永久の別れ
「親子は一世(いっせ)」とは親子関係は現世だけであることを指す仏教用語だそうです。数日前、母があの世に旅立ちました。よく知っているはずの母の顔がなぜか知らない人であるかのように思えたのです。ここ2か月ほど、「じっとしていても身体の節々がはげしく痛む」とこぼしていたのですが、その痛みからようやく解放されたせいでしょうか。不思議なことに、その横顔がこれまでよりずっと美しくなったのです。
母は2年前の心臓の大手術以来、脳こうそくの麻痺が残り厳しいリハビリを行ってきました。車いす生活が続くと思われたのですが医者も驚くほどの回復し、軽く杖でささえるだけで歩くことも可能になっていました。その頑張りには拍手をおくりたいほどだったのです。亡くなる当日まで意識ははっきりしていて、介護してくれた方々みんなにお礼とお別れをしたそうです。私たち親子の関係はこれで終わりですが、いつか来世で会えるといいですね。
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コメント
お別れをこんなふうに表現できるなんて・・・
とても悲しいでしょうに・・・
私は母の顔を知りませんからあの世で捜すとしたら・・・
死んでしまった母はずっと私を守ってくれていると信じています。
それなのにお墓参りはたまにしか、仏壇に手を合わせる時は困った時だけ・・・
寂しくなるでしょうが乗り越えなければね!
まだ立ち直れていない私が言う言葉ではないかも。
投稿: せせらぎ | 2013.01.13 18:41
コメントありがとうございます。
母とはけんかばかりしていましたので、2年前に亡くなっていたら悔いが残ったかもしれません。この2年間はリハビリにつきあって、できるかぎりのことはしました。お互いに別れるための準備期間があってありがたかったです。
私の父は3歳の時に亡くなっていますので、顔は覚えていません。来世では親子ではなく仲の良い友人になれたらいいと勝手に思っています。
投稿: 市絛 三紗 | 2013.01.13 20:50
とても悲しいお別れがあったのですね。でも最後に親孝行の時間が持てて良かったですね。お母様は三紗様に看取られて幸せだったと思います。
私も1年前に大好きだった義父を亡くしました。何度もお見舞いに行き、出来る限りのことはしましたので、悔いはありませんが、今でももう少し長生きしてもらいたかったと思うことがあります。
「親子は一世」なのですね。義父の場合はどうなのでしょう。どういう関係でも、もう一度会えることを願いたいです。
投稿: loc-envel | 2013.01.17 18:36
昨日日帰りで高野山に行ってきました。年末にスーパーの懸賞でバスツアーの優待券をもらっていたのです。うちは真言宗ですし、大好きだった叔母が眠っているお寺もあります。数日前の大雪が残り寒かったのですが心は落ち着きました。
キリスト教では輪廻は否定されていますが仏教やドルイド教などでは肯定されています。信じる信じないは人それぞれです。
投稿: 市絛 三紗 | 2013.01.18 09:57
少し、落ち着かれたのですね・・・。
日常からちょっと離れることも、心の癒しになりますね。
寒い日が続いていますが、御自愛ください。
今年もよろしくお願いします。
投稿: がや | 2013.01.21 00:49
骨折して入院している叔母のお見舞いに行きました。「これからはもうしばられるものがないのだから自分のしたいことをしなさい」と言ってくれました。よく考えてみます。
投稿: 市絛 三紗 | 2013.01.21 10:39