蒼い聖母ご出現の地 Pontmainポンマン その2 普仏戦争

Pontmainポンマンに聖母があらわれたのは、1871年1月17日のことだった。1866年、フランスはオーストリア皇帝の要請を受け、オーストリアとプロシアの戦争に干渉していた。その結果、戦争は短期間で終結し、北ドイツ連邦が成立。ビスマルクが宰相に就任した。
次いで70年にプロシア王家の血をひくレオポルトがスペイン王につこうとするのをフランスのナポレオン3世が反対したことが引き金となって、同年7月、フランスがドイツに宣戦布告する。
だがフランス軍は敗戦を重ね、ナポレオン3世が捕虜となる。そして9月2日にはドイツ軍に降伏したのである。この戦乱で多くの人たちが戦火を逃れ、現在のアルザスやロレーヌ地方から、ブルターニュをはじめとするフランス西部へと逃れてきていた。(私の友人であるギヨームの祖先たちもそのころブルターニュに移住してきたそうだ)。
クリスマスに必ず飾られるクリスマスツリーの起源はアルザス地方。移住をよぎなくされた人々が故郷をなつかしみツリーを飾ったのである。しかし、その風習はフランス国内では人気がなく、それからスカンジナビアやアメリカに広まった。フランス本土で親しまれるようになったのは第一次大戦後、アメリカから持ち込まれたもの。今ではおなじみのクリスマス・ツリーだが、この普仏戦争時の故郷への郷愁がもたらした風習なのである。
つい話がそれてしまったので、ポンマンにもどろう。プロシア軍は、1月12日にLe Mansル・マンに入り、17日にはLavalラヴァル近くまで進軍していた。ラヴァルからポンマンまでわずか50kmしかなかった。
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コメント
こんにちは
トラックバックさせていただきました。
yvesさんのブログに、写真入りで登場していますね。
投稿: Michio | 2007.02.18 04:53
Michioさん。
このところずっとプロバイダーの接続不良で思うようにネットに接続できませんでした。やっとポンマンに戻れます。
投稿: 市絛 三紗 | 2007.02.18 11:02