文化・芸術

2008.04.17

アイリス、咲き誇る

Pl1
  フランス語でIris イリスとは日本のアヤメ属(アヤメ、ハナショウブ、イチハツなど)の総称です。学名はIris histrioidesです。翻訳するとすればアイリスでしょうか。日本庭園にもよく植えられているので、日本のものだと思っていたのですが、そうではないようです。

  この花はギリシャ神話に登場する女神イリスの名前に由来します。神々の伝令を務めるイリスは「虹の女神」とも呼ばれました。イリスはオリュンポス十二神の一柱でもある女神ヘラに「虹に変えてください」と頼みました。その願いを聞いたヘラが酒をふりかけたのですが、その時こぼれた酒が、アイリスの花になったそうです。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2008.02.24

ブルターニュの刺繍 展示会

Pascal_jaouen_2

  Quimper カンペールにある刺繍学校、 Ecole de Broderie d'Artで刺繍を教えるPascal Jaouen氏。6歳のころフェスティバルでブルターニュの音楽やダンスに触れ、美しい衣装を見たときから抱き続けていた夢を形にして、刺繍学校を設立。受講者はうなぎのぼりでブルターニュだけではなくパリや南仏、そしてスイスでも講座を開催しています。Le Brodeur bleuという本も出版しています。

  その作品の展示会が来月4~28日までRennes レンヌで開催されます。場所は以下のとおり。駅からも近いです。地図はここです。

"Broderie, de l'art de la table... à la mode"du 4 au 28 mars au Crédit Mutuel de Bretagne 30, boulevard de la Tour d'Auvergne à Rennes du lundi au vendredi de 8h30 à 19h00

  また、同時期にファッションショーもあります。こちらもレンヌ。4つ星ホテル、Le Coq-Gadby内で行われます。入場料は15ユーロ。予約はこちらから。

Pascal Jaouen vous invite à venir découvrirle 16 mars 2008
à l'Hôtel Le Coq-Gadbyrue d'Antrain, à Rennes
sa nouvelle collectionde vêtements haut de gamme brodés main
qui marient tradition et modernité.

Un spectacle défilé vous présentera 23 tenues de ses créations contemporaines
inspirées des modes du pays Bigouden,de l'Aven et du pays Vannetais.


Ecole de Broderie d'Art 刺繍学校 ホームページ
1, rue Kergariou 29000 QUIMPER
Tel:02 98 95 23 66

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008.02.20

ラリック社、スイス企業が買収

Lalique

  René Jules Lalique ルネ・ジュール・ラリック氏(1860- 1945)といえばアール・ヌーヴォー、アール・デコの両時代にわたって活躍したフランスの宝飾デザイナー。パリのルーブル美術館のすぐ横にあるMusée des Arts Décoratifs 装飾美術館Musée d'Orsay オルセー美術館などでその作品を見ることができる。

  ラリックは16歳で金属細工師に弟子入り。1900年のパリ万国博覧会で注目を集めた。その技術の高さと芸術性に魅了されヨーロッパ各国の王室、アメリカやアジアの富豪までもがこぞって彼の宝飾を買い求めたほどだった。その後50歳を迎えた1910年頃からガラス工芸に転向し、1910~30年代のアール・デコ期を代表するガラスの巨匠として活躍。工場で花瓶、置時計、テーブルウェア、アクセサリーなどの生産を行うようになった。日本でも1932年に旧皇族朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)のガラスの扉やシャンデリアなどの製作をしている。

  本人が亡くなってからも事業は息子のマルク、そして孫娘であるマリー=クロードに受け継がれていた。彼女はハンドバッグやスカーフなどの商品も手掛け事業を拡大。米国や日本にブティックを構えた。英ロック歌手エルトン・ジョンさんのエイズ撲滅基金に賛同して作品をデザインしたことでもあったが、1994年にラリック社の株をPochet ポシェ社(1623年創業のポシェは、ジャンポールゴルチエ、ディオール、ケンゾーなどを顧客とする香水瓶や化粧品容器のメーカー。売り上げの7割はフランス国内と米国)に売却。しかし経営は赤字でかねてから売却先を探していた。ラリック社は社員600人(うち仏で425人)で、昨年の売上高は6700万ユーロ。10年来で初めて営業黒字に転換していた。

  そして今回スイスのアート&フレグランス社(売上高3500万ユーロ)が買収すると発表された。社長はスイスの富裕300人ランキングに入る実業家Silvio Denz氏でラリック作品の個人コレクターとしても知られている。これから2012年までに1200万ユーロを既存の工場に投資する計画。

  ラリック社の買収には多くのファンドが関心を示していたが、最終的にラリック作品の価値を認める経営者の手に渡った。投機的な目的で売買されずによかったと思う。


    参考情報

  la cristallerie de luxe Lalique ラリック・クリスタル ホームページ
  L'art nouveau ルネ・ラリックの宝飾品の写真がみられる。
  René Lalique au Musée du Luxembourg 昨年パリMusée du Luxembourgで開催された展示会

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.02.12

La Sant-Valentin ラ・サン・ヴァランタン

  La Sant-Valentin、バレンタインデーが近づいてきました。日本では女性から男性へチョコレートを送りますが欧米では男女の区別はなく愛の告白を許される日。

  無料新聞、20Minutes.frにこんな記事がありました。Combien allez-vous dépenser pour la Saint-Valentin?あなたはバレンタインデーにいくら使いますか?

  アメリカではles hommes vont dépenser 98,20 dollars (66,42 euros) ,les femmes ne comptent dépenser qu'un peu plus de la moitié, soit 54,20 dollars, affirme une enquête.男性が 98,20 dollars 、女性が54,20 dollarsだそうです。

  その中身はというとLes cadeaux les plus fréquents vont du dîner au restaurant (pour 74% des hommes) à la boîte de chocolats (49%) en passant par les fleurs (69%). Les femmes offrent plus volontiers des livres, des DVD et des CD de musique (44%).レストランでディナー、花束、チョコレートの順だそうです。女性は本やDVDあるいはCDを選択するそうで、日本とはちがいますね。

  愛を告白し、見事想いがかなったら、faire l'amour愛の行為を行う段階に。バレンタインは真面目にセックスを考える!ことも必要です。Alle About フランス語の越智さんがsexologue(セクソローグ/生科学者)にインタビューしています。ポッドキャストChocolatとコラボしていますので、こちらもどうぞ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008.01.28

ボーヌの最後の審判 その5

Beaune_cuisine

  これだけの施設を運営するには多額の経費がかかる。Nicolas Rolin ニコラ・ロランはまず、塩田からの収入を積立てて経費をねん出しようとした。この塩田は妻の実家であったサラン家が所有していたもので、ブルゴーニュ公国の重要な産業だった。

  加えて、自分が所有していたブドウ畑を施療院に寄付し運営費の一部とした。この施療院があるボーヌの周辺は、ブルゴーニュワインの産地がひしめいている。施療院の評判が高まるにつけ寄付されるブドウ畑も増加する。そして今では60ヘクタールのブドウ畑を持っている。Hospices de Beaune オスピス・ド・ボーヌの名前を持つワインはその品質でも高い評価を得ている。

  このボーヌで毎年11月に開催されるワインのイベントはLes Trois Glorieuses 栄光の三日間と呼ばれている。初日はConfrérie des Chevaliers du Tastevin ブルゴーニュ利き酒騎士団 の入団式と晩餐会。2日目にオスピス・ド・ボーヌのVente aux enchères des Hospices de Beaune チャリティー・オークション。3日目がLa Paulée de Meursault ムルソーで収穫を祝う昼食会だ。

  昨年2007年のチャリティー・オークションは冷夏にもかかわらず前年より27,10 %上昇し4,291 millions d’euros(約70億円)の高値がついた。特に赤ワインは38 %の伸びを示した。(フランス語の新聞記事を続きにはりつけておく)。この収益金はHospices Civils de Beaune ボーヌ施療院の運営のほか、Programme "personnes âgées" de la Fondation de France 高齢者基金やl'Unicef France ユニセフ・フランスへの寄付にあてられる。

  写真はボーヌ施療院の厨房。20世紀初頭の厨房を再現したものだ。蛇口の先が白鳥の首になっていて非常に優雅。あくまでも最高のものを目指した創始者Nicolas Rolin ニコラ・ロランの意志はこのボーヌに生き続けている。
  

 Hospices Civils de Beaune 公式ホームページ
 ボーヌで死ぬということ―「中世の秋」の一風景 著者は私が敬愛するフランス文学者である。その知識の豊富さは言うまでもないが、読む度に魂が揺さぶられるのだ。「限りなく与えつくし、忍耐をもってすべて受け忍ぶ、犠牲の精神」私のような凡人にはとうてい到達できない境地だが、どう生きるかを考えさせられる名著である。ぜひ一読を! 
    
オスピス・ド・ボーヌ
2005年のワインを購入する
      
オスピス・ド・ボーヌ
2004年のワインを購入する
 
 

 その1にもどる

続きを読む "ボーヌの最後の審判 その5"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.01.07

ボーヌの最後の審判 その4

Beaune_n

  上の写真は「最後の審判」の裏側である。左側の男性がNicolas Rolin ニコラ・ロラン、祈祷台の反対側にいるのは妻のGuigone de Salins ギゴーヌ・ド・サランである。ふたりは施療院完成後も貧しき兄弟たちを救いたいと、その運営に心血をそそいだ。

  さて5世紀以上の歳月の中で、これまでどれくらいの人々がこの「最後の審判」を眺めてきたことだろう。命の炎がつきようとするその間際に、どんな思いで見つめていたのだろうか。純白の衣装をまとった大天使サン・ミッシェル(聖ミカエル)の下げる天秤の上で天国行きか地獄行きかの審判をあおぐ裸の男。

  現世でいくら金持ちであろうと、地位が高かろうと、あの世では全く関係ない。試されるのは魂だ。誰も貧者になろうと生まれてきたわけではない。精一杯生き抜いてその結果つつましい生活を余儀無くされただけだ。大天使の頭上でキリストがそう言っているようだった。

  私はこのとき07年になくなったL'abbé Pierre ピエール神父のことを考えていた。その葬儀で多くの人が「私の父親」と慕い涙にくれていたその光景を。生涯清貧に甘んじ、弱者のために戦い続けたただの神父を、マスコミは”Le pape des pauvres”「貧者の教皇」と称しその生き様を賞賛した。

  その5につづく  その1にもどる
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.01.05

ボーヌの最後の審判 その3

Polyptyque

  創設者はNicolas Rolin ニコラ・ロラン、1443年当時ブルゴーニュ公国の宰相だった。頭脳明晰でブルゴーニュ公Philippe le Bon フィリップ・ル・ボンの片腕として巨額の財をなしていたのだが、神への信仰をこの施療院建設という形として示したのである。

  度重なる戦争や伝染病の流行で領土は荒れていた。まるで乞食同様の暮らしをしている住民がほとんどだった。ニコラ・ロランの志をくみ、ブルゴーニュ公は税金の控除ばかりでなく、自己の所有する森から木、公の石切り場から石材を切り出し使用する許可を与えた。

  貧者にただ食料を与え、治療をほどこすだけなら、納屋のような建物でこと足りる。ところがこの建物はその存在そのものが一流の職人達によって生み出されたゴシック様式の芸術品だ。その内部の細工も手がこんでいる。そして、忘れてはならない祭壇画「最後の審判」が礼拝堂の壁にかかげられていた。Rogier van der Weyden ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの作と伝えられる傑作だ。(写真をクリックすると大きくなる)。

  今では一般に公開されているのでいつでも見ることができるが、15世紀の病人たちが「最後の審判」を目にできるのは、祝日と死のまぎわにかぎられていた。

  薄暗い特別室に保管されている「最後の審判」の前には人だかりがしていた。私も長年思いえがいていた祭壇画の前についに立つことができた。係員が特別製の特大ルーぺをリモコンで動かして説明をしてくれる。じっと30分くらい見つめていると、団体客がいなくなって私ひとりだけになった。

  その4につづく  その1にもどる

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007.12.30

ボーヌの最後の審判 その2

Beaune_soeurs

  この広間の中央にテーブルとイスが置かれていて、そこで食事をした。食器類は他の施設で用いられていたそまつな木製のものではなく錫製だった。寝具は羽布団で寒い時には湯たんぽまで提供された。それまでの人生で辛苦をなめてきた貧者たちは、死をむかえるそのまぎわに客人のような扱いをされたのだった。
Beaune_j

  修道女たちはほとんど無償で「限りなく与えつくし、忍耐をもってすべて受け忍ぶ、犠牲の精神」をもって病人たちに安らぎを与えようとした。自分の食費や衣料費などを支払って使命をはたしたのだ。なぜなら彼らは「キリストの苦しみにあずかっている人たち」だからだ。

  肉体は日ごとにおとろえてゆくが、このような献身的な介護を受けられたら、心は満たされるだろう。いったい誰がこのような施療院を建てたのだろうか。

  その3に続く  その1にもどる

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.12.28

ボーヌの最後の審判 その1

Beaune_cour
    Beaune ボーヌに着いたとき、曇り空からひとしずくの雨が落ちてきた。車を城壁の外に置いて、はやる心をおさえつつ街にはいる。
Beaune_hospices
  15世紀に建てられたHospices Civils de Beaune ボーヌ施療院は白い壁とardoise スレート葺きの真っ黒な屋根という簡素な外観だった。ブルターニュで見慣れた建物と同じだ。ところが中庭に一歩中にはいるとこのような美しい大屋根があらわれる。これは20世紀に修復されたものだが、15世紀の瓦を忠実に再現しているという。

  順路にそってゆくといきなり大きな部屋になる。ここがボーヌ施療院の中核、la grande salle des pauvres 「貧者たちの間」だ。写真の奥に見えているのは礼拝堂だ。高い天井は木貼りで舟底をつくる技術を応用したもの。これもブルターニュの教会でよくあるものだ。梁から動物や人間の顔がにょっきりと突き出している。

  この時代でも財力がありさえすれば専属の医者をやとい手厚い看護をうけることができた。Beaune_hだが貧者は野垂れ死んで路傍の石となりはてるのがあたりまえだった。そんな貧者たちがここでは修道女たちから心のこもった治療を受けることができたのである。

  ボーヌ施療院の患者ひとりひとりに割り当てられたベットの美しいことといったらどうだろう。人目を避けたいときは、カーテンをひけば完全な個室になる。このようなめぐまれた環境で静かに死と向き合うことができた人は幸せだったに違いない。

その2に続く

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.12.24

船乗りはウサギが嫌い?

  ウサギの足が縁起がよいと先日ウサギにまつわる話に書いた。そうするとフランスに住む友人から連絡があった。

  「理由はよく知らないけれど船乗りはウサギを嫌うの。うちの主人なんて、子供がウサギのデッサンのついたTシャツを着ているとヨットに乗る前に脱げって言うのよ。ウサギを乗せると船が難破すると思っているらしいの」と言うではないか。ウサギは縁起がよいはずではないのか? ただのデッサンだけでもダメと信じられているのならこれは意味深だ。

  そう考えているとフランス語で書かれたブルターニュの本にこれに関連する記述があった。「ウサギが船乗りにどうして恐れられているのだろう」というエッセイだ。ウサギは大航海時代に貴重な蛋白源として船に積み込まれていた。ところが逃げ出したウサギがロープや槙皮(まいはだ)を噛むこともあり、それが難破の原因となることもあったのだ。

  だが、船内にはほかにも噛む習性をもつ動物がいた。それはネズミだが、こちらはそう悪いことばかりではない。ネズミがいることは航海が安全だと考えられた。なぜならネズミは乗組員の食料を食べる反面、船が沈没する前に逃げようとする。一方ウサギは船が沈むその時まで噛み続けているので、嫌がられるようになったと推測されるという話だ。

  日本は来年ネズミ年。ネズミにあやかって運が向いてくると信じよう。

     参考
   
  女王ボウディッカとウサギ占い
  槙皮:ヒノキやコウヤマキの甘皮を砕いて繊維としたもの。舟や桶などの水漏れを防ぐために、材の合わせ目や継ぎ目に詰め込む。のみ。のめ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007.10.15

狩りにかかせないTrompe de chasse 角笛

Trompe_de_chasse

  フランスの森には多くの野生動物がすんでいる。これらの森では銃を用いた狩猟が盛んに行われている。私も友人に連れていってもらったことがある。藪の中を歩いて擦り傷だらけになったことを思い出した。一方で猟犬と馬で獲物を追い詰める中世さながらの狩りも続いている。

  歴代の王たちにとって欠かせない娯楽だった狩猟。深い木立をかき分け逃げてゆく鹿やイノシシ等の獲物を数十頭の猟犬が追いつめてゆく。そしてその後を馬に乗った騎士たちが続く。この時互いの意思確認に使われたのがTrompe de chasse 角笛だった。時代と共に動物の角、木、そして銅や真鍮製へと素材は変化した。その長さは4、5メートルもあるというからびっくりだ。3回半巻かれているのであまり大きく感じない。写真はナントで行われていた角笛の演奏の様子だ。

  そして狩猟シ-ズンの秋から冬にかけて、gibier ジビエと呼ばれる野禽類が食卓を彩ることになる。ジビエを料理するのはたいてい男性。自分でしとめた獲物の毛をいそいそとむしっている姿をよく目撃した。イノシシのステーキをごちそうになった翌日は精がついたような気がした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.08.26

エルミンを抱いた貴婦人

Dame_a_lhermine

LEONARD DE VINCI
La dama con l'ermellino (1488-90).

  この作品はレオナルド・ダ・ヴィンチが描いたCecilia Galleraniチェチーリア・ガッレラーニの肖像画だ。15から17才くらいであったと考えられている。日本語では「白貂を抱いた貴婦人」と訳されることが多いがこれはフランス語ではLa Dame à l'Hermine、まさしくエルミン(オコジョ)なのである。

  チェチーリアが10才になったころイタリアのミラノ公、Ludovic Sforza ロドヴィーコ・スフォルツァ(通称 il Moroイル・モーロ)と婚約が整う。だが、ミラノ公はフェラーラ公エルコレ1世の次女ベアトリーチェと結婚。その後もチェチーリアは愛妾として同じ宮殿内に暮らしていた。一方レオナルド・ダ・ヴィンチは84年からロドヴィーコの元で働いていた。有名な「最後の晩餐」はミラノのサンタマリア・デレ・グラツィエ教会に描かれたものだ。

  ではいったいなぜ、エルミン(オコジョ)を抱いているのだろう。エルミンは純潔の象徴だったこと、そしてロドヴィーコの紋章だったというのが理由だ。加えて彼女の姓Galleraniに関する語呂合わせだったのではと推測されている。エルミンはギリシャ語でgalayだからだ。ただし評論家のなかには「オコジョじゃなくてフェレットだよ」という人もいるそうだが・・・

  さて「ミラノとブルターニュ、関係ないのに」という声が聞こえそうだが話はこれからだ。ロドヴィーコは2度にわたりフランス王と戦い没落してしまう。その王とはLe roi de France Charles VIII シャルル8世と Louis XIIルイ12世だ。ブルターニュ公妃でありフランス王妃となったAnne de Bretagne アンヌ・ド・ブルターニュのふたりの夫だ。

  ルイ12世はレオナルド・ダ・ヴィンチの評判を聞き、仕事を依頼したこともある。アンヌも夫から話を聞いていたはずだ。やがて運命に導かれるようにレオナルド・ダ・ヴィンチはフランスで人生最後の日々を送る。住まいとなったLe Clos LucéにはOratoire d’Anne de Bretagne アンヌ・ド・ブルターニュの礼拝堂があった。アンヌはアンボワーズ城の喧噪から逃れるようにこの礼拝堂で過ごすことが多かったのだ。

  ダ・ヴィンチがやって来たとき、アンヌはもう亡くなっていたが、礼拝堂に刻まれたエルミンのモチーフは今でも残っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.07.31

サラ・ベルナールの愛したBelle-Ileベル・イル

Belle_ile

  フランス19世紀の著名な女優Sarah Bernhardtサラ・ベルナール(1844年10月22日 – 1923年3月26日)。1862年に女優デビュー。おもに舞台で活躍する。ヨーロッパのみならずアメリカでの評価も高い。晩年レジオンドヌール勲章を授与され、亡くなった時には国葬がおこなわれた。
Gismondab
  1894年の年末, 彼女はまだ無名だったAlfons Mucha アルフォンス・ミュシャにポスターを依頼(クリックすると大きくなる)。これがミュシャを一躍有名にした。そしてその後も多くのポスターを制作する。ちょうどこの年、彼女ははじめてBelle-Ile ベル・イル島を訪れた。ちょうど50歳だった。上の写真が彼女が毎日眺めたであろうla pointe des Poulains プーレン岬の様子だ。このようなBelle-Ile ベル・イルの風景にすっかり魅了された彼女はそれから毎年必ず足を運んだ。

  当時は交通事情が悪かったので島まで来るのは大変だった。パリから12時間列車にゆられ、それから馬車と船に乗り換えてまだ数時間かかったのだ。それでも彼女は数多くの画家、作家など著名人を島に招待した。たとえばle Roi Edouard VII d’Angleterre英国王、エドワード7世がそうである。

  下の写真が彼女の家だ。彼女は心からBelle-Ile ベル・イル島を愛していたのでこの島で永遠の眠りにつきたいと望んでいた。だがその望みはかなわず、パリのペール・ラシェーズ墓地に葬られた。その写真はここ

  サラ・ベルナール(Wikipedia)
  L'âme de Sarah Bernhardt flotte sur Belle-Ile-en-Mer(Ouest France lundi 23 juillet 2007)

Belle_ile_s_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.07.11

フランス 2007年夏のフェスティバル情報

  学校が休みにはいっているフランスはバカンスシーズンまっただなか。すでに観光客でにぎわっています。毎日お祭り状態なのですが、何があるのか知りたいですよね。

  Le Guide des Festivals Tous les festivals de l'été 2007 音楽、映画、演劇、ダンス、スペクタクル、芸術、文化、グルメなどの総合検索ができます。ただしフランス語のみです。こちらが現在行われているリストです。それぞれの地域、町、日付などで検索できます。

  Bretagne Le Guide des Festivals 2007 ブルターニュの情報 こちらもフランス語のみ。月別の情報はこちら。(表示は7月分のフェスティバル情報にしてあります。カレンダーをクリックすれば、月別に表示できます)。

  とりあえずクリック。これをフランス語から日本語にネットで翻訳するには、Infoseek マルチ翻訳が便利。関西弁にすることもできますよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.06.21

フランスからの小包

Dsc_0011

  フランスから郵便が届きました。送ってくれたのは、リヨンにお住まいのオペラ歌手、ひでさんです。在仏熊猫日記というブログを書いています。ひでさんのブログが「15万ヒット」をむかえ、私は15万プラス1番目の訪問者となったのでプレゼントを送ってくれたのです。

  中からいい匂いが漂ってきます。どきどきしながら包装を開くと中から右のようなたくさんの品が出てきました。フランスのL'OCCITANT ロクシタンの製品です。南仏プロヴァンス生まれの自然化粧品のメーカーでフランスでは非常に人気があります。私もハーブ入り石鹸を使っていました。
Occitant1

  このメーカーは植物療法やアロマセラピー理念で作られており、商品の製造工程で動物性原料、および副産物を使用していません。また環境保護のために、汚染物質を出さない工場作り、環境に優しいパッケージを使用。加えてブルキナファソへの継続的な支援を行ったり、ほとんどの製品にはパッケージに点字で製品名を記載するなどの配慮もしています。

  ほかに入っていたのは、これも南仏の代表的香辛料でした。Herbe de Provenceエルブ・ド・プロヴァンスは何にでもあうフランスの万能調味料。肉料理、煮込み料理、スープなどに使わせていただきます。ひでさん。どうもありがとうございました。
  
  L'OCCITANT ロクシタン ホームページ 日本語

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007.05.28

レンヌのクレープリー AR PILLIG

Ar_pillig_mur

  店内に足を踏み入れた瞬間、息をのむ。壁全体に素晴らしい彫刻がほどこされているからだ。おおらかで躍動感あふれる人物像。

    森の木々や植物は圧倒的ボリゥームで見るものに迫ってくる。" AR SEIZ BREUR " (les sept frères7人兄弟)というブルターニュの芸術運動で活躍したJorj Rual, R. Y. Creston,Jean Goronという3人のアーティストの作品。制作は1930年である。貴重なものとして、レンヌの文化遺産に指定されているが、柔らかな飴色の木肌が本当に美しい。
Ar_piling_1

  彫刻の題材はアーサー王伝説にちなむものもあり、それはメニューにも取り入れられている。例えばガレットLa Lancelot du lac 湖の騎士、ランスロは、白ネギ、スモークしたカモ肉、クリームの組み合わせだ。ランスロはブルターニュにあるコンペル城前の湖で妖精ヴィヴィアーヌに育てられた。湖の底には水晶の城があり、そこで成長したのである。

  隣の部屋は趣向が異なり、職業を示すモチーフが彫られている。右の写真はその一部。4枚とも下部にブルターニュの象徴hermineエルミン(おこじょ)があしらわれている。右上の中央はかなづち、下は絵筆だろうかと、職人たちの働く姿を想像しながら眺めてみる。

Ar_pillig

  このような逸話ぬきでも、この店のガレットはおいしい。レンヌに数多くあるクレープリーの中でもベスト3にはいるだろう。写真のガレットはL'Auvernate オーヴェルニュ(フランス中央部の地域名)という品。暖かいヤギのチーズ、クルミ、中央はリンゴの薄切りだ。小鉢にはいっているハチミツを全体にかけて食べる。ハチミツの甘さとクルミの食感が絶妙。値段はサラダがついて9.2ユーロだ。

*AR PILLIG*
10, rue d’Argentré
35000 RENNES
Tél : 02 99 79 53 89

  LES SEIZ BREUR Art national breton et art totalitaire 第一次大戦と第二次大戦の間におきたブルターニュの芸術運動
  Patrimoine Ar Pilig années 1930


| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007.05.04

Claude Monetクロード・モネ回顧展 その1

Maison_monet

  今年オープンした国立新美術館(東京・六本木)でClaude Monetクロード・モネ(1840-1926)回顧展が始まっている。リンクしようとしたら、公式ページがココログだった!

  「大回顧展モネ 印象派の巨匠、その遺産」と題された回顧展では、モネの作品約100点に加えて、モネに影響を受けた画家らの作品も展示されている。これはパリのMusée d'Orsayオルセー美術館との共同企画で実現した。19世紀後半の西欧における「ジャポニスム」に焦点が当てられている。

  浮世絵の熱心な収集家だったモネは、「空間の単純化」に取り組むきっかけを日本から与えられたと語っている。Givernyジベルニーにあるモネの家(上の写真)には壁全体に北斎、広重、歌麿などが飾られている。モネはここで晩年をすごし、亡くなってからその村の教会裏に葬むられた。この家も荒れ放題だったのを80年代にはいってから修復したのである。

  今でこそ印象派の画家たちの作品はどれも高額で取引されているが、世間に認められるまでは貧乏暮らしだった。特にモネはひどかった。「赤貧洗うがごとしの前借り生活」を送っていたのだ。この表現は鹿島茂さんの「文学は別解で行こう」から拝借したもの。

  「実家からの仕送りも遺産もなかった」モネは、子供が生まれたばかりだったので友人のマネや知人に前借をしていたのだ。それにしても「赤貧洗うがごとし」とはなんとも苦しい。回顧展が賑わっている様子を天国のモネは苦笑いしながら眺めているかもしれない。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.02.17

ルーブル美術館、ストのため無料

  フランスではつねにどこかで行われているストライキ。14日にはMusée d'Orsayオルセー美術館とMusée du Louvreルーブル美術館で監視員のストがあった。オルセー美術館は閉館になったが、ルーブル美術館は特別なはからいで普通は8.5ユーロする(今年7月からは9ユーロに値上げされる)入館料が無料になった。ルーブル美術館、監視員のストで入館無料(朝日新聞)

  ここで新しいことを発見。というのは、「混雑防止を理由に05年9月から人気絵画の写真・ビデオ撮影を禁止」していることだ。この事実を私は知らなかったが、一部絵画だけ禁止になったことを観光客は理解していないと思う。ルーブル美術館を見学するときには注意しよう。

       フランスでの報道

La grève des gardiens de musée se poursuit à Paris Le Nouvel Observateur
  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.02.11

Musée des manuscrits du Mont-Saint-Michel モン・サン・ミッシェル写本美術館

Musee_m
  世界遺産に指定されているMont-Saint-Michel モン・サン・ミッシェルの中にあった図書館はヨーロッパでも有数の豊富な写本を所持していました。現在はAvranchesアブランシュで保管されています。詳細はこちらに書いています。上の写真は観光EXPOの様子で、実際の美術館の内部ではありません。

  ずっと市役所内部の図書館にありましたが、新しくこれらを展示する美術館がオープンしています。Mont-Saint-Michel モン・サン・ミッシェルから車なら1時間ほどで行けますのでぜひどうぞ!
Musée des manuscrits du Mont-Saint-Michel

続きを読む "Musée des manuscrits du Mont-Saint-Michel モン・サン・ミッシェル写本美術館"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.07.31

パリ・プラージュでトップレスに罰金

  毎日新聞にこんな記事が載っていた。パリ:人工ビーチでのトップレスなど禁止という内容。

パリ市は29日、セーヌ川岸に設置している人工ビーチ「パリ・プラージュ」(パリのビーチ)での「トップレスやひも状態のビキニ姿」を禁じる布告を出した。
パリジャン紙によると「過度な露出はセーヌ川岸沿いでの危険な行為を誘発しかねない」ため。違反者には38ユーロ(約5500円)が科せられる。セーヌでの人工ビーチは今年が5年目で昨年まで禁止措置はなかった。仏南部コートダジュールなどではトップレスやひも状ビキニは一般化している。毎日新聞 2006年7月30日

  Paris Plagesパリ・プラージュとはセーヌ川のほとりに砂をしきつめ、海に行ったような気分を味わってもらおうといううれしいような、ちょっと寂しいようなパリのイベント。(本物の海に行ったほうがもっと楽しいだろうから)。ビーチパラソルや椰子の木などが、川沿いに並んでいるのである。2002年からはじまったのだが、これが予想外の人気をよんでいる。昨年は380万人が利用した。Paris Plagesの映像はここからどうぞ。

  日本人は日焼けをきらうが、フランス人は何とかして日に当たろうとする。海辺でも水温が低く泳げないとしても水着になって日光浴を楽しむのだから。こんな時、女性の多くがビキニ姿。トップレスになる女性など当たり前なのだ。それを今更禁止にして、38ユーロの罰金を支払えというのは馬鹿げた話ととらえられている。

  今年は暑い日が続いていて寒がりの私でさえ「洋服なんて着ていたくない」くらいなのだ。セーヌ川のほとりだけ禁止してもあまり意味がないような気がするが・・・
L'interdiction des strings et seins-nus à Paris-Plages fait débat TF1

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2006.07.16

ピカソのゲルニカにこめられた想い

Guernica

  スペイン滞在中に北朝鮮がミサイルを発射したこと、またインドのムンバイで連続爆破テロが起きたことを知った。イスラエル軍はここ数日レバノン全土で空爆を行っている。逃げまどう人々がテレビを埋め尽くし、殺戮が絶え間なく続いている。

  2004年3月にスペインの首都マドリッドでもテロがあった。そのことはマドリッドの悲劇テロの脅威とバスク弾圧に書いたとおりだ。

  このテロがあったのがAtochaアトーチャ駅。最後にマドリットに1泊して早朝にToledeトレドをたずねたのだが、その起点となっている駅である。ここから歩いて数分の場所にあるのがEl Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofía国立ソフィア王妃芸術センターだ。時間がなかったので、ピカソ、ダリ、ミロなどが展示されている2階フロアだけを見学した。

  Pablo Picassoパブロ・ピカソの Guernicaゲルニカ(1937年制作)を一目見て帰りたかったからだ。高校生のころ、この絵がどうして評判なのかよくわからなかった。あまりにデフォルメされた人物像、ろくろ首のように伸びきった首が好きになれなかったからだ。

  だが今はこの絵にこめられた無常観がわかるような気がする。赤い血の色よりも強烈な怒りや悲しみが白と黒のキャンバスから静かに滲み出してくる。ピカソは、パリ万国博のスペイン館を飾る壁画の制作を依頼されていたのだが、主題を決めかねていた。ちょうどその時、祖国スペインにある古都、ゲルニカが壊滅したことを知った。

  当時スペインでは、独裁者フランコの反乱軍と人民戦線との間で内戦が繰り広げられていた。 フランコを支援していたのがドイツのヒトラー。鉱物資源が豊富なバスクにねらいをつけ空爆部隊を差し向けたのだった。市民7000人のうち1654人がわずか数時間で命を落とした。

  このGuernicaゲルニカの下絵がずっと並んでいて詳細なデッサンを重ね構図を変更して壁画を描いた過程がよくわかった。また別の絵の中には"Aux Espagnols morts pour la France 1945-47"「フランスのために命を捧げた多くのスペイン人たち」と大きく書かれていた。この展示の様子はここから見ることができる。

  これまでにパリでそれぞれの作品を見たことがあった。マレにあるMusée National Picassoピカソ美術館、モンマルトルの丘にあるEspace Montmartre Daliダリ美術館、そしてポンピドゥーセンターで開催されたJOAN MIRO La Naissance du Mondeも見学した。それでもスペインのまばゆい日差しの下でこれらの絵画を前にすると、弾むような色が当たり前に感じられるから不思議なものだ。形さえも溶けてしまうようなするどい光がスペインにはある。

  ピカソがGuernicaゲルニカに描いたのと同じ光景がムンバイやレバノンで今も繰り広げられているはずだ。いったい何のために、いつまで続くのか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.06.29

重さの無い彫刻展

Segawa1

    レンヌ在住の日本人、瀬川剛(せがわ ごう)さんが7月7日まで展示会を開催中だ。彼の作品は非常にユニーク。透明なアクリル板にデッサン(油性ペンまたはアクリル絵の具、またはプリント)し、格子状に組み合わせる。すると組み合わさったデッサンが立体をつくりあげるというもの。現実空間における仮想立体が誕生する。

  具体的には3Dソフトを使いモデリングする。あるいは立体スキャンしたオブジェクト(3Dシミュレーション内での物体)をもとに制作するのである。写真にすると透明なアクリル板がわかりにくいので少々コントラストを強くした。下の作品は1メートル近くある巨大なもの。見る角度によっては形をなさないので、見学者は作品のまわりをグルグルまわることになる。
Segawa_1

  瀬川剛さんは2001年度、セゾンアートプログラム 美術家助成プログラムの受賞者。物質性を消去することで物体を意識させたり、虚像により実像を意識させるような作品を制作。従来の知覚に揺さぶりをかける試みを重ねている。(受賞記念展


   展示会場
 
La Maison Internationale de Rennes 月曜~金曜 14:00~18:30
 7 quai Chateaubriand 35000 Rennes
 tel:02 99 78 22 66

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.06.14

サン・ジルダ・ドゥ・リュイス修道院とアベラール その2

Abelard
  ここで改めてアベラールの人生を振り返ってみよう。Petrus Abaelardus(Pierre Abélard ピエール・アベラール 1079-1142)はNantesナントに近いLe Palletル・パレで生まれた。1100年頃パリでGuillaume de Champeauxギョーム・ド・シャンポー(実在論派)のもとで学び、やがて哲学者、神学者としての地位を確固たるものにした。その経歴は清水哲郎さんのページにまとめられているのでまず一読を。

  さてアベラールは39歳で、17歳だったエロイーズの住み込み家庭教師になる。若さと風貌、そして名声に自信を抱いていた彼はエロイーズに接近、彼女の心を射止めることに成功した。やがて彼女は密かにアベラールの故郷Le Palletル・パレで男の子を出産しAstrolabiusと名付けた。アベラールは正規聖職者ではないので、法的には問題はなかった。それでも、世間の目を気にしてこっそり結婚しようという申し出に反対したのは実はエロイーズの方だった。

  なぜ、すぐに承知しなかったのか、考えてみてほしい。アベラールはヨーロッパじゅうの学生たちが教えを請いたいと願ってやまないすぐれた教師であった。彼の講義は5000人もの聴講者を集めるほどだった。相思相愛で子供まで生まれているのに、何をためらう必要があるというのだろう。出世のさまたげになるからか。まず当時の結婚観は現代のものとは異なっていたことを考慮しなければならない。
207077222508lzzzzzzz
  キリスト教、公教会の見解によると、エヴァが蛇の誘惑に負けアダムに禁断の果実を食べさせたため人類は楽園から追放されることになった。諸悪の根源になっているのは女性だ。そのような女性とセックスするのも汚らわしい。だが子孫を残さねばならないので、そのための性行為だけは容認するというものだった。「妻を過度に愛する者は、姦通をなすに等しい」という考えが常に根底にあったのである。

  たとえばAbbaye de Clunyクリュニー修道院の院長Odonオドン(879-942)は女性に対し強い嫌悪感を抱き、女性を「糞の容れもの」と表現しているほどだ。そのためクリュニーの修道士たちは修道院的な禁欲を貴族に説いた。またAbbaye de Saint Benoît sur Loireサン・ブノワ・シュル・ロワール修道院長Abbonアボン(988-1004)は、結婚した男女は童貞である修道士と異なり姦淫の罪を犯しているか否か判別しがたい。したがって結婚は悪であると主張したほどであった。

  一方で俗世間では宮廷風恋愛が話題にのぼっていた。Tristan et Iseutトリスタンとイズー(トリスタンと白い手のイズーが暮らした城)やRoman de la Rose薔薇物語のように女性崇拝を堂々と表現した物語が大流行した。ここでは肉体関係をともなう恋愛も当然のこととして登場する。このような時代を生きていたエロイーズがどう考えたのか、次のエントリーでまとめてみたい。

右の本はHéloïse : L'amour et le savoir

  その3につづく

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.05.31

レンヌでデモ VIVRE ET DECIDER NOTRE CULTURE EN BRETAGNE

Dscn0030


  6月3日の午後、レンヌで「ブルターニュの文化を守ろう」というデモ行進があります。集合場所はオッシュ広場。もちろん私も参加します。具体的な内容は下のようなこと。ブレイス語です。(私はほとんどわかりません)。

  主催はConseil Culturel de Bretagneです。日本語では「ブルターニュ文化評議会」とでも訳せばいいのでしょうか。


LAKAOMP HOR SEVENADUR DA VLEUNIAÑ ER VRO
VIVRE ET DECIDER NOTRE CULTURE EN BRETAGNE
   03/06/2006 Place Hoche 14:30

  Treuzkas galloudou hag arc'hant da Vreizh evit
   -ar c'helenn brezhoneg ha gallaoueg
   -ur servij publik breizhek a skingomz hag a skinwel
   -digreizennañ ar sevenadur
   -Breizh adunanet
   -an demokratelezh lec'hel
   ・ブレイス語とガロ語教育
    (ガロ語はラテン語のくずれたもの。ケルト系ではありません)
   ・ブレイス語でのラジオ、テレビ公共放送
   ・文化的な政治活動
   ・ブルターニュ再統合
   ・地方ごとの民主主義
Affiche_manif_floue

  上の写真は2003年の様子。どちらを向いてもブルターニュの旗が翻り感動的でした。他の写真はLa Bretagneのブルトンというところで公開しています。

  ブルターニュでブルトン人としてに生きることを誇りに思い、その文化を子供たちに伝えようとがんばっている人たちがいます。これまではそれぞれの団体がバラバラに活動していましたが、数年前から徐々に行動を共にするようになってきました。裏をかえせば、このままでは文化が滅びると危機感を抱いているのです。

  アイルランドでは同じくケルト系のgalélique d'Irlandeゲール語が第一公用語となっていますが、フランスではフランス語を使用しなければなりません。言葉を守ることは文化を守ることと深く関わっていますが、ブレイス語を話すことのできる人はどんどん減少しています。右は今回のデモのためにつくられたポスターです。

| | コメント (0)