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2007年5月の記事

2007.05.31

2007 仙台におけるフランス・レンヌ年

Europa2007

  ブルターニュ地方の中心都市Rennesレンヌは仙台市と姉妹都市提携40周年になりました。今年仙台市では記念行事が行われています。

「2007仙台におけるフランス・レンヌ年」はブルターニュ地方、レンヌ市の魅力に焦点を当てながら、併せてフランス全土の魅力にも触れることができるよう、幅広い分野でさまざまな行事を展開していきたいと考えています。 2007仙台におけるフランス・レンヌ年実行委員会事務局

  6月5日には東北大学創立100周年を記念し、在日フランス大使館公使Christophe Penotクリストフ・プノ氏による以下のような無料講演会もありますのでお近くにお住まいの方はご参加ください。ポスターをクリックすると大きくなります。

  東北大学大学院国際文化研究科、公開国際交流プログラム講演会「欧州連合-フランスからの視点」 L'Union Européenne : une perspective française 

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2007.05.29

カマンベールの故郷、フランスの旅プレゼント

  蒲鉾、ちくわ、はんぺんなどの魚肉加工会社、「紀文」がカマンベールの故郷、フランスの旅プレゼントを実施しています。

  日本を代表する「紀文」の練り物、子供のころから大好きなのです。そしてある日口にした「ちくわとチーズ」のコンビネーション、これは驚きの味でした。それからよく買って食べています。

  その紀文「ピーちく」、販売10周年だそうです。カマンベールの故郷、フランス、ノルマンディーへの旅、応募はこちらからどうぞ。

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2007.05.28

大統領の公式写真配布


Sarkozy - Présentation de la photo officielle
Présentation de la photo officielle du nouveaux président de la République Nicolas Sarkozy. Photo qui va trôner dans tous les hauts lieux de la RépubliqueSpacegirl-fr
  Nicolas Sarkozyニコラ・サルコジフランス大統領の公式写真が発表された。エリゼ宮の図書室で撮影されたもの。撮影時間は20分。カメラマンはPhilippe Warrin 44歳である。彼のインタヴューはこちらで。これはフランスの36000のコミューン(市町村の区別はない)、学校、海外のフランス大使館などに飾られる。

  このM6のニュース映像ではこれまでの歴代の大統領の写真と比較している。第五共和政の歴代大統領のうち図書室で撮影したのは4人。サルコジ大統領は三色旗と欧州連合の旗を用いた。ジスカール=デスタン大統領はフランスの国旗と顔のアップという大胆な構図。シラク大統領は庭で両腕を後ろに組んですっかりリラックスした様子でうつっている。

第五共和政の歴代大統領(1958年 - )
1958 - 1969 シャルル・ド・ゴール 図書室
1969 - 1974 ジョルジュ・ポンピドゥー 図書室
1974 - 1981 ヴァレリー・ジスカール=デスタン 三色旗 顔のアップ
1981 - 1995 フランソワ・ミッテラン 図書室 本を手にしている
1995 - 2007 ジャック・シラク エリゼ宮の庭
2007 -    ニコラ・サルコジ 図書室 三色旗と欧州連合の旗


  こちらは肖像写真を専門にとっている写真家Olivier Roller がそのテクニックについて自分の感想をのべている映像。  

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レンヌのクレープリー AR PILLIG

Ar_pillig_mur

  店内に足を踏み入れた瞬間、息をのむ。壁全体に素晴らしい彫刻がほどこされているからだ。おおらかで躍動感あふれる人物像。

    森の木々や植物は圧倒的ボリゥームで見るものに迫ってくる。" AR SEIZ BREUR " (les sept frères7人兄弟)というブルターニュの芸術運動で活躍したJorj Rual, R. Y. Creston,Jean Goronという3人のアーティストの作品。制作は1930年である。貴重なものとして、レンヌの文化遺産に指定されているが、柔らかな飴色の木肌が本当に美しい。
Ar_piling_1

  彫刻の題材はアーサー王伝説にちなむものもあり、それはメニューにも取り入れられている。例えばガレットLa Lancelot du lac 湖の騎士、ランスロは、白ネギ、スモークしたカモ肉、クリームの組み合わせだ。ランスロはブルターニュにあるコンペル城前の湖で妖精ヴィヴィアーヌに育てられた。湖の底には水晶の城があり、そこで成長したのである。

  隣の部屋は趣向が異なり、職業を示すモチーフが彫られている。右の写真はその一部。4枚とも下部にブルターニュの象徴hermineエルミン(おこじょ)があしらわれている。右上の中央はかなづち、下は絵筆だろうかと、職人たちの働く姿を想像しながら眺めてみる。

Ar_pillig

  このような逸話ぬきでも、この店のガレットはおいしい。レンヌに数多くあるクレープリーの中でもベスト3にはいるだろう。写真のガレットはL'Auvernate オーヴェルニュ(フランス中央部の地域名)という品。暖かいヤギのチーズ、クルミ、中央はリンゴの薄切りだ。小鉢にはいっているハチミツを全体にかけて食べる。ハチミツの甘さとクルミの食感が絶妙。値段はサラダがついて9.2ユーロだ。

*AR PILLIG*
10, rue d’Argentré
35000 RENNES
Tél : 02 99 79 53 89

  LES SEIZ BREUR Art national breton et art totalitaire 第一次大戦と第二次大戦の間におきたブルターニュの芸術運動
  Patrimoine Ar Pilig années 1930


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2007.05.24

ラッコたちを死においやったタンカー座礁

  1989年3月23日、アメリカのExxonエクソン社(現在はExxon Mobil Corporation)の自社タンカーExxon Valdezエクソン・バルディス号がアラスカ沖約20マイルの海域で座礁。11の貨物油タンクのうち8タンクと5のバラストタンクのうち3タンクが損傷を受けた。

  この結果、積載していた原油約20万トンのうち約4万トンが船外に流れ出した。まずはじめに事故後の写真(google photo)を見てほしい。真っ黒なオイルに覆われて死を待つだけの鳥や海獣たち。そして今話題の「手つなぎラッコ」と同じようにしっかりと手をとりあって泳いでいるラッコの写真(Daily News file photo)がある。握った互いの手は命の絆。いきなり広がった黒い油膜になすすべもなくおびえるしかないのだから。

  1400隻の船、85機のヘリコプターと1100人の作業員が懸命の作業を開始した。海鳥やラッコ、アザラシなどの海獣を救い、海岸に打ち上げられた油の塊を除去するのだ。ニュースを知りボランティアも応援にかけつける。それでも約2400キロに及ぶ海岸線が汚染されたのである。作業は容易ではない。ニシンや鮭などの魚が打ち上げられ、鳥たちが空から落ちてくる。そして海獣も次々と息絶えてゆく。

  Exxon Valdezのこの事故は米国沿岸では過去に例をみないほどの環境汚染をもたらした。統計資料がないので正確にはわからないが、40万羽の鳥たち、ラッコは6000頭が死亡したと推測されている。

  この事故を教訓として、1990年2月、国際海事機関(IMO)総会で「油による汚染に関わる準備、対応及び協力に関する国際条約」(OPRC条約)が採択された。
 

  ① 自国の船舶への油汚染緊急計画の備え付けの義務
 ② 自国の船舶による油の排出及び汚染の通報手続き
 ③ 油汚染報告を受けた際の措置
 ④ 油汚染に対する準備及び対応のための国家システム構築のための緊急時計画の策定
 ⑤ 油汚染対応における国際協力
 ⑥ 研究開発・技術協力   
 環境用語解説(広島商船高等専門学校) 

  また1992年には海洋汚染防止条約(MARPOL)が改正され、ダブル・ハル(二重船殻構造)が義務づけられた。この情報はエネルギー輸送に欠かせない大型タンカーに載っている。 JOGMEC NEWS 2006 09
  
    事故から年月がたって海はいったいどうなったのだろう。共同通信に「環境汚染、予想以上の規模 89年米原油流出事故後」という記事があった。2003.12.19

 1989年に米アラスカ沖で起きたタンカー、エクソン・バルディズ号の座礁による原油漏れ事故で、生態系への悪影響は、これまで考えられてきたよりもはるかに大きく長期間にわたるとの分析を、米ノースカロライナ大などの研究グループが19日付の米科学誌サイエンスに発表した。  グループのチャールズ・ピーターソン博士は「原油に含まれる有害成分は、ごく微量で魚の生息などに 悪影響を及ぼすことも分かった。新たな環境基準を設定し、原油の流出防止対策を強化する必要がある」 と指摘している。  グループは、大きな被害を受けたアラスカ北部海岸で行った調査に、他の研究機関や政府の研究結果を 加え、事故の影響を評価した。  この海域では事故直後に2800匹のラッコが死に、2000年になっても個体数に回復の兆候がない ことが判明。カモなどの海鳥の死ぬ率も長期間にわたって高い状態が続いていた。(共同通信)

  そのほか日本語で読める記事をいくつか載せておく。ぜひ目をとおしてほしい。
 エクソン・バルディーズ号事故から15年、今なお続く偽りの歴史~グリーンピース、エクソンモービル社に要請書を提出~
 エクソン・バルディーズ号事件
 CYAO's notebook : true stories
 石油メジャー「エクソン」ボイコットキャンペーンを開始=憂慮する科学者同盟はじめ12団体

  このような悲しい事故は世界のあちこちで頻繁におきている。それらをまとめたブログがある。知床・油汚染海鳥漂着問題だ。日本野鳥の会オホーツク支部の人が書いているが、まとめて読むと、こんなにあるんだと改めて考えさせられる。海に囲まれている日本。エクソン・バルディス号の事故は決して他人事ではないことを心に刻んでおこう。


    ラッコに関するリンク

 ラッコ ってこ んな 生き物 なんで す!! 情報がよくまとまっている 悲しい歴史
 北海道デジタル図鑑 100の物語 アザラシ・トド・ラッコの区別をわかりやすく解説 写真が美しい
 日本ラッコ協会 Japan SeaOtter Association 
 らっこ!らっ こ!ラッコ! ラッコのいる日本の水族館リスト有り
 ラッコの道標 鳥羽水族館のラッコ飼育記

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2007.05.22

ラッコとタンカー座礁

Nifty_blog
  愛くるしい「手つなぎラッコ」の映像が話題となっています。そんなラッコ効果がこのブログにも波及しています。アクセス解析によるとwww.nifty.comから訪れている人がたくさんいるのです。「Niftyのトップページからなぜ?」と不思議に思ってたどってみました。

  すると「いま話題のブログ- エディターが毎日3回更新 -」の5位にランクされています。どうもありがとうございます。でも「ラッコかわいい」で終わってもいいのでしょうか。ラッコの映像の下にもうひとつのニュース映像をリンクしてあります。Otters holding hands - CBC News

  「手つなぎラッコ」の映像は640万回のアクセスがありますが、同じ作者がつくったこのニュース映像ビデオは11000人しか見ていません。その最後に出てくるタンカー事故のことが頭にひっかかって今調べています。なぜならブルターニュでも1999年12月12日に、マルタ籍のタンカー、エリカ号が座礁し大変な被害をもたらしたからです。ラッコたちに多大な被害を与えたエクソン・バルディス号の事故のついて次に書きます。ぜひこちらも読んでください。


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2007.05.21

手つなぎラッコ、全世界からアクセス集中


  タンカーの原油流出事故で保護されたラッコたち。バンクーバー水族館の映像です。事故後自然には帰せなかったのでしょうか。ラッコには潮に流されてしまわないようもともと手をつなぐ習性があるそうです。水族館では迷子になることもないのですが、手をつないでいると安心するのでしょうね。

  Otters holding hands - CBC News 上のビデオ、2週間で157万人が見ていたことがテレビで放映されています。89年に油にまみれて保護されたときのニュース映像もあります。

「手つなぎラッコ」の動画、2ヶ月で604万アクセス 2007年05月21日

「手」(前脚)をつないで水面を漂っている愛らしいラッコのカップルを撮影したビデオがインターネット上に掲載され、2カ月で累計約604万回のアクセスを獲得する人気を博している。カップルを飼育するカナダの水族館も、絶滅危惧種に指定されているラッコの保護に向けた啓発になると大歓迎だ。

 一躍スターになったのは、カナダ・バンクーバーにあるバンクーバー水族館で飼われている17歳のメスのニアクと7歳のオスのミロ。ニアクは、1989年にアラスカで起きた超大型タンカーの原油流出事故に巻き込まれて保護された環境問題の「生き証人」だ。

     追加情報 2007.05.22

  昨日私が見たとき、612万アクセスだったのですが、さっき確認してみると、6427410になっていました。たった1日で30万アクセスです。おそらく新聞を見て日本からアクセスしたものでしょう。私も5回見てしまいました!

  しかし、なぜラッコたちが油にまみれて救出されたのでしょう。ラッコたちを死においやったタンカー座礁にExxon Valdezエクソン・バルディス号座礁のもたらした環境破壊について書きました。もっとラッコのことを一緒に考えましょう。

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2007.05.20

ブルターニュの蒼い空

Ciel




  「いつも雨が降っているんですか」と聞かれることが多いが、春から夏にかけてあまり雨は降らない。おべんとうを持って海辺を目指す。

  蒼い空が海に溶け込んでいる。雲が流れてゆくのをただ見つめる。鳥になって空を舞いたいと思いながら。

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2007.05.19

スキポール空港で洋服を透過する新型スキャナー導入 

Rayon
    フランスで健康診断をする場合、一般医以外にレントゲン技師をたずねX線写真を撮影する。そしてできあがったものを自分で持って一般医に見せる。そこで異常がなければ、X線写真は用済み。病院では保管せず、個人が自宅に持ち帰るのだ。日本に帰国する際に捨てるかどうか迷った末に、ダンボールにつめて送った。使い道などないが、いつか身体に異変が起きたらこの写真と見比べてみることにしよう。

  さて、このようなX線写真はどうでもいいが、医者でもない他人にいちいち身体の内部まで覗き見られるとしたらどうだろう。そんなことが今や現実の話になった。セキュリティー強化のため、アムステルダムのスキポール空港が今月15日に導入した新型スキャナーだ。確かにこれなら拳銃やナイフを隠すことはできない。すでにテロ対策で数年前からこのようなシステムは開発されていた。(下のリンク参照)

  骨折などで体内に金属を埋め込んでいる場合もある。「ここにボルトがありますが、取り出してください」なんて言われても無理な話だ。いまや液体の持ち込みも制限されている。「アメリカへ行く場合は専用の鍵付きスーツケースにするか、鍵を開いたままにする」と友人。そうしないと鍵をこじ開けるので壊れてしまうという。これでは大切なものは入れられない。

  私は今年になってパソコンにメモリーを追加したのだが、それが原因で4月にフランスのシャルルドゴール空港でチェックされた。手荷物の検査官が私のパソコン内部の追加したメモリーを指さして「普通はひとつしかない。これはあやしい」と別の検査官に話している。そして靴も脱いでベルトもはずすよう指示された。次いで搭乗券をうばわれその場で待たされた。幸いにもそれだけで済んだが、ひとりだけ止められるといい気はしない。

  スキポール空港ではこの映像の解析は他人の目にふれないよう別室で行われ、顔にはボカシがかけられるそうだ。今のところ新型スキャナーは2台だけだが、近日中に15台が導入される。旅行客はこの新型スキャナーと旧式検査装置のどちらかを選択する自由があるらしい。きっとそのうちすべて新型になってしまうのだろう・・・本当にこれがテロ抑止に効果があるのだろうか。

 Amsterdam airport deploys body-scanning machines Reuters May 15, 2007
 Airport Screeners Could Get X-Rated X-Ray Views the New York Times May 24, 2005
 The Rapiscan Secure 1000 透過スキャナー
 3-D Body Holographic Scanner
 Nude X-ray photos at airport security?
 First - your luggage - now you are next - Total recall? Body Scanners

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2007.05.18

Le Parloir Café パルロワ・カフェ

Le_parloir_cafe

    秋篠川沿いに植えられている桜の木が影絵のようにゆらいでいた。窓を開けると世界遺産、薬師寺が借景として見える。ここは古都奈良の西の宮。Le Parloir Café パルロワ・カフェの店内。ブルターニュで知り合った友人がオーナーだ。

  奈良には小学生のころ行っただけ。これといった理由はないのだが、それから足を運んだことがなかった。久しぶりに友人に会いたくて奈良まで行ったのだが、詩情あふれる古都がすっかり気にいった。自転車を借りて薬師寺、唐招提寺、平城京跡を巡った。店に戻り右の写真、ブルーベリースムージーで咽喉をうるおす。甘さはひかえめでブルーベリーがたっぷりはいっている。
Photo

  定休日には友人と霊剣を祭神とする石上神宮、日本最古の神社のひとつ大神神社、源氏物語にも登場する長谷寺へドライブ。途中で食べた三輪そうめんがおいしかった。膝に少し不安があるので東大寺の大仏、興福寺の阿修羅像などをのんびりと見学。

  ほんの数日ではあるが、雑念を追い払い手をあわせると心が軽くなったようだ。東大寺、二月堂から見た夕焼けと長谷寺が印象に残った。柿の葉寿司も堪能しておみやげには奈良漬をたっぷり。今度は紅葉のころに再訪したいものだ。

  
*Le Parloir Café*
奈良市六条町106-6
TEL/FAX:0742-33-5336
Open : 10:00~18:00(土日祝~19:00)
Close: 毎週火曜日 第3水曜日

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サルコジ氏、仏大統領就任

  シラク大統領は2期12年の任期を終了。5月16日サルコジ氏に核ボタンのコード番号などの国家機密を引き継ぎ、エリゼ宮から去っていった。「ブルドーザー」の異名を持つバイタリティーがここ数年影をひそめ、静かな交代劇だった。

  そして「祝祭の間」でドブレ憲法評議会議長から大統領選結果の報告を受けて就任式が行われた。フランス第5共和国第6代大統領、及びアンドラ公国の共同元首になったわけだ。その場にはCeciliaセシリア夫人、前妻との息子二人PierreピエールとJeanジャン、夫人の娘たちJeanne-Marieジャンヌ・マリーとJudithジュディス、そして息子のLouisルイも出席した。

  下のビデオはサルコジ氏の登場を待つ生中継の映像。最初にでてくるのが4人の子供達。最後のほうにイタリアのブランド、プラダの洋服を身につけたセシリア夫人と息子ルイの映像あり。


Investiture de Nicolas Sarkozy à la presidence française
Aperçu de l'arrivée de Nicolas Sarkozy à l'Elysée pour son investiture à la présidence française , après le départ de Jacques Chirac. SergentSharp

  サルコジ大統領(Nicolas Paul Stéphane Sarközy de Nagy-Bocsa ニコラ・ポール・ステファン・サルコジ・ド・ナジ=ボクサ)はこれからシラク前大統領に代わり、エリゼ宮に暮らすわけだ。その内部には映画館まであるとは知らなかった。

ファッション店が軒を連ねるフォブール・デュ・サントノレ通りに建つ大統領官邸は、部屋数365を誇り、約1000人の使用人が大統領の世話にあたる。18世紀に建てられたエリゼ宮には、ルイ15世様式の家具とゴブラン織りのタペストリーで飾り立てられた複数の応接間、映画室、「4つ星レストラン級」ともいえる厨房と数千本の極上ワインを蔵するワインセラーがある。宮殿の庭では毎年、7月14日の革命記念日には大統領主催のパーティーが開催される。宮殿時代の「エリゼ宮」の名称は、シャンゼリゼ通りと同様に、ギリシャ神話の英雄が死後に住む安住の地、「Elysian」にちなんでつけられたものだ。 Les Cahiers Blancs

    ところでLa Principauté d’Andorreアンドラ公国とはどういう国だろうか。それはフランスとスペインに挟まれたピレネー山中の小さな独立国だ(平均標高1997m)。

8世紀、シャルルマーニュがピレネー山中においたウルヘル伯領を起源とする。のちにウルヘル伯より宗主権を獲得したウルヘル司教と、司教から条件付きで領主とされたフォワ伯爵家との間に争いが起き、調停案として1278年、両者を対等の共同統治者とする宗主契約が結ばれた。その後、フォワ伯の権限はのちのフランス王室となるブルボン家に帰し、王政廃止後はフランス大統領がこれを引き継いだ。1993年、アンドラは新憲法を制定、ウルヘル司教とフランス大統領を共同元首とする議会制民主主義を敷き、正式に独立国家となった。同年7月、国連に加盟。 Wikipedia

  就任式の写真はLes Cahiers Blancsでどうぞ。レジオン・ドヌール勲章に興味をいだいたサルコジ大統領の息子ルイが勲章に触れようとしているのを見て、あわてている兄の表情がおもしろい。

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2007.05.17

シラク大統領、最後のテレビ演説


Chirac Dernière intervention
La dernière intervention radio-télévisée de Jacques Chirac, président de la République (1995-2007), le mardi 15 mai 2007lefigaro

  シラク大統領は在職最終日、15日夜にテレビ演説を行った。国民に自分の言葉で語りかけるこのフランス式演説、多くの人がテレビの前で見つめている。une nation, c'est une famille.「国家とはひとつの家族だ」と語りかける。インタビューよりも自然に心の中に響くように感じる。フランスの団結をうながしサルコジ氏の成功を祈る、この演説、続きの全文を見ながらどうぞ。

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2007.05.10

春に咲く花

La_renoncule

  フランスの春。市場には色あざやかな花が並んでいる。上の写真はLa renoncule ラナンキュラスだ。私の大好きな花のひとつ。下はLa tulipeチューリップ。種類が豊富で見ているだけでも心が軽やかになる。

Tulipe

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2007.05.08

新大統領決定の夜

  シャンゼリゼ通りのレストランからコンコルド広場に向かう車列を警察の護衛とメディアのオートバイが数十台追走する。「こんな映像は久しぶり」と生中継していたテレビ局France2のコメンテーターもつぶやく。上空からの映像は迫力があった。オートバイの呼びかけに答えて窓を開き応答するNicolas Sarkozy ニコラ・サルコジ氏。そして車を降りて特設ステージに向かう。支援者がお祝いを言うために駆け寄り大変な混雑となっている。

  やっと彼がステージに姿をあらわす。その時コメンテーターの声が上ずった。「セシリアさんですよ。今朝はいなかったのに・・・」。Cécilia Sarkozyセシリア・サルコジとはニコラ・サルコジ氏の奥さんだ。その後ろにはセシリアさんの娘2人(前夫の子供)がいた。 "Mes chers amis, ce soir, c'est la victoire de la France"「友よ。これはフランスの勝利だ」と群集の前で胸をはる夫。ときおりその肩を抱くようなしぐさをみせるセシリア夫人。

  "Je ne vous trahirai pas, je ne vous mentirai pas, je ne vous décevrai pas"「私はあなたたちを裏切らない。うそをつかない。失望させない」という言葉に集まった3万人からひときわ大きな歓声が上がり、拍手が鳴りやまない。サルコジ氏の挨拶に感極まったのか涙ぐむCécilia セシリアさん。二人は再婚どうしで10歳になる息子がひとりいる。サルコジ氏にも前の奥さんとの間に2人の息子がいるが、セシリア夫人は政治活動も裏方としてささえてきた。マスコミにも2人で旅行するところを公開して仲のよさもイメージアップに利用していた。

  ところが、2005年春、スイスのLe MatinやベルギーのLa Libre Belgiqueといったメディアが彼女のスキャンダルをすっぱぬいた。そして数ヵ月後フランスでもParis Matchがセシリアさんと恋人の写真を公表した。相手の男性はRichard Attiasリシャール・アティアス氏。Publicis Eventsという広告会社の社長だ。セシリア夫人はこのとき8歳だった息子を置いてサルコジ氏との愛の巣を飛び出し、リシャール・アティアス氏の元に行ってしまった。この一大事でサルコジ氏はテレビ出演をドタキャンしてしまったほどうろたえていた。サルコジ氏の数々の不倫に耐えかねて出ていったとも報道された。

  その後サルコジ氏とヨットに乗っているセシリア夫人の姿も目撃されているのだが、大統領選挙のさなかにも彼女の姿はなかった。別の恋人ができたという噂もあった。それでも大統領選挙の第一回投票日にはサルコジ氏は奥さんと2人の娘を連れて投票所にやってきた。だがその後またしてもセシリア夫人はいなくなってしまった。

  これまで政治家のプライベートには口を閉ざしてきたフランスのメディアも、4月にはいってようやく重い口を開き、"Monsieur Sarkozy, des rumeurs font état du départ de votre épouse du domicile conjugal. Que pouvez-vous nous en dire ?"「サルコジさん。あなたの奥さんが家を出ていったと噂されています。あなたはどう説明するのでしょう」とおずおずと問いかけた。だがその答えは返ってこなかった。

  そして、夫が大統領に当選したその場に突然ご登場となったわけだ。壇上で流した涙にはいったいどんな意味があったのだろう?恥をかかせた夫に最後の奉仕をしたのか。それとも愛人と別れてもとのさやにおさまるのだろうか。テレビ局のコメンテーターもこれまでの経過からどうにも判断できなかったようで、奥さんについてはいっさいしゃべらなかった。最初のひとこと以外は。

  «Paris Match», Cécilia et les rumeurs Libération  20 avril 2007
  La question qui gêne: «Où est donc passée Cécilia Sarkozy»?
 Le Matin Dimanche 28 avril 2007

  ELECTRIC NEWSにはWhoever wins,No first lady for France「どちらが勝っても、フランスにファーストレディはいない」という記事がある。最後にサルコジ氏は"If I am elected, my wife will play a role."「もし私が選ばれたら、妻はその役目をはたすだろう」とあるが、はたしてそううまくいくだろうか。

    そして昨日、大統領がバカンスに出かけたことを書いたが、その行き先はマルタ島であることがバレてしまった。セシリア夫人と10歳になった息子ルイと一緒にプライベートジェットでバカンスだ。トップ・シ-クレットだったのにThe Times of Maltaがヨットに乗ったことをCelebrating Sarkozy sets sail from Maltaと報道したからだ。

  A peine élu, Sarkozy part en «retraite»
 Libération  8 mai 2007

  ここまで読んでくれた人たちはきっと驚かれただろう。フランスではこのカップルの話題はタブーだった。それでもやはりファーストレディがいないというのは不自然。しかも法的には妻がいるのに姿がないのはたいていのことは許されるフランスでも異常な事態だ。そんな状況での大統領就任だったのである。いくらセシリア夫人がずぶとい神経を持っていても、ファーストレディとして5年間の任期を終えることができるだろうか。前途多難・・・ ふたりのスナップ写真はこちらで。

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2007.05.07

サルコジ氏のバカンス

  新大統領に選ばれたサルコジ氏。コンコルド広場で勝利を祝い、その後支持してくれた若い世代をねぎらうため3軒のBoîte de nuit ナイトクラブをはしごしたらしい。そのコンコルド広場からわずか数キロのBastilleバスチーユ広場では若者たちが「サルコジ、ファシスト!」と叫び、共和国機動隊とにらみあっていた。

    そのほか、フランスの各地でも小競り合いがあった。日本のテレビでは「暴動が起こっている」と表現しているが、以下のような都市部では決して目新しいことではない。 

Toulouse トゥルーズ 2500人
Bordeaux ボルドー 2000人
Lyonリヨン 500人
Rennes レンヌ  300人
Nantes ナント 600人
Brest ブレスト 50人

  若者を中心とした小グループがゴミ箱を投げる、火をつける、商店のガラスを割る、車に放火、火炎瓶を投げる、といった行動をおこした。機動隊が追いかけると逃げて場所を移動する。そしてまた空き瓶や石畳の石をはがして投げる。

  一方の機動隊は放水を行ったり、催涙ガス弾を発射する。双方にけが人もでているが、マスコミはこれらの出来事をau jeu du chat et de la souris 「猫とネズミの追いかけっこ」と呼んでいる。例としてRennesレンヌの昨晩の写真をみてほしい。午前3時くらいまでこの騒ぎは続いたようだ。

  名指しで非難されたサルコジ次期大統領はというと数日間の静養で雲隠れ。これくらいの騒動をいちいち気にしていてはフランスの大統領はつとまらない。側近は「たぶんコルシカ島あたりにいるのでは。ゆっくり考える時間が必要」と言うが、これも日本では考えられないことだ。

  日本のマスコミはサルコジ氏がはやくもバカンスを取っていることをどこも報道していないと思うが「休むときは休む」というのがいかにもフランス流だ。

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フランスの新大統領決定


Déclaration Nicolas Sarkozy
Declaration Nicolas Sarkozy PeteRock

  午前3時半、目がさめたのでパソコンを立ち上げた。フランスは午後8時30分。だがすでに新大統領が決定していた。フランスはNicolas Sarkozy ニコラ・サルコジ氏を選んだ。

   テレビ局France2の生中継がパソコン上で見られるので、地球の裏側にいるということを忘れてしまいそうだ。午後9時、コンコルド広場に向かう途中でシャンゼリゼで車を下り、レストランで友人たちと夕食を食べているようだ。

  その間にTF1でNicolas Sarkozy ニコラ・サルコジ氏の勝利インタビューSarkozy : "Je serai le président de tous les Français"を見た。フランスを愛しているのだという心情がひしひしと伝わってきた。本人はパリ生まれのフランス人であるが、父親がハンガリー人移民、母親はスファラディ系ユダヤ人であることから偏見もあった。Ségolène Royalセゴレーヌ・ロワイヤル女史のようにUltra français ウルトラ・フランセ(数代前からの生粋のフランス人)ではないからだ。

  個人的な感想では前回2002年の大統領選挙第一回投票、そして2005年に行われた欧州憲法批准の是非を問う国民投票結果に本当に驚いた。フランスはどこへ向かっているのかと考えざるをえなかった。昨年もレンヌで催涙弾を吸い込みつつ、若者達の反応にとまどいを感じた。内相としての政策に賛成しかねることもあったが、今回もし選挙権があったら、Nicolas Sarkozy ニコラ・サルコジ氏に1票をいれただろう。

  ロワイヤル女史の公約である35時間労働や社会・福祉政策を充実させることは理想だが、それをつらぬくのは無理があると日々の生活の中で感じていたからだ。高い投票率や接戦だった選挙結果は現代フランスの苦悩を象徴しているように思う。

  コンコルド広場ではすでに音楽が演奏されているが、まもなく新大統領誕生セレモニーがはじまる。その感想はまたあとで述べたい。同時にパリのバスチーユ広場ではアンチ・サルコジのデモも行われているようだ。

続きを読む "フランスの新大統領決定"

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2007.05.05

Ségolène Royalセゴレーヌ・ロワイヤル女史、ブルターニュで最後のお願い

  明日、フランスに新しい大統領が誕生する。世論調査ではサルコジ氏の予想得票率は53~54%で、テレビ討論後も大きな変化はない。
  
  2月20日、最初の遊説先はBretagneブルターニュのRennesレンヌだったSégolène Royalセゴレーヌ・ロワイヤル女史。(Ségolène Royal à Rennes セゴレーヌ・ロワイヤル女史、レンヌに来るを参照)。地方での最後のお願いもブルターニュで締めくくった。第一回投票でもフランス西部で票がのびているからだ。

  先日少しだけ日本とフランスの選挙のやり方が異なると書いた。選挙カーで手を振り続け、街頭に立ちマイクで演説するというような光景はない。5月4日はまずLorientロリアンで集会、ついでBrestブレストにあるArmor Lux(マリンTシャツで有名。Quimperカンペール以外にも工場があるとは知らなかった!)の工場を訪ね、町の中心部で集会を開き、夜は討論を行った。

  一方のNicolas Sarkozy ニコラ・サルコジ氏はフランス東部、Haute-Savoieオート・サボワ地方にいた。標高1500mのLe plateau des Glièresグリエール高原は1944年3月にドイツ軍に抵抗して149人の命が失われた土地だ。記念碑に献花し、レジスタンスと自らの戦いを重ね合わせ”Pour moi, il n'y avait pas de plus beau symbole.”「自分にとってはこれ以上すばらしい象徴はなかった」、また「もし大統領に選ばれたら、毎年訪ねる」と述べている。

  その後チーズや牛のカウベル生産者などを訪問。Petit-Bornand市役所前で支持者に挨拶をして、レストランでチーズフォンデューの試食とこちらも和やかな雰囲気だ。すでにフランスの海外県では投票がはじまっているが、予想どおりの結果となるか、逆転劇がおこるのか。他の候補者の動きを簡単に述べておく。

  第1回投票で3位だった中道・フランス民主連合のFrançois Bayrouフランソワ・バイルー氏は3日、「ロワイヤル女史は討論で善戦した。サルコジ氏には投票しない」と発言。同4位だったJean-Marie Le Penジャン=マリー・ルペン氏は支持者たちに「サルコジにもロワイヤルにも投票するな。棄権しよう」と呼びかけている。

   Royal en Bretagne, terre de conquête Ouest France 05 05 07
   Sarkozy en Savoie, terre de résistance  Ouest France 05 05 07
  Elu, Sarkozy irait chaque année en Haute-Savoie en hommage à la Résistance AFP 04 05 07

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2007.05.04

Claude Monetクロード・モネ回顧展 その1

Maison_monet

  今年オープンした国立新美術館(東京・六本木)でClaude Monetクロード・モネ(1840-1926)回顧展が始まっている。リンクしようとしたら、公式ページがココログだった!

  「大回顧展モネ 印象派の巨匠、その遺産」と題された回顧展では、モネの作品約100点に加えて、モネに影響を受けた画家らの作品も展示されている。これはパリのMusée d'Orsayオルセー美術館との共同企画で実現した。19世紀後半の西欧における「ジャポニスム」に焦点が当てられている。

  浮世絵の熱心な収集家だったモネは、「空間の単純化」に取り組むきっかけを日本から与えられたと語っている。Givernyジベルニーにあるモネの家(上の写真)には壁全体に北斎、広重、歌麿などが飾られている。モネはここで晩年をすごし、亡くなってからその村の教会裏に葬むられた。この家も荒れ放題だったのを80年代にはいってから修復したのである。

  今でこそ印象派の画家たちの作品はどれも高額で取引されているが、世間に認められるまでは貧乏暮らしだった。特にモネはひどかった。「赤貧洗うがごとしの前借り生活」を送っていたのだ。この表現は鹿島茂さんの「文学は別解で行こう」から拝借したもの。

  「実家からの仕送りも遺産もなかった」モネは、子供が生まれたばかりだったので友人のマネや知人に前借をしていたのだ。それにしても「赤貧洗うがごとし」とはなんとも苦しい。回顧展が賑わっている様子を天国のモネは苦笑いしながら眺めているかもしれない。


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2007.05.03

大統領選挙 テレビ討論

  いよいよ大詰めとなってきた大統領選挙。フランスでは5月2日夜、Nicolas Sarkozy ニコラ・サルコジ、Ségolène Royalセゴレーヌ・ロワイヤル両氏がテレビで討論を行った。

  この様子は国営放送France2と民放最大手TF1で同時生中継された。2時間の予定が40分延長されるほどだった。フランス国内では成人人口の5割を超える約2000万人がテレビを見たとされ、関心の高さがうかがわれる。

  このふたりのやり取りをビデオで見ていたが、途中でサルコジ氏が「マダム、マダム、マダム・・・」とくり返し呼びかけるのを無視してしゃべり続けるロワイヤル女史を「したたかだなあ」と思った。フランスでは子供のころから古代ローマの伝統を受け継ぐArt oratoire弁論術をたたきこまれる。相手が最後まで文章を言い終わらないうちに反論をはじめるのである。

  支持率ではニコラ・サルコジ氏がわずかにリードを保っているので、ロワイヤル女史は「ねじ伏せる」ほどの勢いでたたみかける。サルコジ氏は意識的に相手の挑発にのらず控えめに発言したらしい。有権者の目にはどう映ったのか。その判断は5月6日に下される。

  France2 Sarkozy-Royal: débat courtois, mais mordant Voir la vidéoをクリックするとビデオがはじまる。

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2007.05.02

まだまだ続く大掃除

  昨年秋からずっと大掃除をしているような気がする。まずは日本の家を大掃除。自分でトラックを運転し、ゴミを処分場に持ち込んで家中を燻蒸。これは緊急入院した家族がいないすきをねらって抜き打ちの作業だった。それからフランスに戻りアパートの大掃除をした。毎日ダンボールと格闘の日々を過ごし、持って帰れないものをすべて処分。どうしても捨てられない本だけは詰め込んで送った。

  それらが日本に届いた。必要最小限にしたつもりでも500キロの荷物をどこかに入れるというのは大変なことだ。毎日脚立の上に登り、そこに現在あるものを整理して荷物の上げ下ろしをしている。ダンボール10個分はなんとかメドがたったが、残りのものはどこに置こうか。

  今日の買い物は「鉄N差込ダボ棚受 4.7x7mm」20個入りを2袋。ホームセンターを3件まわってやっと探しだした。昨日本棚の高さを調節しようとしたらダボが錆付いていて簡単には外れない。これをペンチで取り外すのに疲労困憊。おかげで今日は筋肉痛になった。

  ひそかな楽しみは日本語の本を読みながら寝ること。今手にしているのは鹿島茂さんの「明日は舞踏会」とジェフリー・アーチャー氏の「百万ドルをとり返せ!」。どちらもずっと前に読んだので内容を忘れている。

  しばしの間、虚構の世界に逃避行しているわけだ。そんなわけで今年のゴールデンウイークは大掃除三昧で終わりそうだ。

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