« ガムを噛んでいたら何かが・・・ | トップページ | 色鮮やかな刺繍の街、Pont l'Abbéポン・ラベ »

2006.06.14

サン・ジルダ・ドゥ・リュイス修道院とアベラール その2

Abelard
  ここで改めてアベラールの人生を振り返ってみよう。Petrus Abaelardus(Pierre Abélard ピエール・アベラール 1079-1142)はNantesナントに近いLe Palletル・パレで生まれた。1100年頃パリでGuillaume de Champeauxギョーム・ド・シャンポー(実在論派)のもとで学び、やがて哲学者、神学者としての地位を確固たるものにした。その経歴は清水哲郎さんのページにまとめられているのでまず一読を。

  さてアベラールは39歳で、17歳だったエロイーズの住み込み家庭教師になる。若さと風貌、そして名声に自信を抱いていた彼はエロイーズに接近、彼女の心を射止めることに成功した。やがて彼女は密かにアベラールの故郷Le Palletル・パレで男の子を出産しAstrolabiusと名付けた。アベラールは正規聖職者ではないので、法的には問題はなかった。それでも、世間の目を気にしてこっそり結婚しようという申し出に反対したのは実はエロイーズの方だった。

  なぜ、すぐに承知しなかったのか、考えてみてほしい。アベラールはヨーロッパじゅうの学生たちが教えを請いたいと願ってやまないすぐれた教師であった。彼の講義は5000人もの聴講者を集めるほどだった。相思相愛で子供まで生まれているのに、何をためらう必要があるというのだろう。出世のさまたげになるからか。まず当時の結婚観は現代のものとは異なっていたことを考慮しなければならない。
207077222508lzzzzzzz
  キリスト教、公教会の見解によると、エヴァが蛇の誘惑に負けアダムに禁断の果実を食べさせたため人類は楽園から追放されることになった。諸悪の根源になっているのは女性だ。そのような女性とセックスするのも汚らわしい。だが子孫を残さねばならないので、そのための性行為だけは容認するというものだった。「妻を過度に愛する者は、姦通をなすに等しい」という考えが常に根底にあったのである。

  たとえばAbbaye de Clunyクリュニー修道院の院長Odonオドン(879-942)は女性に対し強い嫌悪感を抱き、女性を「糞の容れもの」と表現しているほどだ。そのためクリュニーの修道士たちは修道院的な禁欲を貴族に説いた。またAbbaye de Saint Benoît sur Loireサン・ブノワ・シュル・ロワール修道院長Abbonアボン(988-1004)は、結婚した男女は童貞である修道士と異なり姦淫の罪を犯しているか否か判別しがたい。したがって結婚は悪であると主張したほどであった。

  一方で俗世間では宮廷風恋愛が話題にのぼっていた。Tristan et Iseutトリスタンとイズー(トリスタンと白い手のイズーが暮らした城)やRoman de la Rose薔薇物語のように女性崇拝を堂々と表現した物語が大流行した。ここでは肉体関係をともなう恋愛も当然のこととして登場する。このような時代を生きていたエロイーズがどう考えたのか、次のエントリーでまとめてみたい。

右の本はHéloïse : L'amour et le savoir

  その3につづく

 

|

« ガムを噛んでいたら何かが・・・ | トップページ | 色鮮やかな刺繍の街、Pont l'Abbéポン・ラベ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/17948/9926238

この記事へのトラックバック一覧です: サン・ジルダ・ドゥ・リュイス修道院とアベラール その2:

« ガムを噛んでいたら何かが・・・ | トップページ | 色鮮やかな刺繍の街、Pont l'Abbéポン・ラベ »