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2007年1月の記事

2007.01.30

ブレイス語で小切手をつくろう!

Cheque_c
  フランスでは個人口座でも小切手が使用できる。日常生活では小額でも気軽に使えるので、現金はほとんど持ち歩かない。

  私も小切手帳は持っているが、CARTE BLEUカルト・ブルーで支払いをすることが多い。詳しくはフランス銀行事情を参照。
Cheque_cmb

  ここブルターニュではフランス語のほかにブレイス語という言語がある。このブレイス語表示の小切手を持っている人がいたので写真を撮らせてもらった。Le Crédit Mutuel de Bretagneという銀行が発行している。

    左にブレイス語のテレビやラジオのリンクがあるので言語そのものに興味のあるかたはどうぞ。

  追加情報 (2007.02.21)

  ブレイス語で小切手を記入する方法を解説してくれているサイトを発見!Écrire un chèque en Bretonだ。1 euro=1 skoedと書くのだそうだ。このKer Avon( ker21von.com )はブレイス語学習者のために役立つ情報がたくさんのっている。 

  もっと大きな数字を書きたい人はKervarkerを参考に勉強を。例えばこのようになる。10155=dek mil kant pemp ha hanter kant

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2007.01.24

L'abbé Pierre est mort ピエール神父の死

Labbe_pierre

    フランスで長年にわたり有名人好感度ナンバーワン(Le journal du dimancheが実施)だったL'abbé Pierreピエール神父が1月22日にパリの病院、Val-de-Grâce ヴァル・ド・グラスでなくなった。1912年生まれで享年94歳だった。入院したのは今月14日だったが若いころから病弱だったので死を望みつつ生きてきたという。

  "C'EST TOUTE LA FRANCE QUI EST TOUCHÉE AU CŒUR"シラク大統領はすぐに「フランスじゅうが死を悼む」と声明を出した。テレビ、新聞、雑誌も競ってL'abbé Pierreピエール神父の特集を組んでいる。La presse salue le combat de l'Abbé Pierre(TF1)。これほどの有名人をはたしてどれだけの日本人が知っているだろうか?きっとその存在すらほとんど知られていないのではないだろうか。

  10代後半にはすでにアッシジの聖フランシスコが1210年にイタリアのアッシジで創立した聖フランシスコ修道会に強くひかれていたという。そして1931年はカプチン・フランシスコ修道会に入会している。清貧に甘んじ、弱者の立場に立つその生き方をLe Parisienは紙面18ページの大特集をくみ”Le pape des pauvres”「貧者の教皇」と称した。その葬儀は26日金曜日、午前11時にパリのノートルダム寺院で行われる。この国葬はテレビ局France2のインターネット上で生中継される。

  彼の最も知られている活動は1949年にEmmaüsエマウスを創立したことだ。その地道な活動が全国に知られるきっかけとなったのは、1954年の冬だった。パリでアパートから追い払われた女性が路上で凍死した。このニュースを知った彼は、ラジオに出演し”Les amis, au secours”「友よ。助けて!」と国民に向かって支援を呼びかけた。その放送は人々の共感を呼び毛布や食糧、寄付金が集まった。

  Emmaüsエマウスのベースとなっているのは不用品の回収と再販売だ。衣類や雑貨から家電製品に至るまで、一般家庭で不要となった品物を分別・修理してリサイクルするのである。住む家のない人や貧困にあえぐ人たちに仕事を提供し、生きる勇気を与えたのである。現在ではEmmaüsエマウスは1400人の従業員、5000人のボランティアをかかえる巨大な組織になっている。そしてその活動は世界40カ国以上にも及んでいる。

  日本では社会福祉法人暁光会がその活動に賛同して活動を続けている。そして須賀敦子さんの存在も忘れてはいけない。彼女は1973年、練馬区に「エマウスの家」設立し、週に数回寝泊まりしてボランティアたちと行動を共にしたのだ。

  上の写真はavant de partir ...というCD。リンク上でピエール神父の肉声が視聴できる。
  
  France3 L'abbé Pierre テレビで放送されたピエール神父のビデオがまとめられている。特に1954年の映像は必見。

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2007.01.17

Nicolas Sarkozy en Bretagne

Mont_saint_michel

    Nicolas Sarkozy ニコラ・サルコジ氏は1月14日の党大会で大統領候補に選出されました。その翌日ブルターニュに来ていたのです。
  Premier déplacement au Mont St-Michel pour Sarkozy nouvelobs.com

  Mont Saint-Michelモン・サン・ミッシェルの頂上で写真撮影をして、Cancaleカンカルの牡蠣養殖場で非公開の昼食、午後はSaint-Maloサン・マロに立ち寄りスリミ工場を見学しています。1月はほとんど毎日雨が降っているのですが、この日は曇りでした。

  Le Mont-Saint-Michel Une merveille en hiver par Nathalie Chahine,LEXPRESS.fr du 29/12/2006
  モン・サン・ミッシェルの興味深い記事を見つけたのでリンクしておきます。夏場は1日に10000人が訪れ、パリについで国内第2番目の観光地です。12月から2月にかけては観光客もぐっと減るのですが、日本人観光客に特に好まれる景勝地です。その理由を「ここはアジアにもあるような聖なる山だから」と説明しています。

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2007.01.16

新年の記者会見 その2

Ump
  ★Vœux de l’UMP Philippe Rouault, président départemental de l'UMP

    写真は1月8日、レンヌのClub de la Presse ジャーナリストクラブで行われたUMP(Union pour un mouvement populaire・国民運動連合)の新年記者会見である。大統領選挙が4月に行われるのでその意気込みも高まっていて「改革」という言葉を強調していた。

下はUMPの党首で1月14日の党大会において正式に大統領選の公認候補となった(朝日新聞)ニコラ・サルコジ氏の新年の挨拶。字幕つき。

  Les Blogs de la France d'après avec Nicolas Sarkozy et l'UMP こちらからニコラ・サルコジ氏の言動をチェック。ビデオがたくさんあるのでわかりやすい。
 Mjeanlouis_tourenne_1
 
    ★Vœux de Jean-Louis Tourenne Président du Conseil Général d’Ille et Vilaine

  こちらはIlle et Vilaineイル・エ・ビレンヌ県の県議会議長の挨拶。議長は近年多数のジャーナリストが人質にされていることや、昨年世界で81人のジャーナリストが死亡したことに言及した。イラク戦争関連取材で56人がなくなり、次いでメキシコとフィリピンの順だった。この数字は103人が死亡した94年(約半数がルワンダ内戦取材中になくなった)以来最も多い数字である。(データはReporter Sans Frontières参照)。

  レンヌでも初回雇用契約(CPE)に反対するデモ取材時に、若者たちが投げた15センチ角の敷き石やビンのせいで怪我をしたジャーナリストを何人も見た。機動隊員も同じように傷ついていた。私自身最前線に出てずっと写真を撮っていたので催涙ガスを吸い込みすぎて肺が炎症をおこし長い間気分が悪かった。それでも目の前で起きていることを無視して逃げるわけにはいかなかった。はるか昔のことのように感じるが昨年の出来事だった。今年は静かな年でありますように・・・

  Reporter Sans Frontières 国境なき記者団 ホームページ

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2007.01.15

車が売れました

  地方新聞Ouest Franceと、自宅に無料で配られる情報誌Paru Venduに車を売るアナウンスを出していました。内容はこのようなものです。Super 5, 5 portes, 5 cv, essence, 99 000 km, Beige métal., t.b.e., propre, 1987, CT ok, urgent, cause déménagement, 1 300 € à débattre. Particulier,

  20年たった車ですが、ほかのSuper5のアナウンスと比較しても妥当な価格です。Ouest Franceを見た人から何件か電話がありました。ひとりの人に「すぐに欲しいから小切手を用意しておく」と言われ70キロ先の約束の場所まで出向くと「綺麗だけれどハンドルが重すぎる。奥さんが2週間留守なので決められない」と態度が変わったのです。それなら「見るだけ」と言われたほうがましですね。でもこの人はクリスマスに車を盗まれたのだそうですから、それ以上抗議もできませんでした。

  一方のParu Venduはまったく反応なし。最終的にOuest Franceを見た人が車を見にきました。免許をとったばかりだという若者とお父さんが一緒に来て、話し合いの末にお買い上げ。新聞には1300ユーロで提示していましたが、1100ユーロで売りました。「フランス人は絶対言い値で買わないから、少し高くしておいたほうがいい」というアドバイスをもらったので、1300ユーロと出しておいたのです。売れてひと安心です。

  夜友人を2人まねき、飲まずにとっておいたワインをあけました。ラングドック・ルシオンのワインでSkalli スカリ社の「F」という限定もの。1999年、No.8242でした。「F」とは社長のお父さん、Francis Skalli氏にささげるワインなのです。Skalli スカリ社のワイン数種類は日本に輸出されていますが、「F」は本数が少ないので輸出されていません。おしゃべりに夢中になってふと気づけば午前1時半になっていました。

  忙しい中、友人、知人に声をかけていただいたみなさん、どうもありがとうございました。人生で持つべきものは友達ですね。

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2007.01.12

日本で見つけたPont l'Abbéポン・ラベ

Limousine

  おもしろい写真を見つけた。これはまさにブルターニュ、Pont l'Abbéポン・ラベの民族衣装だ。このコワフ(刺繍のかぶりもの)を見間違えるはずはない。Pont l'Abbéポン・ラベで昨年行われたFête des Brodeuses 刺繍祭り(音楽とダンスのフェスティバル)のことはここに書いたので覚えてくれている人も多いだろう。

  東京空港交通株式会社(Airport Transport Service Co.,Ltd.)の時刻表に用いられている。都心から成田空港・羽田空港・東京シティ・エアターミナル(T-CAT)を1日約1,200便運行しているリムジンバス。空港に行くときに利用している人も多いはずだ。

  この写真で見るかぎり、地名を書いていないようだ。どこだろうと疑問に思った人もいるだろうからここで言っておこう。

  これはブルターニュのポン・ラベです。ぜひ刺繍祭りを見に来てください。

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2007.01.07

新年の記者会見

  シラク大統領は1月5日の演説でイラク戦争について、「フランスが恐れ、警告したように、結果の見えない激変をもたらした」と批判した(読売新聞)。Jacques Chirac réaffirme son opposition contre la guerre en Irak(TF1、ビデオ)
  Mherve
  Rennesレンヌでも連日のように新年の挨拶が続いている。いったいどんな様子なのかお見せしよう。
  
  ★Vœux d’Edmond Hervé Maire de Rennes

  Hôtel de Ville市役所内の大広間で1月3日に行われたレンヌ市長の記者会見。注目すべきことは、この1年間でレンヌの選挙権を有する人口が大幅にのびていることだ。1990年からこれまでの推移を比べると、112000~121000人の間でほとんど横ばいだった選挙人が今年度は128521人に増加している。

  このブログでも紹介したように昨年前半のレンヌ中心部は大荒れだった。初回雇用契約(CPE)に反対するデモが全国に広がり、レンヌでは一部が破壊行為におよんだからだ。機動隊の車が大通りをふさぎ、催涙弾で目の前が真っ白になるほどだった。それでもレンヌに転居してきた人が増えたのだから、常に暮らしたい都市の上位に名をつらねているのもうなずける。

Vœux d’Edmond Hervé テキストのダウンロードもできるし、音声も聴ける。
Pref
  ★Vœux de Jean Daubigny Préfet de la région Bretagne et Préfet d' ille-et-Vilaine (ブルターニュ地方のトップ。日本では知事に相当。フランス国内は22の地方に分かれている)。

  こちらはゆったりとした椅子に座り、シャンパンを飲み、カナッペをつまみながらの記者会見。1月5日、会場はPréfecture Martenot県庁。(レンヌ市役所でも記者会見後立食パーティーになった)。私は都合で遅れていったので残念ながら発言の内容は一部しか聞いていない。ブルターニュの農業や中小企業の振興、また若者を中心とする大麻やアルコールの常用が話題となっていた。
Mjean_daubigny
  会見後、個人的に話をした。私が新しく日本語でブルターニュの総合的なサイトをつくりたいと考えていることを伝えると非常に興味を持ってくれた。ここに来た時には知り合いは誰もいなかった。見ず知らずの人たちの優しさにずっと励まされてきた。やっとスタートラインに立ったばかりだが、これからその恩返しをしてゆきたい。今後広報担当者から連絡が来る予定になっている。このようにブルターニュとの縁が続くことをうれしく思う。

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2007.01.02

Meilleurs Souhaits 2007 新年のご挨拶

  2007_rennes

  Bien chers amis,

  Toujours en Bretagne par la pensée, je viens vous souhaiter une bonne année. (Rennes, Hôtel de ville)

    ブルターニュに想いを馳せながら新年のお祝いを申し上げます。( 写真はレンヌ、市役所。クリックすると大きくなります。)
 


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2007.01.01

蒼い聖母ご出現の地 Pontmainポンマン その1

Pontmain

  2006年最後の日。静かに祈りたかった。この世に生を受けたすべての人が命をうばわれることなく寿命をまっとうできますように。互いに殺しあわずにすみますようにと。

  雨が降っていたのだが、どうしても行きたいと考えていた場所、Pontmainポンマンまで出かけた。じつは1ヶ月ほど前にも行こうとした。だが途中のFougèresフジェールで寄り道をしてそのまま帰ってきてしまった。案の定今日もフジェール市内で道がわからなくなったのだが、歩いている人に道を教えてもらい無事たどり着くことができた。まず看板のLouvigné du Désertルービニエ・ドゥ・デゼール方向に進み、Landéanランデアンを右折すればよい。

  美しい田園風景を眺めながら村に近づくとBasilique Notre-Dame de Pontmain の高い尖塔が見えてきた。想像以上に立派である。観光案内所(閉まっていた)の前に車を止める。教会の中から灯りがもれていた。中に足を踏み入れると内部は淡い青色だった。見上げるとステンドグラスがどれも青かった。

  聖母出現の報告は数千例以上あるのだが、カトリック教会が公認している出現例は世界中で10件ほどしかない。その4例がフランスにあり、Rue du Bacバック通り(パリ)、La Saletteラ・サレット、LourdesルルドとここPontmainポンマンなのである。いつどのようにして蒼い聖母があらわれたのだろうか。

   その2につづく

  SANCTUAIRE NOTRE-DAME DE PONTMAIN ホームページ

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