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2008年10月の記事

2008.10.31

サルコジ大統領、一喜一憂

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  数日前、サルコジ大統領、ブードゥーの呪いで御難続き?に書いた内容のその後の動きをお伝えしたい。

  1)Nicolas Sarkozy : Le manuel vaudou ニコラ・サルコジ:ブードゥーマニュアル販売中止を求めていた大統領。パリの大審裁判所は「表現の自由とユーモアの権利」を認める判断を下した。これでまだまだ国民に針をさされるわけだ。

  2)大統領のもつ銀行口座の情報を盗み出し、携帯電話の契約に使用していた3人が逮捕された。これは携帯電話会社の社員のしわざだった。案外早くつかまってよかったが、大統領の父親と1番目の奥さんも同様の被害にあっていたことも判明した。

  3)私生活をみだりに暴露したとして、「プライバシー侵害や文書偽造などの罪」でYves Bertrand イブ・ベルトラン氏を告訴したが、この問題は日本にもかかわる大きな広がりを見せている。というのも、イブ・ベルトラン氏はシラク前大統領の命を受けてサルコジ氏の調査をしていたのではないかと推測されるからだ。

  ここにきてシラク前大統領が日本の「東京相和銀行(現東京スター銀行)に隠し口座を持っていた」という疑惑が再びうかびあがってきた。記者失踪事件がからんでいるだけに捜査はこれからも続きそうだ。詳しい情報は下のリンクからどうぞ。

  シラク前仏大統領、ピンチ 「秘密口座」疑惑再び(毎日新聞 2008年10月25日)
  東京相和銀行(Wikipedia)
  Affaire du compte japonais de Jacques Chirac(Wikipedia,fr)


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ダウジングロッドを作ってみました

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  世界・ふしぎ発見!「イギリス・ストーンヘンジ 巨石文明の知られざる事実」を数か月前に見てから、欲しいと思っていたのがダウジングロッドです。番組で謎の巨石建造物ストーンヘンジにミステリーハンターの竹内 海南江さんが近づいてゆきます。すると手に持っていたダウジングロッドがくるくると回りはじめたのです。その体験を彼女はこう語っています。

今回はいくつかのストーンサークルを取材しました。そしてそれぞれのストーンサークルでダウジングをしたんです。ダウジングとは、L字型の器具を使ったエネルギー感知法です。水道局の人が水道管を探すときに使ったりもするそうです(笑)。短い方を軽く握り、平行に持って歩いて、何らかのエネルギーがある場所にくると、開いたり左右に動いたりします。取材したストーンサークルでダウジングをすると、中心の重要なポイントにくると左と右が逆方向に回転したんです。私も何度かダウジングをしましたが、今回のようなケースは初めてです。「石が地面から生えているみたいでした」しかもどのストーンサークルでも同じ反応でした。それがどんなエネルギーなのか、何を意味するのかはわかりませんがとてもふしぎな体験でした。それとこれは私が感じたことなのですが、サークルの中心にいくと体が温かくなって、けっこう風が強く寒かったのですが、寒さを感じないほどでした。スタッフは「何で?」と全く何も感じなかったようですから、私はストーンサークルと相性がいいのかもしれませんね(笑)。

  私はこのダウジングロッドを携えて、ブルターニュのCarnac カルナックとかLagatjar ラガジャールLa Roche-aux-Fées 妖精の岩などでどのような反応があるか試してみたいのです。

  それで購入したいと思いました。でもダウジングロッドは2-3万円もするのです。たまたま知り合いに話すと、地質調査するのに針金を折り曲げて水脈を探すのだと教えてくれました。針金とストローで作っている人がいたので、家にあった針金とストローを材料にして自分でもやってみました。それが上の写真です。直角に曲げるのは案外難しいです。あまりにいじると針金がゆがんでしまいますから。

  振り子式のペンデュラム・ダウジングは貴金属や石油の探索に用いたり遺失物を見つけるなどいろいろな使い方をされているようです。中世には、ダウジングは悪魔と結び付く悪いイメージを植え付けられたそうです。それだけ効果があったということでしょうか。

  数日前から書類を探していたのですがどこを探しても見つからず途方にくれていたので、さっそくダウジングロッドを使ってみました。書類を思い浮かべて意識を集中します。すると針金が動き始めました。指し示したと思われる場所を探しましたが何もありません。それで部屋を移動し再挑戦。押入れの中に入っていた小箱の中に書類がありました。ただの偶然かもしれませんが、やっと見つかってよかったです。今度は野外で試してみようと思います。


      < 関連エントリー >

ダウジングロッドで磁場を体感 実際にブルターニュでダウジングしてみました。

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2008.10.30

Sœur Emmanuelle スール・エマニュエル 99歳で昇天

  「愛は永遠。死よりも強いのです」と話すこの女性。Sœur Emmanuelle スール(シスター)・エマニュエルさんです。10月20日、99歳で亡くなりました。前日まで普段どおりの生活を送り、夜のうちに旅立たれたそうです。その葬儀は10月22日の午後、パリのノートル・ダム大聖堂で執り行われ、テレビ局、France2が生放送しました。Notre-Dame : l'hommage à Soeur Emmanuelleで20本のビデオを見ることができます。

  フランス政府はSœur Emmanuelleにレジオン・ドヌール勲章3等(2002年)、今年1月31日、レジョン・ドヌール勲章2等を授与しました。 そして11月16日、100歳の誕生日に向けて特別番組が企画されサルコジ大統領と会う予定だったので、それを前にインタビューを受けていました。上のFrance2の特集ページから、亡くなるわずか5日前のビデオを見ることができます。

  いったいなぜ、ひとりの老女がこれだけ注目されているのでしょうか。それは彼女のあだ名 « petite sœur des pauvres »「貧しきものたちのスール(シスター)」に集約されています。その人生を簡単にまとめてみました。

Sœur Emmanuelle スール・エマニュエル(本名:Madeleine Cinquin マドレーヌ・サンカン)

*1908年11月16日、ブリュッセル(ベルギー)生まれ。幸せな幼年時代。

*6歳、海水浴中に父親が溺死。

*23-62歳。シオンの聖母修道会に入信。トルコ、チュニジア、エジプトで文学や哲学を教えつつ、慈善活動をする。

*63-85歳、カイロ郊外のスラムの悲惨さに衝撃をうけそこに住みつく。孤児を収容する施設や学校、無料診療所をつくる。

*72歳、l'association Asmae-association Soeur Emmanuelle(Asmae)を創立。エジプト、スーダン、レバノン、フィリピン、インド、ブルキナファソに活動を広げる。

*85歳でフランスに帰国。ホームレスや発展途上国への支援を続けた。

続きを読む "Sœur Emmanuelle スール・エマニュエル 99歳で昇天"

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2008.10.28

サルコジ大統領、ブードゥーの呪いで御難続き?

  サルコジ大統領が目くじらを立てれば立てるほど売れているのが上の商品、Nicolas Sarkozy : Le manuel vaudou ニコラ・サルコジ:ブードゥーマニュアルだ。56ページの解説書とサルコジ大統領の似顔絵が描かれた人形、そして呪いをかけるための針12本が入って12.95ユーロ(Amazon.fr)。今月9日に発売されたとたん話題を集めた。

  先週Les Cahiers Blancsにはたして止められるだろうか?と書いたのだが、それからあっという間にAmazon.frで売上1位と爆発的に売れているのだ。大統領が「肖像権侵害」を理由に23日、パリ大審裁判所に発売禁止を求め提訴したことが報道されるとそんなに大統領を怒らせた内容みたさに売上が急増、火に油をそそぐ結果になったのだ。

  同時に発売されたSégolène Royal : Le manuel vaudou セゴネール・ロワイヤル女史のブードゥー人形も売上4位だ。こちらはジョークとして事態の収拾を静観している。

  大統領の話題はこれだけではない。先月9日に発売された雑誌le pointに、内相時代のサルコジ氏の失脚を狙ったとされる疑惑に対する捜査で押収された中央総合情報局(RG)の元局長、Yves Bertrand イブ・ベルトラン氏の日記されたことに対しプライバシー侵害、中傷、文書偽造などで16日に告訴

  またその数日前、本人名義の銀行預金が何者かに引き出され、盗難届を出していたことも発覚。被害額はpetites sommes 少額らしいが、大統領の与えた精神的ショックは大きいだろう。これで、もう災難は終わりか、それともまだまだ続くのか。

     参考データ

  K&B:Le manuel vaudouを発売した出版社
    Votre voix s'est perdue dans les urnes ? Essayez la magie noire... 「あなたの1票は投票箱の中で無駄になったのか?黒魔術を試してみよう。」
    本の紹介とメディアの反応
  サルコジ、元情報機関の長の次はヴードゥー人形を告訴!! Rue89Japon


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2008.10.24

Les alignements mégalithiques de Lagatjar ラガジャールの列石

Lagatjar

  行く先も決めず一人で出かけたきままなブルターニュのドライブ。Brest ブレストとQuimper カンペールの中間にあるPresqu'île de Crozon クロゾン半島です。Crozon クロゾンの教会(ユニークなものがありました)前にあるカフェで一休みしてさらに西へ進みます。もう夕暮れになっていましたので、Camaret-sur-Mer カマレ・シュール・メールの中心部には行かず海岸線へ。
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  すると突然、目をうたがうような光景に出くわしました。東西・南北にたくさんの石が、数百mの長さで直線状に整列しています。まるでCarnac カルナックのように。あちらは観光客があまりに多いので保護フェンスで囲われて近寄ることはできません(冬場はフェンスの内側を歩くことができます)が、ここは人々の住む家のすぐ横にあります。

  ブルターニュには巨石が点在していますが、Carnac カルナック以外でこれほどまとまって並んでいる場所に行き合わせたのははじめてでした。でも誰かが人工的に並べたことは一目瞭然です。目をこらして見渡すと遠くのほうに案内板らしきものがあります。近寄って読んでみました。

  Les alignements mégalithiques de Lagatjar 「ラガジャールの列石」というそうです。紀元前3000年ごろ作られたものだと推定されています。それだけ古くからこのあたりには人間が住んでいたのです。1776年には約600あったメンヒルですが、1883年に歴史遺産に登録されるころには100あまりに減少、今残っているの80ほどです。

  ただの草原なので車を道端に止め、歩いてそっと石に触れてみました。どんな人たちがここを通ったのでしょうか。海を行き交う帆船からこの石を眺めた人もいたことでしょう。Camaret-sur-Mer カマレ・シュール・メールにはブルターニュの世界遺産 Tour Dorée 黄金の塔があります。

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NHK テレビ テレビでフランス語 ブルターニュの音楽

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  ブルターニュの音楽は口承で伝えられてきた。はるかに遠い血の記憶に刻み込まれたものだから、誰もがなつかしく感じるのだろう。上の写真は本場ブルターニュのFest-noz フェスト・ノーズの様子。このときは4時間くらいの間に5~10くらいのグループが演奏した。

  NHK テレビ テレビでフランス語、10月23日放送では6月に慶應義塾大学日吉キャンパスで行われた"熱狂の日"@日吉キャンパス -多文化・多民族共生の祝祭-Festoù-noz フェストゥ・ノーズ(ブレイス語、Fest-nozの複数形)のビデオが流れていた。音楽を聴きながら、ダンスの輪ができる。

  来日したアーティスト、Bugel Koarビュゲル・クワールは男女2人のユニットだ。そのインタビューはNHK テレビでフランス語 2008年 10月号に載っている。

  ブルターニュの音楽はアイルランドをはじめとするケルト系の国とも異なる。音階や脚韻は独特なのだそうだ。たとえば脚韻は非対称でフランスの他の地域にもないものだ。似たものがあるとすれば中央ヨーロッパ、あるいはアフリカのマグレブくらいだとPhilippe Ollivierさんは説明している。

  正直に言うとそれほどブルターニュの音楽に特異性があるとは考えたことがなかった。もちろん聞いたら区別はつく。でも「音楽は常に変化してゆくものだし各々が自分の人生を持ち寄ってくるから」こういうものだという定義はない。ブルターニュに生きるひとりひとりがブルターニュの音楽を持っている。

  Alan Stivell アラン・スティヴェルがrock bretonを生み出し、Nolwenn Korbell ノルウェン・コルベルが新しい旋律を歌いはじめたように、常に変化してゆくものなのだ。


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2008.10.22

ブルターニュの世界遺産 Camaret-sur-Mer カマレ・シュール・メール


  今年7月、フランスでPatrimoine Mondial de l'UNESCO ユネスコの世界遺産(文化遺産部門)に選ばれたのはFortifications de Vauban ヴォーバンの城塞群です。Sébastien Le Prestre de Vauban セバスチャン・ル・プレストル・ド・ヴォーバン(1633 - 1707)は太陽王ルイ14世に仕えた人物。彼が建築した150か所にもおよぶ要塞および要塞都市のうち12か所が世界遺産に登録されたのです。ブルターニュのCamaret-sur-Mer カマレ・シュール・メールも入っています。

  その受賞を伝えるニュース映像がありました。Unesco : Les sites de Vauban désormais au Patrimoine de l'Unesco(TF1)です。ここでは同じブルターニュのBelle ile en Mer ベル・イル・アン・メールにある要塞の話題がでてきますが、候補にあげられていたベル・イルは残念ながら世界遺産登録からもれてしまいました。

  Camaret-sur-Mer カマレ・シュール・メールは海路をゆけばBrest ブレストの南西13キロ。ブレスト停泊地を監視するTour Dorée 黄金の塔が目印です。黄金とはいっても金閣寺のように金色に光っているわけではありませんが整った美しい塔です。

世界遺産 ヴォーバンの城塞群

・アラスの城塞(パ・ド・カレ県)
・ヴィルフランシュ・ド・コンフランの城壁と砦(ピレネー・オリアンタル県)
・カマレ・シュール・メールの黄金の塔(フィニステール県)
・サン・ヴァースト・ラ・ウーグ、タチウの塔群(マンシュ県)
・サン・マルタン・ド・レの城塞と城壁(シャラント・マリティーム県)
・ヌフ・ブリザシュの新市街(オー・ラン県)
・ブザンソンのシタデルやグリフォン砦など(ドゥ県)
・ブリアンソンの市壁や砦など5物件(オート・アルプ県)
・ブレー、キュサック・フォール・メドックの城塞など(ジロンド県)
・モン・ドーファンの要塞(オート・アルプ県)
・モン・ルイの城塞(ピレネー・オリヤンタル県)
・ロンウィの新市街(ムルト・エ・モゼル県)

    <関連リンク>

  le Réseau des Sites Majeurs de Vauban ヴォーバンの主要な城塞のうち14か所の代表的作品を総括したネットワーク ブザンソン市が中心となって世界遺産に立候補
  Association Vauban ヴォーバン協会
Camaret-sur-Mer 町のホームページ 
  Camaret-sur-Mer 観光案内所(あいているのは6月から9月まで) ブレスト、カンペールからバスがでています。空から撮影した航空写真あり

  NHKテレビでフランス語 Belle ile en Mer
  サラ・ベルナールの愛したBelle-Ileベル・イル


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2008.10.20

marie claire 2008年 11月号 アルザス&ブルターニュ美食とヒーリングの旅

Concarneau

  marie claire (マリ・クレール) 2008年 11月号 を購入しました。「プラネット・ウーマンのためのアルザス&ブルターニュ美食とヒーリングの旅-癒しのフランスへ!」が特集されていたからです。

アルザス&ブルターニュで心も体もリラックス スロー&リュクスなフランスの旅 心と物質の両方の豊かさを求めるエコ・リュクスな旅は、プラネット・ウーマンの旅スタイル。今回ご紹介するのは、列車やレンタカーを駆使してゆったりと巡るフランスの地方の旅だ。パリから列車に乗って、東西へそれぞれ3~4時間。ドイツと国境を接するアルザス、そして英仏海峡を挟んでイギリスと接するブルターニュが、今回の旅の目的地。どちらも異郷の趣を漂わせつつ、美食と歴史を体感できるおすすめのエリア。さあ、パリから足を延ばしてスロー&リュクスな旅へ。
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  Alsace アルザスで紹介されているのはStrasbourg ストラスブールからワイン街道を南下、小ベニスと呼ばれる美しいColmar コルマールまでの村々に立ち寄るルート。アルザスワインや地ビールで喉をうるおしながら郷土料理を味わいましょう。チーズや伝統菓子クグロフも忘れずに!

  Musée d'Unterlinden ウンターリンデン美術館のle retable d'Issenheim イーゼンハイム祭壇画は見逃せません。アルザス地方の様々な家具や装飾品も豊富です。

  Bretagne ブルターニュではQuimper カンペール南部を海沿いにドライブ。上の写真のように城壁で囲まれたConcarneau コンカルノー、画家ゴーギャンが住んでいたポン・タヴェンを訪ねます。以前紹介したLa chapelle de Trémalo トレマロ礼拝堂の黄色いキリストの木像もあります。一番印象に残っているのはキリストを見下ろすようにちょうど正面の人物がアカンベーしていたこと。中世はおおらかだったのですね。今なら侮辱罪で撤去されかねませんが・・・

  レストランでは海の幸がよりどりみどり。とれたての新鮮な魚介類や生カキに目移りするほど。クレープリーではガレット(そば粉をクレープ状に焼いたもの)とシードル(リンゴの発砲酒)を。おみやげにはカンペール焼きやケルトモチーフのテーブルクロスやナプキンをどうぞ。

  この記事を書いているのはAwano Marikoさん。一緒にお仕事をしたことがありますが、細やかな心くばりとたおやかな身のこなしの素敵な方です。ガイドブックにも詳しくのっていない小さな村々。個人旅行でゆっくり過ごしたいところばかりです。

  marie claire (マリ・クレール)を定期購入すれば21%OFF。しかもアニエス ベー メイクアップポーチセット(★オリジナルポーチ(直径80×横120mm) ★丸型ミラー ★ロリータ グロス )がもらえます。

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2008.10.18

海上風力発電プロジェクト


www.letelegramme.com

  何気なくニュースを見ていたら、Énergie éolienne 風力発電の話題がでてきた。ブルターニュでも風力発電用の大型風車が増えている。しかしここで話題となっているのはUn projet d'éoliennes flottantes au large de la Bretagne 、海上に風力発電装置を設置しようという試み。 ニュースではBrest ブレスト沖に海上風力発電施設をつくるプロジェクトがあることを伝えている。

  風力発電は、新エネルギーの中で最も採算性が高いとされる。「新エネルギー」とは、バイオマス、太陽熱利用、雪氷熱利用、地熱発電、風力発電、太陽光発電など、再生可能エネルギーのことだ。風力発電が多く用いられているのは国別ではドイツ (20GW)が突出している。次いで、スペイン (12GW)、米国 (11GW)、インド (6GW) など。

  フランスは2006年度においては日本とそう変わらなかったが、2007年になってぐんと差をつけた。具体的な数字についてはWikipédia fr、Puissance éolienne totaleという図表を参照してほしい。

  さて海上風力発電は日本でも九州大学が中心となった21世紀COEプログラムがあるそうだ。

海上に蜂の巣状に浮かべた六角形のコンクリート構造物(一辺300メートル)の上に、従来の2倍以上の風力を得る直径100メートルの風車を設置。送電線は使わず、得られた電力で海水を電気分解して水素を作り、その水素を船で陸に輸送して水素発電や燃料電池に使うというもの。高強度の新素材や効率的な風車、水素貯蔵などの最新技術を組み合わせ、原子力発電所1基分に相当する100万キロワット級の発電を低コストで目指している。新素材の耐用年数は100年以上とされ、発電コストは原発の半分以下に抑えられる。六角形の浮体の内部を養殖場にすることで、漁業補償の問題も解決できるとしている。資金の目途が付けば6~7年で技術確立が可能としている。Wikipedia

  ブルターニュも日本も海に囲まれた地形だ。石油や原子力にたよらず自然エネルギーを活用する技術が実用化されればと願う。


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2008.10.17

ノーベル文学賞受賞、ル・クレジオ氏のルーツはブルターニュ その3

Douar

  ル・クレジオ氏は寡黙でジャーナリストなかせの作家だという。そんな彼が喧噪からのがれてほっとできる場所として選んだのは、ブルターニュだった。まだ彼が少年だった頃、家族で訪れたブルターニュ。空の色や流れる雲、そぞろ歩いた夜の浜辺は深く心に刻まれた。

  そして歳月をへて帰ってきたのだ。15年ほど前からBaie de Douarnenez ドアルヌネ湾をのぞむ高台につつましい住まいを構え、波の音を聴きながら夏、そしてクリスマスを過ごすのだ。上の写真のような風景を眺めながら。そこではラジオも聞かないし、新聞さえもほとんど読まない。母親が暮らしていたからずっと繋がっていたニース。その母親が亡くなった今、もう戻る理由もなくなった。


  どこからともなく聞こえてくるカモメの鳴き声や教会の鐘の音。大地にしっかりと根をおろしたヒースの花々。そんなブルターニュの情景をル・クレジオ氏と共有しているのだと思うとうれしくなる。世界の海を渡るブルトン人の船に乗ったつもりで小説もじっくり読んでみようと思う。

    その1に戻る


   <参考情報>

 日本語で読むル・クレジオさんの本

PORTRAIT Jean-Marie Gustave Le Clézio 
Le Clézio : J'appartiens à cette nation
Le Clézio.Des tropiques à la Bretagne


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2008.10.15

ノーベル文学賞受賞、ル・クレジオ氏のルーツはブルターニュ その2

 アメリカニューメキシコ州での暮らし。奄美諸島もでてくる。2分。

  前回はル・クレジオ氏の祖先がブルターニュを離れフランス島(モーリシャス島)に住み着いたところまでだった。ル・クレジオ氏の両親はいとこ同士でロンドンで出会ったのだが、父はイギリス国籍、母はフランス国籍だ。その理由は父方の家系は19世紀にフランス島が英国領モーリシャス島となったことに伴い英国籍を取得。一方母方の祖先はフランス本土にもどったのでフランス国籍なのだ。この島の歴史は列国のおもわくに振り回され非常に複雑だ。少し長くなるが、モーリシャスの歴史を振り返ってみたい。

1505年にポルトガル人が発見。続いて、1638年にオランダが植民を開始、オラニエ公マウリッツの名にちなんでこの島を命名した。17世紀にはドイツが占領、18世紀の間、フランスが支配し、フランス島と呼ばれた。1810年にイギリスに占領され、1814年にイギリス領となり旧名に戻された。イギリスの植民地時代は、モーリシャス島から北東へ約2000km先にあるチャゴス諸島と併せて統治されていたが、独立直前の1965年11月に分離され、チャゴス諸島の住人約1800人はモーリシャス島へ強制移住させられた。1968年に英連邦王国として独立を達成し、首相にシウサガル・ラングラームが就任。クレオール人とイスラム教徒が対立し衝突が起きた。1969年にポール・レイモン・ベランジェが中心となってモーリシャス闘争運動(MMM)を結成。1992年に立憲君主制から共和制に移行した。独立以来、自由選挙に基づく民主的な政治が継続している。Wikipedia
  さてノーベル文学賞を受賞したル・クレジオ氏は1940年4月13日、フランス南部のニースで生まれた。第二次大戦中、父親は医師としてアフリカで、母とまだ幼かった本人は戦火に包まれたニースと離れ離れに暮らし、8歳のころ、父親の待つナイジェリアで異文化を体験する。それからの人生もインディアンと暮らすなど、ヨーロッパ文明を外からの視点でとらえている。来日時には奄美諸島や北海道も訪ねたという。
1950年にニースに戻り中等教育を終えた後、イギリスのブリストル大学で英語を学び、ニース大学で学士を取得。(中略)1967年からは兵役によりタイ、続いてメキシコに滞在。このときの経験から中南米に惹かれるようになり、1970年から1974年までパナマの密林に住むインディアン(エンベラ族)に混じって生活しながら執筆を行なった。1975年にモロッコ人女性ジェミアと結婚。のち3子をもうける。

1970年代後半からメキシコの文化に傾倒し、メキシコの各地の大学で客員教授を務めながら、ヨーロッパによるアメリカ先住民への略奪の歴史を研究、初期メキシコの歴史に関する論文によりペルピニャン大学で博士を取得した。Wikipedia

  こうして他の国を深く知ったうえで「フランスでは自分をいつも何か付け足しのような存在だと感じ」、「フランス語は、私の唯一の本当の国かもしれません」とその心情を語っている。LAVEL インタビュー記事日本語版(フランス外務省発行の広報誌 2001年12月号)


  その3につづく  その1に戻る

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2008.10.12

ノーベル文学賞受賞、ル・クレジオ氏のルーツはブルターニュ

 ノーベル賞受賞インタビュー約12分

  2008年のノーベル文学賞を授与されたJean-Marie Gustave Le Clézio ジャン・マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ氏。「詩的冒険、官能的恍惚の作家であり、現代文明のかなたと深淵にある人間性の探究者だ」というのが受賞理由だ。その経歴を朝日新聞、ノーベル文学賞に仏のル・クレジオさんの記事は次のように報じている。

 40年、南仏のニース生まれ。両親ともにフランスからインド洋モーリシャス島に移住した家系で、父はイギリス籍、母はフランス籍。63年、軍隊か病院のような隔離的環境から逃げ出した若者の目に映る世界を詩的に描いた長編「調書」で、フランスの主要な文学賞のひとつルノード賞を受賞、衝撃の文壇デビューを飾った。(中略)

 フランスとモーリシャスの国籍をもつ。アフリカで少年時代の一時期を過ごし、中米インディオ文化にも傾倒する。06年、39年ぶりに来日。東京のほか北海道や奄美大島などを旅した。

  私はル・クレジオ氏の作品を読んだことがないので詳しいことは知らなかったのだが、ブルターニュと係わりがある作家だそうだ。フランスのメディアでもブルトン人だと紹介されている。その理由はLe Clézioという姓だ。これはブレイス語なのだ。その意味はフランス語でles enclosだという。塀などで囲まれた地所を指す。

  その祖先はブルターニュの南に位置するモルビアンで暮らしていた。フランス革命が起きたときのことだった。軍隊入隊時に長髪を切るのをこばみ、亡命を余儀なくされたというのだ。そして家族はインドに行こうとしたのだが、モーリシャス島に親類がいたので、定住するにいたった。そのいきさつについて彼自身が次のように話している。LAVEL インタビュー記事日本語版(フランス外務省発行の広報誌 2001年12月号)

  その2に続く


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2008.10.10

高濃度の重金属土壌を浄化するミミズ

  相次ぐ日本人のノーベル賞受賞が話題となっている。中でも家族総出で捕獲したクラゲの体内から光るたんぱく質を見つけ出したという下村脩さんの逸話を興味深く読んだ。

  そんななかで見つけたのがこの重金属を食べる“スーパーミミズ”発見(National Geographic News)のニュース。「採鉱や重工業などで汚染された土地の浄化にスーパーミミズを利用すると有効かもしれない」とはにわかには信じられない。

イギリスのイングランド地方やウェールズ地方などにある鉱区の土壌から、鉛、亜鉛、砒素、銅などの重金属を好んで食べる“ヘビーメタル・マニア”のミミズが発見された。

  新種のスーパーミミズを養殖して、ミミズが排泄した金属土壌で植物を育てる。植物を利用して毒性のある金属を抽出することで土壌や生態系の回復を促進する方法が生み出されるかも知れないと考えると、生物のしたたかさに感心するばかりだ。そして今でもひたすら基礎研究にはげんでいるであろう研究者の方々の絶え間ない努力に敬意をささげたい。


    参考資料

  National Geographic ナショナルジオグラフィック日本版 日本の読者向けに独自の解説やコラムを加え、オールカラーで英語版と同月発行でお届け

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2008.10.09

ブルターニュを鉄道で旅するには 

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  ブルターニュを旅するにはレンタカーが便利です。とはいっても運転にとまどう方も多いはずです。なぜなら車は左ハンドルだし、ミッション車がほとんどだからです。はじめてフランスで車を運転したときは、いったいどうしたらいいのかわからず、身体が固まってしまいました。そのいきさつはこちらです。

  道路標識の表記はもちろんフランス語。場所によってはブレイス語でも書かれています。運転中にこの看板を見て、とっさに道を選択しなければならないのですから、よほど地理を把握していないと道を間違える可能性があります。急がないなら迷ったことも思い出になるでしょうが、旅行中なら公共交通機関を利用するのが無難です。

  まず鉄道網を確認してみましょう。上の図がそうです。TER Bretagneの鉄道網をクリックすると、ブルターニュ中の時刻表を確認することができます。直接、行きたい駅名と日付、時刻を入力して検索することもできます。

  Voyages SNCFであらかじめ切符を購入することもできます。旅の計画に活用してください。


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2008.10.07

Trompe de chasse 狩猟ホルン 野外コンサート

Lestrompesdenormandiema

金管楽器のルーツであるTrompe de chasse 狩猟ホルンの澄み切った音色が野外ホールに響き渡りました。もともと深い森で互いの意思疎通をはかるために発達してきたものですから、その音は約2キロ先まで聞こえると言います。見つけた動物によってもそのメロディーが異なります。
Trompedechasse
  
  狩りは最初に目星をつけた獲物のにおいを猟犬が追いこんでゆきます。人間は騎乗して犬をあやつり、疲れ果てた獲物をしとめるのが役目です。Trompe de chasse 狩猟ホルンの大きさは馬に乗った時に邪魔にならないよう工夫が重ねられてきました。実際に今でも行われている狩りの様子は豊かな森フォンテンヌブロー 伝統の狩りからどうぞ。

  フランスのTrompe de chasse 狩猟ホルンは中を黒く着色してあります。ピカピカしていると後ろから続く馬や猟犬の邪魔になるからです。右の写真を見ていただくとよくわかると思います。今回来日したのは史上最年少でフランス国内選手権チャンピオン、ヨーロッパ選手権のチャンピオンであるエリック・リボさんを団長としたハイレベルなグループ。私は狩猟ホルン製作実演のため同行していたプロワ・ミリアンス社のボランティア通訳をさせていただきました。また京都の西本願寺でも演奏会があります。

フランス ノルマンディー・メーヌトロンプ演奏団が本山参拝、並びにお待ちうけ協賛演奏会を開催。 本願寺の総御堂にトロンプの音が響く― フランスからトロンプ(ナチュラルホルン)の演奏団が来日。 10名規模でのフランス国外演奏は今回が世界初! 

2008(平成20)年10月 7日(火)

  本山参拝式     16:15 ~   本願寺総御堂
  お待ちうけ演奏会  17:30 ~   本願寺聞法会館

  
   <参考エントリー>
  ノルマンディー・メーヌ狩猟ホルン演奏団、無料コンサート


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2008.10.02

ノルマンディー・メーヌ狩猟ホルン演奏団、無料コンサート

Lestrompesdenormandiema

  フランスでは狩猟が盛んに行われています。この狩猟で合図として用いられているのが狩りにかかせないTrompe de chasse 狩猟ホルンです。時代と共に動物の角、木、そして銅や真鍮製へと素材は変化しました。その長さは4、5メートルもあるのです。でも3回半巻かれているのであまり大きく感じません。

  今回日仏交流150周年記念事業で来日しているのはles trompes de normandie maineノルマンディー・メーヌ狩猟ホルン演奏団。史上最年少でフランス国内選手権チャンピオンとなり、現在はヨーロッパ選手権のチャンピオンである団長エリック・リボ氏を筆頭にメンバー全員が入賞しています。この週末、高知県と徳島県で無料コンサートが開催されます。


ノルマンディ・メーヌ狩猟ホルン演奏団による無料コンサート
高知県丸の内緑地公園 2008年10月4日(土)

ノルマンディー=メーヌ狩猟ホルン演奏団無料コンサート 以下の関連イベントあり
徳島県立21世紀館 2008年10月5日(日)

フランソワ・パイヤン・ド・ラ・ギャランドリー氏講演会 知られざる楽器 狩猟ホルン
フランスにおいて貴重な狩猟ホルンコレクターであり、研究者であるフランソワ・パイヤン・ド・ラ・ギャランドリー氏が金管楽器の発生から現在までの歴史、製造の過程、騎馬狩猟団の活動を写真資料やファンファーレ演奏と共に紹介します。
プロワ・ミリアンス社による狩猟ホルン製作実演
狩猟ホルン体験ワークショップ

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2008.10.01

2気筒車愛好会


www.letelegramme.com

  Quimper カンぺールにある « 2CV mon amour »という2気筒車をこよなく愛する人たちが、郊外にあるPlonéour-Lanvernに集まった。メカに弱い私には2気筒車の見分けはつかないが、ビデオにうつっている車はフランス国内でよく見かけるものばかり。どれもちゃんと現役で走っている。La 2 CV fête ses 60 ans cette année et le club ses 10 ans. クラブ創立10周年、La 2 CV60周年。2気筒車って60年前に発売されたのかなあ?ということは1948年。

  フランスではびっくりするほど古い車が中古車市場に出回っている。そういう私がフランスで運転していたのもRenault、Super5 GTRだった。チョークがついている1987年製の車を1700ユーロで購入することになった。間違って買うと言ってしまったのだが、結局1年以上乗って1100ユーロで売れた。興味があれば下のリンクからどうぞ。

  ああ!大きな勘違い。一か八かの賭けにでるか?フランスで中古車を購入ガチガチのドライブ車の名義変更完了(車の写真あり)など。それからも修理工場に入り浸り、それでも楽しくドライブした。ルノーの修理工場 感激の無料サービス車が売れましたでついにお別れ。今となっては懐かしいなあ。


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