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2008年1月の記事

2008.01.31

電気自動車 Blue Car ネット販売へ

Bluecar

    この車はもうすぐフランスで登場する電気自動車です。AFPBBnewsをチェックしていて最新の写真を見つけました。第75回ジュネーブ・モーターショー(75th International Motor Show 2005年3月)で注目を集めたBlue Car、12月から発売される予定です。この車の金属リチウムポリマーバッテリーはブルターニュのQuimper カンペールで製造されています。

    Blue Carについては2006年に電気自動車に注目、バッテリー容量が拡充でその計画を紹介しました。ちょっと裏話をさせてもらうと、これを書くのにフランス語の資料を100ページ以上読みました。そして聞いたこともないような専門用語をどう訳したらいいのか苦労しました。でもたくさんの資料を読んだだけに、とても親近感を抱いています。

  丸いドアはほかの車にないデザインなので路上を走っていればすぐにわかります。室内も非常に広く機能的に設計されているので実用的です。ぜひブルターニュで乗ってみたいですね。

  Batscap ブルターニュのバッテリー工場

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2008.01.28

ボーヌの最後の審判 その5

Beaune_cuisine

  これだけの施設を運営するには多額の経費がかかる。Nicolas Rolin ニコラ・ロランはまず、塩田からの収入を積立てて経費をねん出しようとした。この塩田は妻の実家であったサラン家が所有していたもので、ブルゴーニュ公国の重要な産業だった。

  加えて、自分が所有していたブドウ畑を施療院に寄付し運営費の一部とした。この施療院があるボーヌの周辺は、ブルゴーニュワインの産地がひしめいている。施療院の評判が高まるにつけ寄付されるブドウ畑も増加する。そして今では60ヘクタールのブドウ畑を持っている。Hospices de Beaune オスピス・ド・ボーヌの名前を持つワインはその品質でも高い評価を得ている。

  このボーヌで毎年11月に開催されるワインのイベントはLes Trois Glorieuses 栄光の三日間と呼ばれている。初日はConfrérie des Chevaliers du Tastevin ブルゴーニュ利き酒騎士団 の入団式と晩餐会。2日目にオスピス・ド・ボーヌのVente aux enchères des Hospices de Beaune チャリティー・オークション。3日目がLa Paulée de Meursault ムルソーで収穫を祝う昼食会だ。

  昨年2007年のチャリティー・オークションは冷夏にもかかわらず前年より27,10 %上昇し4,291 millions d’euros(約70億円)の高値がついた。特に赤ワインは38 %の伸びを示した。(フランス語の新聞記事を続きにはりつけておく)。この収益金はHospices Civils de Beaune ボーヌ施療院の運営のほか、Programme "personnes âgées" de la Fondation de France 高齢者基金やl'Unicef France ユニセフ・フランスへの寄付にあてられる。

  写真はボーヌ施療院の厨房。20世紀初頭の厨房を再現したものだ。蛇口の先が白鳥の首になっていて非常に優雅。あくまでも最高のものを目指した創始者Nicolas Rolin ニコラ・ロランの意志はこのボーヌに生き続けている。
  

 Hospices Civils de Beaune 公式ホームページ
 ボーヌで死ぬということ―「中世の秋」の一風景 著者は私が敬愛するフランス文学者である。その知識の豊富さは言うまでもないが、読む度に魂が揺さぶられるのだ。「限りなく与えつくし、忍耐をもってすべて受け忍ぶ、犠牲の精神」私のような凡人にはとうてい到達できない境地だが、どう生きるかを考えさせられる名著である。ぜひ一読を! 
    
オスピス・ド・ボーヌ
2005年のワインを購入する
      
オスピス・ド・ボーヌ
2004年のワインを購入する
 
 

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2008.01.26

ルイ16世 追悼ミサ

Louis16_stdenis

  1月21日は215年前にギロチンの露と消えたフランス国王Louis XVI ルイ16世の命日だった。処刑場所は革命広場(現在のコンコルド広場)だった。遺体は近くの墓地に埋葬された。そして1815年1月19日掘り起こされBasilique de Saint-Denis サン・ドニ大聖堂に移された。

    当時墓地だった場所は「ルイ16世広場」という小さな公園になっていて、Chapelle expiatoire 贖罪礼拝堂が建っている。日本人観光客で賑わっているギャルリー・ラファイエットやプランタンからすぐ側にあるのだが、実際に行ったことのある人は少ないだろう。

  私ははじめよく調べずに行ったものだから中に入れなかった。というのも開いているのは木、金、土の午後1~5時だけ。そこでいったんブルターニュに戻り、また日程を調整して出かけることになった。(片道2時間半かかるので再訪したのは半年後だったが)。それでも内部を見学していると後から数組やってきたから、忘れ去られているわけではないようだ。Louis16

  さて上の写真はサン・ドニ大聖堂で数年前に行われたルイ16世追悼ミサの様子。出席した日本人は私だけだった。ミサの後で地下のクリプトにあるルイ16世と王妃マリー・アントワネットの墓の前でお祈りをした。今年もフランス各地で追悼ミサが行われている。

  右の写真はサン・ドニ大聖堂にある王と王妃の像である。ここには歴代の王が埋葬されている。しかしフランス革命後王たちの遺体は棺から取り出されて、大きな穴に投げ込まれてしまったので誰のものであるか判別できない。

  今年の1月21日。日本では大雪が降った。ルイ16世が処刑された時もきっと寒かったのだろうと考えた。

  

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2008.01.23

サロン・デュ・ショコラ 東京で開催

   パリで毎年開催されているチョコレート見本市”Salon du Chocolat PARIS ”だが、2007年に集まった専門店は16カ国、140店舗。Porte de Versailles ポルト・ド・ベルサイユという1,400㎡の会場いっぱいに甘い香りがただよった。その甘い闘いはNHKでも特集されていた。
Salonchocolat_logo

  その興奮が今週日本に上陸する。1月23~28日まで「ショコラを愉しむ」をテーマに伊勢丹新宿店で開催される「サロン・デュ・ショコラ」だ。日本では6回目となる2008年は世界13カ国、55ブランドが参加。有名なショコラティエ30名が来場する。M.O.F.(Meilleur Ouvrier de France フランス国家最高職人)を持つパトリック・ロジェ氏もゲストとして来日する。

  ショコラティエやパティシエによるセミナーやデモンストレーションが連日開かれるというから楽しみ。またショコラをモチーフとした子供服はどれも非常にユニーク。どの作品も夢がある。我がブルターニュのHENRI LE ROUX アンリ・ルルー氏のショコラもあるのでお見逃しなく!

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2008.01.21

フランスのテレビ広告禁止に?

  2週間前にサルコジ大統領は突然「国営テレビで広告を全面廃止を検討する」と述べた。そして民放局の広告収入、またテレビ受信が可能なネット接続、携帯電話などに追加課税を行う構想を明らかにした。国営テレビの広告収入が民放大手のTF1とM6に入るだろうとの予想からこれらの株価が上昇している。日本とは異なり、タバコやアルコールのテレビ広告はないのだが、全面禁止とは思い切ったものだ。

 

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2008.01.18

仏石油大手Totalなどに1億9200万ユーロ損害賠償金の支払い命令

    フランスでひとつの裁判に約300億円という巨額の損害賠償命令がくだった。環境汚染により有罪判決が下された初めてのケースだった。ブルターニュの沖合いで起きたタンカーErika エリカの座礁事故の裁判だ。その概要は下記のとおりだ。

1999年12月12日フランスの重油輸送タンカー、エリカ号が、フランスのブルターニュ沖80マイルのところで、イタリアのリボルノに向かう途中座礁した。最終的に流出した油の量は1~2万トンに及ぶと推定されており、沿岸部約400キロが影響を受けたとされている。また多くの鳥も被害を受けており、2000年1月11日当時で3万8千羽に及ぶとされた。エリカ号の船齢は24年に達しており、腐食や維持管理上の問題などに責任があると指摘された。この事故を契機に油濁補償基金の限度額の改定や検査の基準などの改定が行われた。EICネット

  原告は環境保護団体、漁業従事者、地元の組合やホテル経営者など101人。損害賠償金の支払いを命じられたのは、Total トタル、沈没したタンカーの船主および管理責任者、RINA (イタリア船級協会)であった。乗組員26人は全員救助されたものの環境に与えたダメージは大きく、400キロの海岸線が汚染され15万羽をこす海鳥が死んだ。


     参考資料

  Total Erika フランスのHP内にその経過がまとめられている。
    400 km de littoral sous le mazout de l'Erilka plusnews.fr
  野生動物救護獣医師協会から日本人獣医が現地に派遣された。
  環境汚染により有罪判決 Les Cahiers Blancsより
  ラッコたちを死においやったタンカー座礁 Exxon Valdezエクソン・バルディス号座礁とその後について。

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2008.01.16

フランスやドイツがテロの標的に

  フランスはイスラム過激派による同国でのテロ計画に関する情報をつかみ、厳戒態勢を敷いたと数日前に報道があった。スペインや英国でのテロを考えると、どこでテロが起きても不思議ではない。警戒の厳しい英国より、欧州のほかの国をねらうほうが確立は高いだろう。今年にはいって新たなテロ計画が浮上。欧州各国は警戒を強めている。

メッセージは米ネット監視機関が5日に発見。「サルコジ(政権)を崩壊させよ」と呼びかけ、攻撃対象として空港やパリ近郊のラ・デファンス地区などもあげているという。仏国土監視局(DST)はテロ警戒を強化し、エッフェル塔への攻撃の会話についても分析を急いでいる。asahi.com

ドイツの政府機関を標的にしたテロ計画がこのほど発覚し、治安当局が捜査を始めた。エリザベス英女王を狙ったテロが未然に阻止されていたこともわかった。独英のメディアが報じた。仏大統領らを狙ったテロ予告もインターネット上で流れ、欧州各国はテロへの警戒を強めている。asahi.com

  あらかじめテロを予想するのは困難だ。まさかというようなテロが実際にスペインや英国でも起きてしまった。ただの懸念であればいいのだが・・・

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2008.01.15

Salon d'Hermine 新しくなりました

  今年にはいってからコツコツ作っていたホームページSalon d'Hermineのリニューアルがいちおう終わりました。こう言うと大変なようですが、そんな大げさなものではなく数ページを新しくつくっただけです・・・トップページにはフラッシュをつけてみました。これは結構気に入っています。

前にファビコンをつくったサイトを忘れてしまったのでここで新しく作り直しました。写真をアップロードするだけ。簡単にできました。

  これからブルターニュのホームページをつくる練習にどういうことができるのかいろいろ試みています。デザインはきれいなのですがこのソフトではこまかい設定ができないので、ブルターニュの情報を網羅した総合ホームページには向かないのではと悩んでいます。どうぞ皆さん率直に感想を聞かせてください。

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2008.01.14

フランス語のアニメ


  Youtubeのアニメ。フランス語ですが英語の字幕がついています。日本語しかわからなくても内容は理解できますのでご安心を。

  地球の未来を描いたものでちょっと寂しいです。8分ほどありますので時間のあるときに見てください。

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2008.01.12

ブログパーツ 写真編

  これまでflickrというブログパーツを貼ってあったのですが、更新できていないのではずしたところ、もとにもどしてほしいというメールがありました。そこで少しだけ最近の写真をアップロードしたのですが、自動で更新してくれるブログパーツはないものかと探してみました。

  ココログのブログパーツを検索してみると写真のスライドショーがありました。blogparts gardenです。最近のものしか表示されていないので、PIXIEを使ってみました。

  でもXPでは表示されません。Vista(NEC LaVie LL550/HG)を立ち上げ、このページを表示させようとするとフリーズしてしまいました。いつものようにTmProxy.exeがエラー。CPUの使用率がすぐに100%になってしまい、再起動しないとインターネットにつながりません。

  作業がはかどらないので、メモリーを1GBから2GBに増やしたのですが、あまり効果がないのです。そこでパソコン内部に内蔵されているソフトやデータをかたっぱしから削除しています。それなのに自分のblogさえも見られないとはひどすぎるじゃありませんか。

  いったいどうしたらいいのでしょう。そんなわけで、今でも03年に購入した東芝Dynabookのお世話になっています。PIXIEは結局見ることができないのですが、これでは取り外すしかないでしょうね。


       追加

  結局flickrだけ残して、ブログパーツは削除しました。NECのパソコンはさらにソフトを削除。ウイルスバスターを2008にバージョンアップしました。少し軽くなったようですが、データをバックアップしてもっとソフトを削除しようと思います。

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2008.01.11

フランス癒しの旅 はじまります

Golog_1
  
  このBlogは@Niftyのココログを利用して書いています。@Niftyには語ろ具(ごろぐ)というサービスもあります。こちらで「フランス癒しの旅」を連載させていただくことになりました。第1回目はユネスコの世界遺産に登録されているブルゴーニュ地方、ヴェズレーのサント・マドレーヌ大聖堂です。

    今週、弘法大師の足跡をたどり高野山と京都の東寺をたずねてきました。東西をとわず神仏の前では身が引き締まる思いがします。今年はじっくりと心を見つめてゆくつもりです。「フランス癒しの旅」でご一緒にバーチャルトラベルを楽しんでくださいね。

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2008.01.07

ボーヌの最後の審判 その4

Beaune_n

  上の写真は「最後の審判」の裏側である。左側の男性がNicolas Rolin ニコラ・ロラン、祈祷台の反対側にいるのは妻のGuigone de Salins ギゴーヌ・ド・サランである。ふたりは施療院完成後も貧しき兄弟たちを救いたいと、その運営に心血をそそいだ。

  さて5世紀以上の歳月の中で、これまでどれくらいの人々がこの「最後の審判」を眺めてきたことだろう。命の炎がつきようとするその間際に、どんな思いで見つめていたのだろうか。純白の衣装をまとった大天使サン・ミッシェル(聖ミカエル)の下げる天秤の上で天国行きか地獄行きかの審判をあおぐ裸の男。

  現世でいくら金持ちであろうと、地位が高かろうと、あの世では全く関係ない。試されるのは魂だ。誰も貧者になろうと生まれてきたわけではない。精一杯生き抜いてその結果つつましい生活を余儀無くされただけだ。大天使の頭上でキリストがそう言っているようだった。

  私はこのとき07年になくなったL'abbé Pierre ピエール神父のことを考えていた。その葬儀で多くの人が「私の父親」と慕い涙にくれていたその光景を。生涯清貧に甘んじ、弱者のために戦い続けたただの神父を、マスコミは”Le pape des pauvres”「貧者の教皇」と称しその生き様を賞賛した。

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2008.01.06

Voyage en Bretagne

写真のスライドショーを作ってみました。Belle Ile ベル・イルに上陸するところです。

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2008.01.05

ボーヌの最後の審判 その3

Polyptyque

  創設者はNicolas Rolin ニコラ・ロラン、1443年当時ブルゴーニュ公国の宰相だった。頭脳明晰でブルゴーニュ公Philippe le Bon フィリップ・ル・ボンの片腕として巨額の財をなしていたのだが、神への信仰をこの施療院建設という形として示したのである。

  度重なる戦争や伝染病の流行で領土は荒れていた。まるで乞食同様の暮らしをしている住民がほとんどだった。ニコラ・ロランの志をくみ、ブルゴーニュ公は税金の控除ばかりでなく、自己の所有する森から木、公の石切り場から石材を切り出し使用する許可を与えた。

  貧者にただ食料を与え、治療をほどこすだけなら、納屋のような建物でこと足りる。ところがこの建物はその存在そのものが一流の職人達によって生み出されたゴシック様式の芸術品だ。その内部の細工も手がこんでいる。そして、忘れてはならない祭壇画「最後の審判」が礼拝堂の壁にかかげられていた。Rogier van der Weyden ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの作と伝えられる傑作だ。(写真をクリックすると大きくなる)。

  今では一般に公開されているのでいつでも見ることができるが、15世紀の病人たちが「最後の審判」を目にできるのは、祝日と死のまぎわにかぎられていた。

  薄暗い特別室に保管されている「最後の審判」の前には人だかりがしていた。私も長年思いえがいていた祭壇画の前についに立つことができた。係員が特別製の特大ルーぺをリモコンで動かして説明をしてくれる。じっと30分くらい見つめていると、団体客がいなくなって私ひとりだけになった。

  その4につづく  その1にもどる

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2008.01.04

レンヌのカウントダウン スライドショー

  毎年恒例のRennes レンヌ大晦日のイベント。今年はいったいどのようなものだったのでしょうか。そう思って探したらスライドショーがありました。

Dans une ambiance conviviale, le public était convié lundi 31 décembre Place de la Mairie pour découvrir un Hôtel de Ville illuminé de toutes les couleurs. Rennes fêtait l'arrivée de la nouvelle année.

  Ville de Rennesの中にリンクがあります。Festvivités du 31 décembreをクリックしてください。

  それから2006年からはじまったHôtel de Ville 市役所の光のショーですが、こちらのイメージビデオを見つけました。Extrait de la scénographie d'images de l'Hôtel de Ville par la société Spectaculaires pour les fêtes de fin d'année.短いものですが音楽もはいっていて雰囲気がわかります。

La place de la Mairie a pris des couleurs et des accents d'Italie : d'Odorico, auquel le spectacle rend hommage, aux airs d'opéras italiens, qui complètent l'animation, on pourrait se croire de l'autre côté des Alpes ... à quelques degrés centigrades près. Les passants s'arrêtent, essuient une furtiva lacrimosa. C'est beau, et ça finit le 31 décembre : dépêchez-vous d'y aller !

  2007年のテーマはイタリアだったそうです。こちらもスライドショーがありました。Petit air d'italie place de la Mairieをクリックしてください。

  それではゆっくりお楽しみください。

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2008.01.02

Bonne Année 2008

2008_n

    Bonne Année 2008 
  新春おめでとうございます。

    年のはじめにみなさん何をされましたか。私は海辺をジョギングしました。家から数百メートルで海なんです。いつもは釣りをしている人たちがいるのですが正月の朝7時半にはさすがに誰もいませんでした。

  昨年の8月にジョギングをはじめ、最初は毎日走っていましたが最近は週2回くらいになりました。たぶん5キロくらいは走っていると思います。何をするにも体力が必要ですから、やめずに続けたいです。

  さて今年の写真は12月はじめに撮った樹氷です。クリックすると大きくなります。今年はどんな風景と出会うことができるのか楽しみです。

  

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