
大学の歴史哲学のレポート課題にこんな出題があった。「歴史をつくるものは、英雄か民衆か、社会条件か」というものだった。それまでそんなことは考えたことがなかったので、文献を読みいろいろ考えた。もちろん哲学者によって考え方は異なるし、そのレポートの採点はBだったのでどのような回答がよかったのかは今でも分からない。講評欄の最後には「歴史哲学の問題はきわめてアクチュアルな問題だと思います。このリポートをきっかけにして、歴史哲学の問題をよく考えてみて下さい」と締めくくられていた。
日本に住むひとりのBretonne ブルターニュの女性。Sarah サラさんは3年前から2つの高校で英語を教えている。たまたまドライブに出かけ道に迷ってたどり着いた海岸はゴミでうずもれていた。それを見つけて何人かの日本人にどうにかしたいと相談した。だが、ゴミの量があまりに多く、ひとりやふたりが掃除してすむような簡単なものでなかった。そこは住民も行政も面倒なことに巻き込まれまいと先送りにしてきた場所だった。
そのような場所があること自体、ごくわずかの住民にしか知られていないし、彼女はこの8月で日本を去ることになっているから、もう異国の海岸のことで頭を悩ます必要もなくなる。誰も行かないような入り江がゴミでうずもれていようと、そんなことは大したことではない!
躊躇する人たちの間で、Sarah サラさんはたったひとりでゴミを集め始めた。一度決めた信念はゆるぎないものだったから、それを同僚の英語教師に話し、ついにボランティアをつのりビーチ・クリーニングを開始することにした。私もこの話は本人から3月に聞いていたのだが、アドバイスも出来ぬままなおざりになっていた。彼女が行動を起こしたと聞き、先月はボランティアで2回、ビーチ・クリーニングに参加した。

実際に現場に行って改めてそのゴミの量にあぜんとした。海岸線をうめ尽くす漂着ゴミ。だがそれだけではない。林の下には不法投棄された一般ゴミも多い。彼女が行動を起こさなければそのままになっていたであろうゴミの山。10カ国近くの外国人たちが黙々とゴミを拾ってゆく。なかにはパラグアイとかラトビアの人もいた。娘さんのところにたまたまやってきて、アイスランド火山の噴火で帰国がままならなくなった英国人夫婦まで参加していた。貴重な自由時間をゴミ拾いに費やしてくれるその心意気が何ともありがたい。
参加していた高校生のひとりが「日曜日なら清掃に来れる」というので冗談のつもりで「毎週でもいいの」と聞いてみた。すると「ほかの日は塾とか用事があるけれど、日曜日なら毎週でも来る」と答えた。その返答に正直驚いたし、純粋な気持ちに感動すら覚えた。大げさかもしれないが、Sarah サラさんのひたむきさが人々を目覚めさせてのだと思う。歴史が動き出すきっかけかもしれないとひそかに思っているし、およばずながら私も地道にゴミをひらってゆきたい。次のビーチ・クリーニングは明日の朝。参加したい方は5月15日朝9時30分に島田小学校に集合。
「第二の古里」鳴門を美しく (徳島新聞 2010.05.12)
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