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2006.05.27

生き続けるということ

  Rennesレンヌで知り合った、Saint Yves聖イヴのような優しさにあふれた、ひとりの素晴らしい女性のことをお話しようと思う。名前はCécileセシル。外国人を自宅に招き親身になって相談にのってくれる人だ。そればかりではなく、刑務所に服役中の受刑者に手紙を書いたり、浮浪者と話し合ったりと忙しい。浮浪者が亡くなると、教会で葬式をあげるそうだが、そのような場所にも彼女の姿がある。

  彼女のことは2年前にセシルの誕生日で書いたことがある。まず、こちらに目を通してほしい。

  この時私は大きな勘違いをしていた。2年前の誕生日に集まったのはセシルの子供や孫ではなかったのだ。なぜなら彼女はずっと独身だったのだから。この誕生日の後、私はアルプス、モン・ブランの麓にあるComblouxコンブルーに行った。そこでじっくりいろいろなことを話し合った。その時の様子はここで。

  その時聞いたセシルの人生はあまりに波乱万丈だったので、大きなショックをうけた。自分の中でそれを消化するのに時間がかかったのでここにも書けなかった。だが、彼女の存在は私に大きな影響を与えていると思うので、書き残すことにした。

  父親は軍人だったので、軍港ブレストの近くで彼女は生まれた。その後南仏トゥーロン、そしてナイジェリアと勤務地が変わった。運命の日は彼女が8歳の時におとずれた。もう大きくなっていた2人の兄と姉はフランスに残り、両親、姉妹と彼女がナイジェリアで飛行機に乗った。

  その搭乗機が墜落したのである。同乗していた両親と姉妹は命を落とし、彼女は病院で目覚めた。遺体は飛行機と共に燃えてしまったので墓さえもない。

  フランスにいた2人の兄のうちひとりはその後戦争で亡くなった。もう一人の兄も独身で、誕生日に集まっていた親類はただひとりの姉の子供たちだったのだ。傷がどのようなものだったのかは聞けなかったが障害者手帳を持っているといっていたし、長期入院したこともたびたびあったようだ。それでも若い頃は子供たちに絵や美術を教えていたそうだ。

  最近セシルの家でレンヌにいるイラン人の映画監督が作ったテレビ映画を見た。イラン・イラク戦争で化学兵器が使われたことを回想するひとりの老人の話だった。戦地に行ったままゆくえのわからない息子、そして数年前の爆撃で亡くなった妻の姿を探す老人。そして新たな爆弾が落下し、最後に彼も命を落とす。

  日本では戦争の記憶は薄れているが、中近東では戦乱が続いている。彼自身(40代後半?)が兵士として従軍していたのだから。「僕は人にむけて銃を撃てないから、今生きているのが奇跡みたいなもの」と言っていた。

  一緒に映画を見たのは10人あまり。そこには3人のイラン人と2人のイラク人も含まれていた。セシルは「どんな理由があろうと、戦争はやめるべきだ。この消えることのない手の傷が戦争の生き証人なのだから。もっと世界の人と話し合う必要があるし、核兵器の撤廃をねがっている」と感想をのべた。

  先週二人でSaint Yves聖イヴのパルドン祭に向かう途中、セシルは「母親が歌ってくれた歌がうかんできた」と小さな声で歌を歌い始めた。私は運転しなから胸がいっぱいになって何も答えられなかった。

  教会で祈っているセシルの姿が"l'ami des pauvres"「貧者の友」、Saint Yves聖イヴとオーバーラップして見えた。いつも質素な服装をして、髪は留学生に切ってもらう。小銭は浮浪者に渡し、自殺未遂した人の話相手になる。ほかの人が敬遠するであろう弱者と共にある人なのだ。人間死ぬときは身ひとつ。誰かの記憶にとどめてもらえるような生き方をしたいものだ。

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