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2006年6月の記事

2006.06.30

Ile de Batz バッツ島 その2 島に上陸

Ile_de_batz_1

    以前レンヌに住んでいた日本人の友人が出張でフランスに来たので、日本人女性ばかり4人でIle de Batz バッツ島をたずねた。Roscoffロスコフまで行って船で島に渡る。船は30分ごとに出ていて乗船時間は15分。料金は往復で7ユーロだ。船を撮ろうとしたら乗組員がポーズをとってくれた。
Ile_de_batz
  子供たちが500人くらい歩いている。遠足なのだろうか。私たちを見つけて「ハロー」とか「こんにちは」と声をかけてくる。ちょうど引き潮で白い砂と岩場が露出し、まるで別世界。海の色は緑がかっていたり、エメラルド色だったり、見飽きることがない。ブルターニュの海岸線はほんとうに美しい。
Plante

  島に上陸し、のんびりと灯台まで歩く。約1時間の行程だ。海岸に面してカフェが数件店開きしている。この島には植物園があるのだが、灯台と反対方向にあるので行かなかった。

    それでも見たことのないような巨大な植物がニョキニョキ生えている。全く見たこともないので、海外から持ち込まれたものに違いない。ちょうど薄紫色の花が咲いていた。

  上の写真は灯台の上からSaint Pol de Leonサン・ポール・ドゥ・レオンを撮ったものだ。


Ile de Batz バッツ島 観光案内

  
  

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Ile de Batz バッツ島 その1 海の色

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海草がゆらゆらと海の中を漂っています。透き通った美しい海です。

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2006.06.29

重さの無い彫刻展

Segawa1

    レンヌ在住の日本人、瀬川剛(せがわ ごう)さんが7月7日まで展示会を開催中だ。彼の作品は非常にユニーク。透明なアクリル板にデッサン(油性ペンまたはアクリル絵の具、またはプリント)し、格子状に組み合わせる。すると組み合わさったデッサンが立体をつくりあげるというもの。現実空間における仮想立体が誕生する。

  具体的には3Dソフトを使いモデリングする。あるいは立体スキャンしたオブジェクト(3Dシミュレーション内での物体)をもとに制作するのである。写真にすると透明なアクリル板がわかりにくいので少々コントラストを強くした。下の作品は1メートル近くある巨大なもの。見る角度によっては形をなさないので、見学者は作品のまわりをグルグルまわることになる。
Segawa_1

  瀬川剛さんは2001年度、セゾンアートプログラム 美術家助成プログラムの受賞者。物質性を消去することで物体を意識させたり、虚像により実像を意識させるような作品を制作。従来の知覚に揺さぶりをかける試みを重ねている。(受賞記念展


   展示会場
 
La Maison Internationale de Rennes 月曜~金曜 14:00~18:30
 7 quai Chateaubriand 35000 Rennes
 tel:02 99 78 22 66

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2006.06.27

初夏の森

Foret

  かすかな水音と鳥の声。初夏の森です。

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2006.06.26

フランスの音楽祭 FETE DE LA MUSIQUE 2006

Guadeloupe1
  6月21日、夏至の日です。カフェ、広場、道路、家の庭、アパートの中、いたる所で様々なジャンルの音楽が聞こえてきます。1982年から始まり、今年で25回目となったFête de la Musique 2006 音楽祭です。この日だけはどんなに大きな音で演奏してもいいわけですから、プロもアマチュアも演奏を楽しんでいます。観客もいろいろな会場をはしごしてまわります。
Guadeloupe

  私はGuadeloupeグアドループのミュージシャンの演奏を聞きに行きました。グアドループとは、カリブ海に浮かぶ西インド諸島にあります。ここはフランスの海外県なのです。音楽を聴く前に特産のラム酒を少々味見させてもらいました。観光パンフレットも見ましたが、とても美しい島です。フランスからは遠い国ですがユーロが使えますし、観光にも力を入れています。何といっても豊かな自然が魅力です。

  はじめてグアドループの音楽を聴きましたが、テンポがよく、すっかり気にいりました。この夜はほとんど夜明けまで演奏が続きます。フランスではこの日を境に徐々に日の入りが遅くなります。とはいっても午後10時すぎですが・・・

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2006.06.24

フランス、決勝トーナメント進出

  W杯G組のフランスはトーゴと対戦。ジダンを出場停止で欠くフランスチーム。しかも今日はジダンの34歳の誕生日だった。ベンチにそのジダンの姿はなかった。勝たなければ、もうジダンのプレーは見られない。何とか踏みとどまって、ジダンの誕生プレゼントにしようと試合にのぞむ。夜8時の全国ニュースも時間の半分くらいが、その後ではじまるこの試合のことだった。

  前半はフランスが攻め続けるが、ゴールが決まらない。パスミスも多く、重苦しい雰囲気。私もテレビの前で固まったまま。このまま終わってしまうのか。後半に入ってトーゴがボールをもつ時間が増えてきた。それでも後半10分、ようやくビエラのシュートが決まった。外からも歓声が聞こえてきた。そして6分後にアンリが追加点を挙げた。

  同時に行われていたスイス対韓国も、スイスが2点リードしていた。フランスがこの2点を守りぬけば、決勝進出できる。相変わらずパスミスが続き、ハラハラしっぱなしだったが、長い試合もやっと終了。フランスはそれまで勝ちがなかったが、負けもなかった。スイスが韓国に勝ったおかげでフランスが同組2位となり、2大会ぶりの決勝トーナメント進出を決めた。

  フランスのW杯での勝利は、優勝した98年フランス大会の決勝以来6試合ぶり。8年ごしの価値ある勝利。最後の最後で意地をみせた。オリンピックもワールドカップも4年に一度だけ。勝つのは容易なことではないし、筋書きのないドラマが生まれる。ともかく決勝トーナメント進出おめでとうと言いたい。

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2006.06.22

ケルティックハープと日本の関わり

Harpe5_1

  ケルティックハープが根強い人気を保っていることは以前ケルティックハープが大人気というエントリーに書いた。今回日経BP社のニュース解説にフランスで70年代から続くケルティックハープのブームを書いたが、取材している途中でLes Harpes Camacカマック・ハープ社の社長(社長自身ハーピストとして長いキャリアをもつ)から思いがけない話を聞いた。ケルティックハープと日本の間には深い関わりがあるという話だ。

  中世ヨーロッパではケルティックハープはポピュラーな楽器だったのだが、人々の記憶から忘れ去られていた時代があった。それを現代によみがえらせたのはGeorges Cochevelouジョルジュ・コシュブルーだった。そのハープの音色に魅せられたのが、彼の息子Alan Stivellアラン・スティヴェルで、9才のころにはすでにMaison de Bretagne de Parisでケルティックハープを演奏している。

  そのころビートルズの音楽に影響を受けエレキギターを手にした彼は、フランス音楽界に新風を吹き込むことになった。la pop celtique あるいは rock bretonと呼ばれた新しいジャンルをつくったのだ。これがまたたく間にフランスの若者たちを熱狂の渦に巻き込んだ。アイルランドではケルティックハープは国家の紋章。パスポートやユーロコインにも描かれているほど重要なもの。演奏は行われていたものの、奏法はクラシック調に変化していた。アラン・スティヴェルは伝統音楽をブレイス語(ブルターニュに伝わる系の言語)で歌った。そしてケルト音楽の復興をアイルランド、スコットランドなどのケルト文化を継承するほかの地域に呼びかけたのだ。その努力は人々の共感を呼び「ケルティックリバイバル」が巻き起こった。
Harpes_celtique_2006
  ところが、フランスにはケルティックハープを作る職人がいなかった。その時ケルティックハープを作っていたのが日本の青山ハープ社だっだ。1897年に創業。当初はヴァイオリン・チェロなどの弦楽器の製造をしていた。その後、青山政雄さんが、ハープの魅力に取り付かれ独自の技術でフォークハープ製造するようになったのである。心のこもったメンテナンスが評判をよび、例えばシンガポールでは90%のシェアを確保しているという。(ハープのマーケティング参照)青山ハープ社がハープを製造していなかったら、ケルティックハープブームの到来は数十年遅れたにちがいない。青山政雄さんの情熱が「ケルティックリバイバル」のひとつの底辺になっているのである。

  DinanディナンではRencontres Internationales de Harpe celtique国際ケルティックハープフェスティバルが毎年開催されており、今年は7月11~16日である。Maison de la Harpeハープ博物館で「毎年通ってくるハープ通の日本人がいる」と聞いた。さらに調べてみるとこの方は日本で紫音ハープミュージアムを1年前にオープンしたことがわかった。世界各地のハープ30台と関連の資料を展示公開しているという。

    ハープ、この素晴らしい楽器を守り慈しんできたひとりひとりの物語に感動した。不思議な魔力を秘めた音色を生で聴けることをありがたいと思う。ブルターニュ旅行を計画中の方、国際ケルティックハープフェスティバルも予定に入れて下さい。
  
  

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2006.06.19

ワールドカップ、フランス引き分け

  COUPE DU MONDEワールドカップドイツ大会、F組の日本はクロアチアと0-0で引き分け。決勝トーナメントに進出するにはすでに2勝し決勝進出を決めているブラジルに勝つことが最低条件となっている。ジーコを非難する声もあるようだが、ジーコが鹿島アントラーズで日本サッカーを牽引した功績ははかりしれない。彼が日本に来ていなかったらワールドカップに出場することなど夢で終わっていたかもしれない。最後までジーコジャパンを応援しよう。

  フランスチームも勝ち星があげられない。13日のスイス戦0-0で引き分け。昨晩は韓国と対戦。アンリがきれいなシュートを決め1点リードしたものの、後半韓国に追いつかれた。このゴールはキーパーの前でバウンドしたボールがそのまま得点につながるという、フランスにとってはまさかというような失点。

  それからも攻めあぐねて、結局1 - 1で試合は終了。G組で唯一勝ち星をあげているのは韓国だけ。フランスも土壇場に立たされている。8年前優勝したときのような切れがない。応援しているものにとっては、とても苦しい状況だ。サッカーはフランスで一番人気のあるスポーツ。でも若手が全く育っておらず、いったん引退を決めたジダンが代表にもどり必死でチームを引っ張っている。どの国でもスター選手というのは簡単にあらわれるものではない。

  ところで、ドイツに来ているアルゼンチンのマラドーナがスピード違反で捕まったと報道された。サッカーファンなら、あのドリブルやシュート、忘れられるものではない。トラブルが多くてもみんなマラドーナが好きなのだ。このマラドーナが、初めてTV番組のホストを務めたトーク&バラエティ番組「10番の夜」 。アルゼンチンのみならず、南米全土、そしてヨーロッパ各国でも放送され、平均視聴率は25%超、最高視聴率34.9%を記録した超人気番組がパソコンテレビGya0で見られる。特集ページはここから。日本語字幕あり。

  

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2006.06.18

ブルターニュのポストカード Carte postale

Carte_p
    構図がおもしろかったので、Carte postaleポストカードを2枚買った。1枚が0.35ユーロ(50円)だ。le Pays Pourletプルレ地方のGuémenéグエメネに伝わるダンス。アクロバティックなダンスと説明されている。パフォーマンス賞を受賞しているというのもうなづける。写真で見ても、すごい迫力だ。

  この地方の衣装の詳しい説明のあるサイトを見つけた。Costumes féminins du pays vannetais bretonnantこちらから。

  もう一枚はBigoudenビグデンのコワフをかぶったおばあちゃんが、自転車でお出かけしている様子。Pas facile de garder la coiffe droite! 「コワフをまっすぐに保つのはむずかしい」。帽子といっても、ほんとうに筒になっているわけではなく、前と後ろの2枚をピンでとめてあるだけ。被り方はここに解説がある。
Carte_b
  はじめて実物を見たのはSainte Anne d'Aurayサン・タンヌ・ドーレイのパルドン祭に行った時だった。もう4年ほど前になる。レストランの中でこの独特のコワフをかぶった数人の女性を見た。どこに行ってもカメラに囲まれているに違いない。

  レストランの中で食事中に写真を撮るのは失礼だと思ったので、声をかけなかったのだが、それからこの有名なBigoudenビグデン地方のコワフを見る機会はなかった。Pont l'Abbéポン・ラベの刺繍祭り、行けたらいいのだが。

    変更

  昼間見るとカードの色が全然違うので、写真を差し替えました。それでも写真なので、全く同じではありませんが。

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2006.06.16

色鮮やかな刺繍の街、Pont l'Abbéポン・ラベ

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  この目の覚めるような朱赤。我がブルターニュが世界に誇るPont l'Abbéポン・ラベの刺繍である。この写真は知人宅に大切に保存されていたおじいさんの遺品。約100年前の男性用のベストだ。夜撮影したので少し色が赤みを帯びている。実際にはもう少し朱の色が強い。Musee Bigoudenビグデン博物館にも衣装が展示されているのだが、少々色あせていた。これほどきれいな風合いの衣装は非常に貴重だ。

  布地から盛り上がるようなボリューム感がある。針を刺すのは非常な力仕事だったので、男性が刺繍したのである。その間、女性たちは港で荷物の積み下ろしをしていた。100キロもあるような荷物を運ぶのは女性たちだった。

  祭りにはポン・ラベの女性たちも美しい刺繍がほどこされた民族衣装を身にまとった。その頭には30センチ近くもあるとても長いコワフ(繊細なレース刺繍の帽子)をかぶっていた。
Bigoudena
  「コワフは特別なものではなく、家から外へ出る時の必需品。私の母親がパスポートをとることになった時、どうしてもコワフなしでは、写真を撮るのはいやだと拒否したんだ。役所もどう対応するか協議した結果、コワフを被った写真を許可したのだが、コワフが長いから顔なんて小さくしか写っていないんだよ」と笑う。

  このパスポートのコピーを見せてもらったが、今はこんな融通もきかないだろう。イスラム教徒がスカーフ着用して身分証明書を撮ることも許可できないと論議されるくらいなのだから。(パンドラの箱は開かれたを参照)

  「Pont l'Abbéポン・ラベには他の地方にないような不思議なことがたくさんある。赤ん坊の臀部には青いあざがあるんだよ。ブルターニュでもBigoudenビグデンだけなんだ。日本人と同じ人種かもしれないね」と地理学の元教授は真顔で私に語りかける。

    大辞泉によると「蒙古斑」とは「乳幼児の臀部(でんぶ)・腰部などにみられる青色のあざ。その真皮中にメラニン色素細胞が存在することによる。黄色人種に特に顕著。七、八歳ごろまでに自然に消失する。小児斑。児斑」と説明されている。黄色人種のみとは限定されていないので、他の国にもこういう事例があるのだろうか。

  
  Pont l'Abbé 観光案内所 コワフを被った女性の写真あり
  Fête des Brodeuses 刺繍祭り(音楽とダンスのフェスティバル) 2006年7月13~16日 
   昨年の写真およびビデオはここから 刺繍の女王の写真

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2006.06.14

サン・ジルダ・ドゥ・リュイス修道院とアベラール その2

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  ここで改めてアベラールの人生を振り返ってみよう。Petrus Abaelardus(Pierre Abélard ピエール・アベラール 1079-1142)はNantesナントに近いLe Palletル・パレで生まれた。1100年頃パリでGuillaume de Champeauxギョーム・ド・シャンポー(実在論派)のもとで学び、やがて哲学者、神学者としての地位を確固たるものにした。その経歴は清水哲郎さんのページにまとめられているのでまず一読を。

  さてアベラールは39歳で、17歳だったエロイーズの住み込み家庭教師になる。若さと風貌、そして名声に自信を抱いていた彼はエロイーズに接近、彼女の心を射止めることに成功した。やがて彼女は密かにアベラールの故郷Le Palletル・パレで男の子を出産しAstrolabiusと名付けた。アベラールは正規聖職者ではないので、法的には問題はなかった。それでも、世間の目を気にしてこっそり結婚しようという申し出に反対したのは実はエロイーズの方だった。

  なぜ、すぐに承知しなかったのか、考えてみてほしい。アベラールはヨーロッパじゅうの学生たちが教えを請いたいと願ってやまないすぐれた教師であった。彼の講義は5000人もの聴講者を集めるほどだった。相思相愛で子供まで生まれているのに、何をためらう必要があるというのだろう。出世のさまたげになるからか。まず当時の結婚観は現代のものとは異なっていたことを考慮しなければならない。
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  キリスト教、公教会の見解によると、エヴァが蛇の誘惑に負けアダムに禁断の果実を食べさせたため人類は楽園から追放されることになった。諸悪の根源になっているのは女性だ。そのような女性とセックスするのも汚らわしい。だが子孫を残さねばならないので、そのための性行為だけは容認するというものだった。「妻を過度に愛する者は、姦通をなすに等しい」という考えが常に根底にあったのである。

  たとえばAbbaye de Clunyクリュニー修道院の院長Odonオドン(879-942)は女性に対し強い嫌悪感を抱き、女性を「糞の容れもの」と表現しているほどだ。そのためクリュニーの修道士たちは修道院的な禁欲を貴族に説いた。またAbbaye de Saint Benoît sur Loireサン・ブノワ・シュル・ロワール修道院長Abbonアボン(988-1004)は、結婚した男女は童貞である修道士と異なり姦淫の罪を犯しているか否か判別しがたい。したがって結婚は悪であると主張したほどであった。

  一方で俗世間では宮廷風恋愛が話題にのぼっていた。Tristan et Iseutトリスタンとイズー(トリスタンと白い手のイズーが暮らした城)やRoman de la Rose薔薇物語のように女性崇拝を堂々と表現した物語が大流行した。ここでは肉体関係をともなう恋愛も当然のこととして登場する。このような時代を生きていたエロイーズがどう考えたのか、次のエントリーでまとめてみたい。

右の本はHéloïse : L'amour et le savoir

  その3につづく

 

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2006.06.13

ガムを噛んでいたら何かが・・・

  土曜日、Saint Maloサン・マロに行く途中でガムを噛んでいたら、ガリッと音がしました。治療済みの自分の歯でした。月曜日の朝、歯医者に予約。「ちょうどキャンセルがあったから、午後来てね」といううれしい言葉。

  幸いにも治療は1回だけで終わりました。「歯石を取って歯を磨いておきましょう」と女医さん。この間友人がおもしろいことを言っていました。「歯医者に行って歯を削られそうになったら、削られる前にアーと大声で叫ぶんだ。するとびっくりしてどうしたのかと聞くから、きっと痛くなると思って叫んだと答えることにしている。痛くなってからでは遅すぎるから」と。

  でも女医さんと助手の人がいる前で、何もされていないのに叫ぶのはためらわれました。そしてやはり痛かったです。帰り際、「運がいいわねえ」と言われました。どうしてかというと普通に予約すれば3週間後だったからです。以前書いたことがありますが、どの病院でも予約を取るのは至難の業。

  木曜日、ある病院に予約しています。こちらは1ヶ月前に予約したもの。処方箋をもらいたいのに、次はいつ予約が取れるかわからないのです。それに医者もそろそろバカンスで休むはずですから、絶対に忘れるわけにはいきません。大変な医療システムです。

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2006.06.11

サン・マロの海水浴風景

St_malo
    サン・マロは城壁で囲まれていますが、撮影場所は城壁の外側、カジノやホテルが建っている海岸です。海水浴を楽しむ人たちでごったがえし、駐車場もいっぱいです。

  下の写真は城壁の下で日光浴している様子です。St_malo1城壁の上を歩きましたが、潮風が心地よくやっと夏の日差しになりました。散歩して友人とソフトクリームを食べて帰ってきました。私はブルターニュで泳いだことがありません。今年は最近まで寒かったので、花の開花がいつもの年より2週間ほど遅いそうです。

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2006.06.08

君の顔、大きいねえ

Ferme_ville

    昨晩、1時くらいに寝ようとしたのですが、うるさくて、耳栓して寝ました。「モー」と鳴き続けるんですもの。牛たちです。7日から11日までla ferme en villeという催しが行われていて、いつもの市役所前広場が農場と野菜畑に変身しています。

  いつも静かな田舎に住んでいる牛、豚、羊、ヤギなどの動物たちはいきなり街の中につれてこられて、「興奮して眠れない。家に帰りたい」と訴えているわけです。

  普段動物に接することのない子供たちにとっては格好のチャンス。すぐ側まで近づいて、じっと、大きな顔を見つめています。ほんとうにつぶらな瞳です。草食獣は臭いも少ないし、おとなしいから、お父さんものんびり見ていられます。
Ferme_ville_2_1
    ブルターニュはフランスの食料庫ですが、ブロッコリー、カリフラワー(白、緑)、白ネギなど野菜のことを聞いてみました。ドイツ、イギリス、オランダなどに生産量の約半数を輸出しているそうです。また麻や菜の花がオメガ3を含む植物として人気が高いそうです。写真はオペラ座前の様子です。動物たち、今晩はおとなしく寝てくれるかな?

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2006.06.07

ライオンのうんちだけは固めてもクサイ

  姫路科学館『アトムの館』短期集中企画で「ザ・うんち展」開催中です。

  ゾウ、ダチョウ、カバ、クワガタ、マイマイなどの大小のうんちが陳列ケースにずらり。動物園や水族館から集めて凍結乾燥、その後樹脂を使って固めたのでほとんど臭いはないそうです。でもライオンのうんちだけは固めても臭いのだとか。

  恐竜のふんの化石、うんちから生えるキノコのパネル、うんちを食べるクワガタの標本もあるそうです。料金は無料。月曜休み。6月18日までですから、お見逃しなく!

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2006.06.06

プランタジネット朝とエニシダのおしえ

  プランタジネット朝la dynastie des Plantagenêt(1154-1399年)とはイギリスの王朝名。名前の由来はマメ科の植物エニシダ(planta genesta 日本名は「金雀枝」)です。アンジュー伯Geoffroy Vジェフロワ5世がこの花をこのんで帽子に挿していたことから、王朝の名前になりました。(15世紀に子孫のヨーク公リチャードが用い、その後17世紀の歴史家が使い始めました)。王朝を開いたのは息子のHenri II d'Angleterreヘンリー2世です。  
  

Geoffroy V (né en 1113 - mort le 7 septembre 1151 au Mans), comte d'Anjou et du Maine, et plus tard duc de Normandie, appelé « Geoffroy le Juste » ou « Geoffroy Plantagenet », était le fils de Foulque V, comte d'Anjou et roi de Jérusalem et d'Erembourge du Maine, héritière du Maine. Il devint le fondateur de la dynastie des Plantagenêt des rois anglais.

Genet1
  今日のお話はこのエニシダ、フランス語ではle genêtジュネと呼びます。先日Saint Yves聖イヴのパルドン祭 その1で飾られていた黄色い花です。

  この花不思議な性質があると教えてもらいました。写真では知り合いの指に隠れて少しわかりにくいのですが、つぼみを手に取って、花の下の花弁の横をそっとこすります。すると、魔法のように花が開きます。Genet2右の写真のようになります。

  野に咲く花ですからミツバチが飛んできた時にその身体に花粉をつけて、受粉してもらうしくみなのです。自然というのは何て素敵なのでしょう。この花は太陽のエネルギー、ケルトの太陽神ルーの象徴なのです。勇気とか希望のおとずれを意味します。失意の底にあっても信念をすてないこと信念を貫くことがエニシダの教えです。

  でも友達のドイツ人(農業博士)にこの話をしたら、「虫がいるから気をつけたほうがいい。さわると皮膚にくいこんでうまく取らないと頭が皮膚の中に残ってしまうから」というので、またびっくり。そんな虫のこと、聞いたことがありませんでした。「フランスとドイツと種類が同じかどうかわからないけど・・・」ということです。

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薔薇と教会

Rose

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2006.06.05

ブルターニュに生きる

Mag_h


    白黒のモノトーンの旗が街を埋め尽くす。

  どこを向いても互いの近況を語り合う笑顔で一杯だ。

  同じデモ行進でもCPE反対のデモとは異なり、催涙弾も破壊行為もない。

  これまで涼しかったのに急に真夏の気候。

  昼から夜半までうれしい再会が続きクタクタになった。

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