨン 白い身体に特徴的な黒い模様があります。

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ブルターニュ特産 シードル その2

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ブルターニュにはおいしいものがたくさんあるが、Cidreシードル(リンゴの発泡酒)もそのひとつ。特に自家製のものは生産者によって味が微妙に異なる。今日紹介するのはCidre Bouché de Bretagneという名前で写真がオーナーのJean-Pierre Sémeryさんである。

  これはアルコール度5%、林檎のほんのりと甘い香りとさわやかなのどごしがとてもおいしかった。ここでは林檎ジュースなども作っている。レンヌのバーではシードルをおいているところは多くないのだが、クレープリーではみんなシードルを飲んでいる。こうやって生産者と話すチャンスがあるのも、地元ならではの楽しみである。

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2006.02.08

預言者ムハンマド風刺画掲載の波紋

  昨年9月30日、デンマークの新聞社Jyllands-Postenが掲載した預言者ムハンマドの12の風刺画(ここから)をめぐって騒動が起きているのだが、その発端はさらに前にさかのぼらねばならない。私はそのあらましと、デンマーク製品がイスラム諸国からボイコットされている事実を1月31日発行のJapan Mail Media(村上龍さんが編集長)メールマガジンで読んでいた。

  現地に住む造形作家の高田ケラー有子さんが書いた記事だったが、この時はまだフランス国内の新聞には転載されておらず、デンマークやノルウエー以外でこの経過を知る人は多くなかっただろう。その後の経緯については小林恭子さんの英国メディア・ウオッチに詳しく述べられているので、ここでは省略する。

  フランス国内ではFrance Soirフランス・ソワールが2月1日に掲載したが、これは論議の末すでに出来上がっていた紙面を差し替えたものだった。先日書いたように、この記事がエジプト系の社長を憤慨させJacques Lefrancジャック・ルフラン氏解雇につながった。これに驚いたほかのマスコミが「言論の自由」を守るためいっせいに記事にしたので、その波紋はいまや世界中に広がりつつある。

  中東のメディアで風刺画を掲載したのは、ヨルダン2紙とモロッコ1紙、イエメン1紙。どの国でも責任者が逮捕されている。マレーシアの英字紙は週末版で転載したが責任をとって編集長は辞任した。はじめにこの風刺画を描いたデンマークの12人は命の危険を感じ、姿を隠している。

  フランスではするどい風刺が売り物のLe Canard Enchaîné ル・カナル・アンシェネが8日付けでまたまたこのことを皮肉っている。(ここから)。このような状況に欧州委員会は過激な言動は控えるよう呼びかけているが、イスラム教徒の怒りはおさまるどころか過激になってきている。

  中東でデンマークやノルウェー大使館が放火されただけでなく死傷者がでている。風刺画掲載に抗議するデモが6日に行われたアフガニスタンでは、計7人が死亡、数十人が負傷。ソマリア北部で6日、1人が死亡、7人が負傷した。またトルコでは5日に男子高校生が教会内部でイタリア人のカトリック神父を射殺した。

  イスラム教は本来寛容を説く宗教であるはずだ。もう一度原点に戻りそのことを思い出してくれることを切に望む。
  
      追加

  高田ケラー有子さんが7日のメールマガジンで書いているのだが、デンマーク国内でもこの問題はそんなに大騒ぎにならず、表立ったイスラムの反応もなかった。これは年内には沈静化したはずだった。それが掲載後半年もたって死傷者を出すにいたったのはどうしてなのかもう一度考えてみた。

  そこにはフランスをはじめとしたマスコミの過剰報道や、携帯電話によるデマの拡大(「コペンハーゲンの広場で4日、デンマーク人がコーランを焼こうとしている」 というメールが広がった)があったのである。宗教の対立はキリスト教対イスラム教だけに限らず、カトリック対プロテスタントでも流血の惨事が繰り返されてきた。大辞林で「宗教」を探すとはじめに「神仏などを信じて安らぎを得ようとする心のはたらき。また、神仏の教え」と書かれていた。他人を許し友として受け入れなければ双方が傷つくだけである。

  

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2006.02.07

ツタのからまる家

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  まだ寒い日が続いていて風邪がとてもはやっている。キューバに行っていた友人が何枚か南国の写真を送ってきた。少々夏の日差しが恋しいので、昨年夏の写真を紹介しよう。

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  ブルターニュにはアジサイがたくさん植えられている。アジサイはシーボルトがヨーロッパに持ち帰り改良したものだ。シーボルトは日本人女性「小滝さん」にちなんで、大輪で美しい品種に「オタクサ」と命名したそうだが、学名はHydrangeaでフランス語ではhortensiaオルタンシアという。この名前はフランスの植物学者Philibert Commersonコメルソンが別の女性の名前から名付けたもので「小滝さん」とは関係ないそうだ。

  こちらのアジサイの色は非常にバリエーションに富んでいるのだが、青色や紫色に近いような深い色をしていることが多い。土壌の成分がこのような色を生み出したのだという。それにしてもこの家、ツタが家を多い尽くしていて窓も開かないのではないだろうか。
 

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2006.02.05

画期的なニュース配信サイト AFP・BBニュース誕生

  世界の最新ニュースが写真と一緒に見られる画期的なニュース配信サイトが誕生した。フランスAFP通信社とモビーダ・エンターテインメント(ソフトバンクの関連会社)、クリエイティブ・リンク(ITコンサルティング)の3社が共同で運営するAFP・BBニュースである。

  早速のぞいてみたが、各写真をクリックするとそれに関連した記事を日本語で読むことができる。リンクが貼られているので関連記事のすぐに探すことも可能で、記事ごとにコメントもできるようになっている。さらにこのニュースを用いてブログを書くことも出来るシステムだ。

  まず「ブルターニュ」という言葉で検索。3つのニュースがあった。シラク大統領がテロ攻撃に大しては核兵器使用も辞さないと警告したこと、サッカーの話題、ニューカレドニアに住んでいた資産家が故郷の小さな町に140万ユーロを寄贈した美談が載っていた。

  次に「フランス」で検索してみると、デンマークで預言者ムハンマドの風刺画が掲載されたことに端を発した「信仰の自由と表現の自由」をめぐる問題に多くの写真が載っている。これを1日に載せた日刊紙France Soirフランス・ソワールの編集長Jacques Lefrancジャック・ルフランが解雇され、そのサイトも閉鎖された(左にリンクがある)ことを他の新聞は大きく報じ、Le Mondeル・モンドは3日付けのトップページに巨大な風刺画を掲載した。

  ”Je ne dois pas dessiner Mahomet”私はムハンマドを描いてはいけないという文章を重ねて顔にしたというインパクトの強いデッサンである(ここから)。ジャック・ルフラン氏も解雇は不当であると抗議した。

  イスラム教徒はデンマークやフランス製品の不買運動を行うなど激しい抗議をしており、新たな暴動につながるおそれもある。France2の最新のニュースでは世界100ヶ所近くでデモがあったことやシリアの首都ダマスカスにあるデンマークとノルウェー大使館が放火されたことが報じられている。


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2006.02.03

トンケデック城を望む

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    曲がりくねった道の木立の向こうに城が姿をあらわす。まさに中世の騎士たちが腕試しに訪れる秘境にあるかのように見える。実際にはここをくだって畑の中の小道を進んでゆくとあるのだが、ここからの眺めた城は堂々としていて「眠れる森の美女」がいると言われても不思議には感じない。

  秋から春まで管理人もいないので私も敷地内部には入っていないのだが、下のリンクのDiaporamaから写真を見ることができる。かつての姿を描いたデッサンもある。
  
Château de Tonquédec

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2006.02.01

奴隷制撤廃記念日を制定

  今年からフランスに新しい休日ができる。Commémorer en France métropolitaine l'abolition de l'esclavage「奴隷制度の撤廃を記念する日」、5月10日である。1450-1867年(特に18世紀)にかけてヨーロッパ・アフリカ・アメリカを結ぶ三角貿易が盛んに行われ、1100万人の黒人が奴隷として過酷な労働をしいられた。

  続きにフランスの奴隷制度の歴史を掲載しておいたが、国内で最も賑わった港が当時ブルターニュであったナントであった。ロワール川をのぞむ一等地、フェイドー島とその周辺には冨を築いた商人たちがきそって豪華な館を建築した。

  1818年に奴隷貿易は禁止されるがそんなに簡単に貿易はやまず、その後2度禁止令がでている。この悲劇を真摯に受け止め、心に刻むという意味でも休日制定は意義深い。フランスでは01年5月10日にla loi "reconnaissant la traite et l'esclavage en tant que crime contre l'humanité"人間性に反する犯罪である奴隷制度を再認識することを法制化している。繁栄の陰には血の涙を流した名もない人々がいたことを決して忘れてはならない。

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