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2006年7月の記事

2006.07.31

パリ・プラージュでトップレスに罰金

  毎日新聞にこんな記事が載っていた。パリ:人工ビーチでのトップレスなど禁止という内容。

パリ市は29日、セーヌ川岸に設置している人工ビーチ「パリ・プラージュ」(パリのビーチ)での「トップレスやひも状態のビキニ姿」を禁じる布告を出した。
パリジャン紙によると「過度な露出はセーヌ川岸沿いでの危険な行為を誘発しかねない」ため。違反者には38ユーロ(約5500円)が科せられる。セーヌでの人工ビーチは今年が5年目で昨年まで禁止措置はなかった。仏南部コートダジュールなどではトップレスやひも状ビキニは一般化している。毎日新聞 2006年7月30日

  Paris Plagesパリ・プラージュとはセーヌ川のほとりに砂をしきつめ、海に行ったような気分を味わってもらおうといううれしいような、ちょっと寂しいようなパリのイベント。(本物の海に行ったほうがもっと楽しいだろうから)。ビーチパラソルや椰子の木などが、川沿いに並んでいるのである。2002年からはじまったのだが、これが予想外の人気をよんでいる。昨年は380万人が利用した。Paris Plagesの映像はここからどうぞ。

  日本人は日焼けをきらうが、フランス人は何とかして日に当たろうとする。海辺でも水温が低く泳げないとしても水着になって日光浴を楽しむのだから。こんな時、女性の多くがビキニ姿。トップレスになる女性など当たり前なのだ。それを今更禁止にして、38ユーロの罰金を支払えというのは馬鹿げた話ととらえられている。

  今年は暑い日が続いていて寒がりの私でさえ「洋服なんて着ていたくない」くらいなのだ。セーヌ川のほとりだけ禁止してもあまり意味がないような気がするが・・・
L'interdiction des strings et seins-nus à Paris-Plages fait débat TF1

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2006.07.30

Saint Anneサン・タンヌのパルドン祭

Ste_anne_nuit_3

    Sainte Anne聖アンヌは聖母マリアの母親、キリストにとっては祖母にあたる女性である。7月26日はSainte Anne聖アンヌの日であった。ブルターニュの守護聖人 Saint Yves聖イヴでのべたように、ブルターニュでは特にSainte Anne聖アンヌに対する信仰が深い。

  SAINTE ANNE D'AURAYサン・タンヌ・ドーレイでは17世紀に聖アンナが出現する奇跡がおき、立派な教会が建てられた。毎年7月26日にはパルドン祭があるが、ブルターニュで最も多くの参拝者が訪れるパルドン祭なのである。

  今年は7月25日、前夜祭、そして26日のパルドン祭に参加した。 前夜祭の開始は午後9時30分から。ところが午後9時ごろスコールのように大粒の雨が降ってきた。どうなるのかと空を見上げる参拝者たち。だがこの雨も止み、夜外で真夜中まで集会が開かれた。聖アンナ出現の詳細が語られるのを数万の眼がじっと見守る。やがてひとりひとりのロウソクに火が灯されてゆく。
Ste_anne_nuit_2

  咳払いの音ひとつ聞こえず、夜がゆっくりとふけてゆく。この不思議な感覚は、キリスト教徒ではない私があえてたとえるなら、除夜の鐘を聞きながら神社で手を合わせている感覚と相通じるような気がする。そこまで出かけて行かないと味わえない、ピンと張り詰めた、それでいて静かな安らぎがある。いい写真を撮りたいとは思うものの、その場の静寂を無粋なシャッター音でさえぎりたくはなかった。

  翌日の午後、歩いていると急に声をかけられた。Saint Yves聖イヴのパルドン祭に一緒に行ったCécileセシルだった。レンヌの教会から大型バス2台で来ているのだという。その場に共にいられることがうれしくてたまらない。またひとつ忘れられない思い出が増えた。


     パルドン祭情報

  SANCTUAIRE SAINTE-ANNE D'AURAY 公式ページ
  la basilique de Sainte Anne d'Auray で歌われている聖歌の男性コーラスのCDがブレイス語CD大賞を受賞した。その様子はブレイス語大賞 Les Prizioù 2005から。そこから歌が聴ける生ビデオのリンクあり。

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2006.07.28

ブルターニュの三ツ星レストラン La Maison de Bricourt

  今年2月、ブルターニュ、カンカルにあるレストラン、 La Maison de Bricourt ラ・メゾン・ド・ブリクールがMichelinミシュランのLe Guide Rougeル・ギッド・ルージュで三ツ星に昇格した。三ツ星はフランスで26軒だけである。シェフのOlivier Roellingerオリビエ・ローランジェさんは2005年の最優秀シェフに選ばれた実力の持ち主なのだから当然だろう。

26 restaurants trois étoiles, 70établissements deux étoiles et 425 une étoile. Olivier Roellinger, qui avait été nommé dans la catégorie "espoirs" l'an dernier avec le restaurant "Maisons de Bricourt" à Cancale, obtient la consécration cette année.

  このことはミシュラン・ガイド 三ツ星シェフを発表で紹介したとおりである。ブルターニュは海の幸が有名だが、野菜や肉類、バター・チーズなどの食品をフランス、そしてヨーロッパに輸出しているほど豊かな地方なのである。ブルターニュに来て、牡蠣をはじめ、オマール海老や帆立貝、蟹、ラングスティーヌ(手長エビ)などが生きたままで売られていることに驚いた。

  このような素晴らしい食材が料理人たちの想像力を刺激しないはずがない。でも人気のレストランは予約するのも一苦労。数ヶ月前に予約しないと無理なのだ。

La Maison de Bricourt ホームページ 最近更新された。


    <関連情報>

  三ツ星レストラン La Maison de Bricourt 12月に閉店 2008年11月、健康上の理由でレストランの閉店を発表。


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2006.07.24

ブルターニュ関連書籍 その7 バルザス・ブレイス

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    Le Barzaz-Breiz バルザス・ブレイスとはブルターニュに伝わる伝承をまとめたもの。前にもCDを紹介したことがある。(バルザス・ブレイス参照)のこと。日本語の全訳はでていないようだが、図説 ケルト神話物語の第3章に載っている。

  Le Barzaz-BreizがThéodore Hersart de la Villemarquéテオドール・エルサール・ド・ラ・ヴィルマルケによって出版されたときはヨーロッパじゅうで絶賛された。このことは、原 聖さんが<民族起源>の精神史〈第7回〉―ブルターニュとフランス近代―ブルターニュ関連書籍 その6参照)の第6章に書かれているとおりである。

  ここには、ケルト的な伝統がキリスト教にいかに取り入れられたかという説明もある。日本のブルターニュ観光ツアーにも組み込まれている小村Locronanロクロナン(フランスの最も美しい村々にも選ばれている)がケルトの聖地であったという話も盛り込まれている。Locronanロクロナンについては、まだ書いていないので改めて紹介したい。

  しかしながら、一番上のエントリーで書いたようにThéodore Hersart de la Villemarquéが伝承を改変したという疑いが指摘されQuerelle du Barzaz Breizバルザス・ブレイス大論争が巻き起こった。Querelle du Barzaz Breizについて簡単な説明はここにある。この影響で当時の知識人たちはいったん盛り上がったブルターニュに対する興味を失ってしまった。

  このところ、毎週ブルターニュの伝承音楽をつづけて聞くチャンスがあった。ディナン、ポン・ラベ、そしてカレでも。何でもない日常生活を歌ったものが多かったのだが力強いリズムやリフレーンはいつまでも胸に残っている。ブレイス語がわかったらいいのに、どんな内容なのか知りたいと本気で思う。ブルターニュはかみしめるほど味わいが増すからおもしろい。

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2006.07.23

東京FMに出演します

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  ラジオ局TOKYO FM (TFM) 80.0MHzのHonda Sweet Missonに出演することになりました。放送日は7月27日(木)午前8時10分から約10分間。話す内容はもちろんブルターニュのこと。観光やグルメ情報を話す予定です。東京FMをキー局に38局ネット(日本のFM放送では最大)、全国放送だそうですから緊張してしまいそうです。

  パーソナリティはNHKのテレビイタリア語などでおなじみのパンツェッタ・ジローラモさんです。ジローラモさんのユーモアたっぷりのこの放送、大好きでよく見ていました。イタリア語の響きは心地よいですよね。

  朝の忙しい時間帯なので聞けない方が多いと思います。内容はブログHonda Sweet Missonに掲載されるはずですのでこちらもチェックしてくださいね。


    番組でしゃべった情報

  ブルターニュの三ツ星レストラン La Maison de Bricourt

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2006.07.22

Les Frères Morvan モルバン兄弟

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    Les Frères Morvan レ・フレール・モルバン(モルバン兄弟)は、フランス・ブルターニュ地方ではとても有名。アカペラで朗々と民衆に伝わる伝統の歌を歌ってくれる。もちろんブレイス語で。このチェックのシャツとune casquette帽子がトレードマーク。3兄弟なのだがひとりは体調がすぐれないため2人だけがLes Vieilles Charruesにやって来ていた。毎年かかさず来ているそうだ。

  人気者なのでいつも彼らの周りは人が集まっていて笑いが絶えない。以前ナショナル ジオグラフィックのケルト特集で、リンクした欧州の辺境に息づくケルトの心の中の音楽にこめた思い、ケルト人の心で、Les Frères Morvan モルバン兄弟の歌が視聴できることを紹介したが、覚えてくれているだろうか?

  話をしていたら、ふたりが1曲歌を披露してくれた。心をこめてTregarezトゥルガレ(ありがとう)とお礼を言った。思いがけない出会いがあるのも地元ならでは。Johnny Hallyday ジョニー・アリデーのコンサートが終わってもまだ会場内で姿を見かけた。夜更かしは身体に毒ですよ!

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Johnny Hallyday ジョニー・アリデーのコンサート 

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  ブルターニュにJohnny Hallyday ジョニー・アリデーがやってきた。Carhaixカレで7月20日から23日まで開催されているロック系の音楽フェスティバルLes Vieilles Charruesのためである。毎年20万人以上が集まる人気のフェスティバルである。
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  私は数日前からそわそわ。何しろJohnny Hallyday ジョニー・アリデーを生で見られるのだから。でも会場までたどり着くのが大変だった。駐車場にはいる道路は大渋滞。2時間くらいのろのろ運転で足がつりそうになった。車にはクーラーがないので、すでにここでTシャツはぐっしょり。やっと畑の真ん中の巨大駐車場についたので服を着替えた。ここから町まで無料バスがピストン運転しているが、それでもどこも人だらけ。

  会場も広いので友人に教えられた待ち合わせ場所に行くのに大回りをしてそこでさらに1時間くらいが経過。友人は残念ながら一緒に行けなかったのだが、知り合いを紹介してくれた。このような野外コンサートははじめてだったし、5万人以上の人の中でこの夫婦が迎えてくれたときはほっとした。
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  20日は初日なのでコンサートは3組のみ。MAUSS、TÊTES RAIDES、JOHNNY HALLYDAYであった。メインのジョニー・アリデーのコンサートは午後10時から。5万人以上が会場にいた。私がいた場所は舞台から500メートルくらい(もっとかも知れないが)離れた場所。上の写真のように右半分が見えなかったが、野外コンサートなので、舞台の端が見えただけでも大満足だった。写真手前の人たちがこちらを向いているのは、すぐ横に巨大モニターがあるせいだ。

  コンサートはたっぷり2時間。声量もおとろえず、最後まで熱演。巨大スクリーンの演出も素晴らしい出来だった。後日ライブDVDとして発売されるそうだ。観客の年齢層は様々。もう40年以上ファンという人たちから10代の若者までも魅了する大スターである。それだけに警備も大変。チェックも厳重だった。

  このフェスティバルは5万人のボランティアがいて、なりたっているのである。幹線道路には一晩中道案内が立ち、誘導してくれるし、こちらの質問にも「フェスティバルを楽しんで」と一言付け加えてくれる。昨年、会場で消費されたミネラルウオーターは何と200万本だそうだ。暑い時期に開催されるとはいえ、大変な消費量である。

  それから少しの間しゃべって、駐車場までついたのが午前2時すぎ。車が数珠繋ぎだったので、寝袋を取り出して午前4時まで休憩。レンヌに帰宅したのは午前7時だった。少し冷えたので霧がかかり、とてもいい感じだったが、今日は一日中頭がボーとしていた。

    関連記事

  Festival des Vieilles Charrues 公式ホームページ
  ジョニー・アリデー 61歳の決断とその波紋 その1 
  MAUSS 公式ホームページ
  TÊTES RAIDES 公式ホームページ

 

続きを読む "Johnny Hallyday ジョニー・アリデーのコンサート  "

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2006.07.20

ジダンの頭突きがまき起こした波紋

  ワールドカップサッカー最終戦はイタリアの優勝で幕を閉じた。1次リーグ敗退かと心配されたフランスチームが最後まで勝ち残る、フランスにとっては最高のお膳立て。残念ながらスペインにいた私はこの試合を見ていない。車の中で、スペイン語のラジオ放送を聞いていた。途中でジダンが退場と聞いたが、何がどうなっているのか、さっぱりわからなかった。

  あとでこの問題のシーンを見た。 Coup de tête de zidaneこれが試合の実況中継である。

  ジダンはフランスのみならず、世界でも有数の名選手だ。サッカーに対しては厳しいが普段の顔は穏やか。慈善活動にも時間をさいている。優勝決定戦でしかも自らの現役最後の試合で頭突きをして退場したのだから、その原因についていろいろな憶測が流れた。

  ジダンは口をつぐんでいたが、フランスのテレビ放送Canal plusに出演しZidane l'interview - CANALPLUS.FR独占インタビューで心境を淡々と語った。毎試合Merciありがとうと書かれたアンダーシャツを身につけていたこと。「子供たちやファンには自分の行為をあやまりたいが、最後の試合で理由もなくあんなことができるはずがない」と許しがたい挑発の言葉があったことを示唆した。そして「後悔はしていない」とはっきり言い切った

  イタリア代表DFマテラッツィがジダン本人に対して暴言をはいたとしても、きっとジダンはそのまま聞き流しただろう。8年目にようやくつかんだ優勝のチャンス。そして選手としてプレーする最後の試合であることを誰よりもよくわかっているのだから。だがそれは母親や姉妹に対する侮辱であった。ジダンはイタリアでプレーしていたので、イタリア人選手はみんな知っている。「これまでの遺恨が積み重なったものか」という質問に対しては「全くない」と否定している。

7月18日の朝日新聞社説ジダン退場 差別にもレッドカードをを読んだ。

人々はサッカー選手に聖人君子を求めはしない。しかし、肉体と意志を鍛え上げた一流プレーヤーなら、困難な問題に立ち向かい、誤りを正すこともいとわないはずだ。そんな期待は大きい。
 ジダン選手にも注文がある。暴力については反省の言葉を口にしている。ならば、MVPにふさわしいのか、自らに問い直してもらいたい。

  フランス代表DFチュラムは「ピッチ上はまずい。彼も間違いを犯したことは分かっている」と指摘した。試合後にジダンと話したというチュラムは「彼自身、はめられたことを理解している」と述べた。一方でマテラッツィを「彼のような選手は吐き気がする。サッカーのイメージを悪くする」と非難した。AP共同

  W杯ファンを狙うトロイの木馬まであらわれた。CNET News.comによると、2006 FIFA World Cupの公式サイトを装う偽サイトだそうだ。この偽サイトは、ジダン選手が決勝の対イタリア戦で起こした頭突き問題をトップニュースとして扱い、「(頭突きを受けた)マテラッツィ選手はジダン選手に一体何と言ったのか?」と訪問者に疑問を投げかける内容になっている。

  ジダンの行為はほめられたものではない。だが人を傷つけるのは刃物だけではない。誰かの言葉がするどい刃となって消えない傷をつけることも事実である。自分の名声を損ねても守りぬきたかったもの。それは家族だった。この騒ぎで私のジダンへの信頼がかわることはない。

  ここであなたに聞いてみたい。あなたにとって自分より大切なものとは何ですか?

  ちょうどZIDANE : ジダン 神が愛した男Zidane, un portrait du XXIème siècleが日本で公開になった。内容はつづきでどうぞ。


  

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2006.07.18

Fête des Brodeuses 2006 刺繍祭り

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    Pont l'Abbéポン・ラベで行われたFête des Brodeuses 刺繍祭り(音楽とダンスのフェスティバル)に行ってきた。この町のことは先日色鮮やかな刺繍の街、Pont l'Abbéポン・ラベブルターニュのポストカード Carte postaleで紹介したとおりだ。

  フランスはここ数日猛暑に見舞われていて、パレードが行われた16日、日曜日はうだるような暑さだった。私は見物客の邪魔にならないように、アスファルトの上に座って写真を撮っていたのだが、サウナにはいっているような状態。熱中症にかかるかと思ったほどだ。なにしろカメラにさわっただけで火傷しそうなほどだったのだから。

  それなのに、このようなしっかりした仕立ての衣装を身につけて、満面の笑顔で観客にこたえてくれるのだから素晴らしい。パレードのあとは場所を移して野外舞台でダンスや音楽の演奏があった。子供たちでさえ笑顔で踊っているのだからと、そこで1時間ほどがんばったがもうそれが限界だった。夕方になって日陰で34度あったから、日中の気温は40度近かったのではないだろうか。

  それでも片道230キロの距離を行ったかいがあった。Bigoudenビグダン地方の刺繍やコワフは見るだけの価値がある!

  

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2006.07.16

ピカソのゲルニカにこめられた想い

Guernica

  スペイン滞在中に北朝鮮がミサイルを発射したこと、またインドのムンバイで連続爆破テロが起きたことを知った。イスラエル軍はここ数日レバノン全土で空爆を行っている。逃げまどう人々がテレビを埋め尽くし、殺戮が絶え間なく続いている。

  2004年3月にスペインの首都マドリッドでもテロがあった。そのことはマドリッドの悲劇テロの脅威とバスク弾圧に書いたとおりだ。

  このテロがあったのがAtochaアトーチャ駅。最後にマドリットに1泊して早朝にToledeトレドをたずねたのだが、その起点となっている駅である。ここから歩いて数分の場所にあるのがEl Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofía国立ソフィア王妃芸術センターだ。時間がなかったので、ピカソ、ダリ、ミロなどが展示されている2階フロアだけを見学した。

  Pablo Picassoパブロ・ピカソの Guernicaゲルニカ(1937年制作)を一目見て帰りたかったからだ。高校生のころ、この絵がどうして評判なのかよくわからなかった。あまりにデフォルメされた人物像、ろくろ首のように伸びきった首が好きになれなかったからだ。

  だが今はこの絵にこめられた無常観がわかるような気がする。赤い血の色よりも強烈な怒りや悲しみが白と黒のキャンバスから静かに滲み出してくる。ピカソは、パリ万国博のスペイン館を飾る壁画の制作を依頼されていたのだが、主題を決めかねていた。ちょうどその時、祖国スペインにある古都、ゲルニカが壊滅したことを知った。

  当時スペインでは、独裁者フランコの反乱軍と人民戦線との間で内戦が繰り広げられていた。 フランコを支援していたのがドイツのヒトラー。鉱物資源が豊富なバスクにねらいをつけ空爆部隊を差し向けたのだった。市民7000人のうち1654人がわずか数時間で命を落とした。

  このGuernicaゲルニカの下絵がずっと並んでいて詳細なデッサンを重ね構図を変更して壁画を描いた過程がよくわかった。また別の絵の中には"Aux Espagnols morts pour la France 1945-47"「フランスのために命を捧げた多くのスペイン人たち」と大きく書かれていた。この展示の様子はここから見ることができる。

  これまでにパリでそれぞれの作品を見たことがあった。マレにあるMusée National Picassoピカソ美術館、モンマルトルの丘にあるEspace Montmartre Daliダリ美術館、そしてポンピドゥーセンターで開催されたJOAN MIRO La Naissance du Mondeも見学した。それでもスペインのまばゆい日差しの下でこれらの絵画を前にすると、弾むような色が当たり前に感じられるから不思議なものだ。形さえも溶けてしまうようなするどい光がスペインにはある。

  ピカソがGuernicaゲルニカに描いたのと同じ光景がムンバイやレバノンで今も繰り広げられているはずだ。いったい何のために、いつまで続くのか?

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2006.07.14

スペインから帰国しました

Stj_c     やっとレンヌに帰ってきました。予定より半日遅れパリで一泊しました。最後の3日間はひとり旅でした。

  帰国2日前にイベリア航空が前面ストライキを決行。飛行場で寝ている人の映像をテレビで見た時は困ったことになったと思いました。幸いストライキは長引かずにすんだので、帰ってこれましたが、フランス語、英語はほとんど通じず、言葉の壁を感じました。トラブルがあったときはやはり大変です。

  世界遺産St Jacques de compostelle サン・ジャック・ドゥ・コンポステルの写真です。これからディナンの国際ケルティックハープフェスティバルに行きますので続きはまた明日。

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2006.07.04

Saint Maloサン・マロに大型帆船集結

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7月6~9日までSaint Maloサン・マロに世界じゅうの大型帆船がやってくる。The 50th Anniversary of The Tall Ships' Racesが今年はサン・マロからはじまるためだ。その数70隻以上。すごい規模だ! 写真を見ただけでうっとり・・・これも一目見たかった。

  The 50th Anniversary of The Tall Ships' Races 2006 ホームページ
  Sail Train Inginternational

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2006.07.03

Les Tombées de la Nuit レンヌの音楽フェスティバル

Affiche2006
  Les Tombées de la Nuit レンヌの夏の風物詩、音楽フェスティバルがいよいよ明日からはじまる。今年は7月4~9日。町の至るところでコンサートが行われる。毎年大掛かりな舞台が設営され、見るだけでもおもしろい。(たとえばこんなふうに)このコンサートをきっかけに有名になり活躍しているアーチストも多い。

  無料のものも多いので、気軽に出かけよう。ただし、町の中は駐車できない可能性があるので注意。できればメトロかバスで。とはいえ、この時期毎晩たいへんな騒ぎで中心部にいると寝不足になる。ワールドカップサッカーでフランスは勝ち残っているので、次の試合がある5日はいつもにもましてにぎわうことだろう。私はスペインで応援します。

  Les Tombées de la Nuit ホームページ
  今年のプログラム
  昨年の写真

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Jeff de Bruges チョコレート

Choco

  フランスの有名なチョコレートメーカー。Jeff de Brugesのチョコをもらった。このパッケージのこげ茶と淡いブルーの色使い。難しい色を組み合わせているのがフランス風。しかも包み紙は深紅だった。1986年に第1号店ができ、いまでは240店舗もある人気のチョコレートメーカーだ。 海外には23店舗。中近東やアフリカにも進出している。
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  中身のチョコレートも写真のようにとてもおしゃれな形ですぐに食べるのはおしいほど。自分で買うことはめったにないので友達に感謝。それにしてもフランス人は食事のあとでデザートに甘いものをかかさない。男性もデザートが好きだ。チョコレートはフランスの贈り物としてとてもポピュラー。だがコレステロール値が高く食事制限をしている人が案外多いので、少々注意が必要。もらっても食べられないのはつらいだろうから。
  
  Jeff de Bruges ホームページ
  

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2006.07.02

ワールドカップサッカー、フランスがブラジルを圧倒

  フランスチーム、おめでとう!

  ゴールを量産し優勝に1番近いと思われていたブラジル。それにひきかえ、なかなか1勝があげられなくて、「もうフランスの時代は終わった」と期待薄だったフランスチーム。1次リーグを非常に苦しんでやっと勝ち上がったフランスは強敵ブラジルと対戦。今日はこの2チームが熱戦を繰り広げた。

  フランスチームはアンリのシュートで得た1点を守りぬき、ブラジルにゴールを許さなかった。実に素晴らしいゲームだった。これまでフランスが勝っても静かだったが、今日ばかりは喜びが爆発。車はクラクションを鳴らし続け、叫び声がこだまする。誰もが手放しで今日の勝利に酔っている。

  このまま優勝にむけて突っ走れ!

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2006.07.01

アイルランドとスペインのケルト文化圏

Tara
  今年は雪が降る時期にアイルランドに行ってきました。ケルトの聖地、Hill of Taraタラの丘。自分の中で思い描いていた場所とは少々異なりました。

  「百聞は一見に如かず」と言いますが、自分の足でそこに立った感激は忘れがたいものです。そこで別会社のツアーでもう一度行きました。アイルランド旅行記 その2 総まとめ参照。写真のような起伏がたくさんあります。ケルトに興味のない人にはただの草原にしか見えないでしょうが・・・

  その後、レンヌは半CPEのデモで大変な混乱が続き、アイルランド旅行記も中途半端なままになっています。急に今月4日からスペインに住むブルトン人を訪ねることになりました。Madridマドリッドから200キロほど北西のValladolidバラドリッドに住んでいます。マドリッドまで飛行機で行き、それから列車で西部に向かいます。

  スペインにもGaliceガレシアというケルト文化圏があるのですが、そこはさらに北西に行ったところ。ここには世界遺産に選ばれている巡礼地St Jacques des compostelle(スペイン語ではSantiago de Compostela サンチャゴ・デ・コンポステーラ)があります。(ほたて貝参照)。

  気温は35度くらいというので夏ばてしないかと少々心配。何しろブルターニュは最高気温が20~25度くらいなので。しかしこのようなチャンスはもうないかもしれないので、とにかく行ってきます。たぶん現地からもレポートできると思います。

  

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