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2006年4月の記事

2006.04.30

タンザニアの日常生活

  パリに住む日本人の方のブログFelicidadeの中に愛すべきタンザニアほかタンザニアの旅行記があります。タンザニアの最大の都市、ダルエスサラームの普段の顔が紹介されていますが、高層ビルがたくさん建っています。市内では中古の靴屋が繁盛しているようです。活気がありますね

  バナナ市場も盛況です。バナナはゆでたり、揚げたりして食べることが多いとか。フランスでもお菓子には焼きバナナがありますが、バナナをおかずにはしないと思います。日本でカレーにバナナを入れる友達がいました。水の管理は大変なようですが、写真に写っているスラム街のトイレはフランスの公衆トイレよりもずっと清潔です。フランスで綺麗なトイレを見つけるのはむずかしいのが現状。見習いたいものです。

  旅行ではなく生の生活をもっと知りたいと探したら住んでいる人のブログがありました。タンザニア生活日記です。テレビ番組や食生活などアフリカの生活がよくわかります。スワヒリ語の解説もあって楽しいブログです。

  ぜひ読んでほしいのがタンザニアの農業について書かれている報告書「サブ・サハラアフリカにおける援助動向」というエントリーです。

    追加情報   カメルーンから来ている弁護士と話したのですが、カメルーンではここ数年中国人労働者が増えていて、地元の人の仕事が減っているそうです。タンザニアでも上記の靴屋や古着屋は中国人が経営していることが多く、問題になりつつあるそうです。

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ヴァルド岬からの眺望

Mer_s

  Point de la Vardeヴァルド岬から東の方を眺めてみました。St-Maloサン・マロのすぐ東にある海岸線です。天気がよかったので、ここでサンドイッチを食べたのですが、360度の視界のうち200度以上が海で見とれてしまいました。水平線が丸いのがよくわかりました。 

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2006.04.29

ココログの容量が増えている!

  そろそろ慣れ親しんだココログともお別れしなくてはと考えていた。なぜなら、容量が75パーセントをこえ、このままでは数ヶ月以内に100パーセントを超すはずだったからだ。

  文字だけなら心配ないのだが、大きな写真を使うとあっという間容量が増える。そこで数ヶ月前にフォトアルバムをすべて削除して写真の質もおとしていた。だがせっかくならもっと質のよい写真を見せたいので、Flickrで写真アルバムを作り少しでもココログの容量を使わないようにしようと考慮していた。さっき容量を確認してみた。
  

ご利用可能なディスク総容量: 5,000 メガバイト
  ご利用中のディスク容量: 37.8125 メガバイト (0.76%)

  ムム。0.76%? 3月末から容量が100倍になっている!そんなお知らせあったかな?私はプラスなので毎月税込473円を支払っているわけだが、それが無料のフリーよりも容量が少ないことに納得いかなかった。それが多くのココログユーザーのココログ離れにつながっていったのだろう。機能について不満足だという意見も多かったが、長年使っているユーザーほどこの容量の少なさがネックになっていたはずだ。

  でも容量がこれだけ増えたのならわざわざ引越しすることもない。これからは大きな写真を気兼ねなく最高の状態でお見せできるということ。これで一安心だ。

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2006.04.28

CNE(新規雇用契約)による雇用が41万件に

    CPE(初期雇用契約)は撤回され、大学封鎖も解除。これで学生たちもおちついたかにみえたが、今週はじめにはソルボンヌが再び占拠されCRS(共和国機動隊)が出動する騒ぎになった。La Sorbonne de nouveau évacuée TF1

    一方で昨年秋に創設されたCNE(Contrats Nouvelles Embauches 新規雇用契約)は従業員が20人以下の企業を対象としているのだが、CPE同様に試用期間を最大2年に設定、この間は使用者側は正当な理由なく解雇することが可能なまま施行されている。

  ACOSS(社会保障会計の中央機関)がインターネットによる申告のみをカウントして推計した数字によると今年3月の登録数は5万2000件で、昨年9月以来、延べ41万件に達したそうだ。これは対象企業全体の11%をしめている。地域圏別に見るとコルシカ、ロレーヌ、ラングドック・ルシヨンでの登録数が多く、ロワール、ブルターニュは登録数が低い。詳しい情報は下記のリンクから。Estimation des embauches en mars

  プロヴァンスに住む女性のブログTant Pis!Tant Mieux!そりゃよござんしたも一読を。
  毎日新聞の関連記事もクリップした。
   フランス:初期雇用契約撤回から半月 失業の抜本対策、見えず
   世界はどう見る:フランス初期雇用契約の撤回

   関連バックナンバーはこちらから。

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2006.04.27

菜の花畑

Fleur_p
    見渡すばかりの菜の花畑が広がっています。フランスは春の花々が競い合うように咲いていてとても美しい風景です。畑の縁でこんな可愛い花も見つけました。真っ白な清楚な花です。

  先週くらいから気温が急に上昇していて気分もうきうきしてきます。小学生から大学生までブルターニュでは春休みの真っ最中。(フランス全土では休みの日も異なっていて、もう学校が始まっているところもあります)。きっと楽しい休日をすごしていることでしょう。

  日没時間もおそくなってきました。今日の日の出06:57、日の入り21:12です。Colza1お日さまが沈まないとつい夜更かししてしまいますし、植物もはやく大きくなりそうです。

    ブログの容量が残り少ないのでこのページでは写真の質を落としています。もう少し大きいサイズでさらに質のいい写真をお見せしたいと考え、Flickrで写真アルバムを作りました。右の中央にありますのでクリックしてください。それからFlickrのページの右上にあるView as slideshowをクリックするとスライドショーが始まります。

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2006.04.24

ナショナル ジオグラフィックのケルト特集

Numero_79_avril_2006_large
  4月号のNational Geographicナショナル・ジオグラフィックがCeltes Appealケルトの魅力という特集を組んでいます。スコットランドやコーンウォールで行われているケルトの祭典の摩訶不思議な写真が目をひきます。

  この写真を撮影したのはアメリカ人のJim Richardsonジム・リチャードソンさんです。ケルトの伝統を受け継ぐヨーロッパの国をくまなく巡っています。彼はブルターニュにも撮影に来ました。フィニステールで精力的に撮影をこなしたそうですが、残念ながら紙面にはブルターニュの様子は載っていません。

  私は偶然この話をブルターニュの友人宅で聞きました。私はいつも寝袋持参で行って泊めてもらうのですが、ある夜友人が撮影したビデオを見たのです。その中にジム・リチャードソンさんが写真を撮っているところも写っていました。笑顔を絶やさず、写真を撮るのが楽しくて仕方がないようでした。フランス語ができない彼のために撮影のコーディネイトや通訳をしたのが私の友人だったわけです。ですから紙面を見てもその撮影風景が頭に浮かんできます。「あともう一枚と言いながらいつまで待っていても撮影を止めないんだ。ものすごい量を撮っているよ」と友人は話してくれました。
T_0604j
  ナショナル・ジオグラフィック日本語版4月号の表紙はフランス語版と異なり「大地震」になっています。内容も全く同じではありません。フランス語版のLa quête du roi Arthurアーサー王探求が日本語版にはありません。そのかわり欧州の辺境に息づくケルトの心にはオンラインだけの写真も公開されていますし、音楽と朗読の視聴もできるようになっています。是非聞いてみてください。

  「ケルト」という言葉についての論争があることは、ケルトについて考えるに書いていますが、アイルランドにある考古学博物館でもこのことを話し合いました。改めて別のエントリーでまとめたいと思います。

  追加情報 2006 05 09

  日本語版では5月号にアーサー王特集がのったようです。

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2006.04.23

反CPEの拠点があった場所

Tentea
    ここは昔ロワイヤル広場(王の広場)と呼ばれていた場所である。そこを反CPEの拠点にすることに意義があると、若者達は数週間の間、テントを20ほど設営し寝泊りしていた。木切れを集めてきて小屋のようにシートをかぶせ、次第に規模が大きくなってきた。活発な討論の場になるのならそれでもいいのだが、バーベキューをして酒を飲み一晩中大声を張り上げ騒ぐので、近くに住む私はずっと眠りをさまたげられた。寝ずに朝まで怒鳴っているのなら、テントなど必要ないではないか。ドイツ人の友人と夕方その横を通ったら「ここ、ドラッグやってる。匂いでわかる」という。これでは何のためにそこにいる必要があるのかわからない。

  それでもMythosというフェスティバルのため、このテント村は強制撤去されるはずだった。だが、彼らは「民主主義のフランスでこの全国的に高まっている反CPE運動の拠点を立ち退けとは許しがたい」と拒否。市長も及び腰で結局Mythosの方がレンヌ市と協議し場所を変えることとなった。
Tenteb
  ひとりの生物学専攻の男子学生と話をしてみた。うるさくて眠れないことを告げると「僕は夜は家に帰っているからわからないけれど、迷惑をかけているならすまないと思う。いろんな人間が集まっているし、特に責任者もいないから」という。それから「デモをすることには賛成だが、大学、道路、鉄道などの封鎖には反対である。なぜなら、これらが地方経済を圧迫していると感じる」と言うと、「僕たちの目的は地方経済を徹底的に攻撃することなんだ。それを全国で実施すれば、地方から非難の声が上がるから首相だって無視できなくなる」とうれしそうに答える。

  「どうしてパリで行動しないのか。レンヌを痛めつけるのはやめてほしい」と言うと、「少人数だしパリまで行く金もない。ここで暴れるのが手っ取りばやい」との答え。「金がないなら、ここからパリまで歩いていったらどうか。破壊行為などせずにパリまでデモ行進したら、メディアもこぞって報道すると思うけど」との提案には首をすくめ、「遠すぎるよ。歩くなんて」と言うばかり。

  昨年11月に約3週間続いた暴動でも、若者たちは地元の学校や公共施設を攻撃した。自分の親や隣人の車に火をつけたものもいる。この時の被害額は概算で2億ユーロ(280億円)と言われている。反CPE運動に関連して、ナントではブルターニュの象徴、ブルターニュ公の城まで占拠されたし、たくさんのスーパーやデパートが襲われた。中心となったのは左派の学生や高校生たち。誰か扇動者がいたとしても、それを実行したのは普通の若者たちだ。しかも中学生もたくさん混じっていた。

  4月4日の出来事は繰り返されるデモ後の乱闘で書いたが、ちょうどこの前にレンヌ第二大学で17世紀の文学を教えている教授と出くわした。「何が起きているのですか」と聞くと「あっちでgamin(少年、少女)が暴れているよ」と平然としている。「やりすぎだと思わないのですか」とたずねると「デモはフランスの伝統だからね。やめろと言ってもやるだろう」と顔色も変えない。

  上記のテント村は4月10日の早朝に撤去されたのだが、ここに住み着いていた住所不定の若者たちは、それからレンヌ第二大学の校内に居座り、寝泊りするようになったのだ。大型犬をつれて大学内を闊歩していたという。もうそこは勉強できるような環境にはないので、学長が大学閉鎖したわけだ。先週になって全国すべての大学で授業は再開されたが、校内の損傷は激しい。

  ただのデモだけならいいが、安定した雇用を求める運動で「経済を破綻に追い込むこと」を目的とした道路や鉄道の封鎖が行われたとは矛盾していると感じる。そしてそこに暴力、アルコール、麻薬も加わるのである。デモ行進も「寒いから景気付けに」とアルコールを飲みながら歩いている人がとても多いのだから。機動隊が手だしできないようにわざと乳母車を押した女性をデモの最前列に配置したり、子供を先に歩かせたりするのはやめてほしい。「封鎖はしても暴力とは別」というのは建前だが、それが切り離せないとしたら、デモでなく別の抗議方法を考慮すべきだろう。

  バックナンバーはこちらから。
    レンヌに住むフランス人学生のブログの記事をひとつだけ紹介しておく。CPE : point de vue d'un étudiant de ScPo Rennes anti-blocage et pour une négociation de la loi

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2006.04.20

岸恵子さんが案内するとっておきフランス旅

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ブルターニュに住む日本人の友人から一冊の本を借りました。岸恵子さんのフォト・エッセイ集、私のパリ 私のフランスです。

  昨年12月に発売された本で、テレビ朝日が今年の正月に放送した「岸恵子さんが案内するとっておきフランス旅」に関する秘話がふんだんに盛り込まれています。私は放送を見ていないのですが、放送終了後日本の友人がすぐに内容を伝えてくれていました。パリの風景に加えて、ブルターニュ関連ではモン・サン・ミッシェル、グラニット・ローズ海岸、サン・ギレッグ、クレープリー、ダンス・ブルトンなどの映像があったそうです。

St_guirec
  番組の中で紹介されていたla Côte de Granit Roseグラニット・ローズ海岸にはペロス・ギレックの海に書いたように赤みがかった花崗岩の巨石が海岸を埋め尽くしている独特の美しい海岸線があります。ここで、岸恵子さんが俳優の岡本建一さんと一緒に訪れたのがSt-Guirecサン・ギレッグの祠です。干潮の時は歩いて行けますが、満潮になると海の中に浮かぶようにたたずんでいます。

  「恋が成就することを願いながらこの聖人の鼻に針を刺すと結婚できる」という言い伝えを実践したために、聖人の顔は穴だらけになっています。日本の「針刺し地蔵」と同じですね。はたして乙女たちの祈りは叶ったのでしょうか?

  この本にはジャン・コクトオ最後の演出の舞台「濡れ衣の妻」に出演したこと、そして楽屋を訪れた三島由紀夫さんが「演出も演技も素晴らしい」と絶賛したことが書かれています。この舞台を見た日本人はほんの数人だったそうですから、不思議な巡り会わせです。彼はフランス文学に関する文章も残しています。三島由紀夫のフランス文学講座。そしてご本人いわく「スペイン植民地風の家」の美しい洋館に住んでいました。三島由紀夫の家

  笑顔がまぶしいほど輝いている岸恵子さんの何と若々しいことでしょう。ちょうど水辺ではヤナギの木がみずみずしい若葉をつけはじめています。一見折れそうに見えるかぼそいヤナギの枝がしなやかに強風をかわしてゆく、そんな風景と重なって見えました。(フランスではヤナギは美しいものの象徴なんです。フランス人は恋人たちの木と考えているようです。日本はヤナギの下に幽霊がいるのですからちょっと違いますね)。

*エッフェル氏のお屋敷にも関連記事があります。

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20万人感謝プレゼント

Plage
  もうすぐ訪問者数が20万人になります。そこで200000と200002番目の方、お二人に感謝をこめてブルターニュにちなんだプレゼントを差し上げたいと考えています。

  この記念番号をゲットされた方は、「うるわしのブルターニュ」への感想と、サイトのスクリーンショット、または、デジカメで撮った証拠写真等をメールに添付して送ってくださいね。趣味、もしくは好きなことなども書き加えていただければありがたいです。(写真も添えていただけたら、その方のことを考えながら、品物を選びます。)

  あと数日中だと思いますので、私もドキドキしながらメールをお待ちしています。

  

  

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2006.04.19

フランスの労働法制

    社会経済学者のFlorence Lefresneフロランス・ルフレーヌ氏がLe monde Diplomatiqueに記事を書いているが、それが日本語に翻訳されている。不安定雇用にむしばまれる労働法制 (ル・モンド・ディプロマティーク日本語)

  「無期限の雇用契約が、安定雇用という規範を体現するものとなるまでには、数度にわたるステップアップが必要とされた。現行法上の無期限契約の規定は、労使関係の長い歴史の末に到達した成果である」が「ここ最近、新規採用契約(CNE)や初採用契約(CPE)といった措置が打ち出されている。この措置は、失業者のうち特定の層が対象にされているが、そのじつ労働法そのものに対する侵害にほかならない」と述べている。

  ところで、先日リヨンのオペラ座所属のテノール歌手、成田さんに聞いた話では、芸術や音楽関係に従事している人たち(地方自治体が雇用主の場合)は現在終身雇用ではないということだ。成田さんの場合は最長が3年のCDD(Le contrat à durée déterminée)契約。ただ、欧州議会の決定によって、公務員の6年を超えるCDDの更新は違法とみなされるので、現在、規定の見直し中だとか。

  10年ほど前に法律が変更されたのだが、法律が施行される以前の雇用契約はそのまま継続されているので、短期契約と終身雇用の人が同じ職場で働いているという複雑な形態だそうだ。ただパリのバスティーユは国立歌劇場なのに雇用主が自治体ではなくアソシエーションなので終身雇用が適応されるらしい。いずれにしても劇場によって3ヶ月~1年の試用期間があり、最初の契約は1年が最長となっている。

  終身雇用ではなくなった理由を「楽器(身体)は日々変化するものなので、ずっと同じ条件で雇うわけにはいかないと言うのが、お役所の言い分でしょうかね」と成田さんは推測しているが、ほかの職業でもこのような例があるのかはわからない。

  また年金制度については短絡的思考…フランス新雇用政策の報道を巡ってに的をえた解説がある。

フランスの年金制度は「ベースとなる年金」に加え、「役職や職能別の補助年金」が加わり、老齢年金は「最も給料が高かった時の」50%~80%にまでのぼる。この、最も給料が高かった時代のというのがミソで、退職時の給料という事ではない。 年収1000万だった時代がある人は、60歳以降最高800万円くらいはもらえるという事になる。「老後は子供の世話にならず、悠々自適の年金生活」という夢のような生活はフランスでは現実のものとなっている。

  この年金算定のベースとなるのが賃金なので「最低賃金」も高くないと困るわけだ。「賃金が高く、社会保障費の企業負担分が重いため、1人雇うコストとそれに比べる生産性が低いので企業は新規雇用に対し慎重な姿勢をとらざるをえない」から雇い主に自由な解雇権限を与えて雇用を増やそうと考えられたのが新規採用契約(CNE)や初採用契約(CPE)だったのだ。

    これらは大学卒のような高学歴の若者たちにとっては不安定な契約であるが、機会平等法に賛成する人たちは「これまで仕事がなかった郊外に住む移民たちや、住所不定で何もしていないような若者にとっては、短期間でも就職できるということは生きる価値を見出すことだ」と評価している。

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聖杯探索とカブトムシ特区

  なんだか全く関係のないキーワード2つ。これはあるブログの最近のエントリーの内容なのだ。世の中にはすごい人がたくさんいるが、このブログを書いている人はその中でも突出したすごい人だと思う。

  一つ目は「レオナルド・ダ・ヴィンチの探索と、あの「聖杯」の調査」のためにイタリアとフランスをめぐり、テンプル騎士団の家系という家をさがしあてた・・・という驚くような内容。裏話のひとつとして、パリで「SWATCHの広告ページに、お相撲さんがチュチュを身に着けてポーズをとっている、じつに奇怪な画像」を見つけたので喜んで記録したというこの人。(この広告写真は在仏熊猫日記のスモッチでどうぞ)。

  そして二つ目は東京タワーの中に内閣府が「感どうする経済館」という施設をつくっているというお話。私ははじめて聞く名称だったのだが、みなさん知っていますか?「小学生の社長とか主婦の起業とか、新しい経済のヒントになる活動が紹介されている」そうだ。

  次いで内田龍司さんがつくった「カブトムシ特区」の話題があった。「幼虫がたくさん育った堆肥には、カブトムシの糞がまじり、これが堆肥の成分をぐんとアップさせるというのだ。内田さんの実験では、サクランボの甘味が2割アップしたそうだ。優秀な作物がとれることがわかって、目下さらなる実験がおこなわれている」という。だがこの「カブトムシ特区」、カブトムシを売却し利益を得ることはできないので、内田さんは「精神的にも金銭的にも余裕のない状況が続いている」というから、寂しいことだ。こういう活動にこそ援助があってもいいのではないだろうか。

  私が小学校のころ、田舎の畑ではカブトムシがいっぱいいたことを思い出した。近所に乳牛を飼っていた家があったからだろうか。家の前の桃の木でセミがたくさん孵化していたものだ。こちらは古い材木を積んであったからではないかと思う。最近は農薬などの影響でめったに昆虫を見かけなくなった。そんなに大昔ではないのだが・・・
 
  来年オープンする「サイバー大学」(仮称)の世界遺産学部の講義も担当するというこの人は誰か、ちょっと考えてみてほしい。テレビにもよく出演しているし、本もたくさん出版している。答えは続きで。
 

続きを読む "聖杯探索とカブトムシ特区"

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2006.04.15

ブルターニュ旅行に役立つ日本語情報

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  フランス政府観光局のブルターニュ情報。ここに新しくBretagne comの日本語版ができています。ここでおもな町の基本情報はわかります。でもその町にどうやって行ったらいいのか、このたぶん観光するさいに一番重要な情報は書いてありません。

  具体的なことがよくわかるのはフランス・ツーリズム旅行情報局ブルターニュ地方です。少し古い情報もありますが、国鉄、バスなどのアクセスがまとめられていて便利です。

  レンヌ駅でモン・サン・ミッシェル、サン・マロ、ディナン、カンカル行きのバス乗り場がわからず、探している日本人が非常に多いのですが、駅のエスカレーターを降りいったん外に出て、すぐに右にある建物「Gare routiere」(バスターミナル) がそうで時刻表はここにあります。

  駅員に場所がどこか聞いているのもかかわらず、駅前の広場をさまよって遠くまで行ってしまう人たちが多いのです。なぜかというと、普通の市内バスの停留所が目の前にあるので、そちらに行ってしまうのですが、モン・サン・ミッシェルに行くバス停留所は建物の後ろなので、見えないからです。レンヌ駅で迷っている日本人観光客を見かけるたびに「切符をその建物の中で買って、バス乗り場は建物の裏にありますから」と声をかけるのですが、ここは確かにわかりにくいので注意が必要です。

  ありきたりではなく、個性的な旅がしたいなら宿がポイント。これまで紹介したブルターニュのホテルはLe Relais Saint Michelル・ルレ・サン・ミッシェルと Le Clos de Vallombreuse ル・クロ・ドゥ・ヴァロムブルーズだけですが、ブルターニュにはかつての城や邸宅を改装したホテルもあります。

  それらの優雅なホテルを写真と音楽で見られるのが読売ニュースストリームのまだ見ぬホテルへです。建築家の稲葉なおとさんの下記の本をまとめたものですが、ブルターニュのホテルも13ヶ所紹介されています。なかでも動物園のあるホテルがブルターニュにあるとは驚きました。トラやキリンまでいるから本格的ですね。あとで検索してみたら、レンヌからサン・マロに行く途中なのです。全く知りませんでした。そこでさっそく現地に行ってきました。次回報告しますのでお楽しみに。

  Château de La Bourbansaisですが、残念ながら現在は城の中に宿泊することはできません。
  
  稲葉 なおとさんの著書
  アール・デコザ・ホテル
  まだ見ぬホテルへ
  遙かなるホテルへ
  Hotels(ホテルズ)

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2006.04.13

混乱の続くレンヌ第二大学

  つい数時間前、レンヌ第二大学では投票が行われ、大学封鎖が解かれたことを書いたばかりだ。水曜日から授業も始まっている。教師たちは遅れてしまったカリキュラムを消化するため、土曜日も補習をしようと前向きに計画しているらしい。

  これで、レンヌはもとにもどったはずだった。ところがレンヌ第二大学に留学しているシリア人の友人からさきほど驚くような事実を聞いた。彼女が授業を終えて校舎から出ると、大学閉鎖を続けたい学生たちが月曜日と同じ場所に集まり、「投票は無効だからもう一度挙手で意思を確認してほしい」と学長にせまっていたのだそうだ。学長が「投票は有効である」とマイクで話していると突然男子学生がマイクのコードを切断したのだという。

  それから大変な騒ぎとなり、次に女子学生が学長になぐりかかったそうだ。「私は後ろのほうにいたから何が起きたのか見えなかったけれど、別の友達がそう言った。秩序というものが欠如していて、どうなるのかわからない。彼らの考え方はわからない」と話してくれた。これは午後8時くらいの出来事だ。

  そのあと学長は「明日の朝8時に」と打ち切ったそうだが、正規の手続きをとって投票されたのをやり直しとは筋が通らない。「学長がかわいそう」と彼女がつぶやいたが、そう思うのは外国人だけなのだろうか。

   追加 2006.04.14

    France2によると13日木曜日、学長は大学の閉鎖にふみきった。10日の投票で「封鎖解除」が優勢となったので授業が再開されたのだが、機会平等法やCNE(Contrat Nouvelle Embauche)にも反対する学生たちが大教室の封鎖を続け、授業ができないのだ。

Le président de Rennes 2 a ordonné jeudi la fermeture de l'université en raison de la tension entre étudiants.Malgré un vote en faveur de la levée du blocage, des étudiants qui veulent le retrait de l'ensemble de la loi sur l'égalité des chances et du CNE bloquaient les amphis. France2

   ナント大学ほか17の大学で一部が占領されているが完全に封鎖されているのは次の4大学だけとなった。Grenoble II et III, Montpellier III et Toulouse II.

    続報 2006.04.20

   レンヌ第二大学では連休あけの18日から授業が再開されたが、大学構内はコンピューターなどの備品が破壊、盗難にあったり、壁中にペンキが塗られたりしてひどく荒らされておりその被害額は100000ユーロ(1400万円以上)になる。同じくパリのソルボンヌは1500000ユーロ、ナント大学でも4~50000ユーロの被害があったと概算がでている。

  「ゴミ箱が投げられたり、火事の警報がなったり、テ-ブルでバリケードが築かれたり、そんなちょっとした授業の妨害はあったけれど、慣れているからなんでもない」とさばさばしたレンヌ第二大学の学生たち。長すぎる待機が終わり、すぐに期末試験がせまっている。

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桜が見ごろ

Sakura  もうすぐ、ブルターニュを旅行するという方から「危険はないでしょうか」とメールをいただきました。最低気温は0度前後と寒いのですが、春の花が咲いていて、田舎はとても美しい時期です。もう催涙ガス弾が使用されるようなことはないと思います。どうぞ、ブルターニュの春を楽しんでください。

Sakura1  上の写真はレンヌ第二大学の西側にある桜並木。下はサン・シールという地域の小さな公園の中で撮りました。フランスはストライキやデモが頻繁に行われるので、鉄道、バスの情報だけ気をつけてくださいね。

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レンヌ第二大学、封鎖を解除

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    ドビルパン首相が演説を行った10日の午後、レンヌ第二大学では大学封鎖を継続するかどうかの投票が行われた。数十人が階段の上からそれぞれの意見を述べる。

  「大きな勝利だ。だがこれからだ」と闘志をあらわにするもの、「運動には賛同するが、CPEがなくなって要求は認められたのだから、もう授業を開始すべきだ」と試験が行えない不安を述べるもの。中には興奮して、「レンヌをこんなに破壊してしまったんだからここにいられるわけがないだろう」とはき捨てるように言って、去っていく学生もいた。

  約2時間が経過してやっと投票が挙手で行われた。私もその現場にいたのだが封鎖を継続するという人数が多いような印象を受けた。挙手だけでは判断がつかないからと、総会の後で学生証を提示して記述式の投票となった。その結果、封鎖を解く2348票、継続する1994票で、2月7日から続いた大学封鎖が終了することになった。レンヌ第二大学には約20000人の学生がいるから2割しか投票していないことになる。
Ren2
  フランスの大学は2学期制になっていて、10月から新年度がはじまる。レンヌ第二大学では1月にはじまった後期の授業は2週間しか行われていないから「もし資格が取れても今年はいつもの年と比べると就職に不利になるのでは」と学生たちの間でささやかれている。大学の資格についてはフランス政府留学局EduFranceの説明を参照のこと。

  フランス各地で11日、前日の若者雇用促進策「初期雇用契約」(CPE)撤回発表後も一部大学生が抗議行動を続行し、道路封鎖などで混乱が起きた。

  撤回発表に対して学生全国組織3団体の二つは「スト中止指令」を出したが、1団体は撤回が確認されるまで抗議続行を表明。西部ナントでは飛行場の滑走路を学生150人が一時占拠した。南西部トゥールーズ大、南東部マルセイユ大などでも大学施設閉鎖続行を決議している。毎日新聞

 その後の各地の様子をまとめてみる。11日全国で約40000人がデモに参加。
  パリでは2300人。トゥルーズ、バスをブロック。リールでもこぜりあい。
  ナントでは早朝飛行場に乱入という騒ぎも起きた。町では3000人がデモに参加した。
  レンヌでは2000人がデモを行いCRS(機動隊)とにらみ合う場面もあったようだが、大きな騒ぎにはならなかったようだ。
  キャンペールで200人の高校生がデモを行っている様子。このような小規模なデモが各地で繰り返されている。

  Des chiffres plus lourds selon l'AFP qui signalait 34 facultés perturbées dont 18 totalement bloquées.AFPによれば、34の大学で一部が、18の大学が完全に封鎖を続けている。

  Les manifestations anti-CPE 反CPEフランス西部の写真(Ouest-France)

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2006.04.11

CPE撤回が運動の終わりではない

  4月10日午前、ドビルパン首相がCPEを修正すると記者会見した。このビデオはここから。Fin du CPE : la déclaration de Villepin (10/04/2006)をクリックすれば見られる。これを受けてCPEに反対していた労働組合など12団体は勝利宣言をしてLe CPE est mort 「初期雇用契約は消滅した」と発表した。

  日本の新聞社各社はこれで学生運動は収束に向かう見通しと報道している。例として産経新聞を参照してほしい。
  仏首相CPE撤回を表明 1カ月の対立決着へ 産経新聞

  フランスのドビルパン首相は10日、首相府で記者会見し、学生団体や労働組合が撤回を強く求めてきた若者向け雇用促進策「初回雇用契約(CPE)」を修正すると表明した。首相がCPEの事実上の撤回を受け入れたことで、1カ月以上に及ぶ大規模な抗議デモなどでフランスを揺るがせていた雇用策をめぐる対立は、収拾に向かった。
 CPEは、26歳未満の若者を対象に2年間の試用期間内なら理由を明示せずに解雇できるとしたもので、企業側の裁量権を強めることで雇用増を図るのが狙いだった。
 首相の会見に先立ち、シラク大統領は声明を発表し、大統領が首相や与党・国民運動連合(UMP)の上下両院の責任者と協議した結果、「機会均等法」のうちCPEを規定する第八条を「差し替えることを決めた」と確認した。
 「機会均等法」は大統領が署名して4月2日に公布されたが、首相は会見で「われわれの責任は国の未来を用意することである」と述べ、第八条を修正した新たな「機会均等法案」を「10日にも提案する」と述べ、議会で新法案の採択を目指すと言明した。
 大統領は先に、学生団体などの反発を考慮し、2年間の試用期間を「1年」に、解雇理由についても「明示なし」を「明示する」に修正する考えを示していた。
 学生団体は首相の会見を受けて、公立大学84校のうち閉鎖されている約半数の大学の「閉鎖解除」を要請。労組も「CPE撤回が受け入れられた」(5大労組の1つ、仏民主主義同盟)との認識を示した。労組や野党・社会党は復活祭の休暇が始まる17日までにCPEを撤回するよう政府に要求していた。

  
フランス:新雇用策を撤回、シラク大統領発表 学生ら勝利宣言、労組はデモ中止指令
 毎日新聞

  だが学生たちはこの結果に必ずしも満足していない。「これは最初の勝利」と位置づけ、l'égalité des chances「機会平等法」も改正するよう戦いを続けようとしているのだ。たとえばブルターニュ、Guingampガンガンでは高校生が線路を封鎖した。11日も国内の多くの場所でデモが行われるはずである。Les Cahiers Blancsに記事追加。大学封鎖については次のエントリーで述べたい。

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2006.04.09

レンヌ関連記事のバックナンバー

Vcrs
  このBlogをはじめてもう2年以上が過ぎた。サブタイトルのようにブルターニュ地方の歴史、文化、風習を紹介するはずだった。ところが、このところ連日「レンヌ事件簿」になってしまっている。レンヌでCPE反対運動がはじまったのは1月になってから。

  レンヌ第二大学が全面封鎖されたのは2月7日だが、これは全国に広がることなく封鎖も2週間もすれば終わるだろうと楽観視されていた。在籍している日本人留学生とも「ちょっと息抜きになるかもね」と話していたくらいだった。ところが、予想に反して3月にはいるとパリをはじめとして全国に大学封鎖、反対デモが広がっていった。

  日本で報道されるようになったのは3月中旬だろうが、レンヌの実態は伝わっていないだろう。私自身も最近レンヌを留守にすることが多く、新聞やテレビの映像だけではどんな状況なのかよく把握できていなかった。3月16日昼夜にわたって自宅で催涙ガスを吸い込んで、この騒動で市民の日常生活に支障が出ていることを思い知ったのだ。

  数年前からレンヌは次第にあれてきていた。ジワジワとまるで真綿で首を絞められるように、暴力が町に入りこんできていた。それはメルマガに書いてきたとおりである。それでも何かが起きるのは夜中から明け方にかけてであるから、夜の繁華街に行かないかぎり、まだ安全だった。昨年11月、非常事態法が適用されるに至った若者たちの暴動時もレンヌ中心部では何も起きなかった。(少し離れた場所で車に火がつけられた)。
Star
  3月からのデモ後の暴動(あえてこう呼ぶが)はもう手がつけられない。31日金曜日に行われた大統領の演説に不満を抱く若者達は翌日の土曜日にもデモを行ったようだが、被害は何もなかった。どうしてかというと、デパートギャラリーラファイエットをはじめとして、多くの店舗がシャッターをとざし、自主休業したからだった。常に警察やCRSの車が道いっぱいに(上の写真)とまっていて被害を防ごうとしているのだが、バス停はあちこちで写真のような悲惨な姿となっている。店舗も大小の板を打ち付けられてかろうじて営業中。デモに参加している若者の一部が興奮してついやり過ぎただけだというのだが・・・ レンヌではパリのような携帯電話盗難や通行人の持ち物を略奪するといった事件は起きていないはずだ。

  道路がブロックされ通れないことが続き、商店街の客足も途絶え商品の配送もままならない有様だった。歩いているのは若者ばかり。4日の夕方レンヌ市の職員たちと話しながら、催涙弾が青い空を白く染め変え、CRS(共和国機動隊)が若者達を追いかけている様子を見ていた。「フランスの思い出にあげるよ」と職員が道に落ちている催涙弾の燃え残りを拾って私の手に握らした。いちおう持って帰ってきたが、もらってもうれしくない贈り物だ。
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  2004年12月、一晩に250発の催涙弾が使用されたことを知った。その時は驚愕したのだが、この数週間、いったいどれだけの催涙弾が使用されたのだろうか。2000、それとも5000発以上だろうか。検討もつかない。これを非常事態と感じないほうがおかしいのではないだろうか。平和と話し合いを望む集会でさえも殴り合いになる始末だ。

  最近読んでくれた方はレンヌのこと、またこれまでの状況がどうなっているのか、4月だけのエントリーではよくわからないと思う。そこで以前のメルマガのバックナンバーに項目をつけたして整理してみた。こちらで一度タイトルを確認してほしい。メルマガ以外は経済・政治・国際からどうぞ。

  きのう聞いた話では「機会平等法」に「15歳から夜の労働ができる」という項目があり、レンヌ第二大学が抗議しているのはCPEだけではないという。これについては改めて書きたい。

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脳を若返らせるプログラム発売

  不思議な夢を見ていた。どこかの美術館で白い大理石の彫刻を見ていた。するとその彫像たちが話しかけてきた。話すだけではなくて手や足が動きだした。その会話はとてもおもしろかったのだが覚えていない。やがて美術館の係員がこちらに近づいてきた。すると彫像たちは急いで動きを止め、しゃべるのもやめてしまった。しばらくすると閉館時間になったので外に出た。

  通りを歩いているとあるビルの前(アイルランドにあったビル)で目が留まった。中国、西安で出土した兵馬俑のように茶色で3メートルくらいある巨大な像がそのビルを警備していて左右に動いているのだ。でもこの像は偽物で中に人間がはいっているのだと思った。私は通りの反対側にいたのだが、その様子を写真に撮ろうとカメラをバックから取り出した。こちら側の壁にも立体彫刻があって、彩色された彫刻が壁から身を乗り出すように突き出ている。それを見て、「あれ。これは前に見たことがある」と思った。雨が降っていてカメラが濡れたので、レンズを拭いていたら電話がかかってきて起こされた。電話はとろうとしたら切れてしまったので頭の中でこの夢を反復していた。

  普通は夢の内容を覚えていないが、途中で起こされるとこのように覚えていることもある。彫像たちが話しかけてきたのは、私の願望がなせる業、兵馬俑は大英博物館でちらっと見た、中国、韓国エリアの残像なのだと思う。3月はフランス、アイルランド、イギリスと美術館めぐりをしたが、こんな夢を毎晩見ているのなら寝るのも楽しいなあ。ちょうど内田樹さんが「夢もまたしばしば願望充足のための機能を果たしている」と反復の快に書いているが、「トラウマ的経験の原点にある光景を繰り返し夢に見て、驚愕して目覚める」こともある。

   ところで脳の機能を高め若返りできるソフトウエアがアメリカで発売されたというではないか。Posit Scienceという会社のトレーニングプログラムである。音の認識システムを利用するもので、音の違いをクリックするスピードで脳の処理速度を計測するしくみ。日常生活で会話を通して音を情報として取り入れているから、その認識速度で判断しようというもの。平均的な聴覚処理速度は、20歳代が68ミリ秒で、40歳代になると87ミリ秒、そして60歳代になると106ミリ秒だそうだ。

  実は2年くらい前からもの忘れが激しくなってきた。「ほらほらA社に勤めていて、ラグビーをやっていて、おとといCさんの家で会った人」という具合に他のことは覚えているのに名前だけ霧のかなたに消滅してしまっている。日本人の名前でさえ忘れるのだから、フランス人の名前はさらにひどい。この「人名健忘症」、脳が退化している証拠なので内心ビクビクしている。さっそくオンラインテストに挑戦しようとしたのだが、なぜだかできなかった。でもThe Brain Fitness Programを試すことはできた。音程の高低を聞き分けたり、「誰がどこに出かけた」という文章を覚えているかどうかを確認するのだ。

  特に高齢者には有効で、同社の8週間のトレーニングに参加しただけで神経認知機能と聴覚記憶が向上し、平均して10歳は若返ったという。フランスの本屋にはSudokuコーナーまで出来ていて私もちょっとだけ試したが、もともとこのようなパズル形式のものは苦手なので、音で聞くほうが自分にはあっていると思う。

  参考:脳の回転の速さを測れるウェブサイト、米国で登場 CNET

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ココログの障害まだ続いているの?

  日本時間で9日分のコメントが届いているのに表示されていないと思ったら、ココログから次のようなお知らせが来ていた。

2006年4月6日15時からココログプロの一部のお客様のブログでコメントが投稿できなくなる不具合が発生しておりました。また、トラックバック先のURLが正しく表示されない不具合が発生しておりました。

  スタップの方、プラスでもコメントが表示されませんよ。トラックバックも届いていません。他の人も指摘していましたが、Firefoxではいちいち画面を更新しないと、コメントが表示されず、少々不便です。
すべてのお客様に反映が終わるまで最大で2日程度かかる見込みです。

  それに、以前は変更ボタンだけですぐに切り替わっていたマイリストがページを反映しないと反応せず、それも何度も繰り返さないとダメです。こちらの対応もお願いします。

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2006.04.08

春の訪れとキリストの命日

Man
    朝夕は冷え込みが厳しいがもう春だ。フランスに春を告げる黄色のミモザはもう1ヶ月くらい前から花をつけていた。それでも今年は異様に寒く、3月中旬にも雪が降ったくらいだった。やっと春がやってきて、ここ10日ほどで冬の間葉を落としていた木々が芽吹き始めた。それに大地は緑が濃くなった。それなのに天気予報によると明日朝の最低気温は0度だ! 

  写真はナントにあるBeaujoireの公園。撮影日は4月2日。ちょうど日曜日だったのでたくさんの家族連れでにぎわっていた。ピンクの花をつけているのはモクレンの一種。とても美しい。いっぽうの真っ白な花はPyrus calleryana white houseバラ科ナシ属のマネナシだ。ナシはバラ科だとは知らなかった。こういった公園にはちゃんと樹に名前がついているのでありがたい。
Pyrus
  ところで、西暦30年4月7日がキリストの命日であると、夕べ寝る前に読み見返していた聖書のなかの女性たち(遠藤周作著 集英社文庫)に記述があった。前にも読んでいるのだが、ここは覚えていないので、読み飛ばしてしまったのだろう。

  西洋では聖人の祝日は、命日をあてるのが普通だが、イエス・キリスト、マリア、洗礼者ヨハネの3人だけが誕生日を祝日にしている。それぞれ、12月25日、9月8日、6月24日である。キリストの命日、没年についてもいろんろな説がありはっきりしない。

イエスの没年は、当時のユダヤ総督ポンテオ・ピラト(ポンティウス・ピラトゥス)の在位が、紀元26~36年であること、それに前述したイエスの生年の上限が紀元前4年であること、またイエスが30歳ごろに宣教を始めたというルカの記述(3章 23節)等から総合的に判断して、紀元30年前後と考えられる。Wikipedia

the dates of the Passover in those years, his death can be placed most probably on April 7, 30 or April 3, 33. Wikipedia 

Nan
  ナントで知り合いの家族と一緒にLe Prieuré Saint-Louisサンルイ修道分院のミサに参加した。ここではまだ中世さながらラテン語でミサが行われているのである。そして他の教会ではあまり見られなくなったベールをかぶった人たちがたくさん礼拝に参加している。それにここではグレゴリオ聖歌が歌われるのだ。院長はイタリア人のPierpaolo Maria PETRUCCIさんである。とても気さくな人で、ミサが終わってもみんなとゆっくりおしゃべりしていた。パリでもラテン語でミサが行われている教会は数ヶ所だけである。少しの間、時代を遡った気がした。

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2006.04.05

CPE(初期雇用契約)とは何か

Ma
  1968年「5月革命」以来、最も大規模な学生運動に発展し、まだまだ集結しそうにない反CPE抗議のデモ、大学封鎖。全国で最初に大学を封鎖したのはレンヌ第二大学だったのだが、いったいなぜこのような運動が起きたのだろう。

  これまで単にCPE(le contrat première embauche初期雇用契約)と書いてきたが、 4月2日付けで公布、即日施行されたのはl'égalité des chances「機会平等法」である。CPEについてはシラク大統領の演説を踏まえて法改正まで運用を凍結する異例の対応をとることになった。いきなり登場した「機会平等法」、これだけではさっぱりわからない。

  私自身法律をうまく説明できない。そこで検索したら在日フランス大使館のなかに機会平等法という項目があった。これをさらに簡単にまとめてみた。フランス語の原文はAssemblée nationale国民議会のEgalité des chancesに載っている。
 

1)フランスの若者が置かれている状況、特に雇用状況は改善されなければならない。
  若者の高い失業率を下げる施策が必要。
 2)機会平等法案には、数十年来続いているこの状況に対する具体的な解決策が盛り込まれている。
   教育と雇用による解決、差別対策、家族および市町村における権限の回復、ボランティア市民サービスなど。
 3)この法律の鍵を握る要素に、初期雇用計画(CPE)がある。
  従業員20人以上、雇用対象は26歳未満
  CPEは無期雇用契約である。
  CPE給与所得者は多くの権利を得る。
  2年の試用期間中、契約の解消は簡略化されるが、労働法は守られる。
 4)ヨーロッパの主要国は同等の仕組みを備えている、もしくは導入を検討している。
  たとえばドイツでは年齢にかかわらず、新契約には24カ月の試用期間を設けている。

  マオ猫日記フランス全土でCPE反対デモにさらに詳しい解説がある。機会平等法についてはたいていの人が反対してはいないのだが、その中に含まれるCPE(初期雇用契約)が争点となっているのである。反CPEの運動で特に問題となっていたのは「2年間の試用期間内は理由をつげずに解雇できる」ということだったがシラク大統領は、「試用期間を2年から1年に短縮すること」と「解雇の理由を本人に通知すること」を修正することを演説の中で明らかにしている。

  4月4日に反CPEのデモに参加した人たちの多くは「CPEそのものを機会平等法から省くことが必要だ」と主張している。フランスの労働条件はいったいどうなのか。全国統一ストライキを決行してまで、CPEはどうしても止めさせなければならない悪法なのだろうか。フランスっての2つのエントリー新卒雇用契約(CPE)CPE(新卒/初任雇用契約)の内容、さらに平均給与額の裏側を読めば、フランスの労働者は日本より待遇がいいことがわかるだろう。

  しかしながら、これらの権利はこれまでフランスの労働者たちが戦って勝ち取ってきたものである。フランスでは日本のように企業にはいってから仕事を覚えるのではなく、先に自分が働きたい職種でstageスタージュ(ただ、もしくは低賃金)をする。なぜなら就職にあたり「経験があるのか」ということが重視されるからである。日本人なら「新卒なのに経験なんてないにきまっている」と答えるのではないか。でもそれでは採用されないのだ。そのため大学生は夏休みの間、スタージュをしてそれを自分の経歴に記入する。大学を出ても就職できない若者たちは、短期契約や臨時雇いのような職を転々としている現状もある。

  CPEのような試用期間を設けることによって確かにみかけの失業率は減少するだろう。だが、26歳まである日突然理由もなく失業するというのでは人生設計などたてられない。CPEに反対する人は「なぜ26歳までと定めなければならないのか。若者を差別し使い捨てにするつもりか」と怒っているのである。さらにこれが認められれば、また別の法律が出来て既存の権利をうばわれるのではないかという不安もある。

  昨年8月(みんながバカンスに出かけていて注目されない時期)にはCNE(Contrat Nouvelle Embauche)が組合との協議も国会での討論もなく制定されていた。こちらは従業員20人未満の企業を対象としたものである。ドビルパン首相がCPE案を発表したのは1月16日だった。当初注目をあつめていなかったのだが、これが国民議会で強硬に採決された2月9日から世論も反対が増加していった。

  写真は4月4日、レンヌでの30000人の反CPEデモの様子である。関連バックナンバーはこちらから。

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繰り返されるデモ後の乱闘

Gaz
    午後5時すぎ「今日は反CPEのデモ隊ものんびりしていて、もう何も起きないだろう。早く仕事を終えられそうだ」とテレビ局のカメラマンがつぶやいた。先週、レンヌ・催涙弾の雨が降るの舞台となった旧高等法院前にはテントが立ち並び、そこではバーべキューをしているくらいだから。自転車に乗って見物している人に「他の場所では何もないでしょう」と聞くと「ブルターニュ広場でもめているよ」というではないか。

  まさかと思いつつ歩いていると、本屋バージンメガもシャッターを7割くらい閉めて営業している。理由を聞くと「デモの日だから」という答え。次にデパート、ギャラリーラファイエットの前を通る(3月23日に襲撃された)と、午後6時前なのにシャッターが降りている。襲われないうちに営業を止めたのだ。まるでテロなみの警戒ぶりだ。
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  ブルターニュ広場に人だかりがしていて、爆発音が響いている。何が起きているのかさっぱりわからない。急に群集が走り出す。みんな全速力で逃げてくる。催涙ガス弾だ。空から落ちてくるのが上の写真にもはっきりと写っている。人がいなくなると、被害状況がのみこめてきた。バス停のガラスが何箇所も割られて道路一面に飛び散っている。車も、商店のガラスも粉々だ。少人数でこんなことはできない。どさくさにまぎれて建物の上から空き瓶を道路に叩きつけるどうしようもないやつらもいるから油断できない。

  CRS(機動隊)や警察官をからかうように前に進み出てギターをひく少年。私のすぐ側で瓶を投げているのはどう見ても中学生だ。道路の向こう側でCRSがいっせいに走り出す。やがて連れてこられたのは黄色のTシャツの少年。中学生、もしかすると小学生かもしれない。これまでに私が見た逮捕者50人くらいのなかで最も若い・・・

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反CPEデモ、バスを止め、駅を占領

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    4月4日午前3時、あまりにうるさくて目が覚めた。学生たちがテントで寝泊りして一晩中叫んでいるのだ。睡眠薬を飲んで耳栓をして寝る。テレビの取材班が5時に来た時も同じようだったと聞いた。スタッフは車の中で仮眠したという。午前6時、学生たちはバスの発着場に押しかけ始発バスの出発を阻止。全国統一ストライキのデモ行進は11時開始。それなのにどのバスも出発できない。

  今日のデモ開始はレンヌ駅前だったので私は駅まで歩いて行った。新聞やテレビの取材班はビルの上からカメラを構えている。先週よりやや少ない約30000人がゆっくりと市内を一周し、午後1時頃に駅前に帰ってきた。先週は雨が降っていたのですぐに駅構内に入り込み線路に座り込んだそうなのだが、今日はいい天気だったので大半の若者達はアスファルトの上に座り込みサンドイッチなど食べている。
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  午後2時ごろ、昼食を食べ終わった群集が線路を埋め尽くしパリ行きのTGV(高速列車)が立ち往生していた。1時間以上の遅れがあると普通2割程度の払い戻しがあるのだが、このようなデモでも同じだという。ここ数週間全国の駅で高校生や大学生が列車を止めているからSNCFの損害はそうとうな金額になっているはずだ。上の写真がその様子。

  その頃駅前はどんな様子かというと、次の写真のような有様。裸で騒いでいる男性までいて、まるで花見客のようだ。(昨日のテレビニュースで東京の花見風景が紹介されていた)。毎日仕事もせずこうやって騒いでいられたら楽しいだろう。デモ隊の通り過ぎた後には紙くずやタバコの吸殻が道中に散乱し、おせじにもきれいだとは言えない。

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2006.04.04

新雇用法、2日付の官報で公布、即日施行

  激しくなってきた抗議行動を沈静化したいフランス政府は憲法院の合憲判決とシラク大統領のテレビ演説後、4月2日付けで新しい雇用法「機会平等法」を公布、即日施行した。

仏新雇用法を施行・初期雇用契約は運用凍結 日経ネット

  仏政府は、若者を雇った場合に2年の試用期間中には理由を示さずに解雇できる初期雇用契約(CPE)を盛った新しい雇用法「機会平等法」を2日付の官報で公布、即日施行した。CPEについてはシラク大統領の演説を踏まえて法改正まで運用を凍結する異例の対応をとる。演説後の1日実施のパリジャン紙の世論調査では62%が「納得しない」と答えるなど政府への批判が強まっている。

  同法は昨年の暴動を踏まえて都市郊外の移民社会の若者らの雇用に焦点を当てている。14歳から対象となる企業研修制度、全国平均より失業率の高い地域を対象とした都市免税区域の創設、就職差別に対する最高1万5000ユーロ(約214万円)の罰金、違法行為を犯した若者の親への家族手当支給停止などを盛り、CPE以外の施策は直ちに実施に移す。

  だがフランス労働総同盟など五大労組と主な学生団体は全国ストライキとデモを4月4日に決行することで合意している。明日どれくらいの規模のストライキが決行されるか、これによって、事態が大きく変わるだろう。その意味でも若者達の行動が過激になるおそれがあるので出来れば外出を控えたそうがいいだろう。
Crsg
  Le Mondeにデモを取材中のカメラマンが3月24日にパリで襲われたことが載っていた。標的にされなくても催涙ガス弾が飛んでくるような場所に行くのは危険だ。私は催涙ガスのせいで3日くらい気分が悪かったのだが、その理由を報道写真家の中司達也さんが教えてくれた。「催涙ガスは、皮膚にヤケドを負うこともありますし、濃いガスを吸い込むと、肺の中もヤケドしますから」ということだ。目も燃えるように熱かったのだが、それもやっとましになってきた。でもずっと書いてきたことは、私の住まいから徒歩10分くらいの範囲でおきていることなのだ。ドアを開けたら、いや窓ごしに見える光景なのだから、他人事ではないのである。明日もカメラ持参でどうなるか見届けたい。

  レンヌに webcams (ライブカメラ)があるのを見つけた。右のブルターニュ情報にもリンクしておいたが、場所はオルレアン通り。ここでもほぼ毎週火がつけられたり、両側の店舗のガラスが割られたりしている。メトロやバスの発着場のある町の中心、レピュブリック広場から市役所に向かう道が30分ごとに記録されている。明日、日本時間では午後6時くらいから真夜中にかけて、デモ行進の様子がライブカメラに映るはずだ。

  

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2006.04.03

自転車競技グランプリ・レンヌ開催とサッカーリーグ快進撃

  日曜日レンヌはまたまた道路封鎖された。でもこの日の封鎖はle Grand Prix Cycliste開催のためだった。ブルターニュは自転車競技が盛んで、ツール・ド・フランスの歴代のチャンピオンもブルターニュ出身者がいる。

  レンヌでは反CPEのデモが激化しており開催が危ぶまれたが、レンヌのエドモン・エルベ市長は自転車が好き(メルマガに書いた)なので開催に踏み切ったのだろう。結果はここにのっている。

  さてフランス、サッカーリーグの順位表(ここ)をみてほしい。我がスタッド・レネは現在4位と順位をあげてきた。4月2日の対Toulouse戦でも1-0で勝っている。

  波に乗るレンヌとウタカに書かれているとおり、3位になれば初のUEFAチャンピオンズリーグ出場が待っている。がんばれ!!
  オフィシャルサイト Stade Rennais F.C. チームカラーは赤と黒だ。 

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憲法院の合憲判決とシラク大統領のテレビ演説

  金曜日から日曜日までナントとヴァンデに出かけていてネットに接続できなかった。留守の間にたくさんコメントをいただいて感謝している。ナントではほぼ毎日学生によるデモが行われていて、こちらもレンヌと同様に市内のバス、トラムウエイは機能不全に陥っている。木曜、金曜とナント市内にかかる橋がすべて学生によって封鎖され、通勤は不可能だったとか。多くの人が会社にたどり着いたのは昼ごろだったというから大変だ。

  私がナントについた金曜の午後もデモがありトラムウエイ乗り場には人があふれていた。ちょうど私はデモのはじまる前、午後2時くらいに市内西部に移動していて、デモが中心部から駅に向かった午後6時ころ北上したので運良く10分ほど待っただけだが、一般市民は相当怒っている。病院に予約があるという老人は道路が封鎖されタクシーさえも呼べない有様なのだから・・・予定外の不意打ちのデモが多すぎると多くの人がこぼしていた。「歩いたら家まで2時間くらいかかるから、本当に困る」という女性もいた。でも私がレンヌから来たというと「レンヌのデモはナントより暴力的で町のダメージが大きい。学生の町だからね」と心配してくれた。

  さてフランス各地でこのような反対デモが行われているCPE(contrat première embauche新規雇用契約)をめぐって、木曜日、憲法院は合憲という判決をくだした。そのポイントを的確に解説してくれているのがフランス公法学研究日誌今日は豚キムチである。

  そして金曜日の午後8時すぎ、シラク大統領がテレビ演説を行った。大統領は内容を修正(試用期間を2年から1年に短縮することと、解雇の理由を本人に通知すること)したうえで、CPEを公布する意志があると述べた。内容はフランス公法学研究日誌今日はポークソテーね式ブログシラク大統領が法発布表明したんだが、何だコレ?をどうぞ。

  私はこれをナントの知り合いの家で見た。この家族はMouvement pour la France (MPF)の党首Philippe de Villiersフィリップ・ドゥ・ヴィリエ氏を支援している。(MPFは右翼政党で欧州憲法批准に反対した)。ここの奥さんはシラク大統領の映像を見て「ブラボー。うまくやった」と感想を述べていた。MPFは「大賛成ではないが失業者を減らすためには何らかの改革が必要だからやらないよりはCPEもやってみたほうがいい」という考え方をしているらしい。

    Chirac promulgue la loi créant le CPE mais veut le modifier TF1 allocution de Jacques Chiracというところをクリックして演説の映像を見てみよう!音がかぶっているままで放送された。 

    肝心の契約内容をわかりやすく書いてくれているのがフランスっての2つのエントリー新卒雇用契約(CPE)CPE(新卒/初任雇用契約)の内容だ。さらに平均給与額の裏側をあわせて読めば、フランスの労働者のことがよくわかる。

  レンヌの写真はニュースブログLes Cahiers Blancsで。

  

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