ノーベル文学賞受賞、ル・クレジオ氏のルーツはブルターニュ その2
アメリカニューメキシコ州での暮らし。奄美諸島もでてくる。2分。
前回はル・クレジオ氏の祖先がブルターニュを離れフランス島(モーリシャス島)に住み着いたところまでだった。ル・クレジオ氏の両親はいとこ同士でロンドンで出会ったのだが、父はイギリス国籍、母はフランス国籍だ。その理由は父方の家系は19世紀にフランス島が英国領モーリシャス島となったことに伴い英国籍を取得。一方母方の祖先はフランス本土にもどったのでフランス国籍なのだ。この島の歴史は列国のおもわくに振り回され非常に複雑だ。少し長くなるが、モーリシャスの歴史を振り返ってみたい。
1505年にポルトガル人が発見。続いて、1638年にオランダが植民を開始、オラニエ公マウリッツの名にちなんでこの島を命名した。17世紀にはドイツが占領、18世紀の間、フランスが支配し、フランス島と呼ばれた。1810年にイギリスに占領され、1814年にイギリス領となり旧名に戻された。イギリスの植民地時代は、モーリシャス島から北東へ約2000km先にあるチャゴス諸島と併せて統治されていたが、独立直前の1965年11月に分離され、チャゴス諸島の住人約1800人はモーリシャス島へ強制移住させられた。1968年に英連邦王国として独立を達成し、首相にシウサガル・ラングラームが就任。クレオール人とイスラム教徒が対立し衝突が起きた。1969年にポール・レイモン・ベランジェが中心となってモーリシャス闘争運動(MMM)を結成。1992年に立憲君主制から共和制に移行した。独立以来、自由選挙に基づく民主的な政治が継続している。Wikipediaさてノーベル文学賞を受賞したル・クレジオ氏は1940年4月13日、フランス南部のニースで生まれた。第二次大戦中、父親は医師としてアフリカで、母とまだ幼かった本人は戦火に包まれたニースと離れ離れに暮らし、8歳のころ、父親の待つナイジェリアで異文化を体験する。それからの人生もインディアンと暮らすなど、ヨーロッパ文明を外からの視点でとらえている。来日時には奄美諸島や北海道も訪ねたという。
1950年にニースに戻り中等教育を終えた後、イギリスのブリストル大学で英語を学び、ニース大学で学士を取得。(中略)1967年からは兵役によりタイ、続いてメキシコに滞在。このときの経験から中南米に惹かれるようになり、1970年から1974年までパナマの密林に住むインディアン(エンベラ族)に混じって生活しながら執筆を行なった。1975年にモロッコ人女性ジェミアと結婚。のち3子をもうける。1970年代後半からメキシコの文化に傾倒し、メキシコの各地の大学で客員教授を務めながら、ヨーロッパによるアメリカ先住民への略奪の歴史を研究、初期メキシコの歴史に関する論文によりペルピニャン大学で博士を取得した。Wikipedia
こうして他の国を深く知ったうえで「フランスでは自分をいつも何か付け足しのような存在だと感じ」、「フランス語は、私の唯一の本当の国かもしれません」とその心情を語っている。LAVEL インタビュー記事日本語版(フランス外務省発行の広報誌 2001年12月号)
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