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2006.03.25

アイルランド・聖パトリック

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  3月17日はアイルランドの守護聖人・聖パトリックの祝日Saint Patrick’s day で、毎年アイルランドはもとより世界中で様々なイベントが開催される。ダブリンではすっかり有名になったパレードを見てバーで乾杯となるようだ。この日は聖パトリックの命日と伝えられているのだが、はっきりとした記録はなく西暦461年ごろだと推測されている。

  Patricius Magonus Sucatus(古アイルランド語ではPádraig)はウエールズ生まれ。16歳の時に海賊にさらわれアイルランドで6年間奴隷としての暮らしを強いられたが、やがて逃げ出しウエールズに戻る。その後フランスで学んだのち、アイルランドに赴きキリスト教を布教したのである。カトリック豊島教会の聖パトリックについてという解説があるので彼の生涯についてはここをまずお読みいただきたい。私は彼がフランスのどのような場所で学んだのかを知りたかったのでそれを調べてみた。

  彼はフランス中央部のAuxerre(世俗から自己を隔離する陰修士的な性格が強かった)やカンヌの南にあるÎles de Lérinsの修道院(陰修生活と共住生活の中道的形態)で研鑽を積む。
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  いよいよアイルランドに帰る日がやってきた。彼はダブリンの南にあるThe Hill of Slaneに立つ。右の写真がその全景である。ここは下調べできていなかったのだが、ミニバスツアーで訪れた。上の写真はthe Hill of Taraに立つ聖パトリックの像である。

  彼は「三位一体」を民衆に説明するのにシャムロック(三つ葉のクローバー)を用いた。今ではシャムロックはアイルランドのシンボルに用いられるようになった。アイルランドにあふれるエメラルド・グリーンはこの青々としたシャムロックの葉の色である。

    Downpatrick Cathedralには聖パトリックの墓石が残っている。1183年に小高い丘の上にベネディクト修道院として建てられたのが発祥で、現在はアングリカン・チャーチとなっている。「聖パトリックの祝日」には、たくさんの人がここを訪れるそうだ。

聖パトリック・センターThe Saint Patrick Centre

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コメント

三紗さん、こんばんは。

実を言うと僕、このカトリック豊島教会で結婚式を挙げたんですよ!
妻も僕もキリスト教信者じゃないので、式の前に数回キリスト教講座に通う事で式を挙げる事を許可されたんです。
聖パトリックの話を聞いたかどうかまでは、もう記憶が定かではありませんが、お陰でリンク先で懐かしい教会の写真も見る事が出来ました(^^)
それにしても聖パトリックの生涯は凄かったんですね。改めて勉強になりました。

投稿: ひで | 2006.03.27 03:50

ひでさん。こんにちは。

不思議なめぐり合わせですね。アイルランドにもぜひお出かけください。

聖パトリックの生涯もはっきりわかっていません。私の書いていることと、カトリック豊島教会の記述に微妙な食い違いがあるのはそのためで、アイルランドのHPを参照して書きました。

フランスでの生活ははっきりした名称がわかわず、だいぶ時間をかけて調べました。ブルターニュでは、「聖パトリックはブルターニュ生まれ」という人までいますよ。

投稿: 市絛 三紗 | 2006.03.27 18:57

三紗さん、セント・パトリックの記事ありがとうございました。
実は私もカソリックです。
カトリックというべきなんでしょうね。でも生まれて3か月目で洗礼を受けて以来「カソリック」と呼んでいたので、ついつい……
St. Patric's Day は命日だったんですね。My Blogでうっかり生誕日と書いてしまいました。すぐに訂正せねば。
これからアイルランド関連のコンテンツになる時は、いったんここで調べてからにします(笑)。
読みたい本もずらりそろってるし、お世話になります。

投稿: ysbee | 2006.03.28 17:55

ysbeeさん。こんにちは。

まだアイルランドのことは少ししか書いていないので、感動を忘れないうちに書きたいです。

投稿: 市絛 三紗 | 2006.03.28 18:35

アイルランドの写真、良いですね。タラの丘に入ったことあるのですが、なぜかパトリックの象を見た記憶が無く・・・。
パトリックの生涯がはっきりしないのは、彼の聖人伝(聖人の伝記)が書かれたのが7世紀とかなり遅く(聖人伝自身の歴史としてはかなり早いんですが)、しかもこれも良くあることですが政治的・宗教的なプロパガンダの要素が大きいからなんです。だからこそ今でも研究が盛んなんでしょうね。また、「2人のパトリック」議論というのもあります。実はパトリックはアイルランドの最初の伝道者ではない、ということなんですが。
なお、聖人の日は、基本的に総て「死んだ」日です。死に、そしてその墓なりゆかりのものなりで「奇跡」が起こったからこそ、「聖人」となるからです。また、死ぬ=神の国に至るってことなんだと思います。
長々失礼しました。

投稿: kimuco | 2006.04.01 20:34

こんにちは

タラの丘の入り口、教会手前の一番目立つところに立っていますよ。

>アイルランドの最初の伝道者ではない
「先にローマ教皇に任命されアイルランドで布教していたパラディアス司教の後継ぎとしてアイルランド島に赴いた」という記述があります。
http://www.globe.co.jp/information/saint/saint-1.html

投稿: 市絛 三紗 | 2006.04.03 06:21

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