エルミンを抱いた貴婦人
LEONARD DE VINCI
La dama con l'ermellino (1488-90).
この作品はレオナルド・ダ・ヴィンチが描いたCecilia Galleraniチェチーリア・ガッレラーニの肖像画だ。15から17才くらいであったと考えられている。日本語では「白貂を抱いた貴婦人」と訳されることが多いがこれはフランス語ではLa Dame à l'Hermine、まさしくエルミン(オコジョ)なのである。
チェチーリアが10才になったころイタリアのミラノ公、Ludovic Sforza ロドヴィーコ・スフォルツァ(通称 il Moroイル・モーロ)と婚約が整う。だが、ミラノ公はフェラーラ公エルコレ1世の次女ベアトリーチェと結婚。その後もチェチーリアは愛妾として同じ宮殿内に暮らしていた。一方レオナルド・ダ・ヴィンチは84年からロドヴィーコの元で働いていた。有名な「最後の晩餐」はミラノのサンタマリア・デレ・グラツィエ教会に描かれたものだ。
ではいったいなぜ、エルミン(オコジョ)を抱いているのだろう。エルミンは純潔の象徴だったこと、そしてロドヴィーコの紋章だったというのが理由だ。加えて彼女の姓Galleraniに関する語呂合わせだったのではと推測されている。エルミンはギリシャ語でgalayだからだ。ただし評論家のなかには「オコジョじゃなくてフェレットだよ」という人もいるそうだが・・・
さて「ミラノとブルターニュ、関係ないのに」という声が聞こえそうだが話はこれからだ。ロドヴィーコは2度にわたりフランス王と戦い没落してしまう。その王とはLe roi de France Charles VIII シャルル8世と Louis XIIルイ12世だ。ブルターニュ公妃でありフランス王妃となったAnne de Bretagne アンヌ・ド・ブルターニュのふたりの夫だ。
ルイ12世はレオナルド・ダ・ヴィンチの評判を聞き、仕事を依頼したこともある。アンヌも夫から話を聞いていたはずだ。やがて運命に導かれるようにレオナルド・ダ・ヴィンチはフランスで人生最後の日々を送る。住まいとなったLe Clos LucéにはOratoire d’Anne de Bretagne アンヌ・ド・ブルターニュの礼拝堂があった。アンヌはアンボワーズ城の喧噪から逃れるようにこの礼拝堂で過ごすことが多かったのだ。
ダ・ヴィンチがやって来たとき、アンヌはもう亡くなっていたが、礼拝堂に刻まれたエルミンのモチーフは今でも残っている。
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