ブルターニュからアメリカ大陸へ
「ニューヨークにはフランス人も多く住んでいるけれど、一番多いのはBreton ブルトンなんだよ」と聞いたことはありました。海の彼方に以前書いたようにブルターニュから世界の海へ漕ぎ出していった冒険家は数知れないほどだからです。たとえば1534年に旅立ったJacques Cartier ジャック・カルティエは、北アメリカ大陸に到着。La Nouvelle-France ラ・ヌーベル・フランス(新らしきフランス)と名づけた。後のカナダVille de Québec ケベックです。朝食や夕食によくクレープを食べるとラジオでしゃべっていました。
神楽坂のクレープリー、Le Bretagne ル・ブルターニュでお会いしたケベック出身の従業員の方にこの真偽についてたずねたのですが、朝食に3~5枚のクレープを食べるというので驚いてしまいました。本場ブルターニュでもそんなに何枚もクレープは食べませんから。
さてニューヨークのBreton ブルトンですが、そのほとんどがこの自由の女神像のあるGourin グーラン出身者。1830年ころから20世紀にかけてアメリカに移住したのです。1928年から3000人近くが移住。そのうち400人がMichelin ミシュランで働いていました。1946年から10年間で747人が移住。これはGourinの人口の13.4%をしめていました。このころになると初期に移住した人たちはアメリカ全土にちらばっていたので家族や親類をたよってはるかなアメリカ大陸へわたったのです。
上のビデオは2009年3月のSt Patrick 聖パトリックパレードの様子です。ニューヨークのど真ん中でブルターニュの音楽が響きます。「いっしょうけんめい働いて数年後にはたてばブルターニュに帰ろう」と考えてアメリカに行ったのに、帰れないまま子供たちも大きくなり月日が過ぎてしまったという人も少なくなかったようです。異国で聴く遠いふるさとの歌。なんだか胸にせまるものがあります。
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