旅行・地域

2008.04.25

フランス・癒しの旅 モン・サン・ミシェル修道院

Katarogu



  フランス・癒しの旅4 モン・サン・ミシェル修道院(ここからリンクに飛べます)が公開されました。春から夏にかけては観光客でごったがえしますが冬になるとほとんど人は歩いていません。そんな冬の写真もご覧ください。

  これまでに何回行ったのか指折り数えてみました。少なくとも6回は行ったことがあります。そのうち1回は建築史の先生が古い年代から順に建物の構造を解説するモン・サン・ミシェル7時間コースでした。一般コースにははいっていない塔の上の方まで登りました。もちろん、人があまりいない2月でしたから寒くてたまりませんでしたが。

  創立1300周年をむかえたモン・サン・ミシェル修道院では7月17~27日にかけてFestival 13 siècles entre Ciel et Mer !が企画されています。ダンス、演劇、語りなどプログラムはもりだくさん。音楽はゴスペル、ポップ、ロック、シャンソン、ジャズ、クラシックとどうやってまとめるのだろうと心配するほどです。

  島周辺では砂浜を歩いて渡るツアー(ガイド付き)や湾内の遠足。気球やULM(軽量エンジンつき飛行機)による島上空の飛行ツアーなども体験できます。詳しい情報は下の観光案内書にお問いあわせ下さい。

  Le Mont Saint Michel 公式ホームページ
  Entre terre et ciel : le Mont-Saint-Michel et les montagnes sacrées dans le monde 6月2日~11月11日 150人以上の写真家たちの写真展

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2008.03.23

ルーブル美術館の新オーディオガイド

  ルーブル美術館のオーディオガイドは、番号を入力して作品の解説を聞くのみでした。新オーディオガイドは機能が増えました。作品の展示されている場所や、テーマ別にお勧めの順路が表示されるようになったのです。たとえば2時間半でフランスの名作を鑑賞できるコースや1時間半で15-18世紀イタリアを堪能できるコースなどがあるそうです。

  これまで6カ国語(フランス語・英語・イタリア語・ドイツ語・スペイン語・日本語)の音声がありましたが、新オーディオガイドでは韓国語とフランス語の手話も追加されました。解説内容も、成人向けだけでなく子供向けも選択できるようになりました。レンタル料は通常6ユーロ、割引4ユーロ、18歳未満2ユーロです。

  Monguide.louvre 詳しい説明はこちらから。

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2008.02.07

フランス癒しの旅 2

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  語ろ具、「フランス・癒しの旅」の第2回目はサン・ピエール修道院付属教会(ミディ・ピレネー地方、モワサック)です。映画などでも修道院の回廊が登場しますが、このように美しい回廊に出会ったことはありません。

  ここを訪ねる数日前にToulouse トゥ-ルーズのこちらも有名なジャコバン修道院を訪ねました。修道院の建物は非常にユニークで素晴らしいのですが、回廊だけを比べるとモワサックのサン・ピエール修道院付属教会の方がひときわ際立っていました。

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2008.01.28

ボーヌの最後の審判 その5

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  これだけの施設を運営するには多額の経費がかかる。Nicolas Rolin ニコラ・ロランはまず、塩田からの収入を積立てて経費をねん出しようとした。この塩田は妻の実家であったサラン家が所有していたもので、ブルゴーニュ公国の重要な産業だった。

  加えて、自分が所有していたブドウ畑を施療院に寄付し運営費の一部とした。この施療院があるボーヌの周辺は、ブルゴーニュワインの産地がひしめいている。施療院の評判が高まるにつけ寄付されるブドウ畑も増加する。そして今では60ヘクタールのブドウ畑を持っている。Hospices de Beaune オスピス・ド・ボーヌの名前を持つワインはその品質でも高い評価を得ている。

  このボーヌで毎年11月に開催されるワインのイベントはLes Trois Glorieuses 栄光の三日間と呼ばれている。初日はConfrérie des Chevaliers du Tastevin ブルゴーニュ利き酒騎士団 の入団式と晩餐会。2日目にオスピス・ド・ボーヌのVente aux enchères des Hospices de Beaune チャリティー・オークション。3日目がLa Paulée de Meursault ムルソーで収穫を祝う昼食会だ。

  昨年2007年のチャリティー・オークションは冷夏にもかかわらず前年より27,10 %上昇し4,291 millions d’euros(約70億円)の高値がついた。特に赤ワインは38 %の伸びを示した。(フランス語の新聞記事を続きにはりつけておく)。この収益金はHospices Civils de Beaune ボーヌ施療院の運営のほか、Programme "personnes âgées" de la Fondation de France 高齢者基金やl'Unicef France ユニセフ・フランスへの寄付にあてられる。

  写真はボーヌ施療院の厨房。20世紀初頭の厨房を再現したものだ。蛇口の先が白鳥の首になっていて非常に優雅。あくまでも最高のものを目指した創始者Nicolas Rolin ニコラ・ロランの意志はこのボーヌに生き続けている。
  

 Hospices Civils de Beaune 公式ホームページ
 ボーヌで死ぬということ―「中世の秋」の一風景 著者は私が敬愛するフランス文学者である。その知識の豊富さは言うまでもないが、読む度に魂が揺さぶられるのだ。「限りなく与えつくし、忍耐をもってすべて受け忍ぶ、犠牲の精神」私のような凡人にはとうてい到達できない境地だが、どう生きるかを考えさせられる名著である。ぜひ一読を! 
    
オスピス・ド・ボーヌ
2005年のワインを購入する
      
オスピス・ド・ボーヌ
2004年のワインを購入する
 
 

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2008.01.11

フランス癒しの旅 はじまります

Golog_1
  
  このBlogは@Niftyのココログを利用して書いています。@Niftyには語ろ具(ごろぐ)というサービスもあります。こちらで「フランス癒しの旅」を連載させていただくことになりました。第1回目はユネスコの世界遺産に登録されているブルゴーニュ地方、ヴェズレーのサント・マドレーヌ大聖堂です。

    今週、弘法大師の足跡をたどり高野山と京都の東寺をたずねてきました。東西をとわず神仏の前では身が引き締まる思いがします。今年はじっくりと心を見つめてゆくつもりです。「フランス癒しの旅」でご一緒にバーチャルトラベルを楽しんでくださいね。

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2008.01.07

ボーヌの最後の審判 その4

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  上の写真は「最後の審判」の裏側である。左側の男性がNicolas Rolin ニコラ・ロラン、祈祷台の反対側にいるのは妻のGuigone de Salins ギゴーヌ・ド・サランである。ふたりは施療院完成後も貧しき兄弟たちを救いたいと、その運営に心血をそそいだ。

  さて5世紀以上の歳月の中で、これまでどれくらいの人々がこの「最後の審判」を眺めてきたことだろう。命の炎がつきようとするその間際に、どんな思いで見つめていたのだろうか。純白の衣装をまとった大天使サン・ミッシェル(聖ミカエル)の下げる天秤の上で天国行きか地獄行きかの審判をあおぐ裸の男。

  現世でいくら金持ちであろうと、地位が高かろうと、あの世では全く関係ない。試されるのは魂だ。誰も貧者になろうと生まれてきたわけではない。精一杯生き抜いてその結果つつましい生活を余儀無くされただけだ。大天使の頭上でキリストがそう言っているようだった。

  私はこのとき07年になくなったL'abbé Pierre ピエール神父のことを考えていた。その葬儀で多くの人が「私の父親」と慕い涙にくれていたその光景を。生涯清貧に甘んじ、弱者のために戦い続けたただの神父を、マスコミは”Le pape des pauvres”「貧者の教皇」と称しその生き様を賞賛した。

  その5につづく  その1にもどる
 

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2008.01.05

ボーヌの最後の審判 その3

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  創設者はNicolas Rolin ニコラ・ロラン、1443年当時ブルゴーニュ公国の宰相だった。頭脳明晰でブルゴーニュ公Philippe le Bon フィリップ・ル・ボンの片腕として巨額の財をなしていたのだが、神への信仰をこの施療院建設という形として示したのである。

  度重なる戦争や伝染病の流行で領土は荒れていた。まるで乞食同様の暮らしをしている住民がほとんどだった。ニコラ・ロランの志をくみ、ブルゴーニュ公は税金の控除ばかりでなく、自己の所有する森から木、公の石切り場から石材を切り出し使用する許可を与えた。

  貧者にただ食料を与え、治療をほどこすだけなら、納屋のような建物でこと足りる。ところがこの建物はその存在そのものが一流の職人達によって生み出されたゴシック様式の芸術品だ。その内部の細工も手がこんでいる。そして、忘れてはならない祭壇画「最後の審判」が礼拝堂の壁にかかげられていた。Rogier van der Weyden ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの作と伝えられる傑作だ。(写真をクリックすると大きくなる)。

  今では一般に公開されているのでいつでも見ることができるが、15世紀の病人たちが「最後の審判」を目にできるのは、祝日と死のまぎわにかぎられていた。

  薄暗い特別室に保管されている「最後の審判」の前には人だかりがしていた。私も長年思いえがいていた祭壇画の前についに立つことができた。係員が特別製の特大ルーぺをリモコンで動かして説明をしてくれる。じっと30分くらい見つめていると、団体客がいなくなって私ひとりだけになった。

  その4につづく  その1にもどる

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2007.12.30

ボーヌの最後の審判 その2

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  この広間の中央にテーブルとイスが置かれていて、そこで食事をした。食器類は他の施設で用いられていたそまつな木製のものではなく錫製だった。寝具は羽布団で寒い時には湯たんぽまで提供された。それまでの人生で辛苦をなめてきた貧者たちは、死をむかえるそのまぎわに客人のような扱いをされたのだった。
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  修道女たちはほとんど無償で「限りなく与えつくし、忍耐をもってすべて受け忍ぶ、犠牲の精神」をもって病人たちに安らぎを与えようとした。自分の食費や衣料費などを支払って使命をはたしたのだ。なぜなら彼らは「キリストの苦しみにあずかっている人たち」だからだ。

  肉体は日ごとにおとろえてゆくが、このような献身的な介護を受けられたら、心は満たされるだろう。いったい誰がこのような施療院を建てたのだろうか。

  その3に続く  その1にもどる

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2007.12.28

ボーヌの最後の審判 その1

Beaune_cour
    Beaune ボーヌに着いたとき、曇り空からひとしずくの雨が落ちてきた。車を城壁の外に置いて、はやる心をおさえつつ街にはいる。
Beaune_hospices
  15世紀に建てられたHospices Civils de Beaune ボーヌ施療院は白い壁とardoise スレート葺きの真っ黒な屋根という簡素な外観だった。ブルターニュで見慣れた建物と同じだ。ところが中庭に一歩中にはいるとこのような美しい大屋根があらわれる。これは20世紀に修復されたものだが、15世紀の瓦を忠実に再現しているという。

  順路にそってゆくといきなり大きな部屋になる。ここがボーヌ施療院の中核、la grande salle des pauvres 「貧者たちの間」だ。写真の奥に見えているのは礼拝堂だ。高い天井は木貼りで舟底をつくる技術を応用したもの。これもブルターニュの教会でよくあるものだ。梁から動物や人間の顔がにょっきりと突き出している。

  この時代でも財力がありさえすれば専属の医者をやとい手厚い看護をうけることができた。Beaune_hだが貧者は野垂れ死んで路傍の石となりはてるのがあたりまえだった。そんな貧者たちがここでは修道女たちから心のこもった治療を受けることができたのである。

  ボーヌ施療院の患者ひとりひとりに割り当てられたベットの美しいことといったらどうだろう。人目を避けたいときは、カーテンをひけば完全な個室になる。このようなめぐまれた環境で静かに死と向き合うことができた人は幸せだったに違いない。

その2に続く

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2007.12.22

ロワール渓谷地方のポータルサイト

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    ちょうど去年の今頃はロワール地方のTours トゥールにいました。フランス在住の日本人女性が招いてくれたので、数日間事務所に泊めてもらったのです。電話では話したことがありましたが、会うのはこの時がはじめてでした。クリスマス前で華やかなイルミネーションで飾りつけられた街は活気にあふれていました。通りごとに趣向をこらした飾り付けです。
Tours_noel1

  Rennes レンヌより規模は小さいのですが、15世紀のルイ11世の時代には、一時的にフランスの首都となったこともあるだけに中世のたたずまいが残っています。想像以上に見所が多く、時間が足りませんでした。このような滞在の機会を与えてくれてありがたかったです。

  この女性、フランスで会社を設立しています。手続きは非常に苦労したそうですが、今ではTours トゥールにすっかり溶け込んで地元のイベント企画などもしているそうです。ロワール地方の穴場情報がたくさんありますので、観光の参考にしてくださいね。

  FRANCE ACCES ロワール渓谷地方のポータルサイト
  FRANCE VAL DE LOIRE フランス人向けのホームページ

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2007.12.11

フランスの田舎を旅する

  カナダにお住まいの方から「フランスの最も美しい村々を訪れたい」とメールをいただきました。いくつかご質問があったので、まとめてお答えいたします。

  1)そちらには適当な村を巡るツアーのようなものはございませんか。車を借りて回ってみたいですが、何しろ違う国での運転は不安でもありますし、どうしたものかと考えています。

  上のリンクを読んでもらえばわかりますが、最も美しい村々の多くは過疎化する村の住民が活性化のために努力している村です。内陸部にあることが多く、とても小さな村です。公共の交通機関があったとしても、一日に数本しかなかったり、移動は非常に不便です。特別なツアーはないですし、レンタカーの運転が不安ならタクシーを利用するしかないでしょう。最も美しい村々は日本の各県に一箇所程度しかありませんので、移動距離は長いと覚悟してください。(南仏にはたくさんあります)。

  2)一週間ほどの予定で十村くらいめぐることはできますでしょうか。それと泊まる宿についても、適当なB&Bまたは小さなinnなど見つけることはできるでしょうか。

  場所によりますがそれぞれの村は人口2000人未満なので1時間くらいで見てしまうほどの規模です。大きな村でも2時間もあれば見学できます。このような村で宿泊すると、地元の人と親しくなることもできるでしょう。たいていの村に宿泊施設はありますが、4月でしたらまだ閉まっていることもあります。また部屋数も2部屋だけしかないような小さな宿の可能性も考慮したほうがいいでしょう。あらかじめ観光案内所に問い合わせる、あるいはネットで検索して予約するのが無難です。

  3)目的はやはり写真を撮りたいです。あまりお城とかには興味はなく、小さな村に出会いたいです。

  お城のある村はそう多くありません。それにお城といってもたいてい廃墟です。お友達をさそってツアーにするのであれば、最も美しい村々と近郊の小さな町を組み合わせて観光するのが特に北部では効率的です。そうでないと、みなさん、飽きてしまうのではないでしょうか。きっと想像されている以上に小さいですから・・・まず、どの地方へ行くかを絞って計画をたててください。

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2007.10.31

地球温暖化が進めば、山はどんどん高くなる?

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    ヨーロッパの最高峰Mont Blanc モン・ブランの標高はこれまで4808.75mとされていた。ところが、9月に測量したところ4810.9mメートルとこの2年間で、2.15m高くなっているという。地球温暖化のせいで氷河は溶けているというのに、これはどういうことだろうと首をかしげた。

  どうも暖かくなったせいで、高い山の上でも雪が降り、標高も高くなったというのだ。すぐには納得できないが、測量結果が異なっているのだから、これから山はどんどん高くなるのだろうか?

  写真はAiguille du midi エギュー・ド・ミディ(3842m)から見た神々しい美しさのMont Blanc モン・ブラン。今年の春、4度目でやっとエギュー・ド・ミディに登ることができたが、この時は快晴だった。

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2007.10.30

世界でいちばん贅沢な生活

  NHK Bourgogneブルゴーニュ特集 小さな村の豊かな実り、Savigny les Beaune サヴィニー・レ・ボーヌ村の物語 「極上のワインを愛でる」にはエッセイストの玉村豊男さんが出演。

なだらかな丘陵地帯に見渡す限り広がるブドウ畑。サヴィニーは、ブルゴーニュの中でも最高級のワインを生み出すことで知られるコート・ドール(黄金の丘)に位置するワインの村。ここでは9月、ワインを試飲しながらブドウ畑を歩く、ワイン遠足が開催され、遠方からも多くの参加者を集める。ワイン醸造の営みと極上の味わいを紹介するとともに、村のワイン農家に嫁いだある日本人女性の奮闘ぶりも伝える。

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  畑をぬけて丘を登りつつワインを味わうツアーは、実に楽しそうだった。生産者と語りあいながら首からぶら下げたグラスでワインを飲むことができる。丸一日かけて歩きながら25杯ものグラスを空にした人までいた。そこにワインをサービスする日本人女性がいた。ビーズ千砂さんだ。「毎日おいしいワインを飲めてうらやましい」と思うだろうが、ブドウ栽培は天候に左右されるので、品質管理は大変だ。ブドウ摘みを手伝ってくれる人たち、約50人分の食事を用意するのも大切な仕事だ。

  その日常生活をつづった本がブルゴーニュワイン村で見つけた世界でいちばん贅沢な生活la plus belle vie au mondeだ。購入して読んでみた。たくさんのお客をもてなし、地元でのつき合いをこなす。忙しくても充実した暮らしが目に浮かぶ。

  だが近年フランスのワイン消費量は減少しているし、チリや中国といった人件費の安い国で生産されたワインが増加している。ブルゴーニュでも廃業においこまれる生産者が少なくはない。いろいろ苦労はあるだろうが、ブルゴーニュワインを守り続けてほしい。ビーズ千砂さん一家が手塩にかけたワインDomaine Simon Bize et Filsは日本でも購入できる。下にその一部をあげておいた。

シモン・ビーズChevalier Montrachetシュヴァリエ・モンラッシェ2000
シモン・ビーズの新しいチャレンジ。ジュブレ・シャンベルタンのグランクリ...
コルトン・シャルルマーニュ [2003] シモン・ビーズ750ml 白 辛口
シモン・ビーズSavigny Les Beaune Aux Vergelessesサヴィニ・レ・ボーヌ・オー・ヴェルジュレ...
シモン ビズ ブルゴーニュ ルージュ レ ぺリエール 2003


Savigny en tous sens Savigny les Beaune サヴィニー・レ・ボーヌ村で9月の第一日曜日に開催される試飲ツアー

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2007.10.10

ノルマンディーの小さな村 Beuvron en Auge ブーヴロン・アン・オージュ

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  Beuvron en Auge ブーヴロン・アン・オージュ。ノルマンディーにある「フランスの最も美しい村々」149村のひとつにも選出されている小さな村。17~18世紀の街並みをBa1975年に当時の材料を用いて復元している。上の建物は民宿になっていた。

  15世紀の木組みの立派な家がシンボル的存在だ。可愛いお店が軒を並べていて、シードルの試飲も出来る。10月の最終ウイークエンドにはシードル祭りが開催される。

  村中競い合うように花が飾られていて、どこを撮っても絵になる風景だ。疲れを癒し、一休みするには最適。数日間のんびり過ごしてみたい。

  Beuvron en Auge 観光案内

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2007.10.02

シードルとワインの産地をゆく

Vigne

  9月に訪ねたフランスの町をまとめてみました。滞在時間はそれぞれ異なりますが、2週間でこれだけ立ち寄りました。下線を引いた4箇所は世界遺産に登録されているところです。前半のサン・ドニ以外は30人の団体行動。某協同組合の海外視察旅行に同行。案内や通訳をさせていただきました。名産のシードルになるリンゴの木にたくさん実がなっていました。

 パリ Paris, Saint-Denis

 ピカルディー Chantilly
 サントル Chartres
 ブルターニュ Saint-Malo, Dinan, Fougers,
 ノルマンディー Mont-Saint-Michel, Bayeux, Arromanches, Falaise, Honfleur, Beuvron en Auge, Le Havre, Etretat, Rouen, Giverny

  後半は一人でレンタカーで移動。各地で取材をしました。特にNantesの企画展示と、Beauneに行くことができ意義深い旅になりました。ちょうど木々が紅葉していて、落ち葉が舞っていました。上の写真は収穫まじかのワイン畑の様子です。今度はブルゴーニュのワインカーブを巡りたいものです。

  またラグビーのワールドカップ開催中なので、国中がいつもにも増してお祭り騒ぎになっていました。ただ全体の移動距離が長かったのでまだ旅をしている夢を見ています。

 ブルターニュ Rennes
 ロワール Nantes
 ブルゴーニュ Brianny, la ferte loupiere, Auxerre, Vezelay, Avallon, Autun, Beaune, Dijon


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2007.09.10

シャンゼリゼ通りがブルターニュになる日

  ブルターニュからニュースが届いた。

Breizh Touch : quand la galette prend d’assaut la capitale ...
On y est presque ! La Breizh Touch sera à Paris du 20 au 23 septembre prochains. 4 jours de fête et de découverte à Paris, pour présenter au public une Bretagne étonnante et détonante.

Breizhtouch

  Parisパリをブルターニュ色にそめてしまおうという4日間の催しが9月20日から23日まで開催される。コンサートやダンスパーティー、セーヌ川のほとりでのヨットのイベントなど盛りだくさんのプログラムだ。

  そしてシャンゼリゼ通りを3000人のミュージシャンたちが行進するというのだからスケールが大きい。23日正午にテレビTF1で生中継されるという。スコットランド、アイルランド、ガリシアなどのケルト文化圏からもミュージシャンが大集合する。ダンス、バガドゥの演奏もあるというのだから、これは見逃せない。

3000 musiciens et danseurs traditionnels vous convient, le 23 septembre 2007, à 12 h 00, à la plus belle des parades bretonnes… sur les Champs Elysées. Sur place ou en direct sur TF1, que le spectacle commence !

Au milieu des «Gwenn ha du» - drapeaux bretons - le Bagad de la Marine Nationale (Lann Bihoué) ouvre la parade. Suivent les meilleurs bagadoù de Bretagne regroupés en pôles de 200 à 300 musiciens. Des groupes de 160 danseurs bretons – tous classés en 1ère catégorie à l'issue des concours annuels -, accompagnés de leurs cousins celtes venus d'Ecosse, d'Irlande, de Galice et des Asturies ponctuent cette parade. Long de 1,3 kilomètre, du Rond Point des Champs Elysées à la place de la Concorde, ce défilé aux couleurs celtiques redessine la plus belle avenue du monde. Le final ? Un concert unique réunissant 7 bagad, des pipes bands et des chœurs gallois !

  詳しい情報はBreizh Touchからどうぞ。せめて1カ月くらい前に知らせてくれたら予定に入れることができたのに残念。フランスはやっと夏休みが終わったところ。記者会見も今日行われるそうですから仕方がないのですが、身体が2つほしいです。誰か、私の代わりにレポートしてください。ビデオ、写真もお待ちしています。

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2007.09.09

あきらめないこと

  ふだん低血圧の私だが、きっと心拍数が増えているだろう。なぜって、さきほどからドキドキしているからだ。昨晩ボーヌで死ぬということ―「中世の秋」の一風景を読んでいたら、電気もつけっぱなしでそのまま寝てしまった。

  ここに出てくるあるテーマをずっと追いかけていてそれで本を書こうとしているのだが、朝続きを読み返していてひっかかることがあった。そこで別の本を取り出してネットで検索をかけると、「いつか行かなくては」と思っていたその場所が昨日予約したブルゴーニュ第1日目のホテルから、わずか30分の距離にあることがわかった。Brianny ブリアニーというところだ。

  ついでにもう一か所を調べるとパリからそう遠くないイヨンヌ川流域と記述されている。そのLa Ferté-Loupière ラ・フェリテ・ルピエールをMappyで調べると、こちらは2日目に泊まるホテルから1時間しかかからない。まったく訪れる予定にはいっていなかったので、このような幸運があるとは感激だ。まるで何かに導かれているかのようだ。

  すこしだけ種明かしをすると、私が見たいのは教会内部にあるものだ。まだ観光案内所には連絡していないのだが、こういった小さな教会は閉まっていることが多い。ここまで行くなら、お願いして鍵を開けてもらおう。がぜん旅の準備が楽しくなってきた。もし帰ってきてからその事実を知ったら、くやしくて仕方なかっただろう。日本にいながらにして情報が集められるのはインターネットのおかげだ。

  さらに付け加えると、旅の前半に行くことになっているNormandie ノルマンディーのRouen ルーアンにもこのテーマに関連する場所がある。ルーアンにはすでに何度か行っているのだが、そこのことは知らなかった。数週間前にガイドブックを読んでいて知ったばかりだ。しかもありがたいことに自由時間があるので、走ってゆけば間に合う。このチャンスをいかし、しっかり目に焼き付けてきたい。

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ラグビー観戦でホテルが満室

  スーツケースを宅急便で空港に送り、SNCFのサイトとにらめっこ。やっと検索ができたので、日程に合わせてTGVの時間を検索した。前に書いたように、NantesナントからDijonディジョンまで列車で移動しようと思っていた。

  だがNantesナントのホテルがどことも満室だ。調べてみたら、案の定ワールドカップラグビーの試合がある日だった。シーズンオフでも大きなコンサートや見本市があると宿泊場所がなくなってしまうので注意が必要なのだ。(残念ながらフランスチームは昨日の開幕戦で敗れてしまった)。

  NantesナントはRennesレンヌから日帰りで行って、1日早くBourgogneブルゴーニュへ列車で移動することにした。普通はいったんパリで駅を移動しなければならないが、Lyonリヨン経由なら構内で乗り換えだけ。時間は少し長くなるが荷物があると余計な労力を使わずにすむ。せっかくなら、リヨンの街も歩きたいがそれほど乗継時間はないので残念だ。

  予約番号だけとって、購入はフランスに到着してから自動販売機で自分で買うことにした。この方法なら、クレジットカードの番号を入力する必要はない。難点は数日後の期日中に買えないと、自動的にキャンセルされてしまうこと。ほかのTGVの割引チケットは自分で印刷した。(こちらはクレジットカードの入力が必要)。最近飛行機のチケットもなくなりつつあり、今回はKLMのチケットを印刷したが忘れそうで怖い。

  それから半日かけて地図を確認しながら、ホテルの予約をした。数週間前から調べてはいたのだが、ここと思うところは遠すぎて無理。目的にあうような個性的なホテルは値段も高いので、見定めるのが大変だ。それでも何とかスケジュールにあわせ予約が完了したのでホッと一息。あとはレンタカーの予約だけだと思う。これはまた明日にしよう。

  このブログをつうじて知り合ったフランス在住の日本人2人が、「ブルゴーニュでうちに泊まってもいい」、「もしSNCFの予約が必要なら声をかけて」と連絡してくれた。きっと近いうちに会える日が来ると信じている。ご厚意、ほんとうにありがとう。

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2007.09.02

TGVの検索もできないなんて・・・

  昨日からずっとvoyages-sncf.comでTGV フランス国鉄の高速列車の予約をしようとしているが、エラーになって列車の時刻を見ることもできない。数日前までは検索できたのに、システムが混乱しているのだろうか。

  長距離を移動する場合は予約がなければ満席で乗れないことがあるので困っている。それに前もって予約すれば割引があるので早く予約したい。窓口でも何度が「コンピューターが故障して予約業務ができない」と言われたことがあるが、復旧を待つしかないのだが。

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2007.08.21

蒼い聖母ご出現の地 Pontmainポンマン その12

Pontmain_e



Je vous salue, Marie pleine de grâce ;
le Seigneur est avec vous.
Vous êtes bénie entre toutes les femmes
Et Jésus, le fruit de vos entrailles, est béni.
Sainte Marie, Mère de Dieu,
priez pour nous pauvres pécheurs,
maintenant et à l'heure de notre mort.

めでたし、聖寵(せいちょう)みちみてるマリア、主(しゅ)御身(おんみ)と共にまします。
御身は女のうちにて祝(しゅく)せられ、御胎内(ごたいない)の御子(おんこ)イエズスも祝せられたもう。
天主(てんしゅ)の御母(おんはは)聖マリア、罪人(つみびと)なる我らの為に、
今も臨終(りんじゅう)の時も祈り給え。 

恵み溢れる聖マリア、主はあなたとともにおられます。
主はあなたを選び、祝福し、あなたの子イエスも祝福されました。
神の母聖マリア、罪深い私達の為に、
今も、死を迎える時も祈って下さい。 

    私が訪れたのはちょうど大晦日だった。Pontmain ポンマンにもともとあった小さな教会の内部でミサが行われていた。天井も壁も蒼く、無数の星が描かれている。私はキリスト教徒ではないが、フランスの友人たちはカトリック教徒が多く、よく教会のミサに出席していた。しかし、ひとりで行ったこのミサは忘れられない。上に書いたSainte Marie, Mère de Dieu 聖母マリアへの祈祷文をそのミサの最後に全員が声を揃えて唱えていたのだ。

  この内容を書いた紙を手渡されたので、一緒に声を出して読んでいた。1度、2度、3度とくり返してもうこれで終わりだろうと思ったのに、声はまったくやむ気配がない。5度、6度と唱和してもまだ続く。祈り給え。祈り給え。祈り給え。祈っても祈りつくせない、まっすぐな祈りが心にしみこんできたのである。一晩じゅう続くのではと一瞬思ったが実際には20度くらいで終わりになった。写真はミサが終わりほとんどの人が教会から立ち去った後で撮ったものだ。

  これまで紹介してきた聖母マリア出現の物語の真偽について語る資格はない。私にできることは何が起きたのか、見聞きしたことをそのまま書き写すことだけだ。ルルドでもここポンマンでも、聖母出現後、医者から直ることがないと見離された病気や怪我がいやされるといった奇跡を体験した人がいること、そして、実際に遠くから巡礼者が絶えることがない。そこには科学では解き明かせない何かがあるとしか考えられない。

  西洋の文化を理解しようとつとめれば、どうしてもキリスト教を学ぶ必要にせまられる。その関連からユダヤ教やイスラム教など世界の宗教にも関心をいだいている。考え方に違いがあっても、どの宗教も信じること。何かを祈ることなしには成り立たない。教会にもモスクにも神社仏閣にもそれぞれ人々の強い念が満ちている。だから言語がわからなくても、教義を知らなくても、身体が反応するのだろう。下の資料に地図があるので、機会があれば現地を訪ねてほしい。

  最後まで読んでくれたことを感謝して、ポンマンで購入した蒼い聖母のメッセージ入りカードを1名の方にプレゼントしたい。ご応募はメールに「蒼い聖母のしおり希望」と明記し、読んだ感想を書き添えてほしい。締め切りは8月末日。抽選のうえ当選者にメールで連絡。ふるってご応募を。

  その1はこちらから。

    参考資料

 聖母マリアへの祈祷文 アヴェ・マリア Wikipedia
Pontmain ポンマンの位置 ブルターニュ、ノルマンディー、ロワールの境にある。行政上はロワール地方。
Pontmain ポンマンの地図 現在も小さな村だ。

e-mail

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2007.08.20

蒼い聖母ご出現の地 Pontmainポンマン その11

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  プロシア軍は1871年1月5日、それまで包囲していた首都パリに砲撃を開始。戦闘は続いていたがフランス軍の巻き返しは望みうすだった。そして1月18日、ヴェルサイユ宮殿でドイツ帝国の皇帝ヴィルヘルム1世の即位式が行われた。(宰相はビスマルク)。ちょうどそれは蒼い聖母ご出現の翌日のことだった。(戦争のいきさつはその2を参照のこと)。

  この物語の舞台となったPontmainポンマンはパリから350kmほど西に位置している。すでに数十キロ離れたLavalラヴァル近くまでプロシア軍が進軍してきていた。小村ポンマンは攻められればひとたまりもない。事実1月18日も大砲の音が響き、予断を許さない状況だった。ところが、この日以降攻撃は中止され20日になると急にプロシア軍が撤退を始めたのだった。そして28日、両国の間で休戦協定が結ばれた。
Basilique_pontmain

  Pontmainポンマンには平和が戻った。聖母の恩寵でこの地が荒らされることがなかったのだと、村人たちは信じた。そして蒼い聖母が姿を現した空に向かって祈りつづけた。その噂を聞きひとり、またひとりと巡礼者がふえていった。やがてポンマンから戦地へ赴いていた38人が皆無事で故郷に帰郷し村人たちは喜びにわいた。

    もちろん誰もが聖母ご出現を信じたわけではない。子供たちはひとりずつ引き離され、教会関係者や医者に何度も尋問された。それまでにも聖母ご出現といわれたことはたくさんあった。しかしポンマンの例は特殊だった。文章があらわれたことはなかったからだ。子供たちの作り話とは片付けられない出来事だったのだ。

下の写真はBasilique Notre-Dame de Pontmainである。この内部の様子はこちらから360度見ることができる。

 その12につづく その1はこちらから

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2007.08.15

蒼い聖母ご出現の地 Pontmainポンマン その10

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  それまで蒼い服を着た女性は両手を下ろしていたのだが、その手を肩の高さまで上げた。そして聖歌のリズムにあわせ微笑みながら、指をゆっくりと動かした。「笑っていらっしゃる。何て美しいお姿だろう」と子供たちは手をたたきながら飛び上がった。「今まで見たことなかったもの」「お側まで飛んでゆけたらいいのに」「羽があったらなあ」口々に感想を述べながら、空を見上げる子供たち。

    しばらくすると聖母の表情がくもったようだった。そのとき真っ赤な十字架が出現した。よく見ると真っ赤なキリスト磔刑像をともなっていた。ひとつの星が下の方から上に移動して、聖母の身体の周りにある4本のロウソクに火がともった。村人たちは一心不乱に祈った。

    シスターMarie-Edouard マリー・エドワールがAve Maris Stella アヴェ・マリス・ステラ(めでたし、海の星)を歌いはじめると、赤い十字架が消え、聖母は両手を元のように下げた。それから聖母の両肩のところに真っ白な十字架が2つあらわれた。「ああ。微笑んでいらっしゃる」と子供たちもうれしそうにつぶやいた。

  ちょうど、夜のお祈りの時間だった。各々がその場に跪きひたすら祈った。すると白いベールが足元から聖母をつつみはじめ、その身体が見えなくなった。もう顔も判別できなくなっていた。そして4本の火のついたロウソク、蒼い楕円形の縁取りも闇にまぎれてしまい、すべてが終わった。

  時刻は午後9時になっていた。静かな安らぎに満たされ、村人たちは家に帰った。心配はすべて消え去っていた。

  Ave Maris Stellaの歌詞日本語訳 解説も素晴らしい。

  その11につづく その1はこちらから

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2007.08.14

蒼い聖母ご出現の地 Pontmainポンマン その9

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  急に子供たちがいっせいに叫んだ。「見えるよ。長い棒みたいだ」と。家の屋根と空に浮かぶ女性の間に白い棒状の空間があらわれたのだ。上の写真がそれを再現した絵である。

  そしてその白い空間にアルファベットが一文字ずつ示された。「M」少したつと「今度はA」といった具合に。「MAIS」の次は少し空きがあったので、これが最初の単語だとわかった。この4文字がそろうまでに10分近くかかっている。それからも次々と文字があらわれ、最終的には下のような文章となった。
Message

    MAIS PRIEZ MES ENFANTS DIEU VOUS EXAUCERA EN PEU DE TEMPS.(さあ祈りなさい 子供たち 神はもうすぐあなたたちの願いを聞き入れるでしょう)  このメッセージは非常な喜びをもたらした。文章の最後には「とても大きく、まるで太陽のよう」な巨大な句読点が示された。これを見守っていたひとりの女性Mariette マリエットは(その7のJean Guidecoq ジャンの妹)、疑いをいだきそれを口にしたとたんに身動きができなくなった。そして泣きながら祈りを捧げたのであった。

  MON FILS SE LAISSE TOUCHER (わが息子は心を動かされます)
  聖母マリアをたたえる別の歌が終わるころ2行目の文字があらわれた。そしてMON FILS モン・フィス(わが息子)という単語に、人々はこの女性が聖母マリアであると確信したのだった。雪の中だというのに心は温かさで満たされ、金色の光が下線となった。さらに人々が深く祈ると、聖母マリアの姿に変化が生じた。
  
  その10につづく その1はこちらから。

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2007.08.10

蒼い聖母ご出現の地 Pontmainポンマン その8

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  村人は戸を開け放った納屋の中や雪の上に跪き祈りを唱えた。祈るに従って、蒼い服を着た女性の姿はますます神々しく、大きくなってきた。「さっきの倍くらいになったよ」と子供たち。彼女の周りにある青い縁取りも広がっていた。

それと同時に蒼い洋服にちりばめられている星の数が増え光につつまれていた。「星だらけだ。身体が金色に見えるよ」と驚くほど、まるで魔法のように。しかも空に輝く星までもその位置を変えた。2つずつペアになっておよそ40の星が、この女性の足元に集まってきたのだ。

  シスターMarie-Edouard マリー・エドワールがMagnificat(マニフィカト、晩課に歌われる聖母マリアの賛歌)で'sur le grand ton de Bretagne'ブルターニュの調べの最初の句を歌い終わったとき、奇跡がおきた。

その9につづく その1はこちらから。

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2007.08.07

蒼い聖母ご出現の地 Pontmainポンマン その7

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  知らせを聞いたl’abbé Guérinゲラン神父が納屋の前までやってきた時だった。突然、子供たちが口ぐちに「何かが起きている」と声をはりあげた。そして徐々に話しはじめた。女性の身体から50センチくらい離れたところにやはり蒼い色の楕円形の縁取りがあらわれたのだった。その内側に4本のロウソク(2本は肩の高さ、もう2本は膝の高さ)、そして女性の左胸の上に小さな赤い十字架が見えた。

  ポンマンには以前から小さな教会があった。そこはフランス革命後荒れ果てて屋根さえもなかった。ゲラン神父は35年前から一生懸命教会を修復してきた。マリア像を置いてミサを行うときは4本のロウソクをともした。そして10年ほど前にはマリア像のある壁の内部を青く塗り、星を描いていのだ。

  子供たちの語るその女性の様子は、村の教会と似ているようだった。ただ神父もふくめ大人には何も見えない。いらだちから子供たちに向って皮肉を口にするものもいた。Jean Guidecoq ジャンは「どうして俺には見えないんだろう。眼鏡か絹のハンカチがあったらなあ」とぼやいた。これらは天文学研究の象徴だった。絹のハンカチは、日蝕観察に用いられていたからだ。

  「それならあるわ」とヴィクトワールは家からスカーフを取ってきてジャンに手渡した。しかしスカーフごしに眺めてみても空には星だけ。人々は彼のことを笑ったり、ひやかしたりした。ウジェーヌは急に「寂しそうなご様子」と言った。女性の表情がくもったのは、ざわめきのせいではないかと思われたからだ。

  「おだまりなさい。子供たちにしか見えないのは彼らが我々よりもよりふさわしいのです」とl’abbé Guérinゲラン神父の声が響く。シスターMarie-Edouard マリー・エドワールは「神父様。マリア様にお声をかけてください」とうながした。「私にはお姿が見えないのに、どうお話すればいいのか・・・」。「それなら子供たちが話しかければよいのでは」。神父はこの提案をしりぞけると「祈りましょう」と皆をうながした。

その8につづく その1はこちらから。