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2006年5月の記事

2006.05.31

レンヌでデモ VIVRE ET DECIDER NOTRE CULTURE EN BRETAGNE

Dscn0030


  6月3日の午後、レンヌで「ブルターニュの文化を守ろう」というデモ行進があります。集合場所はオッシュ広場。もちろん私も参加します。具体的な内容は下のようなこと。ブレイス語です。(私はほとんどわかりません)。

  主催はConseil Culturel de Bretagneです。日本語では「ブルターニュ文化評議会」とでも訳せばいいのでしょうか。


LAKAOMP HOR SEVENADUR DA VLEUNIAÑ ER VRO
VIVRE ET DECIDER NOTRE CULTURE EN BRETAGNE
   03/06/2006 Place Hoche 14:30

  Treuzkas galloudou hag arc'hant da Vreizh evit
   -ar c'helenn brezhoneg ha gallaoueg
   -ur servij publik breizhek a skingomz hag a skinwel
   -digreizennañ ar sevenadur
   -Breizh adunanet
   -an demokratelezh lec'hel
   ・ブレイス語とガロ語教育
    (ガロ語はラテン語のくずれたもの。ケルト系ではありません)
   ・ブレイス語でのラジオ、テレビ公共放送
   ・文化的な政治活動
   ・ブルターニュ再統合
   ・地方ごとの民主主義
Affiche_manif_floue

  上の写真は2003年の様子。どちらを向いてもブルターニュの旗が翻り感動的でした。他の写真はLa Bretagneのブルトンというところで公開しています。

  ブルターニュでブルトン人としてに生きることを誇りに思い、その文化を子供たちに伝えようとがんばっている人たちがいます。これまではそれぞれの団体がバラバラに活動していましたが、数年前から徐々に行動を共にするようになってきました。裏をかえせば、このままでは文化が滅びると危機感を抱いているのです。

  アイルランドでは同じくケルト系のgalélique d'Irlandeゲール語が第一公用語となっていますが、フランスではフランス語を使用しなければなりません。言葉を守ることは文化を守ることと深く関わっていますが、ブレイス語を話すことのできる人はどんどん減少しています。右は今回のデモのためにつくられたポスターです。

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2006.05.30

ミシュラン社の社長、海で水死

    世界中に従業員13万人がいるフランスのタイヤメーカーGroupe Michelinミシュラン社(ホテル、レストランなどのランク付きガイドブックMichelin 2006 Red Guide France: Hotels & Restaurants も有名))の社長、Édouard Michelinエドアール・ミシュラン氏(42)がブルターニュで釣りをしていて亡くなった。

  1999年から同社の社長に就任。この時フランス上場40社(CAC40)では最年少社長だった。金曜日にGuillaume Normant氏と二人で釣りに出かけたまま行方不明になり、遺体は日曜日の朝、海中で発見された。

  場所はla Pointe du Razラ岬の沖合いにあるl'île de Seinサン島の近く。エドワール・ミシュラン氏はブルターニュの風景を好み別荘を持っているので、休暇の度にブルターニュを訪れていた。付近は岩場が多い危険な場所ではあるものの、天候は悪くなかった。
 
  SOS信号も発信されておらず、目撃者もいない。まだ詳しいことはわからないが、死因は凍死である可能性が高い。すぐに救助できれば助かっていたはずだ。同乗していたノルマン氏(44歳)は子供のころから船を操り、ブルターニュの海を誰よりもよく知る海の男だった。それだけに関係者のショックは大きい。

  この突然の訃報にフランス経済界はショックを隠せない。月曜日、ミシュラン社の株価は1.7パーセント下落している。なおF1通信にミシュラン氏の経歴がのっている。

Raz de Sein. Edouard Michelin périt en mer Le Télégramme

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2006.05.27

生き続けるということ

  Rennesレンヌで知り合った、Saint Yves聖イヴのような優しさにあふれた、ひとりの素晴らしい女性のことをお話しようと思う。名前はCécileセシル。外国人を自宅に招き親身になって相談にのってくれる人だ。そればかりではなく、刑務所に服役中の受刑者に手紙を書いたり、浮浪者と話し合ったりと忙しい。浮浪者が亡くなると、教会で葬式をあげるそうだが、そのような場所にも彼女の姿がある。

  彼女のことは2年前にセシルの誕生日で書いたことがある。まず、こちらに目を通してほしい。

  この時私は大きな勘違いをしていた。2年前の誕生日に集まったのはセシルの子供や孫ではなかったのだ。なぜなら彼女はずっと独身だったのだから。この誕生日の後、私はアルプス、モン・ブランの麓にあるComblouxコンブルーに行った。そこでじっくりいろいろなことを話し合った。その時の様子はここで。

  その時聞いたセシルの人生はあまりに波乱万丈だったので、大きなショックをうけた。自分の中でそれを消化するのに時間がかかったのでここにも書けなかった。だが、彼女の存在は私に大きな影響を与えていると思うので、書き残すことにした。

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2006.05.26

「踊る猫通り」と「釣りをする猫通り」

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  語学学習応援サイトGlobalvoiceのフランス語コラム「行き先を示す」を読んでいるとこんな文章がありました。「パリの街は東京に比べるとずいぶんと合理的にできています。まず、通りの名前は人の名前になっており、同じ名前は同じ街にはありません」。そうねえと思いながら読んでいたのですが、何かが奥歯の間にはさまっている感じがしました。重要なフランス語の単語は覚えられなくても、ささいなどうでもいいようなことは記憶の片隅に残っているのです。

  しばらくたってから急にひらめきました。人の名前ではなく動物の名前のついた通りがあることを。Rue du Chat Qui Danse「踊る猫通り」です。これは実在する通りの名前でブルターニュの観光地、Saint Maloサン・マロにあるのです。Rue_du_chat_qui_danseWhat’s Michael? の画像とセットで浮かんできました。「踊る猫通り」が信じられないという方のために証拠写真もどうぞ。(こんな写真を公開する日がくるとは思いませんでしたが、猫が好きなので撮っておきました)。

  この名前には由来がちゃんとあるのです。17-18世紀にかけてイギリスとフランスが争そっていたころ。爆薬を満載した船がサン・マロを攻撃しようと接近してきました。でもここは潮の満ち干が大きく、船が座礁してしまったのです。一匹の猫が壁めがけて飛びついたのですが、命を落としてしまいました。この猫のことが語り継がれて通りの名前として残っているそうです。(この話はネットで探しましたので、こんど観光案内所で聞いてみます)。

Parisパリにも猫通りがあります。Rue du Chat qui pêche「釣りをする猫通り」です。パリ5区、セーヌ川で釣りをしているわけですね。パリで一番狭い通りだそうですよ。le sentier小道という定義ではもっと狭いle sentier des Merisiersがありますが。

La rue du Chat qui pêche (Paris 5e) est la rue la plus étroite, avec une largeur minimale de 1,80 m (certaines sources mentionnent le sentier des Merisiers, dans le 12e, qui mesure moins d'1 m).

Les plus étroites : sentier des Merisiers (XIIe) 0,87 m, rue du Chat-qui-Pêche 1,80 à 7 m, passage de la Duée 0,80 m.QUID 2003

rue du Chat qui pêche ちゃんとここで通りの写真が見られます。

     追加情報 2006 06 22

サン・マロの人と話をしました。時代は18世紀。船は座礁したのですが乗組員は全員助かりました。猫だけが犠牲になったと言い伝えられているそうです。

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Saint Yves聖イヴのパルドン祭 その2

St_yves_pardonajpg
  5月21日、Saint Yves聖イヴのパルドン祭。パルドン祭は決してはなやかなものではない。年に一度、日ごろの行いを懺悔し祈りを捧げる厳粛なものだ。この日だけ特別に記念のミサが行われ、通常は見ることのできない聖遺物が開帳される。

  ミサが終了し、教会の中からそれぞれの教区の旗を持った人々が外に出てきた。これから町の中を行列するのである。雨の中じっと野外で待ちかまえていた巡礼者たちがいっせいに入り口に集まる。出来るだけ近くで見たいというのが人情。あっという間に人垣ができ、傘が邪魔して何も見えない。
St_yves_pardoncjpg

  伝統的な民族衣装に身をつつんだ女性たちが聖母子像をかかげて先頭に立つ。コワフと呼ばれる帽子をかぶっている。地域によって衣装の刺繍や、コワフの形が異なるので、地元の人なら見ただけでどこの人間なのかを識別できる。

  これらは20世紀初頭までは日常で使用されていたもの。20年くらい前までは一部地域でまだ見られた光景だというが、現在では祭りの時くらいしかお目にかかれない。その後にはそれぞれの教区の旗ごとに住民全員が行列に参加する。普段遠くで働いている家族が地元に帰り、互いの近況を語り合う日でもある。
St_yves_pardonbjpg_1
  別の入り口から教会にはいってみた。正装した弁護士たちがたくさんいる。むかって左側に美しい彫刻をほどこされた真っ白なSaint Yves聖イヴの霊廟がある。「誉れ高き友の側に葬って欲しい」というブルターニュ公JeanV の命によってつくられたものである。サン・ドニ大聖堂にある歴代のフランス王の墓にも匹敵するほど立派なものだ。その中央には右手を胸の上に置き穏やかな顔でSaint Yves聖イヴが横たわっている。

  だがこの墓、じつはフランス革命直後に荒らされ海に投げ込まれてしまったのだという。教会や修道院は宝物があるというので格好の標的にされたのだ。しかしこの略奪者はすぐに死んでしまったそうだ。現在のものは19世紀に再建されたものらしい。ブルターニュ公の墓もこの時破壊されてしまった。どのようなものであったのか、スケッチさえも残されていない。下の写真はSaint Yves聖イヴの頭蓋骨。この教会の貴重な宝である。地下墓地に隠蔽されていて略奪をまぬがれたのである。

  教会内では、ろうそくを買い求め祈りを捧げる列が切れ間なく続いている。そのまわりは花で埋め尽くされ、かぐわしい香りがたちのぼっている。ブルターニュのことがさらに好きになった一日だった。

    参照

  ブルターニュの守護聖人 Saint Yves 聖イヴ

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2006.05.22

Saint Yves聖イヴのパルドン祭 その1

Treguier_v1
  Saint Yves聖イヴはブルターニュで貴族の息子として誕生した。7歳の時、Tréguierトレギエで行われた教会のミサに心をうたれ人のために生きようと決心したと伝えられている。学問を修め地元にもどると、両親から受け継いだ領地から得た収入を貧しいものたちに分け与えた。パンも肉も家を暖めるタキギさえもおしみなく差し出したのだ。着るものがないものがいると、自らの衣服を与えることもいとわなかった。彼自身は一日一食、パンや根菜類だけをとり、果物、肉、魚、チーズでさえも食べなかった。復活祭には人々が彼のためにタマゴを持ってきた。それでも彼は微笑んで水しか口にしなかったのだそうだ。Treguier_v2


  私は以前La Cathédrale Saint Tugdualをたずねたことがある。だがほかの場所と一緒に連れて行ってもらっただけで、Saint Yves聖イヴのことを深く調べたことはなかった。上の記述は昨日購入した小冊子から抜粋したものだが、何という高潔さだろう。人々がSaint Yves聖イヴのことを"l'ami des pauvres"「貧者の友」として崇敬し、ブルターニュの守護聖人と呼ぶ理由がよくわかった。
Treguier_v

  21日は雨だった。私とセシル(後日改めて説明したい)がLa Cathédrale Saint Tugdualに到着したとき、すでに記念のミサが始まっていた。教会中に入りきれない人々が教会を幾重にも取り囲みじっと雨に打たれていた。「晴れの日」にふさわしく町中が花々で飾られている。ブルターニュの原野を黄色に染めているgenêtエニシダだ。

   その2につづく

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2006.05.20

ブルターニュの守護聖人 Saint Yves 聖イヴ

St_yves_e1
    5月19日はブルターニュでとても親しまれているSaint Yves聖イヴの日だ。Saint Anne聖アンヌと並んでブルターニュの守護聖人と呼ばれている。Saint YvesあるいはYves Hélory de Kermartin (1250ごろ - 1303)という名前だがほかにも別名がある。Saint Erwan( dans le Trégor, Iwan) Youenn あるいは Eozen (dans d'autres régions)

  Saint Yves聖イヴはTréguierトレギエの近くで生まれた。パリでSt Thomas d’Aquinトマス・アクィナスから指導を受け神学を学び、オルレアンで法学を修めた。そして27歳になったとき、レンヌ司教区で働きはじめた。その後トレギエに帰郷する。

  貧しき人々を助け、正しい裁きをしたSaint-Yvesは、La Cathédrale Saint Tugdualに眠っている。フランスでは職業ごとに守護聖人が定められているのだが、Saint Yves聖イヴは漁師や弁護士の守護聖人としてあがめられている。20日には世界中から弁護士がTréguierトレギエに集まり会議が開かれ、21日には大規模なパルドン祭がある。ちょうどFougèresフジェール城に行く予定にしていたのだが、急遽こちらに行くことにした。身体はひとつしかないので仕方がない。日程はこちらにある。写真は21日に撮影したSaint Yves聖イヴの像。若い弁護士たちを優しく見守っている。

  以前紹介したLa Cathédrale Saint Tugdualの写真はここに。TréguierトレギエにあるErnest Renan(1823-92 思想家・宗教史家・言語学者)の生家の写真はここから。

Saint Yves聖イヴのパルドン祭 その1につづく

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2006.05.19

国際クラシックカーラリー開催中

Voiture_a
  Rallye International du Pays de Fougères国際クラシックカーラリーが金曜日から月曜日までブルターニュで行われています。メインとなるのはFougèresフジェールで、城の中にクラシックカーが並びます。プログラムはここ。世界中から愛好家たちが自慢の車に乗ってやってくるのです。100種類以上のクラシックカーが集まるそうです。

  知り合いが参加する(多分Facel Végaに乗って)というので私も愛車に乗って日曜日にフジェールに行く予定です。私の車、Renault super5 GTR(1987年)も「そのうち仲間入りできるね」などとからかわれていますが、おかげさまでちゃんと動いています。(先日遠出したときにタイヤホイールがひとつなくなってしまったのですが、仕方ありません)。古いけれどボディーにはほとんど傷がなく綺麗なんですよ。それでつい買ってしまったのですが・・・いきさつはああ!大きな勘違い。一か八かの賭けにでるか?ガチガチのドライブに書いています。

  上のような素晴らしいクラシックカーも年代ものですから、走行中にいつ止まっても不思議ではないそうです。「メカに強くないと運転できない」と聞きました。近くに住んでいる方、フジェール城でお会いしましょう。

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自然回帰主義

  ある友人と話していて驚いた。すぐ近くにヌーディストビーチがあるというのだ。調べてみるとFFN(Fédération francaise de naturisme)というHPがあった。自然回帰主義である。フランスでは1920年ごろにこの考え方があらわれ、1950年に上記の組織ができた。自然と一体化するには裸でいるのがいいというものだ。

続きを読む "自然回帰主義"

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2006.05.17

写真が消えました

  15日にアップしたサン・ジルダ・ドゥ・リュイス修道院の写真2枚、いつの間にかどこかへ消えてしまいました。ココログ、大丈夫? 

  幸いにも右の欄にFlickrを作っているので、こちらにアップしました。

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日経ビジネスonline特別版 プレゼント実施中

    日経BP社のHPには膨大な情報が網羅されています。アクセス件数は月間で1400万だそうです。このサイトは登録するだけですべて閲覧が可能です。

  ちょうど今、日経ビジネスonlineに無料登録するだけで、特別編集版「経営の新常識 企業価値の守り方」(A4変型版 128ページ)が抽選で3万名様にプレゼントされます。

  日経BP社のニュース解説の中に4月から「世界のユニークビジネス」という連載が始まりましたが電気自動車に注目、バッテリー容量が拡充を書きました。

  ここにでてくるBolloré社は1822年にブルターニュで誕生しました。社長のVincent Bolloré氏も「自分はブルトン人だ」と言い切っています。ちょうど同社は9月からDirect Soirという無料夕刊を創刊することを発表しました。発行部数は50万部。25万部はパリ近郊で配布される予定です。詳しい情報はLe gratuit «Direct Soir» dans les starting-blocks (Le Figaro)から。

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2006.05.15

サン・ジルダ・ドゥ・リュイス修道院とアベラール その1

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  12世紀ルネサンスが生んだ神学者アベラールは、弁証法を駆使し論敵を次々と打ち破っていった。その名声も教え子エロイーズとの恋によって急展開する。二人の間には子供が産まれたので極秘に結婚した。だがその事実を知り憤慨したエロイーズの家族が刺客を送りアベラールに最も残酷な復讐を遂げたのだ。

  天沢退二郎さんはこの事件を歌ったフランソワ・ヴィヨンの詩に書かれている肝心の部分を「宮せられて」と翻訳しているが、どういうことかわかるだろうか。アベラールはこの事件を「彼らは彼らの苦しみを引き起こした源である私の体の或る部分を切断したのである」と後に書いている。

  襲った人間たちは厳しい処罰を受けた。アベラールにしたと同様に去勢され、目をくりぬかれたのである。身体の傷が癒えても、精神的恥辱にさいなまれたアベラールはサン・ドニ修道院に引きこもる。一方エロイーズも修道院に入りひっそりと生涯を閉じた。
St_g1

  ここまでは有名な逸話であるからフランス中世に関心のある人なら耳にしたことはあるだろう。Site philosophique de l'Académie de Lyonに二人のことを描いた絵画が載っている。

  二人が交わした往復書簡が有名なのだが、それらはアベラールがブルターニュにあるAbbaye de St Gildas de Rhuysサン・ジルダ・ドゥ・リュイス修道院の院長だったときに書かれたものだとはこれまで知らなかった。修道院がある場所はVannesヴァンヌの南。Golfe de Morbihanモルヴィアン湾を抱くように伸びている腕の部分だ。すぐ近くにはChateau de Suscinioスシニオ城もある。

   その2につづく 
    
     追加情報

  Bernadette Soubirous聖女ベルナデッタが眠りについているのはCouvent Saint Gildardサン・ジルダール修道院。こちらはNEVERSヌベールにある。聖女ベルナデッタについてはここに書いている。

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2006.05.14

ココログに投稿できません

  もう2年以上ココログとおつきあいさせていただいていますが、ここ1週間の状況はこれまでになく重症です。投稿も更新もほとんどできないのです。コメントやトラックバックも同じ状況ですが、エラーが起きているという「お知らせ」さえもありません。10回試みて8回は以下のエラーになります。

Proxy Error
The proxy server received an invalid response from an upstream server.
The proxy server could not handle the request GET /t/app/weblog/post.
Reason: Error reading from remote server

  これはT's Diaryにも問題が発生しましたに書かれているとおりです。障害が起きていることは誰の目にも明らかなのに、どうしてそのことを知らせてくれないのでしょうか。お知らせさえも投稿できない状況なのですか?この記事はひとりのユーザーからの声として古河建純 インターネットBlogにTBさせていただきます。

  こんな状況では続けられないので、うるわしのブルターニュ 番外編をつくりました。これからこのページがもし1週間以上更新されていなかったら、番外編をのぞいてみてください。まだ何も書いていませんが。

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2006.05.11

フランスニュースダイジェスト オンライン版

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  フランスの日本語フリーペーパーフランスニュースダイジェスト、フランス在住邦人にはおなじみのもので、すでに807号も発行されています。パリ在住の人は日系企業やお店などで手にいれていることでしょう。

  でも地方在住者はあまり読んでいなかったのではないでしょうか。それがネット上で読めるようになっているのです。日本にお住まいの方も、フランスのニュースを覗いてみてはいかがでしょう。

  少し不便だと思うのは、Internet Explorerでしか見る事ができないということです。ほかのブラウザでも見えたらいいのですが。


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幸せは自分の中にある

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一冊の本が話題になっている。鏡の法則 人生のどんな問題も解決する魔法のルールである。

  「魔法なんてあるはずない」という人もいるだろう。「どんな問題も解決する」なんてタイトルだけでも疑わしいと思うかもしれない。「うまい話にはのらない」と思う人も多いだろう。私は昨年のちょうど今ごろ、いいようのないあせりにとらわれ、自分を見失いかけていた。そんな時ある小冊子のことを知った。価格は400円。コーヒー1杯分だ。その本はある人の講演をテープおこししたものだった。たった2つの言葉を言うだけで運が向こうからやってくると書いてあった。

続きを読む "幸せは自分の中にある"

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2006.05.09

骨化誘導たんぱく質「カーミネリン」を発見

  これはとてもうれしいニュースだ。年齢を重ね身体を支える骨がもろくなると特別なことをしなくても骨折してしまうのだ。「たたみの縁につまずいて背骨が骨折する」といったことが日常で起きる。こうなると寝ても起きても痛みを伴うようになる。「カーミネリンは生理的な軟骨内骨化には影響せず、病的な軟骨内骨化に選択的に関与している」というから変形性関節症などの治療にも有効だと考えられる。

東京大学医学部附属病院整形外科の山田高嗣医師、川口浩助教授らの研究グループは、マウスで病的な軟骨内骨化を誘導する新規たん白質「カーミネリン」を発見した。軟骨が骨に置き換わる軟骨内骨化は生理的な骨の発生や成長に必須な現象だが、変形性関節症、靭帯骨化症など病的な軟骨内骨化は高齢者のQOL(クオリティー・オブ・ライフ)を低下させる原因となっている。今回、カーミネリンは生理的な軟骨内骨化には影響せず、病的な軟骨内骨化に選択的に関与していることを明らかにした。今後、変形性関節症などの治療法開発への応用が見込まれる。この成果は7日付の米国科学雑誌「ネイチャー・メディシン」に掲載された。 The Chemical Daily

    追加情報

  カーミネリン(旧名・シスタチン10)はカーティリッジ(軟骨の)ミネラリゼーション(石灰化)からつけられた名前だそうだ。詳しいことは、FujiSankei Business i.からどうぞ。

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2006.05.08

ジュール・ヴェルヌの夢

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  Jules Verne ジュール・ヴェルヌが亡くなって1世紀が過ぎた。昨年はフランス各地で記念イベントが開かれたのだが、週末のロンドンをジューヌ・ヴェルヌの「八十日間世界一周」から発想されたという巨大な象が歩いている。42トンもある電気仕掛けの象である。BBCのニュースFinal day of 'elephant'spectacleとその写真。同じページからビデオも見られる。鼻の動きは本物の象のようだ。
Jv3
  Nantesナントの丘の上にLe musée Jules Verne ジュール・ヴェルヌ博物館がある。昨年56万ユーロをかけて改装が終わったばかりである。こじんまりした博物館内部はまるでおもちゃ箱のよう。子供たちが喜ぶような仕掛けがたくさんある。私が行った時は子供たちが課外授業でジュール・ヴェルヌに関する質問を解いていた。友達どうしで答えを見せ合いながら展示を覗き込んでいる様子がほほえましい。右の写真は裏口の門。下の写真は博物館にあったジュール・ヴェルヌの人生ゲーム。実際にゲームをすることも可能だ。
Jv2
    Hetzelエッツェルの編集した本はどれもとても美しい。古本屋に行くとたまに置いてあるのでいつも手にとってみるのだが、できるものならコレクションしたいものだ。その表紙はここから。 イタリアではこんな時計も発売されている。価格は11500ユーロ。目の保養にどうぞ。Luminor Sealand Jules Verne
 
    ジュール・ヴェルヌ関連記事
  
  Le musée Jules Verne de Nantes ナントのジュール・ヴェルヌ博物館
  Jules Vernewriting the sea 昨年シャイヨー宮で開催された展覧会 Virtual exhibitionをクリックすると内容が見られる。
  Jules Verne Page 日本語で読める詳細なジュール・ヴェルヌ情報
  80日間世界一周 スペシャル・エディション 1956年アカデミー賞5部門を受賞 DVD
  
  追加情報

  フランスの劇団「Royal de Luxe」によってロンドンで上演された、野外人形劇「Sultan’s Elephant(サルタンの象)」の写真がロンドンismコンシェルジュに写真入りで載っている。

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2006.05.07

フランス旅行するためのフランス語

  フランスでは英語があまり通じないと考えておいたほうがいいのです。もし話せたとしてもフランスなまりの英語、あるいは英国式の英語の発音は日本人にはわかりにくいです。一言も話せなくてももちろん旅はできますが、ほんの片言でも話せたほうが楽しいです。

  語学学習応援サイトGlobalvoiceに「これだけで大丈夫、フランス旅行会話」というコラムが連載されています。ここには挨拶の仕方や具体的なホテルの予約の仕方などが書かれていて役にたちます。

  これを読んでいてホテルで起きたハプニングを思い出したのでご紹介しましょう。その時私は通訳兼ナビゲーターとして日本人の旅行客をブレスト空港に迎えに行きました。日本の知り合いから旅行会社のツアーにはないブルターニュの非常にマニアックな旅の相談を受け、企画全般にかかわっていたのです。ひとり車椅子の方もいたので、あらかじめすべての行程を下見しどこまで車椅子で行けるかも調べていました。

  ホテルとバスは日本の某会社が手配したので、私はバスの運転手と待ち合わせて先に食事をすませ、空港まで行ったのです。数人がゲートから出てきたのですが、残りの人たちがまだです。パリからブレスト行きの国内便に乗り換えたときにそのうち3人の荷物が違う飛行機に乗ってしまったようで紛失してしまったのです。みなさん日本からの長旅でお疲れなのですが仕方ありません。手続きをすべてすませバスに乗った時にはもう真夜中すぎでした。(スーツケース3つはドイツから2日後に届きました)。

  この日のホテルは空港近くのIbis Brest Kergaradecでした。やっとのことで部屋にたどり着いたのに、「ツインではなくダブルベットなので交換してほしい」と言うのです。結論から言うと、間違ったわけでなく、シングルベットが2つくっついているだけでした。他のホテルは自分で確認していたのですが、ここは旅行会社が決めたので室内は見ていませんでした。「同室でもいいけれど、男同士ですぐ横に寝るのは嫌だ」と文句を言いながらも寝たわけです。

  反対にフランスではツインの部屋があまりなく団体旅行などでは、ダブルベットの部屋を割り当てられることもあります。私は1度だけ女友達とダブルベットで一緒に寝たことがあります!また高級ホテルでも石鹸、シャンプーなどのアメニティグッズがそろっていても、歯ブラシだけはありませんので注意が必要です。
  
    フランス語入門おすすめサイト

  NHKフランス語会話 新スタンダード40 すぐ使える基本表現 発音付き
  バーチャルフランス語ツアー 旅行会話 発音付きクイズ形式 より実践的
  便利な会話の本と電子辞書はここから。  

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2006.05.06

ブルターニュ、海の幸盛り合わせ

Fd
  ブルターニュの海でとれた新鮮な海の幸をたっぷり味わえるのがFruits de merフリュイ・ドゥ・メールです。この船形にのった生ガキ、数種類のカニ、ラングスティーヌ(エビ)、ハマグリなどの盛り合わせ、実はこれで一人分なんです。カニは食べやすいようにナイフで切ってくれています。

  これは前菜で、このあと魚のグリルとかほかのものを頼むのです。ひとりでは食べきれないのでフランス人の友人と二人で分けて食べました。Fd1これで値段は20~30ユーロくらいです。オマールを選ぶと値段は高くなります。(まだ食べたことがないのですが・・・)。それでも私はお腹いっぱいになったので、デザートだけ食べました。友人がご馳走してくれたのではっきりした値段はわすれました。この友人はもうすぐ結婚するので、お祝いをはずまなくちゃ。

  海の見えるレストランBREIZ ARMORのMonsieur Ségalenは名物シェフ。ちょうど私が行った前の日に日本人観光客が3人来店していたそうです。友人は毎週日曜日ここのカフェでコーヒーを飲むというだけあって、スタッフみんなと知り合いなんです。アペリティフの飲み物をサービスしてくれました。客室32部屋あるホテルもあります。ブルターニュ最古のカルヴェール(キリスト磔刑像)のあるLa chapelle Notre Dame de Tronoënトロノエン・ノートルダム礼拝堂の近くです。

  BREIZ ARMOR
  Plage de Penhors. 29710 PENHORS
  Tel: +33 (0)2.98.51.52.53


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2006.05.05

Les Cahiers Blancs 最新記事

  AFP・BBNews(日本語)にブルターニュ関連のおもしろい写真がたくさんあったので、以下の4つの記事を書いた。「弁護士用かつら」って馬の毛で作られているとは知らなかった!

  Les Cahiers Blancs
   La Maison de Bricourt 三ツ星に昇格
   ブルターニュのドルイドたち
   英国の弁護士用かつら、ブルターニュの村で生まれる
   海草の使い道

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ブルターニュの城 ブルバンセ城

Bourbansais_f
  レンヌからサンマロに向かう高速道路を北上する。途中に城の絵が描かれた看板があるので高速を降り、右に曲がると数分でChâteau de La Bourbansaisブルバンセ城に着く。現在の城は16世紀終わりから17世紀はじめにかけて建築されたもの。当時流行していたルネサンス様式の城だ。上の写真は城を正面から眺めたもの。他の写真は右の欄のFlickr写真アルバムからどうぞ。

  ロワール川のほとりにも多くの古城があるが、ほとんどがフランス革命直後に略奪されたり、破壊されたりしていて当時のまま残っている城はほんの数ヶ所しかない。ブルバンセ城も襲われた。だが城内は破壊をまぬがれた。なぜなら当時の城主がおいしいワインをたくさん地下に貯蔵してあったので、しこたまワインを飲みいい気分になった暴徒たちはよっぱらってそのまま帰ったのだという。

  こうしてブルバンセ城は中世のタペストリーや鏡など貴重な品々を無傷で守ることができたのだ。敷地内で見つかったガロ・ローマ時代の金貨や彫刻のある石版などもさりげなく飾られている。テーブルセッティングしてある部屋にはバカラの巨大なシャンデリアが輝き、先祖代々伝わる銀食器が華やかさをひきたてている。

  4月から9月まで毎日タカ狩りと、シカ狩りのデモンストレーションが行われるのだが、見事に訓練されたタカや猟犬の動きは見事だ。実際の狩りに参加したことは以前豊かな森フォンテンヌブロー 伝統の狩りで紹介したが、深い森の中で獲物を見つけるのは容易ではないし、追い詰めるまで銃は使用しないので収穫のないことのほうが多いそうだ。

  この城の敷地は100ヘクタールあり、動物園が併設されている。ライオン、トラ、ヒョウ、ヨーロッパオオカミ、キリン、シマウマなどおなじみの動物に加えて、日本名を知らない珍しいサルがたくさんいる。どの動物も毛つやがよく、繁殖率がとても高いそうだ。もう長いこと動物園に行ったことがなかったので、時間を忘れるほど楽しかった。

  以前は城内に2部屋客室があったが現在は宿泊できない。だが門を入ったところにあるGitesと呼ばれる民宿を城主の家族が経営している。こちらはちょうど改装中で内部を見ることはできなかった。

  Château de La Bourbansais ブルバンセ城
    Le Lézard Tranquille 宿泊一人40ユーロから

     参考資料 敷地の広さ比較

  皇居全体で230ヘクタール
  ニューヨークにあるセントラルパーク340ヘクタール
  ロンドンにあるハイド・パークとケンジントン・パークを合わせて310ヘクタール

  城のホームページが変更されていたのでリンクを変更した(2007 07 18)

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2006.05.03

キットカット タカギホワイト ブルターニュ ミルク

Takagi_bretagne

  

  Nestleネスレの人気ブランド、Kit Katキットカットから、「Le patissier TAKAGI  タカギ ホワイト ブルターニュ ミルク」が期間限定販売されています。高木シェフが考案したこのチョコレートはフランスブルターニュ産のミルクを100%使用し、そこにエクアドル産ココアバターを組み合わせたとのこと。

  たまたまネットで見つけたのですが、「ブルターニュというからには味見しなければいけない」と日本の友人に頼んで送ってもらいました。郵送代節約のため箱なしにもかかわらず送料だけで400円もかかっています。数日間じっと眺めていたのですが、思い切って食べました。

  私はもともとホワイトチョコが好きなのですが、こくのあるミルクの味がとてもおいしいです。中にウエハースがはいっているので、しつこくなく、食べた後でミルクの香りが口いっぱいに広がります。

  一度に食べるのはもったいないので、また明日食べることにします。いつまで売っているのかわかりませんので、日本の皆さん、急いでお店へ。ブルターニュの写真でも見ながら食べてくださいね。

  このチョコレートの考案者である高木さんのお店のHPと最新の本は以下のとおりです。
  Le patissier TAKAGI ル・パティシエ・タカギ ホームページ
  高木康政のチョコレート―幸せをはこぶ27のレシピ

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